浄法寺の漆屋!

浄法寺の漆屋です。漆に関する事を綴りたいと思います

日記

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日本発祥だ!

 以前は、古代中国の殷王朝(紀元前1600年頃 - 紀元前1046年)の古代遺跡から漆器の一部が発掘されていたので、漆器は古代中国文明が発祥地で、漆器の技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと考えられていました。
  
  ところが、日本の縄文時代前期の遺跡から漆製品が見つかり、さらにDNA分析の結果、日本のウルシの木は日本固有種であることが確認され、漆器の日本起源説も主張されるなど漆器の起源については議論が続いています。我が国では、朱の漆器は縄文前期、黒の漆器は弥生期から作られていたことが各地の遺跡からの出土品によって証明されているようです。
  
  現在、世界最古の漆は、約7000年前の古代中国揚子江河口にある河姆渡遺跡から発見された漆椀とされています。日本で最古は約6000年前、鳥浜遺跡から出土した朱塗りの櫛で今後の調査発掘が期待されます。平成12年には北海道の大船遺跡で約9000年前の地層から漆の副葬品が出土しましたが、火災により焼失してしまったようです。この副葬品に使われた漆が大陸から渡ってきたものか、日本固有種かは不明ですが、古くから日本国内で漆が使われていたのは間違いないのです。
 
 考古学の世界でも「漆」が注目されています。石器の矢尻を木や竹の矢柄にはめ込み、はめ口を藤蔓などで縛りそこを漆をしみこませて固めたものが発見されます。。漆がしみ込んだ部分だけが腐らず、矢柄の材料を知る貴重な手がかりになっているのです。

  それにしても、漆という樹液が乾燥することにより比類なき強度に達するという特性を誰が発見したのでしょうか。


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鶴岡に行きたい

鶴岡は、江戸時代、徳川四天王と言われた酒井氏が代々治めた庄内藩の城下町です。
 
藤沢周平に縁の町でもあります。
 
直木賞作家の藤沢氏が描く時代小説はファンが多く、大好きな作家の一人でもあります。
 
江戸時代、西廻り航路で栄えた港町で、豪商、本間家ゆかりの史跡が数多く見られ、古伊万里の珍品が残る土地でもあります。
 
時々、これはと思う古い漆器も出てきます。
 
来年の目標を鶴岡旅行としたいです。



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遣日使

日本とチャイナ、日本とコリアはギスギスした話題が多い昨今ですが、ギスギスした関係にも長い歴史があることが判りますね。

インターネットを検索すると、「遣日使」という言葉を見かけます。

戦後教育で私たちは、日本が隋や唐から日本より優れた文化を取り入れようとして、遣隋使遣唐使を盛んに送ったと教えられました。

しかし、田中英道・東北大学教授は「遣日使の方が多かった」との見解を述べています。

「日本の歴史において、常に外国から学び、模倣して日本文化が形成されている、という歴史家、評論家の固定観念が、日本の世界における文明的な位置づけを怠らせ、その意義の検討を遅らせてきたのである。

遣唐使という言葉はあるが、遣日使という言葉がないこともその証拠である」

そこで思い出されるのが聖徳太子のあの有名な言葉です。

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙(つつ)が無きや」

実は、遣唐使の何倍もの使者が唐から日本に来たと田中氏は説きます。

日本書紀には、「唐人を乗せた船が余りにも多く押し寄せたので、防人たちはすわ侵略軍かと思い弓を射た」という記述があります。

教えを請おうと渡って来たのは唐のみならず、新羅や渤海からも来ていました。

渤海は日本への朝貢国で、高句麗とは対立関係にあった国です。

鑑真和上は有名ですね。

日本へ仏教を広めるため何度も日本への渡海を試みて、やっと日本に来たときは目が見えなくなっていたと教えられました。

なぜ鑑真和上は、日本への渡海を何度も試みたかが不思議でした。

しかし、当時の日本の文化への憧憬から「遣日使」という言葉から浮かんできます。

仏教はすでに聖徳太子が国策として取り入れ、神道と仏教両輪でそれなりに安定した社会でした。

彼らにとって日本は文化果つる国ではなく、憧れの国だったのです。

明治維新後に、清国から多くの留学生が日本を目指したのと同じ現象だったのですね。

この部分を、日本の教育は教えません。

チャイナの文化を吸収し、独自に高め、庶民までもが「万葉集」に見るように和歌を自在に詠む教養度の国が日本でした。

文化だけではなく、金や銀の精製技術をさえ日本は有していたようです。

遣隋使、遣唐使の人や船の数より遣日使の数が上回り、それらの人々の多くが、鑑真のように帰化する道を選びました。

当時の奈良の人口の三分の一は帰化人だったとの説もあります。

反対に、遣唐使や遣隋使として海を渡った日本人たちが、帰化して住み着いたという話は
あまり聞きません・・・・。

遣隋使、遣唐使よりも、「遣日使」が多かった事を覚えておいてください。


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満州鉄道

満州鉄道に務めた事のある知り合いが亡くなりました。

100歳まで、もうすぐでした。

実体験としての、満州の話は興味深いものがありました。

基本的に、満州国を住んでいる人は歓迎したようです。

意外だったのは、満州地域には本土の日本人はあまり住んでいなかった事。

日本人として多く住んでいたのは、朝鮮系の日本人だったとのこと。

そのあたりを研究すると、日本の失敗が理解できそうです。



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