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大和朝廷が栄えた時期に活躍したとされる武人、武内宿弥(たけのうちのすくね)を祭る。
現在は255年ぶりの大規模改修を行られました。
宿弥は孝元天皇のひ孫とされ、日本最初の大臣ともされる。5代の各天皇に仕え、神功皇后と古代朝鮮の新羅(しらぎ)に攻め入るなど、功績を残したという。
武内神社は、仁徳天皇の時代に創建。蝦夷(えみし)の鎮圧に向けて宿弥を祭ったと伝えられる。その後、坂上田村麻呂が社殿を修繕。1591年には南部宗家南部信直が戦国武将九戸政実の討伐に出陣する際には、武運祈願したとも伝えられる。 |
浄法寺周辺の歴史
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『東日流外三郡誌』が出版された経緯
真贋論争が争われている東日流外三郡誌は全国的にも話題を振りまいた。
青森県北津軽郡車力村の『車力村史』(昭和48年12月25日刊)に、一部が引用されて注目を浴びた。
また、市浦村の『市浦村史資料編』(全3巻、昭和50年〜52年刊)に、約200巻の中の約三分の一が和田喜八郎の了解の上で引用されている。
その後、その全資料を収録した小館衷三・藤本光幸編『東日流外三郡誌』(全6巻、北方新社版、昭和58年〜昭和60年刊)や藤本光幸編『和田家資料』(全2巻、北方新社、平成4年)等が公刊された。現在も入手可能なものとしては『東日流外三郡誌』(全6巻、北方新社版、及び、八幡書店版)、『東日流六郡誌絵巻』(全、津軽書房、昭和61年刊)、『和田家資料』(全2巻、北方新社、平成4年)等がある。
ともかく膨大な量なのは間違いない。
和田喜八郎は、1999年9月28日に突然病死し、真贋論争は本人の口から語られることは無くなった。
亡くなった後に、和田喜八郎の自宅建物は人手に渡り、新聞記者による調査が行われた。
新しい家主と東奥日報記者立会いのもとに行われた調査でも、その家に古文書を隠せるようなスペースそのものがなかったことが確認されている。
現在残っている「和田家文書」のほとんどは孝季らの書いた原本ではなく、明治期頃に和田家の当主が残した写本でいずれも同じ屋根裏から見つかったものという。
結局、和田は1999年に世を去るまで約50年にわたってほぼ倦むことなく(本人の主張では天井裏にあった箱から)古文書を発見し続けた。
和田喜八郎の家が地元の旧家だったという事実はない。
和田喜八郎の家は昭和期に建てられたもので、それ以前の古文書が隠されていたはずはなく、さらに戦後に新建材の天井板を張る以前には天井裏そのものもなかった。
状況証拠は、限りなくクロに近い。
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「和田家資料」発見の経緯
『東日流外三郡誌』の発見された経緯は、所蔵者和田喜八郎と編集刊行に携わってきた藤本光幸によると、昭和22年8月の深夜であった。
和田家の天井板を突き破って、突然何かが落下してきた。
それには門外不出の古文書類が収蔵されており、『東日流外三郡誌』のほか、『金光上人関係資料』、『天真名井家関係文書』等の合計368巻であった。
他の箱からは『東日流外三郡誌』編纂のための参考として収集されたと思われる世界史、進化論、宇宙天文学、宗教、博物学等に関する版木本や刊本数千冊も見つかった。
その後、1990年に最後の1箱を開いてみると、安倍頼良着用と伝わる鎧が見つかった。
一緒に『丑寅日本記全』、『丑寅日本雑記全』、『丑寅日本史総解』、『奥州風土記』、『陸奥史風土記』、『丑寅風土記全』、『渡島古史抄』、『東日流古史抄』、『陸羽古史抄全』、『陸奥古史抄全』、『陸奥古事抄』、『東日流古事録』、『語部古事録』、『陸羽古史語部録全』、『日下史大要語部録』、『陸奥羽古代史諸証』、『日之本史探証』、『東北陸羽史談』、『陸奥史審抄』、『日下史大要絵巻』、『陸羽古史絵巻』、『日下北鑑全』等約1800冊(巻)の資料もでてきたのである。
最後の発見まで45年ぐらいの時間が必要だった事になる。
なぜ一回で出てこなかったかは不思議である。
これらの『東日流外三郡誌』を中心とする一群の「和田家資料」は、奥州三春藩主秋田倩季から安倍・安東・秋田家の族譜と事績の編纂を依頼されたのに応じて、1789年(寛政元年)から1822年(文政5年)までの間、秋田土崎湊の秋田孝季と津軽飯詰の庄屋和田長三郎吉次が調査記述したものである。
その副本を権七、吉次、末吉の三代が書写によって虫食い等から守り、和田家で代々引き継いだ物とされた。
秋田孝季は、東日流外三郡誌が話題になった当初は、三春藩主で秋田家(安藤家)の事績を調査させた名君とされていたが、後に三春藩主とは関係の無い人物とされた。
『東日流外三郡誌』を中心とする「和田家資料」は、偽造したとしても、とても膨大な量であり、そのことで偽書では無いとする意見もあるようだ。
西村俊一東京学芸大学教授は、仮にそれらが和田喜八郎の手になる「偽書」であるとすれば、同人の周辺に今日の大学の研究室よりも大きい偽作集団が相当長期にわたって存在し続けたと考えるしかないであろうと述べている。
続 く
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日本初の飛行実験に、二戸人が関わっています。
関わっていると言うよりも主導しています。
田中舘愛橘博士です。
生涯二戸訛りが抜けなかったようです。
いつか、この時の初飛行を書き残したいと思っています。
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東日流外三郡史という奇書が存在します。
詳細はインターネットで調べて見てください。
個人的な見解は、偽書なのは確実だと思っています。
しかし、全くのでたらめかというと、ちょっと違うような気がします。
ネタ本の古文書や、古い伝承があったよはずです。
それをあまり脚色しすぎて、荒唐無稽的な物になったものと思います。
偽書を作ったとしても、ものすごい分量ですよね。
今後、十三湖周辺で遺跡が出てこないとも限りません。
読み物としては面白いですよ。
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