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青森県の名久井岳周辺の修験道で使われた器です。
これで一汁一菜で厳しい修行に耐えたようです。
塗り直そうと思いましたが、このままでも使えます。
江戸に嫁ぐ予定です。
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古漆器、古民具、古書など好きです
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古い漆器を磨いています。
おそらく50年以上仕舞い込まれていたものです。 擦れや汚れか有りますが、磨けば独特の光沢が出てきます。 磨き方は簡単です。 水で洗って乾いたタオルで拭くだけです。 半年ぐらい続ければ良い器に育ちます。 水は最良のワックスです。 |
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国内最大の生漆の産地・岩手県浄法寺地方。
古くから漆器の産地として知られていますが、明治以降は徐々に廃れ戦後はほとんど知られなくなってしまいました。
江戸期までの絵付けは古美術の世界では高い評価を得ています。 そんな江戸期ごろの「菊絵皿」を発掘しました。
手引き轆轤による作品は味わいがあります。
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手引き轆轤の椀が江戸に嫁ぎます。
画像では判りませんが、微妙に歪です。
笑ってしまう器です。
塗りはしっかりしています。
おそらく昭和の時代に塗り直しが行われています。
どのように使われるか楽しみです。
収集品を随時放出する予定。
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その昔、室町期までは飯椀も汁椀も皿も木製が多かったと記録に残ります。
今は、汁椀以外は陶磁器が多いですね。
その理由は単純で、汁物は熱いものですから、陶磁器では熱くなって持ちづらく吸いにくいのです。
そういった意味では、ラーメンや蕎麦なども漆器が良いのですが、どちらかというと陶磁器を使うところが多いです。
では、汁椀以外がなぜ陶磁器になったのか。
これは、基本的に価格が安いからと言えます。
江戸時代以前は、庶民は自分たちの食器を「箱膳」という箱型の膳で食べていました。
各自の食器はこの中に入っていて、食後は各自の器にお湯を入れて、漬物でぬぐって洗い、お湯と漬物も食べておしまいでした。
水で食器を洗うなんて1ヶ月に数回のことだったようです。
これが一般庶民には当然でしたから、食器の内側がスベスベした方がいいわけで、漆塗りになる訳でした。
江戸時代に入り、陶磁器の生産が盛んになり、値段が下がると庶民はこぞって陶磁器の食器を使うようになったのです。
このため汁椀以外の食器は陶器になったのでした。
一方、武士や公家では、上げ膳下げ膳ですから、自分では洗いません。
ですから昔ながらの漆器が基本です。
今でも懐石料理なんかでは、基本的に漆器です。
では、同じ熱いものを盛り付ける丼なんかなぜ木じゃないのでしょうか。
実は、これらも昔は木でした。
江戸期の記録にも、「うどん」は木の鉢で食べていたとあります。
江戸で蕎麦屋がはやる頃になると、木の椀よりも陶器の丼が安く出回るようになり、陶器になったのです。
陶磁器は、個々には手作りですが、最終段階でまとめて釜で焼きますから、ある程度以上をまとめて作ると効率がよく、価格も低く抑えることができます。
かし漆器は最後まで1個1個の手作り作業だけですから、生産効率が悪いのです。
でも、うどんや蕎麦を漆器でだされると、もつ手や口に優しく、味も格別です。
ちなみに、ラーメンの丼はチャイナから食材と一緒に伝わったと思われるので、根本的に漆の器とは違いますね。
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