|
浄法寺では、南部椀と呼ばれる絢爛豪華な箔椀とは別に、御山御器と言われるような雑器も作られていました。
農閑期の副業で作られることも多く、その技術も決して洗練されてはいませんが、何となく落ち着く作りになっています。
30年ぐらい前に入手した器は、三回ぐらい塗り直しされた物で、漆の厚みが有るモノでした。
某大学の研究者の話では、江戸初期ではないかとの事です。
其の漆器を、水で洗い乾いた布で拭き取ると言う作業を繰り返すと、本当に素晴らしい光沢が出てきます。
水洗いと拭き取りを繰り返すこと一年。
素晴らしい色になりました。
秀衡椀のコレクターとして知られた、宮城県のA氏から聞いた言葉の通りです。
「水は最良のワックスである」
|
古漆器、古民具、古書など好きです
[ リスト | 詳細 ]
|
100年は経過した漆器。
塗りもしっかりしています。
このたび、江戸に嫁ぐことになりました。
大切に使って欲しい物です。
剥がれてきたら、塗り直して使えば、100年後でも新品同様です。
|
|
岩手県を代表する漆器に浄法寺塗と秀衡塗があります。
秀衡塗は菱形の金箔と模様が特徴的ですよね。
平泉文化を花開かせた藤原秀衡の名が付いている由緒ある漆器です。
ただ、秀衡塗のルーツとされている「秀衡椀」という呼称は、なぜ「秀衡椀」の名がつけられたのかは分かっていないのです。
浄法寺塗は瀬戸内寂聴尼で知られる天台寺がルーツであることが分かっています(これも伝説の域を出ないとの説もある)が、秀衡椀は少し謎めいています。
中尊寺と天台寺の歴史的関係を考えれば、同じような文様の古い漆器が存在していたことは、歴史的にも何らかの繋がりがあったことを暗示していると思います。
よく間違われるのが秀衡塗と秀衡椀です。
秀衡塗という名前は大正時代に当時の盛岡市長によって付けられた名前で、もともと盛岡の名産品として始まりました。
秀衡椀は古くから存在していますが、秀衡椀の歴史=秀衡塗ではないのです。
古い秀衡椀は確かに現存しているのですが、その歴史を綴った古文書などはほとんど存在していません。
何かの資料に、秀衡椀は元々は南部椀と言われていたとったように思いますが、定かではありません。
柳宗悦氏もそのようなことを書いています。
南部の名を有つものに古くから「南部椀」があります。時にはこれを呼んで「秀衡椀」という人もあります。
出典柳宗悦『手仕事の日本』(岩波文庫)
個人的にはこれが真実かとも思っています。
|
|
30年ぐらい前に遠野の旧家で見かけた古椀。
同じような物がインターネットに出ていました。
当時の写真を探していますが、見つかりません。
その旧家には10個残っていました。
以前は100個近くあったようです。
なぜ譲られなかったのか後悔です。
|




