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広島原爆資料館を訪問したイスラエルのバラク副首相
中東の核兵器拡散〜一神教の研究(その2)
2012.02.22(水)宮家 邦彦:プロフィール 先週2月14日から19日までイスラエルのエフード・バラク副首相兼国防相が訪日し、15日に野田佳彦首相と会談を行った。
「バラク副首相、イランへ武力攻撃示唆」といった悲観論から、「対イラン攻撃、結論はまだ」「手遅れになる前に経済制裁を」などの現実論まで、ニュースの見出しは大きく割れた。
筆者は天の邪鬼だからこの種の報道にはあまり関心がない。むしろ今回注目したのは、日本・イスラエル外交関係樹立60周年で訪日したバラク副首相が広島原爆資料館を訪問したというニュースだった。今、なぜヒロシマなのか。
さらに調べてみたら、2年前の2010年2月にパレスチナとイランの指導者も広島、長崎を訪問していたことが分かった。彼らの一連のヒロシマ、ナガサキ訪問は単なる偶然か、その目的はいったい何だったのか。これが今回のテーマである。
三者の三様の発言 まずは事実関係を整理しておこう。
パレスチナ自治政府のアッバス議長が広島市を訪れたのは2010年2月7日、原爆慰霊碑に花を手向け、原爆資料館を見学した。同議長は、「我々が訴えるのは世界が平和であるべき、安定であること。核兵器、大量破壊兵器がないことが重要」などとアラビア語で記帳したという。
さらに、同議長は「パレスチナ国民も戦争に苦しめられてきた。戦争がもたらすものは人類と文明の破壊である。世界各国は大量破壊兵器の核兵器を廃絶すべきだ」と述べた。筆者の知る限り、パレスチナの現役閣僚級以上の広島訪問は初めてだ。
イランのラリジャニ国会議長が長崎市を訪れたのは20日後の2010年2月27日、原爆中心碑に献花し原爆資料館を見学した。同議長は「原爆資料館はアメリカの非人道的な犯罪を永遠に伝えるものだ」として米国の原爆投下を厳しく批判する一方、「イランは核を保有しない」とも語ったという。
報道によれば、その後帰国した同議長は2月28日にイラン国会で演説し、第2次大戦中のナチス・ドイツのユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)になぞらえ「原爆投下こそが米国が引き起こした真のホロコーストだ」と述べたそうだ。
さらにラリジャニ議長は、「(米国は)広島に原爆を投下して核兵器の影響の大きさを知りながら、長崎にも落とした」などと米国を批判し、「ホロコーストよりも、米国の核兵器使用を問題にすべきだ」と指摘したという。
一方、イスラエルのバラク副首相の広島原爆資料館訪問は2012年2月17日だった。同副首相は原爆慰霊碑に花を手向け、原爆ドームも視察した後、「避けることのできなかった多くの悲劇の1つだ。しかし一人ひとりが人間として様々なことを学び、悲劇が再び起きないよう努力すべきだ」と述べた。
さらに同副首相は、「広島は過去の悲劇を追悼する場所であるとともに、最も困難な状況の下でも立ち上がる能力のある人間の生命力、精神力を示している。現代の美しい広島は、人類に最も悲惨な惨事にも打ち勝つ力があることを証明する希望のメッセージを全世界に発信している」と述べている。
一部報道によれば、同資料館にはイスラエルが保有する核弾頭数を80と表示する展示があるが、バラク副首相は、自国の核の表示には立ち止まらず、そのまま通り過ぎたという。また、同副首相はこの間、同行した報道陣からの質問には応じなかったそうだ。
被爆地訪問の政治化 筆者は核兵器廃絶論者ではない。原爆は「非人道的」兵器だというが、それではこの世の中に「人道的」兵器などあるのか。世の中に核兵器がある以上、それを前提とした安全保障政策が必要だ。
かく言う筆者でさえ、初めて広島と長崎の爆心地に立った時に覚えた戦慄を忘れることはできない。
あの感覚は言葉では形容不能だ。そこで一瞬にして万単位の人間の命が失われたことを思うと、国家、人種、宗教、政治信条を超え、人間の愚かさに対する痛恨と人類の強靭さに対する畏敬の念が沸き上がってくる。これがヒロシマとナガサキの本質である。
こうした観点から広島、長崎を訪問した3人の中東の政治家の言動を改めて振り返ってみよう。
興味深いことに今回バラク副首相に政治的発言は一切なかった。同副首相は、原爆投下をホロコーストになぞらえ日・イスラエル友好を語ることも、核兵器の悲惨さを訴えつつイランの核兵器開発を非難することも、全く行わなかった。
これと正反対だったのがイランのラリジャニ国会議長だ。彼の発言は徹頭徹尾、対米、対イスラエル批判だったが、広島と長崎で犠牲になった人々に対する気持は伝わってこない。
長崎にまで来て政治問題を一方的に持ち出すことがどれほど奇異か、ラリジャニ議長はなぜ理解できないのだろう。
パレスチナのアッバス議長もこれに近い。特定の国家に対する非難こそ行わなかったが、なぜ唐突に核兵器と関係ないパレスチナ人の苦しみに言及するのか。
ヒロシマとナガサキを政治化する点では、ラリジャニ議長もアッバス議長もあまり変わりないような気がする。
宮家は甘い、核保有国であるイスラエルは余計なことを言わず、不愉快な質問を受けることを拒んだだけだ、との批判もあろう。しかし、ヒロシマ、ナガサキは特別だ。
日本人であれ、外国人であれ、原爆投下の地を特定の政治目的のために利用することは筆者にはどうしても理解できない。
中東での核兵器拡散 核兵器についてアラブ人はこう考える。「日本が過去に被った惨禍を我々は避けなければならない。ヒロシマとナガサキで起こったことは、日本が核兵器を保有していれば起こらなかったはずだ」と。確か中東・イスラムが専門の池内恵・東大准教授の著書にあった一節だと思う。
至言である。しかし、アラブだけではない、「核兵器があればヒロシマとナガサキはなかった」と考えるのはペルシャ人もユダヤ人も同じだろう。だからこそ、イスラエルは限りなく核保有国に近く、イランも核兵器開発を急ぐのである。
イランが核拡散防止条約(NPT)加盟国である限り核兵器開発は正当化されないが、残念ながら、イランの核兵器保有は時間の問題だろう。1940年代の核技術を現在のイランが習得できないはずがないからだ。イランが核兵器を保有すれば、NPT体制は風前の灯となる。
中東湾岸地域、特にスンニー・アラブ諸国で核兵器獲得競争が始まることは必至だからだ。その直前には中東最大の政治的軍事的危機が発生する可能性が高いだろう。中東の政治指導者がヒロシマとナガサキの真の教訓を学ぶことは容易ではなさそうだ。 ↓記事を読み終わりましたら、こちらにもクリックをお願いします。m(_ _)m
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イスラエル
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