ひまわりロード

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黒い波が一瞬にして沿岸各地をのみ込んだ東日本大震災。
想定を超えた津波の威力に多くの人が逃げ遅れ、防潮堤は無残に打ち砕かれた。
1896(明治29)年の大津波から115年。1933(昭和8)年の大津波から78年。いつか必ず訪れる津波に対し、われわれ三陸沿岸の人々は何を備え、何を忘れていたのか・・・。
 
↓↓仙台宮城野地区の津波3.11
 
↓↓田野畑村羅賀地区、右下に見えるのが、ホテル羅賀荘です。
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これもで、このように大きな津波を受けてきている、三陸沿岸。
岩手では、どこの沿岸部でもそれに備えて、津波防潮堤を築き、その風化防止のために、毎年津波訓練をおこなったり、体験者の言い伝えを伝承することもやってきています。
しかし、1年前の3.11の時には、津波というものを軽視した人が多かった。
また、場所によっては、明治29年の津波を超える規模の津波でした。
誰も、こんな大きな津波が来るとは思っていなかったとおもいます。
 
↓↓もろくも、崩壊した津波防潮堤(僕の家の前にある明戸海岸の防潮堤です
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↓↓僕の船を係留してあった、島越港の崩壊
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現実的に、亡くなられた人は「まさか、ここまで津波が来るわけがないと・・。」考えたのでしょう。
自宅から逃げずにそのまま、いたのです。
また、逃げ遅れた人も亡くなっています。まあ、なんか、生死を分けたのは、「運」というしかありません。
本当に、一瞬の出来事・・。でしたから・。
ギリギリ、助かった人の話を聞くと、ホントに運としかいいようがない・・・・。そんな感じです。
やはり生死を分けたのは津波に対する認識にあります。
逆に考えれば、このような訓練などで、津波に対して、真剣に捉えた人は助かったと言えます。
 
僕自身は、足の骨折手術のために、内陸の病院にいました。
おそらく、他の漁師の人も言われますが、「お前の性格では、船を沖にだそうとしたはずだ、おそらく自宅からの距離を考えると、村内にいれば津波にやられていただろうなあ・・。」といいますし、自分でも、ホントにそう思います。
 
これは僕の見解ですが、これまでの気象庁の「津波注意報・警報」などの発表にも問題があるとおもいます。
過去を振り返っても、何度も「津波注意報・警報」などの発表出されています。
そのたびに、住民は翻弄されてきました。
しかし・・・。結果として、水位が10センチ、50センチ高くなった・・・。そんなものばかりでした。
三陸地方では、このような小さい津波の事を「ヨダ」と呼びます。
やはり、そんなことが何度の何度も繰りかされると、誰でも、「またかヨダか・・?」という気持ちになり、「どうせ絵また数センチなのか・?」と捉えてしまいます。
ここにも、大きな落とし穴があったように想います。現に、3.11の二日前のは、地震があり「「津波注意報・警報」などの発表出されていました。その結果、これも、10センチ程度のヨダだったのです。
それも、大きく影響してると僕は感じました。
 
 
まさに3.11は、このように、人の心の弱さを突いて来た津波ではないかと想います。
これだけ、何度も津波の体験をしてきても、上の事のような事もあり、 「どうせこないだろう」という気持を見透かされた感じがしてなりません。
 
M9.0規模の地震、そして津波・・。
人の築いた、防潮堤など大自然の営みの中では、もろくも破壊さてました。
人間の力なんて、自然の中ではまるで小さい事をここで、強く認識すべきでしょう。
 
 
 
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 ↓↓漁協のコンブの種苗センターと共同漁具倉庫。
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↓↓海抜25mの立橋の鉄路のあった島越駅。津波前
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↓↓海抜25mの立橋の鉄路のあった島越駅。津波直後
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人は、こんな大きな災害を受けても、都合よく、このような言葉を目にします。
「自然との共生」という言葉です。
僕は、漁師という職業がらもあり、海の大自然の中が職場です。
以前から、このような言葉には納得がいっていませんでした。
人類が住んでる、地球の営みと人類の営みを、一緒にできるわけがないのです。
 
人類のそれは傲慢でしかない。
まさに、3.11はそれを見せつけたものだったと、強く、強く再認識しなければなりません。
共生など不可能です。 「自然に合わせる」ことしか、所詮、人間にはできないのです
 
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さて、3.11からあと2日で1年になります。
昨日は、記事をアップしようとしましたが・・。なんだか、同じ季節の気温。雪解けも進み・・。同じ自然の状況の中で・・。どうしても、記事を書くことに3.11のことが頭に満杯に広がって飽和状態でした。
とても、1年前を思い出してしまい、これまでの、悲しさ、辛さ、喪失感、不安、そして虚しい気持ちが先になって、どうしても、記事を書くきになれずに・。アップしませんでした。
なんか・・。自分の心の自傷行為にも似たような、感じになったのです。
でも、今日は、大丈夫です・・。
 
僕の願いは、復興を早めるためには、この無能な政府、行政を動かすためには、世論をあかめるかしかない。強くそう思っています。
人の心は、「必ず風化します」これは仕方がないことです。
でも、少しでも「全く、復興もしていない、むしろ色々な問題が出てきてる被災地」これを、一人でも多くの人に伝えるべきだと思っています。
 
これから春に向かい、「復興など全くしていない被災地の現状」をできたら、自分の目で確かめて欲しいのです。
この、掲載する「画像や動画とは全く違うリアリティー」を感じるはすです。
 
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被災地を見て皆さんが、感想一番。
「想像を絶するものを感じた、声がでないと同時に政府は何をやってるのだ!!」っていう声が共通して聞かれます。
3.11のこの1年。ガレキが津波襲来した地域から、仮置き場に移動しただけです。
宮城、福島では、まだその作業をやってるところもあります。
 
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目に見えない問題ではむしろ、様々な問題が湧き出るように、どんどん出てきています。これは、被災地全体のことですが・。
 
「被災者の心の病」、「自殺」、「子供達の心の不安定」、「誰にも見とられない孤独死」、「医療、福祉の過疎」、 「雇用の場がない」、「進まない産業復興」などなどです。
そして、その結果として若い人を中心に、人口がどんどん現象しています。
ですから、被災地者の中にからは、「まだ、避難所のほうが良かった」という声が多く聞かれます。
なぜなら、震災直後は、自衛隊や警察、また色々な医師団体、看護婦さんも支援に着ていましたが3ヶ月もしたら、すべてが撤退していきました。ボランティアもどんどん減っています。
 
政府は確かに大型補正を組み、ようやく国会を通過させました。
その、ほとんどはハードの復旧面です。
このような、目に見えない問題に対してのキメの細かい、血の通った国の政策は皆無に等しいのです。
 
現在は、細々とこのような問題にタ対して、ボランティアの方々が対応はしてくれてはいますが、全くマンパワーが足りない状況です。
 
目には見えない、是非、このような被災地の状況も知ってほしい・・。
僕の願いは、それなのです。
 
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お知らせ・・。
FMラジオに登場します。FM福山
「長竹ちか の Cantikな朝」

◆放送:3月10日(土) 午前10:00〜10:58
きんちゃんの出番は、10時半頃です。

http://fm777.co.jp/pc/html/webradio.html
放送時間に、↑↑にアクセスして、「ウェブラジオ」のボタンバナーをクイックしてください。
ネットから、生放送が聞かれます。
時間のある方は是非きいてくださいねー。
  

転載元転載元: 山と土と樹を好きな漁師

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