古式浄法寺コレクション
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骨董雑誌「目の眼」平成12年10月号で漆器が特集されています。
その中で、根来とともに「東北の漆器」として秀衡・浄法寺・会津箔について書かれてます。
秀衡椀という名の起こりは「蘭学階梯」の著者大槻盤水(大槻玄沢)が書いた「秀衡椀記」が最初であ。
寛政4年(1792)に書かれています。
しかし、この名が広まったのは明治・大正時代に数奇者がこの椀に目を止め、茶懐石に使うようになってからだそうです。
資料がほとんど残っていなくて産地が判明しないのだそうです。
ただ椀の分布が磐井郡、胆沢郡を中心とする地域で、室町末期から桃山時代ころと言われています。
つぎは浄法寺椀について書きます。(次回)
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11月14日〜15日に、二戸駅「なにゃーと」で開催される手仕事展。
そのイベントに古い漆器などを貸し出しました。
古い時代の職人の心意気を感じて下さい。
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古い秀衡椀は岩手県南地方の旧家やお寺などで所蔵されているものが多く、各地の博物館などで見ることができます。中尊寺にも桃山期の秀衡椀が所蔵されています。
旧衣川村増沢地区は、もともと漆器の産地として県内でも有数の産地で、民藝運動の創始者・柳宗悦が「塗りが正直で手堅い」と絶賛したこともあり昭和初期はとても盛んな産地でした。現在ではここで秀衡椀が造られていたという説も有りますが、確証はありません。
その増沢地区も、ダムの建設によって移住を余儀なくされました。漆器を作っていた人たちも様々な地域に分散してしまい、増沢の漆器資料はほとんど残りません。
浄法寺と秀衡の謎は深まるばかりです。
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岩手県を代表する漆器に浄法寺塗と秀衡塗があります。
秀衡塗は菱形の金箔と模様が特徴的ですよね。平泉文化を花開かせた藤原秀衡の名が付いている由緒ある漆器です。
ただ、秀衡塗のルーツとされている「秀衡椀」という呼称は、なぜ「秀衡椀」の名がつけられたのかは分かっていないのです。浄法寺塗は瀬戸内寂聴尼で知られる天台寺がルーツであることが分かっていますが、秀衡椀は少し謎めいています。
中尊寺と天台寺の歴史的関係を考えれば、同じような文様の古い漆器が存在していたことは、歴史的にも何らかの繋がりがあることを暗示していると思います。
よく間違われるのが秀衡塗と秀衡椀です。秀衡塗という名前は大正時代に当時の盛岡市長によって付けられた名前で、もともと盛岡の名産品として始まりました。秀衡椀は古くから存在していますが、秀衡椀の歴史=秀衡塗ではないのです。
古い秀衡椀は確かに現存しているのですが、その歴史を綴った古文書などはほとんど存在していません。何かの資料に、秀衡椀は元々は南部椀と言われていたとったように思いますが、定かではありません。柳宗悦氏もそのようなことを書いています。
南部の名を有つものに古くから「南部椀」があります。時にはこれを呼んで「秀衡椀」という人もあります。
出典柳宗悦『手仕事の日本』(岩波文庫)
個人的には↑が真実かとも思っています。
(続く)
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