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前回、更新してから約半年。いろんなことがありました。
ブログを始めて1年。
たくさんの人と知り合いになり、励まされ、私は何度も勇気をもらいました。
でも、今はちょっとお休みしないといけないことになり、この日記を最後にすることにしました。
もし、私のブログをまだ読んで下さる方がいて、妊婦生活をされている方、
不安になったりするかもしれないので、この先は読まないでも大丈夫です。
4月の誘発が伸びて、5月のGW明けに診察へ行き、体外受精のスタートを切りました。
しかし、その1週間後に旦那の祖母(同居)がなくなり、一気に診察どころじゃなくなりました。
お通夜に葬式、1週間ごとの供養。
義母がいない私にとってはすべてが初めてのことで、旦那と2人でてんてこ舞いの毎日。
5月の周期をあきらめようとした時、旦那に「絶対に病院には行け」と言われ、忙しい中、無心で診察に行きました。そして、その中で4つの卵を採卵。2つが顕微授精でG1の受精卵になりました。
そして、6月、ホルモン周期での凍結胚移植。
7月の初めに人生初の陽性反応にびっくりして、信じられなかった日々でした。
その後、6週目で出血はしましたが、無事にクリニックを卒業、予定日は3月11日。私たちの結婚3周年の直前で、なんだか本当にうれしくて仕方ありませんでした。
新しいクリニックに転院して、本当に順調に赤ちゃんは大きくなっていました。
つわりもひどくて、食べられるものもそうなかったけど、旦那さんが懸命にご飯を作ったり、私を気遣ったりしてくれました。でも、常に流産したら…という思いがいつまでも消えずに、1日1日過ぎるのを毎日祈るような気持ちで過ごしていました。両親にも妊娠したことを言えず、落ち着いたら…と先延ばしにしていたくらいです。
妊婦健診1回目では、11週と4日。大きさも問題なく、順調。 心拍もしっかりしていて、エコーでは足も手もしっかり見えて、実感も湧いてきました。 男の子なら、女の子なら、と二人で名前を考えて、とてつもなく幸せな幸せな時間でした。
未来のことを思うだけで、こんなにも幸せになれるものなんだと思いました。
それからも、流産する不安は消えず、とりあえず安定期までは…と毎日祈っていました。 検診までの間、家庭用のドップラーを購入して、毎日赤ちゃんの心音を聞いては安心して…。 9月に入ってから、2週間。仕事が休みで、家に居て、トイレに行ったら、茶色のおりもののような、出血のようなものがありました。すぐに病院に電話してそのことを伝えました。 無理したつもりはなかったけど、もしかして…という不安が消えませんでした。 すると、鮮血でないこと、お腹の痛みがないことから、しばらく安静にするように言われました。 次の日には出血?はおさまり、お腹の痛みもないかわりに、お腹の中がぐるぐるっとなる感覚がだけがありました。お腹のはり?というものも分からなかったし、触っても特に固いということはなかったので、 きっと大丈夫と自分に言いながら、信じることにしました。 それから4日間、仕事にも普通に出勤し、夜には1分間に160くらいの心拍を毎日聞いては、安心していました。 「きっと心配は取り越し苦労に終わる」と信じていました。 そして、その週の金曜日、夜いつものように心音を聞こうとすると、音が全く聞こえませんでした。 嫌な不安が襲ってきて、その日は全く寝れませんでした。「偶然だと思う」と自分にずっと言い聞かせて。 そして、次の日、検診まで1週間あったけど、病院に電話して診察してもらうことになりました。 経膣エコー、長い待ち時間の後、診察室に呼ばれて、説明を受けました。 嫌な予感があたり、14週にしては胎児が成長していない。心臓がもう動いていない。死後しばらく日数が経っていることを知らされました。 初期の流産は胎児側の問題だけど、原因を調べてもらったほうがいいからと紹介状をもらいました。 それから、総合病院でも子宮内胎児死亡を診断されました。 その時点で15週と0日。死産分娩というかたちで1週間後に入院することになrました。 もう、何がなんだか、私の心はぽっかり穴があきました。何をやっても涙があふれてくる。 これから、亡くなっている赤ちゃんを産まなければいけないという不安。 そして、思い描いていた幸せな未来が全部崩れた悲しみ。 そして、再び歩き出せるのかという、孤独。 もう、本当に「何で私なの?」って。自然妊娠も難しい私にやっとめぐってきた幸せなのに、 どうして、こんなことになるのかと。周りの人たちがみんな幸せに見えて仕方なくて。 流産のことばっかり考えて不安になった赤ちゃんがストレスに耐えきれずに育てなかったのかな、 私のせいかな…と自分を責めてしまいます。 それから、入院に向けて、ボロボロの精神状態にムチを打って、職場に行きました。 入院する間の仕事の穴を埋めるために、何事もなかったように笑顔で振る舞い、無心で仕事をしました。 そして、先日、入院し、子宮口をひらき、陣痛促進剤を使って、11センチ、44グラムの赤ちゃんを産みました。 性別は分からなかったけど、確かに私のお腹の中から生まれてきてくれました。 そして、翌々日、赤ちゃんの火葬とともに、退院しました。自分の産んだ子を火葬するなんて、夢にも思いませんでした。死産届に書かれてた、父と母の欄に自分たちの名前。書面上だけでしたが、私たちは「親」になりました。「何もできなかったママでごめん」と泣きながら、病院のベッドで折り紙をたくさんおりました。赤ちゃんの棺にいれてあげようと花に動物におもちゃに。私に最後にできることでした。 退院後、火葬場の駐車場で小さな箱を抱きしめて泣きじゃくる私に、旦那は「親として精いっぱいのことをいてあげよう」と私を促しました。一瞬の出来事でした。夫婦二人だけで見送る、本当に小さなわが子。
どこまでも青い青い空に向かって、私たちの子供は天使になりました。
もう、どれくらい泣いたか分かりません。主人にもだいぶ迷惑をかけました。 職場もしばらくゆっくりしておいでと優しく送り出してくれ、もう2週間が過ぎています。
今は前より涙の数が減り、笑えるようになりました。
旦那は一生懸命、私を支えてくれています。いっぱい抱きしめて、頭をなでて「また頑張ろう」って言ってくれます。そんな旦那に申し訳ないという思いは今でもありますが、私が元気になることが旦那にできる精一杯のことのような気がします。
でも、今は正直、不安でいっぱいです。
これからまた妊娠できるのか。ちゃんと出産できるのか。治療は…採卵は…私の体は…
考えると真っ暗な闇に自分は1人、舞い戻ったような気持ちになります。
でもまずは私の体を休ませることが先決なので、このブログも今日で最後にすることにしました。
もしかしたら、また戻ってくるかもしれませんが、今、その気力が私にはありません。
妊娠中のブロ友さん。
もしかしたら、私の日記で不安にさせてしまったらごめんなさい。
でも、
苦しい治療をたくさん乗り越えて授かった命、無事に出産されることを心から心から願っています。
産まれてきた赤ちゃんを、今まで辛い思いをした分、いっぱいいっぱい愛してあげて下さい。
みなさんが誰よりも素敵なママになれることを私は確信しています。
私もその日を夢見ていきます。
また歩き出すにはどれくらい時間がかかるか分かりませんが、いつか、きっと。
私たちの天使が短い間でもやってきてくれたことの意味に出会える日まで。
今まで、本当に本当にありがとうございました。
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