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蕎麦には欠かせない湯桶。
江戸は円柱形が多い様な気がします。
関西は角型が多いような気がします。
なんとなくそう思っているだけです。
どちらも技術が素晴らしいですね。
コーヒーポットとして重宝しています。
関東の蕎麦屋では、これに日本酒を入れて提供していました。
とても雰囲気が良かったのを覚えています。
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骨董カフェ
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一度行ってみたい漆部神社。
漆部神社は「ぬりべじんじゃ」と読みます。 愛知県あま市にあります。 今回は見送りですが、次回はぜひ訪れてみたいと思っています。 漆と書いて「ぬり」と読む。 なんと奥深い表現なんでしょうか!。 御朱印はぜひ欲しいです。
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東京の知り合いから、古い片口の鑑定依頼がありました。
画像ですので、何とも難しいです。
まず、形としては浄法寺、仙台、秋田、北陸などで見られる形状です。
色は、川連、浄法寺などで見かける色です。
そして文様ですが、浄法寺では時々見かけます。
他の産地ではどうなんでしょうか。
蝋燭の炎を使った文様です。
個人的には、手に入れたい品物です。
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子供の頃は囲炉裏がありました。
いつも、その周囲には鉄瓶でお湯が沸いていたのを覚えています。
新蕎麦の季節には、鉄瓶のお湯で蕎麦がきを作って食べた想い出があります。 味噌味でした。 南部鉄瓶は、岩手県奥州市ろ盛岡市で作られる鉄瓶です。
明治・大正以降は、南部鉄器で総称されていますが、水沢(奥州市)の南部鉄器と盛岡の南部鉄器の歴史は異なります。 水沢の南部鉄器は、平安後期に、江刺郡豊田館(奥州市江刺区)にいた藤原清衡が近江国(滋賀県)より鋳物師を招いて始めたと語り継がれています。水沢に鋳物師が定住するようになったのは室町時代初期で、江戸初期には地域に鋳物業が定着し、仙台藩の庇護を受け、鉄鍋、鉄釜を中心に、仏具なども生産し、幕末には大砲も鋳造しています。 一方、盛岡の南部鉄器は、慶長年間(1596年-1615年)に、盛岡藩主南部氏が、盛岡城を築城した頃に始まったといわれています。以降、歴代藩主庇護の下、育まれてきました。 南部鉄器は、明治時代に、衰退し、東北本線の開通で盛り返すも、第二次世界大戦、戦後のアルミニウム食器で衰退しました。昭和50年に伝統工芸品に指定されて、現在に至っています。 文様は、大きく分けて、3つあり、アラレ文様、動物文様、植物文様となっています。特に、有名なのが、南部鉄瓶独自の文様として知られているアラレ文様で、鉄瓶の表面積が増すことで保温効果が増すという先人の卓抜は知恵と緻密なデザインは、今も受け継がれています。 火鉢や囲炉裏を使わなくなった現代の生活ですが、鉄瓶で入れたお茶やコーヒーは一味違います。焼酎のお湯割りも一層美味く感じられますよ。 |




