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闇市が北朝鮮を崩壊させる日
政権幹部の金正日への忠誠心はなおも変わらず
2011.02.04(Fri) 古森 義久
今、全世界でも最も閉鎖的な国といえば、北朝鮮の名をまず挙げる向きが多いだろう。
 
 確かに北朝鮮の内部での出来事は、外部にはまず分からない。カルト風の独裁支配体制が国家の機能に秘密のベールを厚くかぶせているのだ。
 
 だが、日本にとって、その秘密の国、北朝鮮の動向は極めて重要である。日本は、北朝鮮に関する情報をあらゆる方面から収集するよう努めなければならない。
 
 その意味で、米国の首都ワシントンに拠点を置く有力研究機関「ピーターソン国際経済研究所」が1月31日に公表した北朝鮮内部の政治・経済情勢についての調査報告の内容は、注視すべきだろう。
 
 その報告の結論を総括すれば、北朝鮮は従来の中央集権の計画経済では民間末端から自然発生するブラックマーケット(闇市)的な市場の広がりを抑えられず、その拡大によって政権存続の根幹を揺さぶられている、というのである。
 

90年代半ばから北朝鮮に違法の市場が誕生

 米民主党系の民間有力研究機関「ピーターソン国際経済研究所」は1月31日、北朝鮮内部の政治経済情勢についての調査報告を発表した。
 
 報告の作成にあたったのは、同研究所の副所長でアジア経済専門家のマーカス・ノーランド氏と、北朝鮮経済に詳しいステファン・ハガード研究員である。2人が共同でまとめた「変化の証人=北朝鮮の難民の考察」と題する報告を研究書の形で発表した。
 
 2005年と2009年に韓国と中国で行った、北朝鮮難民それぞれ数百人を対象とした聞き取り調査を主体とした内容である。
 
 同報告は、北朝鮮指導部が経済改革を抑える方針を強めながらも市民末端での市場経済志向が激しく、その動きが政権のイデオロギー面を極めて不安定にしていると指摘した。
 
 北朝鮮では建国以来、ソ連型共産主義をさらに過激にした思想に基づき、資本主義経済は否定され、中央が統制する計画経済が実行されてきた。
 
 だが、計画経済は効率が悪く、一般国民の食料や日常品までが不足した結果、1990年代半ば頃から、違法の市場(マーケット)が生まれるようになった。
 
 この市場は、地元住民の共同社会、あるいは住民たちの職場から、党組織、軍組織の一部までを主体として登場した。最初は原始的な物々交換から始まり、少しずつ貨幣を使っての普通のマーケットへと発展していった。
 
 「自主」の共産主義を掲げる政権側からすれば、この市場は違法である。とはいえ、公式の計画経済では住民が飢えてしまうとなれば、違法でもこの種の市場を黙認せざるを得なかったわけだ。
 
 だが、この種の自由市場経済的なマーケットがあまり広がると、「労働党の一党独裁」の教理がいろいろな面で侵されることとなる。このため2005年頃から、労働党政権はこの闇市経済を厳しく取り締まり、抑圧するようになった。「逆改革」と呼ばれる政策である。
 

市場の拡大が政権の内部崩壊を招く?

 こうした流れを踏まえて、ピーターソン国際経済研究所の報告は、現状について以下の趣旨を述べていた。
 
・北朝鮮政府が2005年頃から市場を弾圧するようになったのは、主として、人民軍幹部が市場経済に反対していることに加え、非効率な国営企業の経営が市場経済の発展によってさらに悪化するという懸念があったためである。
 
・だが、市場を弾圧しても北朝鮮経済全体は好転せず、かえって食料や日常必需品の供給が悪化して、闇市はまた広がりをみせるようになった
 
・2009年11月に、北朝鮮政府は市場経済の広がりを抑えるために、旧通貨を新通貨と100対1の比率で交換する通貨大改革(デノミネーション)を断行したが、意図した効果は得られず、かえって国民の間の混乱や不満を強めた。
 
・政府は市場を「違法」と断じ、「市場経済の犯罪化の拡大」と見なしているが、その一方で、許容することを続けている。そのため、行政、司法、軍部などのあらゆるレベルで腐敗を招き、一般住民の当局に対する反発と嫌悪は激しくなる一方である。
 
・市場の拡大は、政権の共産主義的中央集権のイデオロギーの空洞化や矛盾を明白にし、一般国民の政権不信を強めることになる。その結果、国家体制の内部破裂の危険性が増す。
 
・金正日総書記の健康悪化と後継問題が、北朝鮮の政治を不安定にした。首脳部はその経験から、2008年以降は現状維持志向を強くし、経済改革への意欲も大幅に失った。
 
・市場が広がると、経済活動を通じて住民のつながりが多様かつ多極になる。それは、労働党の独裁体制自体を侵食することにつながる。
 
 以上、要するに北朝鮮の違法の市場の広がりは、政権の求心力に逆行する動きであり、その動きがまだまだ活発であることが政権の基盤を侵食し、不安定にしている、というのである。
 
 さらに、政権にとって最悪な場合、この市場の動きが「内部破裂(インプロージョン)」までを起こしかねない可能性を指摘していた。「内部崩壊」と呼んでもよいシナリオである。
 

失われていない金正日への忠誠心

 では、北朝鮮ではまもなく、この種の政権崩壊が起きるのだろうか。
 
 報告はこの点について重要な注釈を付けていた。以下の趣旨の記述である。
 
・しかし、金正日政権を直接支える労働党員、治安機関要員、人民軍幹部らの政権に対する忠誠心は、長年にわたって政権から優遇されてきたことなどによって、なお、かなり強いと見られる。
 
 これこそが北朝鮮情勢の読み方の難しさだと言える。
 
 計画経済の悪化と市場経済の広がりによって、北朝鮮の国家はいつ崩壊してもおかしくない状況である。まさに崖っぷちのぎりぎりまで来ているのだ。
 
 それでもなお、実際に崩壊の引きがねを引く主役や准主役になると見られる勢力は、最高指導者の金正日への忠誠心を強く保持しているというのである。
 

 だから、北朝鮮の内部の崩壊も爆発も「起きやすくて、起きにくい」というわけなのだ。


JBpress.ismedia.jpより引用

 
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アジアにおける核戦力と核拡散の動向
2011.01.11(Tue) 矢野 義昭
 
(2)からの続き
 
 ムシャラフは後に、この時期に12基の遠心分離装置が「恐らく北朝鮮に送られただろう」と認めている。さらに、6フッ化ウランと関連施設の設計図もともに送られたとされている(ただし、ムシャラフは中国の核爆弾の設計図が北朝鮮に渡ったことは否定している*43)。
 
(3)北朝鮮のウラン濃縮型核爆弾の開発とパキスタンの核実験
 
パキスタンは1998年に核実験に成功した。しかしその6発目が、北朝鮮のものを実験した可能性があると見られている。
 
 当時、パキスタンの核実験の際に平壌にいた西側外交官が、北朝鮮の外交官が異常に喜んでいたことを確認している*44
 
 また最後の6回目の核実験は、他の実験の場所から離れており、ほかの核爆弾がウラン型と見られているのに対し、6回目のものはプルトニウムの痕跡が確認されている*45
 
 仮に北朝鮮の核実験でなかったとしても、この時点での北朝鮮とパキスタンの核計画が極めて緊密な協力関係にあったことは、明らかである。
 
 以下に述べるように、核実験データの交換、遠心分離装置、ミサイル、6フッ化ウランの供与などがその前後に確認されており、単なるミサイルと遠心分離装置の1回限りのバーターの域にとどまるものではなかった。
 
 当時、北朝鮮のパキスタン外交官のトップは、軍統合情報部(ISI)の要員であり、1998年頃両国は最も緊密な関係にあり、月に2回、北朝鮮はパキスタンにミサイル部品を送っていた。
 
 また核実験から1週間後、カーンの自宅で北朝鮮外交官の夫人がスパイ容疑で至近距離から射殺され、その遺体が北朝鮮に送還された。
 
 その際にカーンが軍の許可の下、その軍の平壌への空輸便に同乗し、棺とともにP-1とP-2の遠心分離装置の見本とその設計図、技術データ、6フッ化ウランを、密かに北朝鮮に送ったといわれている*46
 
 カーンが軍用機を使えたという事実は、軍の関与を疑わせるが、カーンは後に、ムシャラフなど将軍たちは、ミサイルのみならず核のバーター取引についても知っていたと証言している。
 
 他方、パキスタンの軍当局は核技術の譲渡を認めず、カーンが個人的に核の秘密を取引したものと主張している*47。しかし、軍当局がこの段階では、カーンの核拡散を少なくとも見逃していたことは間違いないと言えよう。
 
 このように、北朝鮮とパキスタンは、カーン・ネットワークを介して、核開発とミサイル開発の両面において、広範な協力関係を1970年代から築き上げていたことは明らかである。
 
 特に、1990年代後半に北朝鮮は、KEDOなどを通じてプルトニウム型核爆弾の開発を中止しているかのように国際社会を欺きながら、他方で密かにノドン・ミサイルとのバーターで、ウラン濃縮型の核爆弾の技術や遠心分離装置などの設備をパキスタンから入手し、ウラン型核爆弾の開発を続けていた。
 
 その一方で北朝鮮は、イラン、パキスタンとの共同開発によりミサイル技術を向上させ、さらには1998年のパキスタンの核実験の際に、自国製のプルトニウム型核爆弾の実験を行った疑いが持たれている。
 
 このように、1990年代後半には3国間の協力関係が頂点に達し、2000年以降に判明する、北朝鮮とパキスタンの核ミサイル保有、イランの核ミサイル開発の進展という成果を生んだと言える。
 
(4)近年の北朝鮮の核・ミサイル開発の進展
 
 カーン・ネットワークの崩壊後、北朝鮮とパキスタンとの協力関係は消滅したが、イランとの協力関係はますます深まり、北朝鮮とイランの間の核とミサイル技術の拡散が憂慮されている。
 
 その一例が2009年4月の「銀河(ウンハ)2号(テポドン2)」の打ち上げと、それに先立つ同年2月のイランによる「サフィール」ロケットとの関連である。
 
 「サフィール」は2段式の宇宙ロケットであり衛星の打ち上げに成功しているが、その2段目のロケットと、3段式の「銀河2号」の3段目は、同じ北朝鮮とイランの共同開発によるロケットであったと見られている*48
 
 また2009年4月25日付の『産経ニュース』によれば、北朝鮮の核・ミサイル技術者や工作員ら50数人が、同年4月5日の「テポドン2」発射以降、地下核施設があるとされているイラン中部のナタンツを秘密裏に訪問していたことが、日米外交筋の証言で分かったと報じられている。
 
 さらに、同報道によれば、北朝鮮がイランのウラン濃縮用遠心分離技術の入手を狙っているとの見方も出ており、北朝鮮側は4月のミサイル発射の際、イラン側から軍関係者や科学者ら10人以上を招待し、ミサイル発射技術について技術交流したとされている。
 
 その後、今度は北朝鮮の技術者ら一行がイランに入国してナタンツに赴いたという。このように両国間で、核技術について情報交換した可能性が指摘されている*49
 

 北朝鮮の急速な核、ミサイル技術の進展の背後には、イランとの緊密な協力関係の存在がうかがわれ、今後の両国の核、ミサイル開発面での協力関係の進展には引き続き注目が必要である。

 

*2 = Steve Weissman & Herbert Krosney, The Islamic Bomb (New York: Times Books, 1981), pp. 44-45.
*3 = “Project 706-Panorama,” BBC TV program broadcast, June 16, 1980.
*5 = サウジアラビアは、石油輸出代金の請求をしない代わりに、必要な場合、サウジアラビアのために核兵器を使用するか核兵器技術を供与するとの保障を得て、パキスタンの核による「安全保障の傘」の提供を受けることになったのではないかと見方も一部にはある(Ibid. p. 254.)。
*6 = George Perkovich, India’s Nuclear Bomb (Berkeley: University of California Press, 1999), p.176.
*7 = G. Corera, Shopping for Bombs, p. 42.
*8 = R. Jeffrey Smith, “U. S. Aides See Troubling Trend in China-Pakistan Nuclear Ties,” Washington Post, April 1, 1996.
*9 = G. Corera’s telephone interview with Richard Barlow, September 30, 2005.
*10 = Richard L. Russell, Weapons Proliferation in the Greater Middle East (Oxford: Routledge, 2005), p.117, and Albright and Hibbs, “Pakistan’s Bomb: Out of the Closet,” pp.38-43.
*11 = Robert Karniol, “Vital Aid? Pakistan’s Dr. A. Q. Khan Responds to Allegations That His Country Had Outside Help in Developing Its Nuclear Weapons,” Jane’s Defense Weekly, November 4, 1998.
*12 = Jeffry T. Richelson, Spying on the Bomb (New York: W. W. Norton & Company, 2006), p.344.
*13 = Seymour Hersh, “On the Nuclear Edge,” The New Yorker, March 29, 1993.
*14 = General Mirza Aslam Beg, “Who Will Press the Button?” Saudi Gazette, May 8, 1994.
*15 = Shahid-ur-Rehman, The Long road to Chagai (Islamabad: self-published, 1999), p.5.
*16 = Mark Hibbs, “Using Catch-all Rule, the Hague Blocked 20 Exports Since 1996,” Nuclear Fuel, March 15, 2004.
*17 = Gordon Corera's Interview with Joe Nye, London, May 23, 2005.
*18 = Zahid Malik, Dr. A. Q. Khan & the Islamic Bomb (Islamabad: Hurmat, 1992), pp. 93-94.
*19 = G. Corera, Shopping for Bombs, pp.22-23.
*20 = G. Corera, Shopping for Bombs, pp.28-29.
*21 = Bennett-Jones, Pakistan: Eye of the Storm, p. 200.
*22 = G. Corera, Shopping for Bombs, pp.37-40.
*23Ibid., p. 34.
*24 = David Albright and Mark Hibbs,“Pakistan's bomb: Out of the closet,” Bulletin of Atomic Scientists (July/August 1992): pp.38-43.
*25 = Perkovich, India's Nuclear Bomb, p.308.
*26 = Hassan Abbas, Pakistan's Drift into Extremism (New York: M. E. Sharpe, 2004), p.11.
*27 = G. Corera, Shopping for Bombs, pp.55-56.
*28Ibid., p. 144.
*29Ibid., pp. 148-151.
*30Ibid., pp. 206-216.
*31 = 核戦力については、IISS, The Military Balance 2009 (London: Routedge, 2009)による。核弾頭数は、“SIPRI Year Book 2009”による。
*32 = Joseph S. Bermudez Jr., “N Korea—set to join the ‘nuclear club’? ,” Jane's Defence Weekly (September 1989), p. 594.

(字数制限のため、出典を一部省略)


JBpress.ismedia.jpより引用
 
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アジアにおける核戦力と核拡散の動向
2011.01.11(Tue) 矢野 義昭
 
(1)からの続き
 
(5)ソ連のアフガン侵攻と米のパキスタンの核開発疑惑黙認
 
 1979年4月にはCIAは、パキスタンが秘密裏の核兵器開発を進めており、その中でカーンが占めている役割を公表し、米パ関係は最悪状態になった。しかしそれが1979年12月のソ連のアフガン侵攻により一変した。
 
 1980年代は、核拡散阻止にとって最も重要な時期であった。それにもかかわらず、この期間の米国にとり拡散阻止は他の戦略的要因、とりわけアフガンゲリラの支援よりも優先度が低かったため、阻止に必要な有効な施策がとられないままに推移し、パキスタンの核開発はむしろ促進される結果になった。
 
 この時期、米国にとり最優先されたのはアフガンでのゲリラ支援を通じてソ連を弱体化することであり、米国とパキスタンはそのために協力関係を維持しなければならなかった。
 
 そのため、議会にとり看過できない核実験その他のようなことが起きない限り、パキスタンは核開発を進めてもよいというのが、当時の米政権の立場であった*21
 
 米国では1980年代を通じ、歴代政権も米議会もCIAのトップも、アフガン戦争支援を最優先していた。
 
 また、CIAは拡散防止を重視したが、米国務省はアフガン支援を重視し、英国は米国以上に、パキスタンとの関係を重視していた。このように拡散阻止のための対応姿勢はまちまちで統一性に欠けていた*22
 
 しかしその間、1987年にはカーンが、カフタの遠心分離装置のP-1型からマレージング鋼を使った最新鋭のP-2型への更新に懸命に取り組んでおり、パキスタンがウラン濃縮計画を大拡張しようとしていたことが明らかとなっていた*23
 
 また1988年にはハク大統領が航空機事故で急死し、ブット元首相の娘のベナジール・ブット(Benazir Bhutto)が首相に就任したが、同首相は核開発から除外され、核開発に対する軍の統制力が強まり責任の所在が不明確になった。
 
 このため、カーンはますます自由な活動の余地を広げ、核関連物資の移転が進んだと見られている。
 
(6)ソ連軍のアフガン撤退以降の米国の締め付け強化とカーン・ネットワークの崩壊
 
 しかし1989年2月のソ連軍のアフガンからの全面撤退は、米国とパキスタンの関係にも大きな転機をもたらした。ソ連のアフガンからの撤退以降、米国はパキスタンの核開発阻止に重点を移し、締め付けを強化し始めた。
 
 米国は、1989年にブットをワシントンに招き、パキスタンの核爆弾の模型を彼女に見せて威嚇し、ブット首相は米議会で、核装置(device)を保有せず、生産する意思もないと述べている。
 
 1990年春にカシミールでインドとの対立が危機状態になった際には、パキスタンの軍当局が核爆弾1発の組み立てを許可したとの情報が入った*24
 
 このような緊張状態を解消するため、米国高官はカーン(G. I. Khan)大統領に、もし軍強硬派の主張のみに従うならば、敗北し孤立化することになるとの警告を発している*25
 
 この核使用直前まで高まった危機の結果米国は、パキスタンの核開発に強い危機感を持つようになった。1990年にH.W.ブッシュ大統領は、パキスタンに対し、同国が核爆弾を保有していないとはもはや保証できないとして、援助打ち切りに踏み切った。
 
 制裁を受けたパキスタン側では、米国の気まぐれに対する失望感が広がり、アフガン戦争を支援しながら、パキスタンに残されたのは、300万人の難民とイスラム・ゲリラの訓練場と化した数千人の神学校と麻薬密売だけだとの非難も出るようになった*26
 
 その後1990年代を通じて米国とパキスタンの関係は比較的落ち着いていたが、米国にとりこの期間のパキスタンは、カシミールでのテロリストの支援国家であった。
 
 また米国は、カフタへの国際核査察を受け入れるよう何度も要求したが、パキスタン側は軍事的に弱体になるとして拒否した。
 
 しかしその間にもカーンの影響力と権勢はますます増大した*27。それを察知した欧米の情報機関は密かにカーン・ネットワークの実態解明に乗り出し、米英のパキスタンに対する圧力が強まった。
 
 その圧力を受け、パキスタンでは、98年の核実験の成功を契機に、カーンの影響力はそがれ、核開発に対する軍の直接管理がさらに強められた*28
 
9.11以降、対テロ戦争に協力的姿勢をとり親米路線に転換しようとしていたムシャラフ(Pervez Musharraf)政権にとり、カーン・ネットワークは邪魔な存在になっていった。
 
 米英の圧力を受けたムシャラフはカーン排除を決意し、カーンは2001年に実質的な引退に追い込まれた*29
 
 カーン・ネットワークは一応根絶されたことになるが、いまだにその一部が活動を続けているとも言われており、真の全容解明、活動の全面停止には至っていない*30
 
 1970年代以降のカーン・ネットワークがパキスタンの核開発と世界的な核拡散に果たした役割とその影響は極めて重大である。
 
 その歴史的発展経過から、発展途上国の核開発への意思と能力への過小評価、商業主義、国際的国内的な協調と政策の一貫性の欠如、核開発阻止のための国際的レジームの不徹底などが、カーン・ネットワークの形成と拡大を促した大きな要因と言えよう。
 
(7)現在のパキスタンの核戦力
 
 現在、インドはアグニⅠを70〜90基、アグニⅢ・Ⅳを15〜20基配備し、核弾頭を約60〜70発保有していると見られるが、それに対しパキスタンはガウリ20基とシャヒーン6基を配備中と見られ、核弾頭は約60発程度を保有していると見られる*31
 
 このように、印パ両国の核戦力はほぼ均衡しており、このことがインドに対する最小限の抑止力を維持しているとのパキスタン側の安全保障上の安心感につながり、印パ関係は近年、比較的安定している。
 
 ただし、カシミールや、2008年のムンバイでの同時多発テロ事件など、インド国内でのテロを起こすことにより、両国関係を不安定にしようと画策する、イスラム過激派の動きもある。
 
 その狙いは、印パ関係を緊張状態に持ち込むことにより、パキスタンの部族自治地区などにおける、アフガン側の米軍と連携した対テロ作戦の圧力をかわそうとすることにあると見られる。
 
 パキスタン国内の治安が悪化し、タリバン勢力が拡大して、パキスタン軍の管理する核爆弾や放射性物質が横流しされたり奪取されることがあれば、核爆弾や放射性物質を使用したテロが生起する恐れがある。
 

 欧米で最も恐れられている大量破壊兵器を用いたテロを防止するためにも、パキスタンの核兵器管理体制の強化が不可欠となっている。

 

2 北朝鮮への核拡散
 
(1)北朝鮮の核開発とミサイル開発の進展
 
 北朝鮮では、核開発は50年代から着手され、当初はプルトニウム型の核開発を目指していた。朝鮮戦争で米国の核恫喝が、金日成にいかに強烈な印象を与えたかは、いくら強調してもし過ぎることはない。
 
 この刺激を受けて金日成が核開発に乗り出したと見られている*32
 
 1955年にはソ連のドブナ核研究センターに北朝鮮の科学者を訓練のために派遣することで合意し*33、1959年には中ソ両国と原子力平和利用に関する協定を結んでいる。
 
 1970年代中期までにソ連は2〜4メガワットの研究用原子炉2基を北朝鮮に供与し、寧辺に据えられた。その後北朝鮮は1980年から独自に設計した30メガワットの原子炉の建設を開始し、87年には低出力の運転を開始したと見られる*34
 
 この炉は黒鉛減速炉であり、長崎型原爆の核分裂物質となるプルトニウム239の抽出が容易である。
 
 このようなことから、北朝鮮は当初からプルトニウム型の核爆弾の開発を追求していたと見られている。
 
 米国は1984〜85年頃にこの炉の存在に気づいたが、その頃には既に原子炉の建設はほぼ半ばまで終了していた。
 
 また北朝鮮は、核弾頭の運搬手段である弾道ミサイルの開発も同時並行的に1970年代から進めている。
 
 北朝鮮のミサイル開発は、エジプトから1970年代にソ連製のスカッドB・短距離戦術ミサイルの供与を受け、それをリバース・エンジニアリングによりそのデッド・コピーを生産したことから始まっている。
 
 北朝鮮は1980年代に、スカッドをパキスタン、イラン、エジプト、シリア、イエメンなどに売却し外貨を獲得している。パキスタンと北朝鮮の通常兵器の取引は1971年から始まった。
 
 1980年代にはイランのミサイル計画を援助するために、両国は共同アドバイザーとしてイランと接触している*35
 
(2)パキスタンとの間のノドン・ミサイルとウラン濃縮技術のバーター関係
 
 北朝鮮はウラン濃縮技術を必要としていた。北朝鮮は、1989年に寧辺の原子炉を閉鎖した段階で、抽出した燃料棒から核爆弾1発から2発分のプルトニウムを抽出できると見られていた。
 
 このため、ペリー(William Perry)国防長官は北朝鮮側に、衛星写真を提示し、すべての施設を攻撃できると述べて、交渉に応じるよう圧力を加えた。
 
 しかしその最中にジミー・カーター元大統領の訪朝の知らせが入り、金日成とカーターの間の交渉に持ち込まれることになった。
 
その結果、1994年の枠組み合意が成立し、ここに北朝鮮の核開発の野望は押し止められたかに見えた*36
 
 しかし外部からの支援を受け監視の目を逃れて、北朝鮮は密かに濃縮ウランの開発を進めていた。その動機は、体制の生き残りであったとガルーチ(Robert Gallucci)は述べている*37
 
 北朝鮮でのウラン濃縮がいつ始まったかは明らかではない。1980年代後半から研究を開始し、80年代の後半に何らかのカーンとの接触が始まったと見られている。カーンもそのことを認めている。
 
 1990年代後半に入ると、北朝鮮に大型貨物が届くようになった。しかし資金難から、北朝鮮による軍民両用の装置のドイツの企業からの輸入は1992年には中止された*38
 
 他方パキスタン軍は、インド国内の目標を攻撃できる長射程のノドンを何としても手に入れる必要があった。そのため、軍はベナジール・ブット(Benazir Bhutto)首相に、金日成と交渉してノドンの技術を手に入れるための交渉を要請した。
 
 その際に、核技術とバーターをしたのではないかとも疑われているが、ブット自身は否定している*39
 
 カーンはノドンをガウリと命名しなおし、30万平方メートルの生産工場がカフタに建設され、ミサイルには改良が加えられた。
 
 北朝鮮とイラン、パキスタンの間で1997年からミサイルの設計に関する協力が進められ、1998年3月までに北朝鮮はパキスタンに12基のノドンの部品を、パキスタン軍のC-130輸送機を使い輸出したと見られている。
 
 1998年4月にはガウリの発射が成功し、パキスタンのインドに対する安全保障体制は大きく強化された。しかしミサイル代金は30億ドルにものぼり、そのためカーンは核技術を代償として提供したと見られる*40
 
 その後、1996年には長射程ミサイルと核技術のバーター取引がパキスタンとの間で成立し*41、カーンがその頃から頻繁に両国間を行き来するようになった。
 
 その後、1998年までには月9便に航空便は増加し、それにつれてノドンの空輸量も増えたことが確認されている*42
 
 1997年のパキスタン陸軍参謀長の訪朝以降、北朝鮮のウラン濃縮はより急速に進展し始めた。このことは、直接の証拠はないものの、ミサイル技術と濃縮ウラン技術のバーターが行われたことを裏付けている。

(3)へ続く
 
JBpress.ismedia.jpより引用
 
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