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iPodで聴いたわけではありませんが・・・。
今日は、午前中病院に行ったので、仕事を一日お休みしました。おかげで、午後は優雅に家でのんびりしていました。
最近、はまっているCDがあります。
バッハのゴルドベルク変奏曲です。
ゴルドベルク変奏曲、と言えば、誰もが思い浮かべるのはグレン・グールドの録音です。そして、有名な逸話、「不眠症の伯爵のために書かれた作品」。
さて。もともとは、Tatiana Nikolayevaのライヴ録音を聴いていたのですが、最近発売になった横山幸雄氏のCDも大変に良い。
二人の演奏は対照的で、一番分りやすいのはダイナミクスの違い。あと、テンポはNikolayevaの方が若干速いかも知れない。
それぞれを聴いていて思うのが、「ピアノ」という楽器が出現する前の作品には解釈の仕方が限りなくあり、終わりなき挑戦、と思うのも尤もだということ。
バッハは、平均律曲集を編纂したことにより、それまで様々に存在していた「音階」の中でも、オクターヴを12等分した音階―平均律を音楽における主要の音階とするに多大な貢献をしたといってもいいかも知れません。それを意図したか否かは別としても、今日私たちに馴染み深い「ドレミファソラシド」は、バッハの遺してくれた贈り物だと思います。
勿論、平均律だけが音楽ではなく、様々な国で私たちの聴いたことのない音階が存在し、それはそれでとても素敵な音楽を奏でています。が、ここえはとりあえず、この幅広い議論はやめにして、クラシック音楽という狭い分野で踏みとどまろうと思います。
バッハの曲は非常に数学的で、それは特にこのゴルドベルク変奏曲によく表現されています。でも、そんな難しい話、私にはさっぱり分りません。ただ、この作品を聴いていて思うのは、
『バッハってロマンチストだったのかも!』
遊び心満載で、でも時にメランコリック。センチメンタルになったかと思えば、嬉々とした音楽が鳴り、かと思えば、まるで恋人同士のささやきにも思えるようなロマンチックな音色。
チェンバロというピアノと比較すると音色の自在が少ない楽器で演奏されることが前提で作られた作品とはいえ、バッハが、今私たちが見ているピアノという楽器を目の前にしたら、どのような作品を作り、そしてどのように奏でたのだろうか、と考えます。
そんな思いをめぐらせながら、今は横山氏の演奏に耳を傾けていますが、非常にロマンチストの色が濃く出ている演奏です。ヴィルトゥオーゾとして知られるこの演奏家の本領も当然発揮されている変奏もありますが、この録音に限って言うと、私には前者に軍配が上がります。
今はもうリニューアルのために取り壊された、石橋メモリアルホール最後の録音となりましたが、面白いことに、この曲を録音するためにこのホールを選んだのではなく、このホールの最後の録音に相応しい曲としてこの作品を選んだ、という経緯があったそうです。
その想いを知った上でこの録音を聴くと、また一味違った印象を受けます。
演奏:Yukio Yokoyama (2007)
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質問です。
>この録音に限って言うと、私には前者に軍配が上がります。
と言うのは Nikolayeva の Goldberg より横山さんの Goldberg のほうに軍配が上がるということでしょうか?
2012/4/30(月) 午前 4:19 [ coolee ]