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1月30日 京都にて

天気予報では、朝から雪が積もっているはずやったのに 

わくわくして、普段だったら爆睡中のam 5時過ぎに目が覚めてしまい、お外を見ると



いつもと変わってないがな 

ガッカリして2度寝してしまいました

雪だるま 作りたかった 



さて、一昨日の1月30日は 

うどん県から、

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渦を巻いている海の上の橋をとおり


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兵庫県警の車を追跡していたら、


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38年前に川の中で寒稽古させられた思いでの鴨川までやってきました 



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四畳半フォークをうたう青年を横目に、親子丼を食べようとお目当てのお店に行ったら 11時過ぎでまだ営業していませんでした 


四条から三条のほうまで(短い)足をのばし、三条大橋のすぐそばにあったこのお店に入ってみました。

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とうふ処 豆雅傳 (とうがでん) 

フリガナなかったら、読めんがな   知らんがな 



お店の1階では商品を販売していて、2階でお食事ができます。

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落ち着いたいい雰囲気。

BGMには映画音楽が流れていて、ちょっと違和感が(^^;

ここは、チントンシャンのお琴の音色が欲しいおまっせ〜 


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京都のお豆腐料理にしては、南禅寺あたりの有名店に比べるとかなりリーズナブル 


生湯葉天ぷらセットにしました 

ジャ〜〜ン 

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生湯葉の天ぷら  アップ 

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生湯葉を天ぷらにしたので、湯葉が油を吸っていたのがちょっと

でも他のものも、ぜ〜〜んぶ美味しかったですよ 

適当に入ったお店ですが、かなりコスパのいいお店でお勧めです 



昔 学生時代を過ごした京都。

このあたりのお店もずいぶん変わっていました。



黄色くない珍しい来来亭は、この日はお休みでしたよ 

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今回 京都にやってきた目的は、奥様の亡きご両親のお墓参り。

昨年の8月に私が仕事を辞めたこともあって、その頃はバタバタでお盆に来れなかったんですよね。

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静かな場所に眠る義理の両親に手を合わせてきました 


京都に泊まるときの定宿、

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シーズンオフなので、格安で泊まれちゃいました 


夜は、

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京都駅近くの居酒屋に適当に入り、


おでんと、

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焼き鳥で、

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熱燗を 

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おでんも焼き鳥も抜群にうまかったっす 

そりゃあ、 熱燗も すすむくん ざんす 


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京都でお墓参り

今日は、奥さん方のお墓参りに京都へ来ました。


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気温33℃、湿度65パーセント。

蒸し暑い・・


お墓参りを済ませて他に立ち寄る気も起きず、早々にホテルにチェックイン。

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明日 高松に帰りますが、台風の影響で結構な雨が降りそうで、少々心配

京都☆  平等院

昨日、京都 平安神宮の写真をupしました。


(前回記事)
  ↓



平安神宮を訪れた翌日は、宇治まで足をのばし平等院に行ってきました。


なぜか平等院に花魁 ??????



清水さんとかで、素人さんの舞妓姿を見かけます。

昔はそんなのなかったけど、商売でやってるんでしょうね。



でも、さすがに花魁ってどうなんでしょう… 

花魁姿体験を商売にしてるほうもしてるほうだし、するほうもするほうだし・・・。



しっとりとした平等院で、花魁姿で闊歩は、文化としてNGだと思うんだけどなあ〜 



平等院で撮った写真です。

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= 平等院(びょうどういん) =

平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園などを今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。

山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。


歴史

平等院の創建
京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。

現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。

道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白・藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。これが平等院の始まりである。

開山(初代執印)は小野道風の孫にあたり、園城寺長吏を務めた明尊である。創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていた。翌天喜元年(1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。


鳳凰堂建立の思想的・信仰的背景
『観無量寿経』の一節に「若欲至心生西方者、先当観於一丈六像在池水上」(若し至心に西方に生まれんと欲する者は、先ず当(まさ)に一の丈六の像池水の上に在(いま)すを観るべし)とある。

鳳凰堂とその周囲の浄土式庭園は、『観無量寿経』の所説に基づき、西方極楽浄土とその教主である阿弥陀如来を観想(特定の対象に心を集中させること)するために造られたとするのが定説である。

飛鳥・奈良・平安前期に広まった仏教は、現世での救済を求めるものであった。平等院が創建された平安時代後期になると、日本では「末法思想」が広く信じられていた。

末法思想とは、釈尊の入滅から2000年目以降は仏法が廃れるという思想である。しかし、天災人災が続いたため人々の不安は一層深まり、終末論的な思想として捉えられるようになり、この不安から逃れるための厭世的な思想として捉えられるようになる。

仏教も現世での救済から来世での救済に変わっていった。平等院が創建された永承7年(1052年)は、当時の思想ではまさに「末法」の元年に当たっており、当時の貴族は極楽往生を願い、西方極楽浄土の教主とされる阿弥陀如来を本尊とする仏堂を盛んに造営した。


鳳凰堂とその堂内の阿弥陀仏、壁扉画や供養菩薩像、周囲の庭園などは『観無量寿経』の所説に基づき、西方極楽浄土を観想するため、現世の極楽浄土として造られたことは間違いない。

しかしながら、そうした浄土教、末法思想という観点のみから平等院や鳳凰堂をみることは一面的な理解であるということが、複数の研究者により指摘されている。

平等院の境内が現在のような景観になったのは、南北朝時代の争乱以降、鳳凰堂(阿弥陀堂)のみが焼け残ったことによるものである。

鳳凰堂が主要な堂宇であることは間違いないが、平安時代の平等院では、本堂には密教の主尊である大日如来が安置され、他にも不動堂、五大堂、愛染堂、多宝塔など、密教系の仏像を安置する堂塔が建ち並んでいた。

鳳凰堂の阿弥陀像の印相は定印(膝上で両手を組む)であるが、これは密教の両界曼荼羅の阿弥陀如来の結ぶ印である。

阿弥陀像の普段見えない像内はベンガラで朱色に塗られている。これは、両界曼荼羅の金剛界五仏に五色を配当する際、西方阿弥陀を紅玻璃色(ぐはりじき、赤色)とすることに対応する。

阿弥陀像の像内には阿弥陀の大呪・小呪を書いた月輪(がちりん、円板)が納入されていたが、これはこの阿弥陀像が密教の修法である阿弥陀法の本尊像でもあることを意味している。

以上のことを踏まえ、建築史家の冨島義幸は、鳳凰堂の阿弥陀像には密教の阿弥陀如来としての一面があり、鳳凰堂全体が阿弥陀曼荼羅を表しているとする。

平安時代後期の京都では、平等院以外にも皇族・貴族による大規模寺院の建設が相次いでいた。

道長は寛仁4年(1020年)、無量寿院(のちの法成寺)を建立、また11世紀後半から12世紀にかけては白河天皇勅願の法勝寺を筆頭に、尊勝寺、最勝寺、円勝寺、成勝寺、延勝寺のいわゆる「六勝寺」が今の京都市左京区岡崎あたりに相次いで建立された。

しかし、これらの大伽藍は現存せず、平安時代の貴族が建立した寺院が建物、仏像、壁画、庭園まで含めて残存するという点で、平等院は唯一の史跡である。

ただ、平等院も建武3年(1336年)の楠木正成と足利氏の軍勢の戦いの兵火をはじめ、度重なる災害により堂塔は廃絶し、鳳凰堂のみが奇跡的に災害をまぬがれて存続している。


<引用:ウイキペディア>





(撮影日:2012.5.1)





京都☆ 平安神宮

今日の那覇は、最低10℃最高16℃と先週末から寒い日が続いていますが、週末は24〜5℃まであがるそうです。   ほっ 


さて、数年間ブログをお休みしていたので、その間の写真を・・。

相変わらず季節感のないブログでごめんなさい・・・


京都 平安神宮を訪れた時の写真です。



私は、昭和54〜57年まで京都に住んでいました。

この頃平安神宮を訪れた時、朱がきれいだなあ、という覚えがありましたが、それもそのはず。  昭和51年に放火があって建て直されたばかりだったんですね。

今初めて知りました・・・・ 



4年も住んでいながら、神苑まで入るのも、この時が初めてでした。


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= 平安神宮 =
平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都府京都市左京区にある神社である。旧社格は官幣大社、勅祭社。

歴史
1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。

当初は実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元された。

博覧会に先立つ3月15日には、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。

皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。
平安神宮では、京都を守る四神の御守が授与されている。

1976年(昭和51年)1月6日、火災(平安神宮放火事件)が発生し本殿・内拝殿など9棟が炎上、焼失した。

ただし、外拝殿である大極殿は延焼をまぬがれている。
創建が比較的新しかったことから、当時はこれらの建物は文化財指定を受けていなかったため、再建のための国からの補助金が見込めなかった。

しかし、全国からの募金により、本殿や内拝殿は3年後に再建された。この火災は、後に日本の新左翼活動家加藤三郎の犯行と判明した。


社殿
社殿は平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したものである。

大きく赤く光る朱色が特徴的な正面の門は、朝堂院の應天門を模している。その内側の左右の殿舎は朝集堂の再現である。

外拝殿は朝堂院の正殿である大極殿(左右には蒼龍楼と白虎楼が付属する)を模している。
基本的にはこれらの建築様式は、平安時代後期(11 - 12世紀)の第3次八省院(延久4年(1072年)再建、治承元年(1177年)焼亡)を再現したものとなっている。

この時の大極殿などの姿は、後白河法皇が作らせた「年中行事絵巻」に描かれている。
ただ、大極殿と応天門の間には本来は会昌門と朝堂12堂が存在し、応天門の左右には翔鸞楼と栖鳳楼という楼閣が付属していたが、これらは平安神宮では復元されていない。

また、平安神宮の社殿の瓦はすべて緑釉瓦となっているが、近年の研究によると平安時代の大極殿では軒先と棟部分だけにしか緑釉瓦は使われていなかったと推定されている。

設計は、伊東忠太・ 木子清敬・佐々木岩次郎。
2010年12月、大極殿など6棟が国の重要文化財に指定された。
参道の大鳥居 (平安神宮)は24.4mの高さがあり、国の登録有形文化財に登録されている。
敷地面積は約10,000坪の日本庭園である「平安神宮神苑」を含め、約20,000坪ほどある。

神苑は明治から昭和にかけての名造園家である7代目・小川治兵衛(植治)が20年以上かけて造った名園で、国の名勝に指定されている。

琵琶湖疏水から水を引き入れており琵琶湖では外来魚のために見かけることが出来なくなったイチモンジタナゴが生存していることが確認されている。
神苑には人里には少ないカワセミやオオタカなどの鳥類や、甲羅に草を生やすミノガメ、日本では非常に珍しいミナミイシガメなどが棲息している。


= 平安神宮神苑 =
平安神宮神苑(へいあんじんぐうしんえん)は京都府京都市左京区にある池泉回遊式の近代日本庭園。

平安神宮の大極殿背後の周囲三方に配された南神苑、西神苑、中神苑、東神苑で構成される。
面積は33,000平方メートル、作庭は小川治兵衛、1975年(昭和50年)に国の名勝に指定されている。

明治28年(1895年)、平安遷都千百年祭が開催されるにあたり創建されることになった平安神宮の社殿一帯の風致保存のために庭園を築造することになり、神苑造営が企画された。
当初に設けられた本殿東西の蒼龍池(東池)と百虎池(西池)の二つが最も古い。

<引用:ウイキペディア>



(撮影日:2012.4.30)

京都 ☆葵祭☆

季節外れの京都旅行の続きの記事です。 これでこのシリーズは最後です



(前回記事)
  ↓



南禅寺、水路閣、南禅院を訪れた翌日は、ちょうど葵祭の日でした。

葵祭を見てから高松に帰ることにしましたが・・・。




あまかった・・・

人、人、人・・・・・。     とんでもなく大勢の人。




まともに写真など撮れる場所などなく、パパラッチのように下賀茂神社の茂みから盗撮?

写真目的なら、かなり早くから場所取りしないと無理・・・



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新緑に囲まれるなか馬さんが走ったり・・・。




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牛車だあ!




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牛さんの上にのっけられた神輿が橋の欄干にぶつかって通れません・・・




結局、橋の欄干を壊し、牛さんと神輿は切り離されて・・・。ああ無残・・・

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毎年やってるのに、こんな事もあるんですね (大笑)


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さて、明朝早くから週末まで出張で、コメントの返信等できなくなります。

ご了承くださいませ〜〜〜。


(撮影:2011.5.15)

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