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本日のエクストリーム国家・韓国ニュースは、「日本を攻撃!ミサイル」編ですが、朝○日報の報道が小康状態になったので、過去記事を織り交ぜた記事を掲載します。
韓国軍:精密攻撃支援用の地上レーザー照射装置導入へ
米軍の要請に基づき、北朝鮮の主要人物や中心施設を精密攻撃できる地上レーザー標的指示装置(GLTD)を国防部(省に相当)が購入することを決めたことが、3日までに分かった。 韓国軍当局は、北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)体制スタート以降、局地挑発の脅威が高まっていることに伴い、有事の際に北朝鮮のミサイル、長射程砲、特殊部隊など非対称の脅威を短時間で無力化するため、長距離巡航ミサイルや短距離ミサイル、精密誘導爆弾など精密誘導兵器を大幅に増強することを計画しているという。 天文研が初めてシステム開発、今月末から稼働
朝○日報より引用
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2012年09月01日
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関東大震災で朝鮮人大虐殺はなかった、自警団が朝鮮人テロリスト集団と戦い殺害された一般の朝鮮人は震災下混乱のテロとの戦いの犠牲者、戒厳令司令部が過剰防衛で日本人367人を逮捕、殺害された朝鮮人は233人
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良識ある日本国民の皆様には、9月1日の防災の日はご存知だと考えます。
きょう防災の日
迅速かつ適切な行動を
きょう1日は「防災の日」。1923(大正12)年9月1日午前11時58分に起こった関東大震災は、相模湾北西部の相模トラフを震源にマグニチュード7・9、震度6規模の大地震で、南関東一円を中心に、死者・不明者約14万3000人の被害者を出す未曽有の大災害となった。その教訓を忘れないという意味と、この時期に多い台風・集中豪雨への心構えの意味を含めて、1960(昭和35)年に制定された。また、この日を含む前後1週間(8月30日から9月5日)を「防災週間」とし、全国で防災意識の高揚、防災知識の普及を図るための訓練や講習会などさまざまな行事が実施される。http://www.tonichi.net/news/index.php?id=23759 >きょう1日は「防災の日」。1923(大正12)年9月1日午前11時58分に起こった関東大震災
現時点で韓国主要紙と民団新聞は報道をしていませんが、今年も「関東大震災で朝鮮人が大虐殺された日」などという記事を掲載するのでしょう。
関東大震災で朝鮮人が大虐殺されたという、反日勢力が捏造した歴史を信じている日本人も多いです。
そして、反日勢力は子供たちに朝鮮人大虐殺を事実だと教えています。
朝鮮大学校の在日朝鮮人から修学旅行中の中学生は、「関東大震災で朝鮮人が暴動を起こしたというデマが流れ、朝鮮人狩りも行われた」と、朝鮮人虐殺を学びました。
日教組傘下の神高教に加盟している教職員は、「関東大震災のさいに起きた朝鮮人虐殺現場」を見学するように企画して、生徒に参加を募っていたことが判明しました。
横浜市教育委員会が市立中学の全生徒に配布している副読本に、軍隊や警察も「朝鮮人に対する迫害と虐殺を行い」などという表現に書き換えられた問題もありました。
しかし、関東大震災で朝鮮人の大量虐殺はなく、日本人が殺害されたことが真実です。
1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災は、死者・行方不明者は10万5385人、被災者190万人以上という未曾有の大災害でした。
大震災発生直後に、「朝鮮人が暴徒化して、井戸に毒を入れている」・「略奪や放火をしている」などのデマが流れて、朝鮮人の大量虐殺があったとされています。
後述しますが、虐殺された朝鮮人犠牲者は当初2万人とされて、現在でも、デマを信じた日本人が数千人の朝鮮人を虐殺したとされています。
しかし、朝鮮人が暴徒化したのは事実ですし、日本人の正当防衛による朝鮮人殺害はありましたが、朝鮮人の大虐殺はありませんでした。
1910年に「日韓併合条約」(韓国併合ニ関スル条約)が締結されました。
1917年のロシア革命で、共産ロシアは日本の赤化を企んで、朝鮮の独立運動を支持して、日本の社会主義者たちを煽動しました。
1919年に、大韓帝國初代皇帝高宗の死をきっかけに朝鮮で三・一運動と呼ばれる独立運動が起こり、当時の朝鮮総督府はこれを鎮圧しました。
在日朝鮮人の人口は、1918年(大正7)年に1万4501人でしたが、関東大震災の1923年には8万617人と急増しました。
その中に、朝鮮独立を目指す朝鮮独立運動家のテロリストたちが混じっていました。
ロシアの支援を受けた朝鮮独立運動家のテロ集団と、日本の社会主義者が共謀をして、日本を拠点にさまざまなテロ工作を行うようになりました。
朝鮮人と社会主義者の真の目的は、1923年11月27日に予定されていた「御大典」という、皇太子(後の昭和天皇)御成婚の儀での波状テロと言われています。
摂政宮である皇太子殿下を暗殺して、日本の国体を揺るがせることで、日本の共産化・朝鮮独立運動の勝利が目標だったといわれています。
御成婚の儀は、関東大震災が起こったために延期されました。
朝鮮人テロリスト集団は、関東大震災を好機到来として、家屋への放火や、日本人を殺害して、混乱を増大させて独立運動を盛り上げようとしました。
関東大震災で、朝鮮人が最初に暴徒化したのは、震源地に近くて被害が甚大だった横浜で、地震により警察は機能不全に陥っていました。
東京・横浜では震災直後から火事場泥棒などを取り締まるために、町内ごとに自警団が組織されていました。
朝鮮人は徒党を組み、略奪、暴行を繰り返しながら、多摩川を越えて東京西部に侵入をしました。
自警団は暴徒となって襲ってくる朝鮮人テロリスト集団と戦い、結果として殺害された朝鮮人はいました。
これは、正当防衛で虐殺ではありません。
関東大震災直後の混乱の中で、朝鮮人テロリスト集団が日本人被災者に対して無差別攻撃を仕掛けて、震災を逃れた被災者たちが多数殺されました。
自警団が、朝鮮人テロリスト集団と戦った過程で、巻き添えになって殺害された一般の朝鮮人犠牲者もいました。
しかし、震災下の混乱にあるテロとの戦いの犠牲者で、朝鮮人の虐殺ではありません。
関東大震災の翌日、9月2日に樹立した山本権兵衛内閣で、後藤新平が内務大臣兼帝都復興院総裁に就任しました。
後藤新平は、事態をこのまま放置すると、朝鮮人暴徒と日本人自警団の抗争が激化して内戦状態になるのではないかと危惧して、報道を差し止めました。
後藤新平は、警視庁幹部だった正力松太郎に、
「正力君、朝鮮人の暴動があったことは事実だし、自分は知らないわけではない。だがな、このまま自警団に任せて力で押し潰せば、彼らとてそのままは引き下がらないだろう。必ずその報復がくる。報復の矢先が万が一にも御上に向けられるようなことがあったら、腹を切ったくらいでは済まされない。だからここは自警団には気の毒だが引いてもらう。」
と語ったといわれています。
工藤美代子著、『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』より
雑誌「SAPIO」に1年にわたって連載された工藤美代子著、『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』は、2009年に産経新聞出版から発売されています。
■1.「朝鮮人を電柱に縛りつけ、眼球をくり抜いて鼻をそぎ、、、」
関東大震災の翌年、大正13(1924)年5月、在東京英国大使館から、ジェームズ・ラムゼイ・マクドナルド英首相に、あるパンフレットが送付された。『日本での朝鮮人大虐殺』と題した小冊子で、横浜の英国総領事あてに郵送されてきたものである。その中には、次のようなおどろおどろしい記述があった。[1,p245]
_____
1923年9月1日ごろ(JOG注: 震災当日)、日本政府は一般大衆のほか、兵士、警察本部、自警団に向けて無線で特別命令を出し、「朝鮮人の老若男女を街角で見つけるか、家の中、あるいはどこかに隠れているのを見つけたら、いつでも殺害せよ」と指示した。・・・
騎馬兵はあらゆる方角から朝鮮人を追いかけ、銃撃を加えて皆殺しにした。このようにして殺された人数は次の通りである。
ハダ(羽田?)2000、隅田川沿い400、品川300,サキダマケン(埼玉県?)駅400・・・
しかし、最も痛ましい殺人は、いわゆる自警団や民衆によって行われた。「朝鮮人だ、朝鮮人だ」と叫び、朝鮮人攻撃に加わった。彼等は朝鮮人を電柱に縛りつけ、眼球をくり抜いて鼻をそぎ、腹を切り裂いて腸が飛び出るままにした。・・・
2万人以上の罪なき人が野蛮な日本人によって虐殺された。朝鮮人に開かれている道はただ一つ。それは「日本人が朝鮮人を殺したように、日本人を殺すこと」だ。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
「眼球をくり抜いて鼻をそぎ」というのは、中国や朝鮮でかつて行われていた虐殺方法だが、我が国では聞いたことがない。どうも「南京事件」と同様、中国や朝鮮が絡むと、そこに登場する日本人は突然、大陸・半島風の残虐さを発揮するようだ。
今日でも流布されている関東大震災における「朝鮮人虐殺」が、すでにこのように国際的な政治宣伝に使われていたのである。
■2.「そう住民が思い込んだのには根拠がまったくないわけではない」
この小冊子を本国に送るにあたって、在京英国大使館は次のようなメモをつけている。[1,p244]
______
小職の複数の報告でお分かりの通り、大震災後に多くの朝鮮人が殺害されたことは疑いのない事実であります。しかし、不幸な出来事はこの小冊子の著者によって著しく誇張されており、日本の当局が虐殺を扇動したという筆者の指摘には根拠がないと考えます。
東京や横浜の住民は恐慌状態に陥り、朝鮮人が略奪や政治的復讐のため家々に火を放っていると思いました。小職には放火があったともなかったとも証明する手立てはありませんが、欧州人を含む事情通の多くは、そう住民が思い込んだのには根拠がまったくないわけではないと考えています。
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すなわち、英国大使館の見る所では:
・大震災後に多くの朝鮮人が虐殺された。
・日本の当局がそれを扇動したわけではない。
・住人は、朝鮮人が略奪や政治的復讐のために放火した、と思った。
・そう思い込んだのは、根拠がまったくないわけではない。
当時の英国大使館といえば、中立的客観的な見方のできる立場にあった。当時の史実を丹念に分析した工藤美代子氏の労作『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』があきらかにしたところも、この英国大使館の見方を大筋で一致している。
(震災下のテロとの戦い)抜粋
関東大震災直後に、日本人が命がけで朝鮮人を守っていますし、朝鮮人も事実だと認めて感謝しています。
横浜の鶴見警察署長の大川常吉は、警察に保護された朝鮮人300人のために、警察を取り囲んだ1000人の群衆に対峙しました。
そして、
「朝鮮人を諸君には絶対に渡さん。この大川を殺してから連れて行け。そのかわり諸君らと命の続く限り戦う」・「毒を入れたという井戸水を持ってこい。その井戸水を飲んでみせよう」
と言って、一升ビンの水を飲み干したと言われています。
関東大震災直後に東京とその近郊にいた朝鮮人の総人口は約9800人で、死亡や行方不明は約20%くらいだと考えられています。
軍や警察は、朝鮮人を保護するために、習志野陸軍廠舎や各警察署などに6800人を収容して、毛布や握り飯が支給されて負傷者は軍医から手当を施されました。
この時点で、190万人の日本人被災者の相当部分が、野宿をしたり、食糧不足に苦しんだりしたことを考えても、朝鮮人を手厚く保護していました。
関東大震災の直後に発足した山本権兵衛内閣は、治安回復に乗り出して、9月2日に東京全市、京浜地区に戒厳令が敷かれました。
戒厳令司令部は、過剰防衛として日本人367人を逮捕して、殺害された朝鮮人は233人と公表しています。
反日勢力が数千人という、朝鮮人の大量虐殺はありませんでした。
自警団が朝鮮人テロリスト集団と戦った過程で、巻き添えになって殺害された朝鮮人もいましたが、震災下の混乱でのテロとの戦いの犠牲者で、多くの日本人が殺害されたのが真実です。
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