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子供の時の思い出。
雪が降り始めたころに、近所の爺ちゃんたちは炭焼き小屋に集まっていた。
雉や鶏をさばいて、焼きやら鍋物で濁酒を呑んでご機嫌。
子供たちにもお裾分け。
雉は良い出汁がでて、蕎麦を作ってくれた。
あの味は、炭焼き小屋と雪があっての味。
雉はっとの味だった。
「はっと」は麺類を表す方言。
誰が何と言っても、あの味は忘れられない。
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蕎麦
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現在の二戸駅。
昭和時代は北福岡駅と呼ばれてました。
そこの駅蕎麦が好きでした。
何らかの形で復活してほしいです。
当時の画像をお持ちの方は、ぜひ公開してください。
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昭和60年に購入した本が出てきたので読み前しています。
蕎麦つくり名人も紹介されていて、わが浄法寺人も紹介されています。
この頃は「かくしめ食堂」がお気に入りでした。
蕎麦そのものもですが、蕎麦猪口や椀、江戸文化にも興味が出てきて現在に至ります。
熱い蕎麦は漆椀に限るという結論にいたりました。
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蕎麦猪口は「そばちょこ」と読むべきか「そばちょく」読むのが正しいのか? どっちでもいいことですがちょっと気になりましたので蕎麦猪口について調べてみました。
『角川新版古語辞典』で「ちょこ」を引いてみると「ちょく」の転とあります。 つまり「ちょく」という読み方が先で後から「ちょこ」ができたということです。すでに江戸時代には猪口に「ちょく」と「ちょこ」の両方の読み方があったようです。
なんといっても、図柄に惹かれます。
浄法寺地方では陶磁器はまったく発達しませんでした。
壺椀と呼ばれる漆塗りの器だったようです。
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薀蓄を少し
「てうち」という言葉を辞書で引きますと「そば・うどんなどを機械にかけずに手で打って作ること」と書いてあります。そんなの当りまえ常識だよと言ってしまえば確かにそうなのですが、言葉というものは時代とともに意味が変わっていくものです。
そばを打つのに使う製麺機は明治時代に発明されました。ですから製麺機発明以前に手打そばというものがあったとしたら「機械にかけずに手で打って作ること」は意味がないことにならないでしょうか?だってそもそも機械が無いのですから、すべてのそばが手打ちということになり、わざわざ手打ちという意味が無いですよね。
じつは、「手打ち」という言葉は製麺機が発明される何百年も前からあったのです。
■ 江戸時代に手打ちという言葉が何を意味していたのか?
江戸時代に「手打ち」という言葉が何を意味していたのでしょうか。江戸時代の言葉ですから、江戸時代の言葉を解説した辞書を見るべきと思い、『江戸語辞典』(東京堂出版)を見てみました。すると・・
[手打蕎麦] 手を下して作った蕎麦 とありました。江戸時代ですから、さすがに機械がどうのこうのという説明はありませんね。しかし、手を下すって誰が?手を下すってどういうこと?と疑問がわきませんか。
■ お手討ちそば?
『蕎麦と江戸文化』(笠井俊弥)という本には「手打ち」の語源として手討ち説をあげています。
手討ちというのは、殿様が、「無礼者じゃ、切り捨てぃ!」と家来に命じるのではなくて、「無礼者そこへなおれ!」と自分で刀を抜いてみずから手を下すことです。
そこから、お侍さんが刀ならぬ包丁を持って、みずから蕎麦を打つことを、しゃれで手打ち蕎麦といったようです。
江戸時代の川柳で「手打ちそば下女前垂れを借りられる」というのがあります。おさむらいさんが、いまから蕎麦を打つからといって下女の前垂れ(エプロン)を持って行ってしまったといった、というような様子を詠んだものなのでしょうね。落語の『そばの殿様』みたいなことは本当にあったようです。
今でいえばサラリーマンが趣味でそば打ちをするようなものですが、武士の趣味であるがゆえに手打ちという言葉には高尚な雰囲気がありました。「手打ち」を看板にするそば屋も現れますが、これには、ウチのそばは屋台なんかの二八そばとは違う高尚なそばなんだよ、っていう差別化戦略があったようです。
ちなみに、現代では「手打ち」の反対語は「機械打ち」ですが、江戸時代には「手打ち」の反対語は「二八」でした。
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