ミッドウェー海戦研究所

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四水会講話「Uボートの鉄板」平成15年2月26日より引用。
イメージ 21.はじめに
 ドイツの潜水艦Uボートは、第2次世界大戦中大西洋において連合国の通商破壊作戦に活躍した様子が幾つかの映画にもなったので戦後でもUボートの名前を知る人は多い。

 この潜水艦の耐圧殻に使用された高張力鋼St-52〈Stahl52.英語のSteel52.引張り強さ52Kg/㎜平方の高強度鋼で溶接の使用に耐える溶接性鋼)とその溶接こそ世界の造船技術史上最優秀の開発として世に顕彰すべしというのが小生の主張だ、溶接には溶接に適したした特化鋼材が必要であるとする理論は現在溶接技術の基本だが.戦前は日、米にこの知臓が乏しかった.しかしドイツだけは違っていた。溶接の実用化が始まったばかりの1930年頃、海のものとも山のものとも分からぬ溶接技術の幼稚な時期だったが、独は世界初の溶接性鋼を軍用に規格化をし製品化した。これがこのSt52鋼であったが、これを目的であった潜水艦Uボートに適用して見事な高性能溶接潜水艦を造りあげた。この驚くべき先見性と製品化に至る実行力には全く感服する。しかしこれまでの海軍・造船関係の資料にこれに関するす記述が見られず、何故か無視に近い扱いを受けている。 鋼材という地味で専門的過ぎる分野のせいか造船屋の関心が薄くと価値感が低かったせいか、または戦後米一辺倒の時代で敗戦国独に闘心がなかったせいなのかはよく分らぬところだが恐らくこれら全てが要因だろう。

 小生はこれを世に蹟彰すべしという理由からかなり以前からこの鋼材と溶接開発の歴史に注目していたが実証資料が少なくて困っていた。ところが最近ようやくこの関連のネタを県立川崎図書館にあった呉海軍工廠製鋼部史料で見付けた。

 この史料によると1941年海軍は潜水艦用st52鋼の調査とそのモデルの試作研究開始を発令し、1944年にようやく製品の試作に成功したことが分った。

 溶接には特化鋼が必要という認識がドィツ海軍に遅れること10年だ。ちなみに米、英側海軍でも独よりもこの認識が遅れ、78年後CORTEN鋼を、また12、3年後VANITY型溶接性高張力鋼を開発し艦艇に適用した。戦後溶接採用時期とか溶接採用率で海軍の溶接技術力の比較をして来たが、小生はむしろ溶接性鋼材への着眼時期で判断すべきだとする新説を造船屋に訴えたい。

 海軍工廠の造船と冶金専門屋4人で編成されたこのプロジェクトは当初米、英および独の各種高張力鋼をモデル試作し比較したが、結論として独のSt52鋼が最高であることを導いた。資源が入手しやすいことも選択の理由であった。 この試作鋼材は1943年Uボートで来日していた独の最高権威者Dr,Schumidtから高い評価を受けかつか彼の指導も得て完成させたた。

 終戦前小型潜水艦にはこの鋼材を適用はしたものの実戦での参加はなく、本鋼材の本格生産を目指したが、1944年八幡製鉄所が空襲で壊滅し果たせなかった。

 かくて海軍技術関係者の夢は破れて終戦を迎えた。しかし海軍技術者の夢と執念は戦後自衛艦建造で実った。戦後、防衛庁の自衛艦にはこの独型St52型が選ばれたのだ。

 海軍技衛者の夢が戦後ようやく花咲いたロマンのある話だ。プロジェクトXの対象になるだろう。

 小生は入社当時著名な旧海軍技術者が顧問として参加した自衛艦の鋼材と溶接関係の委員会に出席し、すこしは当時の様子を知っていたが、Uボート用鋼St52鋼がまさかここに生きていることはつゆ知らず、またこんな経緯は噂にも上がらなかったので高張力鋼は日本独自の開発だと思っていた、恐らく戦後の造船屋も皆そのような感覚だろう。

 この種の高張力鋼は現在JIS化された最もポピュラな溶接構造用鋼材で、通称50キロハイテンと呼ばれ船舶の外橋梁、建築鉄骨、タンクなどにその適用範囲が広がり、今や日本発の世界に誇るべき品質の鋼種の1つとみなすようになった。

 さて海軍艦船に関する書籍は今でも掃いて捨てるほど多いが、帝國海軍艦艇について鋼材と溶接という切口で建造技術を分析したものはまず見られない.当時どのような鋼材を使用し、溶接をどれぼど多くかつ健全に採用したかによってその国の海軍の方針や技術レベルがわかる。小生はこの切口で、日、米及び独海軍の艦艇の比較を試みた。

 他に例をみないものと自画自讃している。この談話ではあまり専門的になり過ぎず、また海軍の身贔屓の感情に流れぬよう心がける積もりだ。海軍の先輩への非難にとれるような表現が間々あるかもしれないが、小生の本意はそうではない。

 本談話のストリ一はおおよそ次のようである。

(1) 高性能で強力な武装の艦が勝利することを日本海海戦が世界に証明した。

(2)これ以降先進諸国の果てしなき新鋭艦艇建造競争が始まった。

(3)列強は海軍軍縮条約を結び、艦艇建造競争にブレーキを掛けた。

(4)元気な日、米は太平洋を挟んで対立、艦艇の量的制限下質的向上競争に国運を賭した。

(5)質向上には艦艇の軽量化が必要で高張力鋼とその溶接採用が必須の条件であることから各国は溶接の研究と実用化に血眼になった。

(6)ドイツでのUボート用鋼材と溶接は橋梁に試用されたが、崩壊事故を起こした。しかし彼等はこれに屈せず初心を貫いて改善し、最終目的のUボート適用で大成功。

(7)米では戦時中全溶接の戦標船約5000隻のうち10%が溶接に絡む大事故(脆性破壊)を起したが、溶接から撤退せず終戦まで建造を続け勝利に寄与した。

(8)日本海軍は艦艇の2大不祥事故から安全で丈夫な艦に改造し、溶接も大幅に滅らしてリベット継手にもどした。このため海軍の特徴だった艦艇の軽快な運動性が喪失し、かっ漏水に弱いハンデも背負った艦艇で不幸にも戦った。

(9)このことからわかることだが、リーダーシップのなさ、グループ内での専門家の生かし方の弱さが海軍にあったようだ。今なおこの欠点が政府や企業に残るようだ。

(10)溶接には溶接特化鋼は必須と判断してこの鋼を生産しUボートに適用したドイツの技術の先見性と実用化に最高の敬意を表しこれを顕彰したい

2.艦艇軽量化の世界的競争
 世界の海軍が何故艦艇の船体に強い鋼を使用し、その接合を従来のリベットから溶接に替えるのに血眼になったか。 (1921〜1945年)

 世界の海軍国の本格的な溶接の採用は1930年頃から始まり1935-1940年間のわずか数年間の熾烈な溶接採用競争の結果、技術は平常の20年分の進歩を遂げたといわれる。

 艦艇の性能アップのために最も有劾な船体軽量化は、優れた設計と高張力鋼および溶接の全面採用で初めて可能となる。
 
イギリス海軍戦艦ドレッドノート(HMS Dreadnought)
イメージ 4この背景となった歴史を順に次にまとめた。

(1)主力艦の兵装の優位が勝利を導くことを日本海海戦で東郷艦隊が世界に実証した.世界の海軍は直ちにこれに反応した。(1921-1945)

(2)すなわち列強は艦艇の増量と高性能化にむけて果てしなきな競争を始めた。(ドレッジャーノート型さらに超ド級戦艦陸奥など高性能戦艦が出現し世界の脅威となる)

(3)艦艇建造競争による国防費のうなぎのほりの高騰に手を焼いた列強は1921年ワシントン海軍軍縮会議を結び軍拡に歯止め掛ける。〔主力艦が対象で米5:英5:日3:佛1.75:伊1,75とした〕この結果各国は他の補助艦の増強で規制を逃げ、またや艦艇増強の競争が激化した。

(4)1930年ロンドン海軍軍縮で、枠外艦とか補助艦まで網掛けを拡大し、艦艇総量と各艦艇規模を制限し歯止めを掛けた。

(5)この両軍縮条約の結畢艦艇の総量、各艦艇の規摸および兵装上限規制を受けた列強は量の競争から個々の艦艇の質的向上戦争に向った。質的向上のためには高張力鋼の使用が必須で、かつ従来のリベット継手を溶接に切替えることが必須で、これらにより艦艇は軽量化しこの分を高性能化に回せた。(溶接の採用により船体重量が約10%軽滅)特にわが海軍は対米・英劣性を質的向上で補うことが戦力バランス上必須だった。

 海軍はかねてから優秀な設計屋を育成してきた、そして彼等は世界が信じがたい程優秀な高性能艦艇を多数建造して世界をあっと驚かせた.例えぱ平賀 譲の設計になる条約上限の1万トン重巡「妙高」は最傑作艦の一例だ。同時に各艦艇の溶接の採用率は増え、巡洋艦とか駆逐艦は大部分の継手が溶接になった。

(6)溶接採用の結果船体のブロック建造と量産化も可能となり、短工期で軽量の商船建造が可能となった。

特に米は1940-1945年の間、全溶接の採用で工期が極端に短縮し戦標船の量産化を実現したことは有名だ。米はこれで軍需品の補給力を大輻アップして戦局を有利に展開できた。溶接は生産性向上にも夫きく貢献できた。

3.各國海軍の船体と溶接関連の事故
 艦艇の量産化および溶接化の過程で秘められた事故があったが.各国これをどう対処しまた乗り切ったのかを比較して見よう。

3-1 日本
(1) 水雷艇、友鶴の転覆事故
 排水量600トンの水雷艇に駆逐艦並の大砲と魚雷発射管砲を装備しロンドン集約制限で劣勢となった帝圃海軍駆逐艦隊を600トン以下の水雷艇群で補強することとした。

水雷艇友鶴
イメージ 3 水雷艇友鶴はその内の一隻だ。(図・2)600トン以下の艦艇は条約での制限を受けなかったもので駆逐鑑不足をこのタイプの水雷艇で力バーする計画だ。
 
 海軍造鑑技術の2大不祥事件の1つといわれる水雷艇友鶴の転覆事故が1934年に起きた.友鶴は悪天候の中の訓練で旋回で横転・転覆死者多数を出した。この新聞記事は社会的大問題となった。事故の原囲は本艇が過度の重武装のため高重心で復原力不足だったことだ。造船設計の基本中の基本スタビリテイに欠陥があった。用兵の要求で無理に無理した設計が事故をもたらしたのだろうか、これでそれまで世界を唸らせた海軍の艦艇設計陣の信頼は丸潰れとなった。

(2)第四艦隊事件
悪いことは重なるものだ。この翌1935年の9月26日三陸沖の海軍大演習で航行中の第四艦隊が猛烈な低気圧に遭遇し、三角波を伴う激しい波浪によって全溶接の日本の誇る特型一等駆逐艦、初雪夕霧が艦橋付近から艦首船体をもぎ取られる事故を起こした(図3)。

その他にも10隻以上の艦艇が亀裂や皺で損傷。死者、行方不明54人の大惨事となった。これがあいついだ海軍2大不祥準件の2つ目だ.このあまりにも大きい事故故.海軍は本件を一般国民に秘した。本件は一般の造船屋でも終戦後初めて知ることとなった。

 この事故の原因は..極限までの軽量化を目指すあまり縦強度が不足したためだ。これも設計のいろはのいの字の造船設計の基本的欠陥だ。

 縦強度設計の世界的基準は欧州の設計基準である波高/波長比に1/20の値が一般に採用されてきた。ところが日本近海ではとぎとして欧州と波浪が異なり、欧州にない特異な1/10の異常波も観測されていたのだ。ちなみに事故当日この値1/13であった。しかも波長がて1OOmで、これが駆逐艦の長さにぼぽ等しく、Sagging状態で最も応力の厳しい条件計画の約2倍の応力となる。その上スランミングといって波によって船によって船体の底が叩き付けられる動荷重が加わったからたまらない。かねてから戦艦、巡洋艦のような大型艦では1/20でよいが、駆逐艦では危険で見直すべしという意見が一部にあつたようだが目をつぶったようだ。同情すべき点もある。
(2)へ続く
 
 HP四水会の講演から引用した文章を掲載しました。文中に登場する単語で調べるのが面倒な人のためにリンク先に、Wikiを始めとする必要な情報を提供するサイトを紹介しましたので、ご覧ください。
 
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貴ブログを拝見して色々な思いが胸をよぎります。傑作、ポチです。

2012/1/18(水) 午後 4:42 yan*na*tya*yo

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こんばんは。
友鶴事件、有名な事件ですね。
傑作・ランクリ。

2012/1/18(水) 午後 10:54 [ ユニコーン ]


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