(左から)イム・ソクヒ博士、イ・ソンイク上級研究員、コ・ジョンファン博士
韓国の人工衛星打ち上げロケット、羅老(ナロ)号が2回の失敗という苦い経験を踏まえ、26日午後に最後の挑戦となる3回目の打ち上げを迎える。全羅南道高興郡の羅老宇宙センターには、韓国航空宇宙研究院の研究員約200人、1段目のロケットを製作したロシアの技術陣約160人、韓国側協力企業の社員約60人などが集まり、打ち上げに向け慌ただしく動いている。現場は慎重ながらも、今度こそ成功をという強い決心に満ちている。
2009年9月、李明博(イ・ミョンバク)大統領が羅老宇宙センターを訪れた。初回の打ち上げが失敗した直後だった。その場である女性研究員が、詩人チョン・ドンムクの『必ず行くべき道』という詩を朗読した。「歩いていけない道を私は水になって行く、閉ざされても閉ざされてもそれでも私は行く、魂になって、歳月になって」という詩が読まれると、至る所からすすり泣きが漏れた。女性は航空宇宙研究院発射体推進機関チームのイム・ソクヒ博士(39)だ。
イム博士は「失敗したものの、行くべき道なのだから再び立ち上がろうという意味だった」と当時を振り返った。
モスクワ国立大工学部出身で、2001年からロシアとの協力業務を担当してきたイム博士は「初めは技術的な協力がすぐ可能かに見えたが、国家間協定の手続きが壁になった。それでも10年以上の闘いで韓国の技術も1段階高まり、ロシア技術陣の目を見ただけでコミュニケーションが取れるほどになった」と語った。
イム博士は羅老号の初回打ち上げ時にテレビで流れた「こちらはMDC(発射指揮センター)です」という声の主でもある。当時は発射のプロセスをシナリオ通りに読み上げたが、実況中継かと誤解を受け「フェアリングが分離された」と読み上げ「事故を隠そうとしたのではないか」という抗議を受けた。初回の打ち上げ失敗はロケットからフェアリングを分離するタイミングがずれ、目標軌道をそれたことが原因だった。イム博士はストレスで逆流性食道炎まで患った。
イム博士は「羅老宇宙センターを設立する際、樹齢数百年の松を移転しなければならなかった。そのときには『自然を傷つけた代価を必ずや結実につなげよう』と誓った。これからもそういう気持ちで最後までやっていく」と語った。
■太平洋で追跡する技術者
羅老宇宙センター技術管理チームのイ・ソンイク上級研究員(43)は、最も離れた場所で羅老号を見詰める科学者だ。羅老号は打ち上げから9分後に衛星を切り離す。その位置が羅老宇宙センターから約2050キロ離れた太平洋上空だ。済州追跡所では1700キロまでしか追跡できない。イ研究員は今月22日、済州海洋警察署の艦船で太平洋へと向かった。船には羅老号が発信するデータ、映像を受信し、宇宙センターに伝送する設備が乗せられた。イ研究員は延世大大学院で衛星通信を専攻した専門家だ。
イ研究員は「2008年に設備性能実験のために太平洋に向かったが、台風に遭い7メートルの波に苦しんだ。翌年の初回打ち上げの際にも、打ち上げ延期で飲料水や食料が不足した」と振り返った。
2回目の打ち上げでは、羅老号の信号をキャッチする前に事故が起き、何もせずに戻ってくる羽目に。イ研究員は「今度こそ衛星が無事分離される様子を見たい。共に苦労した海洋警察関係者に報いるためにも必ず成功しなければならない」と誓った。
■打ち上げを一度も見ていない技術者
コ・ジョンファン博士(45)は羅老号の開発チームに属するが、これまで打ち上げの場面を見たことがない。コ博士の任務は羅老号の飛行情報を見て、予期できない事故に備えることだ。
コ博士は「羅老号の打ち上げ前から軌道と飛行情報が表示される画面だけを見ていなければならない。頭を上げれば打ち上げ映像が中継されており、後ろの窓からは肉眼でも見ることができたが、目を向ける余裕はなかった」と振り返った。
コ博士はソウル大を卒業後、テキサスA&M大学で博士号を取得し、2000年に航空宇宙研究院に入った。韓国初の液体燃料ロケット「KSR−3」、羅老号の初回、2回目まで3回のロケット打ち上げ経験がある。しかし、飛行の安全確保を担当しているため、一度も打ち上げ場面を見ることができなかった。
コ博士は「まるで息子のように丹精込めて作り上げたロケットが打ち上げられるのをこの目で見たい気持ちは強いが、任務のために我慢した」と話した。
コ博士はこれまで羅老号開発のために頻繁に海外へと出張した。05年には韓国にいたのは4カ月足らずだった。当時海外出張に向かう際、6歳の娘が「パパまたね。家にもっと来てね」とあいさつするほどだった。コ博士は「信じてくれた家族のためにも、必ず朗報をもたらしたい」と話した。 2012/10/26 08:41