2012/02/23(木) 11:35 サーチナ
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名古屋市の河村たかし市長の発言が波紋を呼んでいる。2012年2月22日付の中日新聞によると、中国の南京市からやってきた訪問団との面談の際、日中戦争時に起きたとされる南京事件について、河村市長が「僕はあの、真の中日友好のためにも、南京事件というのはなかったんじゃないかと。通常の戦闘行為はあったけどね。残念だけど」と発言したのである。
一応、発言の文脈を追っておこう。河村市長の父は南京で終戦を迎えた。その父が所属す部隊は、南京の寺で「温かいもてなし」をうけた。そして、父はそのお礼に、寺へ「サクラの木を1000本プレゼント」した。「いわゆる南京事件は(終戦の)8年前の昭和12年。もしそんなことがあったら、なぜそれほどまでに日本軍に人に優しくできたのか、理解できない」。だから、「南京事件というのはなかったんじゃないか」と河村市長は言うのである。さらに、南京事件をなかったことにすることが、「真の中日友好のため」になるような言い方もしている。
南京事件とは、日本軍が1937年に中国・南京市を占領した際に、中国軍の便衣兵(軍服を脱いで平服を着た兵士)や一般市民を殺したとされる事件のことだ。南京事件については、その期間からはじまり、残虐行為をした範囲や殺した人数なども含め、学者やジャーナリストによる多くの議論がなされてきた。しかし、日本ではいまだに定説と言えるようなものはなく、大量虐殺を指摘する中国側の見解とのギャップは埋まっていない。
この事件に関して、筆者は大学時代から関心を持ってきた。虐殺の肯定派の本も否定派の本も数多く読んできたが、あくまでも個人的には「少なくとも万人単位の虐殺はあったのではないか」と考えている。戦争状態の地域における死者の数や死因などを究明することは大変困難な作業である。多くの場合、被害者側は被害を多めに語り、加害者側は加害の事実を隠蔽する。
だが、最終的には被害者側と加害者側の双方から話を聞き、双方の史料を照らし合わせ、その平均値によって状況を振り返るしかないことも多い。とりわけ被害者側と加害者側が国になると、歴史教育には国の立場が反映され、歴史観とナショナリズムが直結してしまう場合もある。日本の場合は、敗戦国となったことから平和教育が実践され、近現代史に関する教科書の記述は、一部では「自虐史観」と呼ばれるくらいに被害者側(第2次大戦中に日本が占領した国々)に寄り添ったものであった。
他国の例で恐縮だが、1975年4月からの3年8カ月に100万人以上の市民が政府によって殺されたとされるカンボジアのポルポト時代の事例をあげておう。当時、鎖国政策をとっていたポルポト政権の実態を知る外国人はほとんどいなかった。しかし政権末期になると、タイ国境に脱出した難民ら証言により、国内でとんでもないことが起きていることがわかってきた。そんなとき、日本の社民連という政党の議員たち(江田五月、田英夫、楢崎弥之助、そして菅直人など)は、「カンボジアで虐殺はなかった」と言い続けていたのである。
詳しい話は別の機会にゆずるが、ようはカンボジア国内の実状を知らぬまま、ただただ自分らが「ポルポト政権を支持する」という政治的な主義主張を通すがために、社民連は「虐殺はなかった」などという間抜けなことを言っていたのであった。ひるがえって南京事件を見てみると、否定派の主張には日本軍を美化するような部分が垣間見られ、まずは「虐殺はなかった」という主張があり、それを示すための根拠を無理矢理に提示しているようにも感じられる。
南京事件において「少なくとも万人単位の虐殺はあったのではないか」と考えている筆者から見れば、河村市長の「なかったんじゃないか」という発言はちゃんちゃらおかしく思える。ましてや南京市訪問団の前でそれを言うのはあまりにもナンセンスであるように思える。この発言を受けて、南京市は姉妹提携を取りやめ、両市の交流を停止することを決めた。河村市長は「新たな研究成果が出てきている」などと述べているようだが、この件に関して「なかった」ことを実証することは何の解決にもつながらない。
国際交流の基本は、お互いが異なる人びとだと認識した上で、お互いの意見に耳を傾け、できる範囲での相互理解を図ることである。そう考えてみると、日本国内では劣勢(というか、ほとんど支持されていない?)である南京事件否定派に肩入れするような、言いかえれば南京市訪問団の歴史観を無視するような発言をしてしまう河村市長の「国際感覚」に疑問を持たざるをえない。
自国の歴史に対して自虐的になりすぎる必要はない。過去の過ちに関する責任は、その過ちをおかした人びとにあるのだから。しかし、歴史上で起きた事実は事実として認識しておく必要と責任がある。私たちは歴史を背負って生きているのだから。また、その事実に他国がからむ場合は、他国が自国をどう見ているのかを知っておく必要もある。そういった作業を怠けていると、国際社会では「そんなことも知らないのか」と笑いものになってしまう。
おそらく、河村市長は国内の一部の人びとに「よく言った」などと称えられているのかもしれない。だが、国際的には笑いものになっていることが予想される。彼は大都市の市長なのに、歴史を背負わず無責任なことを言っている、と。
(谷川茂)(情報提供:夕刊ガジェット通信)
編集者。1964年、東京生まれ。高卒で鉄道会社に就職。その後、日雇い労働や公務員、出版社の仕事に従事しながら、夜間大学にかよう。1990 年にカンボジアへ渡航して、旅行会社経営やテレビのリサーチ稼業で学資を稼ぎつつ、大学院で経済を学び、現地でポルポト時代の研究をすすめる。2002年に帰国して、教育史料出版会の代表に。2003年9月にひとり出版社の双風舎を設立。
いかにも中立的な物言いのようだけど
結局は支那のプロパガンダに飲まれてる阿呆だな
あの当時の戦況は日本軍と中国国民党軍の戦闘に乗じて
中国共産党の連中がコソコソと工作してた時代だろ
んなもんにまともな考察を入れても
まっとうな答えは出るわけがない
ましてや、軍とは名ばかりの国民党軍や共産党軍
それにコイツは自分の憶測でしか物言ってないじゃねーかよ
なにか決定的な物証があればまだしも
推測や憶測が歴史的事実かの様に言うのはねぇ
どうかと思いますよぉ(・∀・)ニヤニヤ
―「ポル・ポトの悪夢」の取材などを通して、谷川さん自身の考える「ポル・ポト時代」に対する考えを教えてください。
被害者、加害者で分けるのはおかしいんじゃないかって思った。
今まで被害者側の意見だけで、ポル・ポト時代が語られてきたけど、それはおかしい。
被害者っていうのは、どうしても自分の痛みを訴えたいから、事が大きくなるわけですよ。
ちょっと痛かったけど、すごく痛かったと表現してしまう。そういうことは、絶対あると思うんです。だから聞いた側が、割り引かないといけない。
そこで、どうやって割り引くかというと、そのときにいた加害者、管理する側、統治する側であった人たちの話を聞くんだよ。
その人達は逆に小さく言うわけですよね(笑)。その二つのバランスの中で判断しないと、実態は分からない。
「ポル・ポト時代」の仕組みを暴く
〜谷川茂さんへのインタビュー〜
http://www.tufs.ac.jp/st/club/caminterv/tanikawa.shigeru.html
もろダブスタ
ただの基地外アカ
言ってる事が全く逆
>この件に関して「なかった」ことを実証することは何の解決にもつながらない。
いや、それこそが真の解決だろ
>自国の歴史に対して自虐的になりすぎる必要はない
>南京事件において「少なくとも万人単位の虐殺はあったのではないか」と考えている筆者
すでに自虐だろw
>被害者側と加害者側の双方から話を聞き、双方の史料を照らし合わせ、その平均値によって状況を振り返るしかないことも多い。
加害者側「百人ぐらいかな」
被害者側「百万人死んだアル」
被害者側「じゃあ平均して五十万五十人な」
こんな馬鹿な話があるかよ
( ゚Д゚)ヴォケ!!
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