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もっと大切にすべきモンゴルと日本の絆
レアアースで日本に協力してくれたのは偶然ではない
2012.03.15(木)荒井 幸康:プロフィール JENESYSというプログラムがある。日本語の名前を21世紀東アジア青少年大交流計画というが、日本と東アジアの青少年の交流を促進するプログラムである。
2007年度から2011年度までという5カ年計画で、今年度も終わろうとしているので果たして来年も行われるのか分からないが、今回はこの計画に関して紹介してみたい。
39カ国6000人を日本に招くプログラムモンゴル帝国建国800周年記念イベント(2006年)でお披露目されたチンギス・ハンの巨大な像〔AFPBB News〕
このプログラムではASEAN(東南アジア諸国連合)をはじめ現在は39カ国から6000人ほどの青少年を日本に招いている。
モンゴルからも毎年100人が招かれていたが、もっと珍しいのは、キリバス、クック、サモア、ソロモン、ツバル、トンガ、ナウル、ニウエ、ニュージーランド、バヌアツ、パプアニューギニア、パラオ、フィジー、マーシャル、ミクロネシアといった太平洋の南の島々から来ている人たちもいることである。
主にこのプログラムで招かれるのは高校生であった。その後、紆余曲折あって、部分的に大学生や35歳までの若手の専門家が呼ばれることもあったが、モンゴルからはこの5年間で合計500人、そのうちの400人近くは高校生であったと思う。
高校生には、日本の高校生との交流や大学参観、専門家には対応する機関との交流する機会も与えられているが、観光地をめぐり、博物館などを見学し、時間に余裕があるときには、買い物を楽しんでいたようである。
プログラムを見る限り、これは「修学旅行ではないか」という風にも見える。このようなことを、わざわざ税金を使ってやる必要があるのか、と思う向きもあろうが、以下に語るように、日本に来るのが大きなイベントであった時期も、そして豊かになってから後も、意義は違えど重要なのだと考える。
今年で40年目になるが、1972年にモンゴルと日本が国交を結んで以来、細々と続けられていた交流が、1990年代の民主化でようやく盛んになり始めるころ、モンゴル人にとって日本に来るというのは大きなイベントだった。
親戚中からお金をかき集め、日本製の(中国製と書かれたものは避けられた)テレビやビデオデッキなどを買って帰っていた。JICAなどの公的機関を通して長期間滞在する研修生などは、できるだけお金を日本で使わずに貯め、自国に帰って大きなものを買うといういわゆる「貯蓄型」研修生のタイプにモンゴルも当てはまっていた。
最近はモンゴルもずいぶん生活水準が上がってきている。生活費も日本の半分かそれ以上になっているようである。
もう、日本で一生懸命貯めて、モンゴルで大きなものを買うということはできなくなってきているためか、いま来ている研修生は、日本でもらったお金を日本でパーッと使ってしまう傾向にあるようである。
場合によってはモンゴルから持ってきているお金が、いままで予想しなかったような大金であるような場合もある。
モンゴルでは新興富裕層の増加に伴い、ラグジュアリー市場が拡大している(写真はウランバートルのルイ・ヴィトン店舗)〔AFPBB News〕
以前、紹介した記事でのルイ・ヴィトンをはじめ、地下資源開発によって落とされるお金を当て込んでか、ヨーロッパのブランド品を扱った高級品店の開店がモンゴルで相次いでいる。
開店した当初、「モンゴルでこういったものが買えるのは(人口260万人のうちの)1000人ぐらい」という声も聞かれたが、いまやその数は何十倍にもなっているであろう。
1990年代から比べれば、日本に来ることは大人のみならず、高校生や大学生にとっても、それほど大きなイベントではなくなった。中国からの旅行者ばかりが注目されているが、モンゴルからもパックツアーで日本へ観光に人々が来る時代になっているのである。
JENESYSの前身となった「21世紀のための友情計画」 それでもこのような大規模な交流プログラムが政府によって発案され実行されているのは、なぜなのだろうか?
このJENESYS以前、海外から人々を招聘し交流を行うというプログラムがなかったわけではない。
1983年ASEAN歴訪の際に、中曽根康弘元総理がASEANの青年1万人を2000年までに我が国へ招聘することを約束したことから、外務省により作成された青年招聘事業「21世紀のための友情計画」 は、この前身と言うことができよう。
青年招聘のプログラムによって1993年からモンゴルの青年も招聘された。このプログラムで招聘された35歳までのモンゴル青年は、毎年およそ10〜20人であり、彼らは日本で1カ月近く過ごしたと記憶している。
1993年とその次の年に行われた第1回と第2回の招聘で招かれたのは教師であり、日本の学校を訪問し、様々なところで教師たちと交流することができ、大成功であった。
しかし、3年目、招かれた若手の国家公務員に関しては、日本側の将来を担うような、同格の国家公務員との交流をする機会は現れなかったことを残念に思ったという感想を、参加者からその後聞くことができた。
今の状況が想像もつかない20年近く前の状況においては、貧しいモンゴルと交流しても何の足しにもならない、おそらく国家機関などで同格の部署の人々からすれば、そのような扱いであったように思えてならない。
その後しばらく交流事業に関わっていなかったが、事業自体はその後も続けられたとも聞いている。
1990年代中盤の生活が最もつらかった時期を越え、モンゴルは明るさを取り戻している。毎年行われているモンゴルの世論調査にも、若者は将来に向け明るい展望を持っていることが表れている。
別の機会に移民のお話はしたいと思うが、現在、日本にいるモンゴル人在住者は8000人を超え、国費の留学生も1000人を超えている。以前、日本に留学した人の中には、モンゴルで成功し国会議員になったものもいる。このような事実があることは非常に重要である。
もちろん、日本と何らかの形でかかわった人々が、彼らすべてが日本の味方になるか分からない。
戦前には、モンゴル人を日本に留学させたがらなかったと聞いたことがある。人種差別や偏見があからさまで、日常的に差別を受けることによって、帰るころには日本を嫌いになって帰る人も多くいたということがその理由らしい。
日本人と人的つながりを持つ人たちが全世界にいることの意味 「アジアの盟主」として胡坐をかき、アジアから来た人々を下に見る戦前とは時代が終わり、ずいぶん日本人もやさしくなったとはいえ、マイナスの感情を抱いて帰る人々もあるだろう。
中国のレアアース輸出制限に米国・EU・日本が共同でWTO(世界貿易機関)に提訴するなど、レアアース戦争が再燃〔AFPBB News〕
とはいえ、日本人との何らかの人的なつながりを持つ人々が海外のあちこちに存在することのメリットは、直接的にも間接的にも無視できるものではないだろう。
「2位ではだめなんですか?」という評価基準からすれば、教育や交流という直接、どのような効果が出るかを前もって図ることができないものは「仕分け」の対象になるかもしれない。
しかし、長期的な視野で行われてきた地道な交流によってモンゴルにおいてしっかりと日本が根付いている現状は、レアアース問題のときのように、日本が必要だという議論をし始めたときに、それに呼応して、モンゴルにとっても日本が必要だという声を上げてもらう状況を作り上げるのに大きく貢献したと考える。
経済的な力だけがものをいったわけではないと、この20年間の交流を見ていて、特に東日本大震災のときのモンゴルからの援助などを見ても、感じることである。
2007年に始まったJENESYSプログラムで日本を訪れた高校生たちも、様々な形で大学に進学している。モンゴルの大学に進学した学生も、日本に留学した学生もいるが、ブルガリアやアメリカ、韓国の大学に進んでいったものもいる。
以前はせっかく日本と交流を持ったのに、日本の大学に進まないのは残念だと思ったものだが、今は違う考えを持てるようになった。このようにさまざまに散らばっていても日本とつながってくれている人々がいるということが重要だと思えてきたのだ。
この5年間の高校生の交流を見て思うことは、若手の専門家と違い、高校生には多くの可能性があるということである。大臣や国会の議長、あるいは、大企業の社長というように偉くなるかもしれず、結婚して専業主婦に納まる人もいるかもしれない。
いずれにしても、様々な形で体験された「日本」は彼ら自身の物事の判断に影響する可能性があり、また、彼らの周りの人に伝えられていく可能性もあるだろう。
このプログラムにかかわった日本人にも確実に残るものがあるだろう。感受性が豊かな学生とホームステイ先との交流は2〜3日というわずかな期間でしかなかったはずなのに、最後は涙々の別れになったりしている。
言語力だけでは不十分 直接知り合うことで、印象が変わり、興味を持ってもらえる。そういう経験は、交流の場面を見ていて多く体験している。筆者が学んでいた大学にも、高校時代にモンゴル人と交流した体験があってモンゴル語を学ぶことを決めたという人がいた。
巷には英語だけが国際的に価値があり、英語ができないと交流できないと思っている人もずいぶんいるようだ。
国際的だからと英語だけで渡り歩こうとして、心を開ける鍵となる言語を知らないことで、英語を得意とするインドなどでも、経済協力の分野などで日本が負け続けている現実があると聞いたことがある。
言語が重要でないとは言わないが、相手側の社会や文化に深く入ってこそ、パートナーの信頼を得ることができるはずだし、逆にそれができないがために、条件的にはわずかの差でチャンスを逃すこともあることは容易に想像できる。
多様性に気づき、個別の社会に興味を持てる入り口を与えてくれる機会を若いうちに得られるのは貴重である。
1990年代以降打ち出されているモンゴル外交に言う「第三の隣人」政策は、国境を接する中国やロシアの次に重要となる国を求める政策であるが、その対象は、どこか1つの国を対象としていくものではない。
レアアースの問題だけでなく、政治的あるいは経済的に重要な決定を下す局面において、中国の膨張する経済の圧倒的な存在感の前に、アジアにおける経済的なプレゼンスが年々低くなっている現実から考えるに、選択される「第三の隣人」として日本がその選択肢に残る可能性を大きくするのはこのような交流であるかもしれない。
そのような意味で、交流の重要性は、日本にとっても、モンゴルに対してだけでなく、世界の様々な国との将来的な関係を取り結ぶ意味で、今まで以上に重要な意味を持っているように思える。 ↓記事を読み終わりましたら、こちらにもクリックをお願いします。m(_ _)m
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国際情勢
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政界だけではなく外務省のチャイナスクール・大鳳会(池田信者)を根絶しなければ、日本はシナ属国の外交しかしません。
傑作・ランクリ2○です。
2012/3/15(木) 午後 0:54
来日中のモンゴルの首相が昨日、元朝青龍さんと大相撲を観戦していましたね。
日蒙関係を考える上で、大相撲も見過ごせませんね。
マスコミの朝青龍バッシングの背後に朝鮮人の策謀がなかったかといまだに気になります。
2012/3/15(木) 午後 2:55