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中国が言いがかりをつける
「第2次大戦後最大の日本軍艦」 2013.08.15(木)北村 淳
8月6日に行われた海上自衛隊護衛艦「いずも」の進水式の模様が、CNNやBBCをはじめとする米英メディアや中国中央電視台国際放送CCTVでも報道され、アメリカ海軍や軍事関係者の間では“ちょっとした”話題を呼んでいる。
また、予想通り、中国は過剰反応を示し(あるいは言いがかりをつけ)、人民網英語版や環球時報英語版をはじめとする英文中国メディアは批判的に報じている。
「ヘリコプター空母」のように見える駆逐艦 一般の米英メディアや海上自衛隊艦艇にそれほど詳しくない米軍関係者たちにとって、何と言っても奇異に受け取られている点は、防衛省が「いずも」をDDH、すなわち「ヘリコプター駆逐艦」に類別していることである。
軍艦は便宜上それぞれ型式を類別して個々の艦艇ごとに識別番号(ペナントナンバー)が付与されることになっている。「いずも」の型式類別はDDHでありペナントナンバーは183であるから、DDH-183といえば「いずも」と特定できるわけである。
現在のところ水上艦艇の型式類別には厳密な国際的定義が確立しているわけではない。そのため、運用国の国防当局が割り振った型式類別がその軍艦の公式類別となる(水上艦艇と違い、潜水艦の型式類別はかなり明確に決まっている)。だからといって、航空機を運用できない軍艦を航空母艦に類別することは常識的にもできないし、そのようなおかしな類別をしても何のメリットもない。
ところが、「いずも」型護衛艦(「いずも」「いずも」の姉妹艦で建造予定の「24DDH」)、それに「ひゅうが」型護衛艦(「ひゅうが」「いせ」)の場合、世界中の海軍関係者がその艦影図とおおまかな概要を見れば例外なくなんらかの「航空母艦」と見なす艦形であるにもかかわらず、日本国防当局は「駆逐艦」と称しているため、海軍関係者たちや米英メディアが不思議がっているのである。
全通飛行甲板は航空母艦最大の特徴(写真:米海軍)
上述したように、軍艦の型式類別は運用国が決定するわけであるから、日本国防当局が「ひゅうが」「いせ」「いずも」そして「24DDH」をヘリコプター駆逐艦(DDH)と類別した以上、いくら国際常識的類別ではヘリコプター空母(CVH)や軽空母(CVL)あるいは対潜空母(CVS)であってもそれらの公式類別は航空母艦ではなく駆逐艦なのである。
ただし、全通飛行甲板と格納デッキを有した、全長248メートルで満載排水量2万7000トンという超巨大な駆逐艦は世界中に存在しないため、これらの“ヘリコプター駆逐艦”が国際社会ではヘリコプター空母と呼ばれてしまっても致し方ないことである。
F-35が運用できるのか? 極めてユニークな型式類別以上に米海軍関係者たちが関心を持っているのは、ヘリコプター空母「いずも」に新鋭戦闘攻撃機「F-35B」が艦載できるのか? という点である。
「いずも」はいまだに就役しているわけではないため、米海軍関係者たちにとってもこの問題は類推にしか過ぎないのであるが、2013年6月にサンディエゴでオスプレイを発着させた「ひゅうが」の経験などから判断すると、「いずも」の飛行甲板にF-35Bの運用に支障のない耐熱補強処理を施すことは日本技術陣にとっては何ら問題のない課題であると言われている。また、F-35Bの最大離陸重量は27.3トンであり、「いずも」より小型の「ひゅうが」で発着したMV-22Bオスプレイの最大離陸重量は27.4トンであることを考えると、この点でも支障はないはずである。
このような理由から「いずも」では12機ほどのF-35Bの運用が可能であろうという意見が主流を占めている。
もちろん、「いずも」ではF-35B戦闘攻撃機が運用可能であると言っても、それは「いずも」という軍艦が物理的にF-35Bの運用に耐えうる構造をしているという話をしているだけである。日本国防当局がF-35Bを用いるだけの必要性を認めて国会がF-35B調達予算を承認しない限り、さしたる意味を持たない単なるマニアックな話に過ぎない。
「攻撃型空母」という奇妙な概念 英米のメディアや米海軍関係者が「いずも」の型式類別を話題にしているのは、あまりに特殊な類別方法であるからであって、それ以上の関心はないようである。同様に、F-35Bが運用できるという説明を紹介するのも、かつて第2次大戦中は空母大国であった日本が、戦後70年近くも経ってようやく戦闘機を運用することができる構造を持った軍艦を建造したという事実説明のために触れているだけである。現在のところ日本政府がF-35Bの調達計画すら持っていない以上、“まともな”メディアとしては、それ以上の類推は口にしていない。
もちろん、英米メディアの中には、日本国防当局が「いずも」を駆逐艦に類別する最大の理由は、日本では航空母艦を攻撃兵器と見なす議論が存在しているため「いずも」が“攻撃型航空母艦”といったレッテルを張られてしまうのを避けるために“ヘリコプター駆逐艦”という類別にせざるを得ないのである、といった事情を説明しているものも見受けられる。
そもそも「攻撃型航空母艦」という発想自体、極めておかしな思考回路によってもたらされた概念であり、いかなる兵器・武器でも攻撃する意図に基づいて使用すれば攻撃用となり、防御する意思で使用すれば防御用となる。また攻撃といっても、明らかに侵略する意図による攻撃もあれば、自己防衛のために攻撃をする場合もある。
しかしながら、日本社会には、呆れたことにメディアや国会議員の中にすら、攻撃型航空母艦といった概念を用いる人々が少なくないようである。
空母保有は憲法違反と宣伝する中国 この種の軍事的事象に対する日本社会の心理的脆弱性を攻撃材料として日本ならびに国際社会に向けて発信しているのが中国情報戦の常套手段である。
人民日報の記事をベースにした各種中国英文ニュース(CHINADAILY.com.cn、Global Timesなど)は、以下のような説明をし、F-35Bが艦載可能である「いずも」は航空母艦であることを強調している。
「中国海軍の分析によると、『いずも』は戦闘機F-35Bを艦載可能としている。確かに現時点では『いずも』に戦闘機は艦載されないが、『いずも』は極めて強力な戦闘力を備えた航空母艦である。日本がヘリコプター駆逐艦と言っているのは『いずも』が侵略的軍事行動に用いる航空母艦であることをボヤかすためである──」
そして、戦闘機を艦載した航空母艦という軍艦は日本国憲法が禁止している攻撃的あるいは侵略的な軍事行動に使用されるものであることを、ことさら指摘している。これは明らかに、日本社会に存在する“攻撃型航空母艦”という奇妙な概念を逆手に取った日本社会向け論調である。
しかしながら、もし中国の言うように航空母艦が侵略的軍事行動に用いる軍艦であるならば、J-15艦上戦闘機を最大で60機も搭載可能な航空母艦「遼寧」(満載排水量6万7500トンで「いずも」の2.5倍)は、F-35Bを12機搭載可能と推測される「いずも」より数段攻撃能力が高い超強力侵略兵器ということになる。
艦名にまで“言いがかり”をつける中国 中国メディアの「いずも」叩きは、中国海軍空母「遼寧」を棚に上げての侵略空母呼ばわりにとどまらない。どの報道でも「『いずも』という艦名は、1930年代に中国を侵略した日本艦隊の旗艦の名称なのである」というコメントを加えている。
第三艦隊旗艦「出雲」上海にて
確かに、帝国海軍軍艦「出雲」は、上海派遣艦隊の旗艦を務めたこともあったが、ことさらそのような歴史をほじくり返してあたかも自衛艦「いずも」が侵略の道具である航空母艦であることを強調しようとしているようである。“言いがかり”もここまで来ると感心に値する。
(日本帝国海軍装甲巡洋艦「出雲」は、日露戦争直前にイギリスに発注して建造され日露戦争中は第2艦隊に所属し蔚山沖海戦や対馬沖海戦でも活躍した。1932年に第1次上海事変が勃発すると、上海の日本人居留民を保護するために第3艦隊が上海に派遣されて警戒にあたった。第3艦隊に所属していた「出雲」は、1937年7月7日、盧溝橋事件が勃発すると第3艦隊旗艦となった。8月14日には中国軍魚雷艇の攻撃を受けるが反撃して魚雷艇を撃沈した。やがて日本に戻り、1945年7月24日、呉軍港でアメリカ軍艦載機の空襲により撃破された)
ちなみに、2013年6月にカリフォルニアで実施された日米合同水陸両用戦訓練に参加した海上自衛隊ヘリコプター空母「ひゅうが」とイージス駆逐艦「あたご」は、人民日報的に解釈すると第2次世界大戦中アメリカ海軍と激戦を交えた航空戦艦「日向」と重巡洋艦「愛宕」の生まれ変わりということになる。そのような「ひゅうが」と「あたご」をアメリカ海軍・海兵隊は歓待したのである。
馬鹿げた言いがかりに対しても反撃が必要 この他にも、中国メディアは航空母艦「いずも」の建造は安倍晋三首相の軍国主義的野心などと言っているが、22DDH「いずも」の予算を承認したのは民主党政権であって安倍首相とは無関係である。また、日本政府が「いずも」の進水式をわざわざ68年前にアメリカが原爆攻撃を加えた8月6日にしたのは、日本国民の原爆攻撃に対する感情に訴えて日本政府の軍国主義的野心を支持するように仕向けるためである、といった全く噴飯物の“分析”まで垂れ流しにしている。
しかしながら、このような滅茶苦茶な“言いがかり”であっても、人民網や環球時報やCCTVなどの英語版や英文ウェブ報道などによってそのような情報が日本の実情や日中間の歴史などほとんど何も知らない国際社会の人々の目に触れ続けると、第2・第3の「南京大虐殺」が続々と誕生していき、国際社会に中国共産党政府バージョンの“歴史”や“分析”が浸透してしまうことは必至の情勢である。
日本政府は国際社会に向けて、日本人から見ると荒唐無稽であり噴飯物である“言いがかり”や“難癖”に対しては、公式にかつ徹底的に反論を発信しないと取り返しがつかない国際世論が形成されてしまうであろうことは「南京大虐殺」のみならず「従軍慰安婦」でも経験済みである。
“言いがかり”だろうが何だろうが言い続けたものが勝ちなのが国際社会である。日本政府・国防当局は、国防に有用な「いずも」のようなハードウエアの取得だけでなく、効果的な対外宣伝を中心とした情報戦を直ちに開始しなければならない。 JBpress.ismedia.jpより引用
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海上自衛隊
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辛坊治郎氏のヨット事故が炙り出した問題点
それは自衛隊の訓練練度である
2013.07.18(木)森 清勇:プロフィール (1)からの続き
筆者は陸自隊員であったために、海自の訓練には詳らかでない。しかし、現役時代でも、広さが足りない演習場、他部隊との競合、管理要員の差し出し、安全管理の異常な強調などで、想定内であってもやるべき訓練の練度を高められないでいたことは確かである。
イラクに派遣される自衛隊は、経験したこともない炎熱の砂漠、相手は言葉も文化も異なるイラク人、全国から集めた臨時の部隊、国家威信を背負っているなど、様々な理由で特別であった。
だから、現地らしい雰囲気に習熟させ、語学や伝統・文化を勉強して意思疎通を容易にし、トラブル回避などに可能な限りの努力がなされた。
しかし、すべての隊員が基本的に身につけ、いつでも役に立つ技量に達していなければならない射撃が、派遣前の約3カ月間の準備訓練では大きな比重を占めたと言われるところに、普段における習熟訓練の欠落を見ることができる。
現実に目を向けると・・・ こうした、自衛隊の本来任務を視座に据えてみる場合、東日本大震災で活躍し、国民に安全と安心を提供した自衛隊であるが、国民の理解の仕方には疑問なしとしない。自衛隊に与えられている基本的な任務は、内外における災害派遣やPKOなどの国際平和協力活動ではないからである。
自衛隊法ではそれを「主たる任務」と述べる。災害派遣やPKOなどはその他の「主たる任務に支障を生じない限度における活動」として明確に区分されている。
第三条 自衛隊は、我が国の平和と独立を守り、国の安全を保つため、直接侵略及び間接侵略に対し我が国を防衛することを主たる任務とし、必要に応じ、公共の秩序の維持に当たるものとする。
2 自衛隊は、前項に規定するもののほか、同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において、かつ、武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において行うことを任務とする。
「主たる任務」は外国が我が国へ侵略する事態(直接・間接を問わない)に対処することである。戦争や戦争に準ずる行為に対処することが主たる任務で、いついかなる時でも忘れてはならないことである。
普段の徹底した訓練(以下では、演習や教育も含む)が、戦争を起こさせない抑止効果となる。万止むを得ず、ことが発生したらそれに迅速に対処できる部隊を錬成すること、それが自衛隊の日々である。
自衛隊はどんな状況に遭遇しても、任務を遂行できる能力を培っていなければならない。今次の事故対応で、「訓練でも経験していなかった」荒波で救助できたのは、普段の訓練の重要性を端的に教えている。その点、実戦的状況に遭遇する機会の少ない陸自は、諸々の制約とも相まって、訓練練度に対する認識が海空自とはかなり異なっているように思われる。
陸自の例で言えば、射撃訓練では撃ち殻薬莢を回収して弾の紛失がないことを確認する。このために薬莢が見つからないときは「射撃訓練を中止」して、部隊は草むらなどを探し廻る羽目になり、訓練どころではなくなる。
ただでさえ少ない訓練時間が、無駄に費やされるのである。薬莢が紛失した場合、今日までの自衛隊は安全上の問題として、訓練を中止してでも捜索を優先した。射撃能力の付与・向上よりも安全が大事であるという認識に基づくものである。
しかし他方で、戦場は彼我の弾丸が行き交う修羅場で、東郷平八郎が述べたように、命中精度の優劣は戦況を左右する。隊員、特に幹部は経験が必要であるが、現実にはそのような状況下での訓練はほんの一部で、しかも特殊な任務を与えられる部隊の隊員に限定され、多くは弾丸の下をくぐる経験を有しない。
東日本大震災で遺体に関わった隊員のメンタルケアが問題になったが、本来遺体への接触など自衛官には必要不可欠の事項であろう。しかし、現実には一切除外されてきた。
戦場に於いては遺体も然ることながら、自己の所属する部隊が存在し続け、任務を遂行する手段としての交戦、すなわち弾の下にある状況が必然的である。死体同様に、あるいはそれ以上に精神的影響を与えるであろうこうした訓練が本当は普段に行われなければならない。しかし、諸般の事情からほとんど行われていないのが現実である。
隊員は本来の任務に資するため、心技体(ここでは任務に対する意識、専門知識を駆使した対処能力、並びに困難にも耐え得る体力など)を鍛え、奥行きを深める、すなわち隊員としていかなる状況に遭遇してもやり遂げるという自信を持たなければならない。
しかし、現実には予算の削減、部隊の充足状況の低下、管理業務などへの隊員差し出しなどで訓練機会が奪われ、練度の向上が妨げられている。
事実、「コア部隊」と称する実隊員のいない部隊もあるし、第2の兵器が導入されたために、第1兵器の装備部隊と予算折半で実射訓練が半減した部隊もある。こうして実射指揮したことのない中隊長や大隊長が現出する事態になっている。
精到な訓練どころか、隊員にとっての命である射撃という基本訓練すら思うに任せず、(イラク派遣のような)任務に就くにあたっては、普段に持たなければならない能力を特別訓練で付与する必要に迫られるおかしな状況になり下がっているのである。
あとがき 従来、自衛隊の現実や日本の安全保障について、総じてマスコミの報道は少なく、有っても表面的で掘り下げが足りなかった。「訓練でも経験がない」ということは、自衛隊が十分な訓練ができない状態に置かれ、いざという時に心もとないのではないかという示唆でもある。
自衛隊は常に精鋭でなければならない。そして、最高烈度の戦争(もちろん起きてほしくない)において有効に機能しなければならない。
そのための施策(法体制をはじめ、訓練環境など)を政治が推進し、自衛隊は訓練に精を出し、国民は政府や報道機関が提供する「問題は那辺にあるか」をもとに、理解し支援するサイクルの確立が求められる。
マスコミはそうした一助になってもらいたい。それが、服務の宣誓で「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」ると誓う隊員への最高最大の恩返しではないだろうか。
表面的にはかつてない信頼を国民から得ている自衛隊である。しかし一歩踏み込めば(自己の経験およびそれから20年間の時代の変化と要請などを考察すると)、漱石が言ったように、「牛と競争をする蛙と同じことで、もう君、腹が裂けるよ」という状態ではないだろうか。
また、烈度の高い事態(例えば尖閣諸島での紛争)への対処では統合部隊などが編成されるであろうが、多くの経験したこともない問題が出てくるのではないだろうか。
以上、現役自衛官は口が裂けても言えないことをズバリ言わせてもらった。拙論自体が「杞憂」であることを願ってやまない。
余談として書かせてもらうが、辛坊氏は東日本大震災の被災地支援には増税しかないと訴え、また、イラク戦争時の日本人旅行者の行動を自己責任として批判した。
自己の言動に対する責任と、某テレビ局のレジャー的行為(同局のスタッフが企画書を書き、最高幹部のゴーサインでスタート)の後始末に国費が充当された代償として、復興特別所得税の軽減に役立つように1億円くらいを寄付するというのはいかがであろうか。 JBpress.ismedia.jpより引用
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辛坊治郎氏のヨット事故が炙り出した問題点
それは自衛隊の訓練練度である
2013.07.18(木)森 清勇:プロフィール 辛坊治郎氏らのヨット事故(平成25年6月21日)は、何事につけ歯に衣着せぬ発言をし、また自己責任を強調していたベテランのニュースキャスターが関係していたことから、その報道には関心が持たれた。
しかし、イベントに仕立てた吉本興業が関係していたこともあり、主として週刊誌などで一過性的に扱われただけである。それでも記事の行間から、自衛隊として疎かにできない現実が見えてくる。
この現実を見つめ、日本の安全保障政策に生かさなければ、救出に使われた数千万円と言われる国費、すなわち国民の血税をどぶに捨てたと同じになってしまう。他方、救出された辛坊氏は「命の恩人」たちの真の姿を伝えることで、本当の恩返しができるのではないだろうか。
マスコミの報道姿勢には疑問 沿岸での通常の遭難であったならば、民船が救援で活躍する。かかった費用などは当然遭難者が負担する。しかし、今回の事故は宮城県・金華山の南東約1200キロの太平洋上であったために海上保安庁(以下海保)や海上自衛隊(以下海自)という国家機関が救出にあたらざるを得ず、費用支払いの問題は出てこない。
参考までに、要した費用は報道機関や誌紙によって異なるが、長時間(往復8時間)の運用を強いられたこと、しかも荒波のために多数の救援機(海保2機、海自4機)や海保の巡視船などが出動したことなどから、燃料費だけでも5000万円近くを費やしているとされる。
先述のように、海保も海自も任務の一環として行ったわけで、費用の返還うんぬんはない。
しかし、第一線の報道キャスターであること、また世論を左右するマスコミが芸能番組としてであれ何であれ関係していたことなどから、一寸言わせてもらうならば、「この国に生まれてよかった」だけで終わることなく、ことが起きた時だけしか焦点が当たらない海保や陸海空自衛隊の普段の姿などを通じて、国民の目が向くように工夫した報道につなげてほしい。
参院選を前にして、日本および日本人の安全に関わる問題(例えば、中朝の威嚇やアフリカで起きたテロ、さらには東日本大震災など)との関連で、一時は憲法改正(直近では96条)が争点になりそうな雰囲気になった。
しかし、「戦争しやすいように改正するものだ」と捻じ曲げて主張する無責任政党の声などもあり、肝心の視点(日本の安全・国民の安心)が抜け落ち、議論の機が熟していないとなった。
海保や自衛隊は表に出ないことが望ましいが、そのためにも国民には普段から大いに関心を持ってもらう必要がある。なぜなら、日本の安全は一に国民の意志に左右されるからである。
ことが起きた時だけ関心が持たれ、「対処が不十分だから法体系の整備を」などと叫ばれても、ことが一段落した暁には潮が引くように消えてしまう。これではいつまで経っても非常時に役立つ法整備はできない。こうして日本は戦後68年間、憲法の一字も変え得なかったのである。
不思議なことに、日本人の無関心・能天気に刺激を与えているのはほかならぬ北朝鮮や中国などである。北朝鮮による核爆発や人工衛星の打ち上げ(実際はミサイルの発射実験とみられた)、あるいは中国漁船による尖閣諸島沖での追突事案や公船の領海侵犯が動画的に取り上げられ、国民の理解も高まってきている。
ところが、自衛隊が取り上げられる時は、イージス艦事故や隊員の不祥事など、負の報道の場合が多い。東日本大震災では大活躍し、被災民から「自衛隊さんありがとう」「帰らないで」など、嬉しいラブコールをたくさん貰った。そうした国民の熱烈な歓呼の中でも、心ある自衛官は、「これでいいのか自衛隊」と反芻し続けたに違いない。
遺体をどれだけ収容したとか、遺体に接する自衛官のメンタルなどについては相当の紙面を費やして報道したマスコミも、自衛隊の本来任務(後述)との関係に言及することはほとんどなかったように思われる。
こうして、自衛隊に本来求められている能力については、ほとんど理解されないままであると言っても過言ではない。
軍隊(自衛隊)は訓練と教育が命 夏目漱石は、日露戦争に勝った日本の姿を小説『それから』で、「むりにも一等国の仲間入りをしようとする。だから、あらゆる方面に向かって、奥行きをけずって、一等国だけの間口を張っちまった。なまじい張れるから、なお悲惨なものだ。牛と競争をする蛙と同じことで、もう君、腹が裂けるよ」と、意気揚々としているわりには、裏側は空っぽということを皮肉っぽく書いた。
日本海海戦を勝利に導いた東郷平八郎は「連合艦隊解散の辞」で、「百発百中の一砲、能く百発一中の敵砲百門に対抗し得るを覚(さと)らば、我等軍人は主として武力を形而上に求めざるべからず」と述べる。
「形而上」の用語があたかも精神主義に聞こえなくもないが、兵器・装備を「形而下」として、訓練の重要性やそれを継続して行う必要性を対照的に述べたものであることが以下の文言から分かる。
「我が海軍の勝利を得たる所以も、平素の練磨其の因を成し、果を戦役に結びたるもの」という。
こうして、日本海海戦自体が長期にわたる訓練の中の1つの演習であったと位置づけ、この演習に参加できた軍人たちは幸せに出合ったというだけの話で、苦労でもなんでもなかったのだという見方を示す。
そして「武人にして治平に偸安せんか、兵備の外観巍然(ぎぜん)たるも宛も沙上の楼閣の如く暴風一過忽ち崩倒するに至らん」(訓練を怠った軍人、そうした軍人から成る軍隊はいかに立派な兵器・装備を持っていたとしても砂上の楼閣のように暴風が来れば倒壊する)と述べ、注意を喚起する。
さて、先の事故救出に戻る。
最初に事故現場に到達した海保の航空機は漂流している救命ボートを発見・交信して2人の無事を確認するが、救出は海自の救難飛行艇US-2にバトンタッチする。
しかし、US-2は「波が高く、着水困難」と判断(波高などが訓練許容範囲を超えており、正しい処置)して引き返す。その後に飛来した別のUS-2が「訓練でも経験がない」(「週刊文春」7月4日付)という荒波(1機目の時よりやや低い波高と見られる)の中で、救出に成功する。
海自隊員の決死の任務遂行は、許されるぎりぎりの訓練をやってきた成果である。海空自衛隊は、例えば射撃レーダーの照射を受けたり、領空侵犯機に対するスクランブル(緊急発進)を行うなど、常に実戦の様相を持っている。
当時の波高(4メートルくらいと言われている)が近頃はやりの「想定外」かどうかは別として、想定内でも色々な理由で訓練ができない場合も相当あるのではないだろうか。 (2)へ続く
JBpress.ismedia.jpより引用
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軍拡著しい中国の脅威に、力強い助っ人が登場
日本が独自開発した最新鋭哨戒機の配備始まる
2013.04.02(火)高橋 亨:プロフィール 平成25(2013)年3月26日、川崎重工業岐阜工場で海上自衛隊(以下、海自と言う)次期固定翼哨戒機(以下、P-1と言う)量産初号機の納入式が、関係企業および防衛省関係者約300人が参列し執り行われ、約12年間にわたった開発を終え、防衛省に引き渡された。
世界最高レベルの固定翼哨戒機 構想・確定研究段階も含めると約20年近くの歳月を費やしたことになる。この間、幾多の難関もあったようだが、オールジャパンの官民一体の研究開発体制で乗り切り、世界最高レベルの純国産の固定翼哨戒機を完成させた。
この陰には長年黙々と「P-3C」のライセンス生産に取り組んできた関連企業とP-3Cの後継機は、自分たちが造るのだという信念を抱いて運用・整備してきた官側の思いが、まさに結実したものと思う。改めて関係者の熱意と努力に深甚なる敬意と感謝の意を表したい。
航空自衛隊の次期主力輸送機「XC-2」(ウィキペディアより)
P-3C後継機の選定は長い間の侃々諤々の議論の末、自主開発が決定された。開発にあたっては、航空自衛隊(以下、空自と言う)の次期大型輸送機との共同開発方式が採用された。これにより開発経費の節減を図ることとし、両事業の同時立ち上げを可能とした。
P-1開発は、機体・エンジン・アビオ(搭載電子機器)を同時に開発するという過去にも類を見ない難しい事業に挑み、ついに海自および航空・防衛産業界の長年の夢を実現させた。まさに日本の新しい宝の誕生と言える。現用のP-3Cに比して格段の性能・機能の向上が図られた最新鋭機に大きな期待がかけられている。
一方、同じP-3Cを運用してきた米海軍は、専用の機体開発は行わず民間機として実績のあるボーイング737を母機としてP-3Cのアビオの発展型などを搭載する方式を選択した。
こちらの開発も順調で、2013年には、「P-8A」として部隊配備される計画である。P-3Cに代わる新たな洋上哨戒の基本的な運用構想は、これまでのP-3Cの役割をP-8Aと無人機(グローバルホーク級)とに分担し共同して運用する構想である。
無人機は主として初期の広範囲な偵察に活用し、以後の作戦をP-8Aが受け持つというものである。また、機体が高高度を高速巡航するのに適するよう設計された民間機の転用であることから、哨戒機特有の低高度・低速・多旋回飛行には適せず、ある種の運用上の制約があるように思われる。
従って、低高度飛行を強いられた従来の磁気探知装置に代わるセンサーや高高度から投下可能な魚雷が装備されるようである。
これに比較しP-1は、哨戒機としての飛行特性を重視し、長年培ってきた対潜水艦戦術を最も効率的・効果的かつ、安全に実施できる設計が採られているとともに、アビオや兵装に至るまで各種作戦を自己完結できる能力の高い世界初の哨戒専用機として、広く注目を集めることと思う。
今後、P-1は海自の試験評価航空隊の役割も担っている第51航空隊で約3年間運用試験や用法研究などがなされる。また、P-1がジェット機であることから、パイロットおよびクリューのP-3Cからの機種転換訓練も始められる。
これまでに量産機8機の製造が予算化されており、これから数年間で部隊運用に必要な機数が配備されP-1の第一線部隊が編成されることになるであろう。
現在、ソマリア沖アデン湾で海賊対処に従事しているP-3Cとの交代や今日、緊張状態にある尖閣諸島海域の警戒監視および弾道ミサイル防衛に任ずる日も近いと思われる。また、東日本大震災のような大規模災害発生時にもその航続性と高い捜索能力を発揮してくれるものと思う。
開発終了でも必要な能力向上への取り組み今年1月、北朝鮮が人工衛星と称して実施した弾道ミサイル発射実験〔AFPBB News〕
以上のように、P-1に対する期待は大いに膨らんでくるが、あえて開発が完了したこの時期に、直ちに取り組まなければならないことを述べてみたい。それは、量産型P-1の能力向上とP-1派生機の整備である。
開発が完了したばかりのP-1をなぜ今すぐ能力向上、すなわち改善に着手しなければならないのか?
それは以下、3つの理由からである。
第1は、量産機に適用されている技術は、すでに10年以上昔のものであり日進月歩する航空関連技術およびITの分野から見ればP-1は、もはや一部陳腐化していると言わざるを得ない。元来、軍用航空機の研究開発には10年以上必要であることから、最新鋭機といえども部隊配備時点でその適用技術の遅れは宿命とも言える。
現に、米海軍ではP-8Aの数次のインクリメントプラン(改善計画)が公表されている。
P-1においても試作機の試験評価段階で摘出された要改善事項は、量産機の製造に可能な範囲でフィードバックされるものの、予算をはじめとした諸般の制約から万全とは言いがたい。また、構想段階での運用上のニーズとの変化分にも対処が必要である。
第2は、中国の急進的な軍拡である。特に外洋海軍を目指した潜水艦の近代化が顕著である。我が国を巡る戦略環境は、中国の強硬な海洋進出に伴い増強されつつある潜水艦が最大の脅威となっており、引き続き、東シナ海および西太平洋での対潜戦を重視する必要がある。
従って、対潜戦のキーセンサーであり、P-1の生命線とも言える音響関連システムの性能向上は、喫緊の課題である。
また、近年、米軍が考えている中国のA2/AD(接近阻止・領域拒否)戦略に対抗するための「エアー・シーバトル」との共同作戦時に必要なネットワークの再構築や空自との統合作戦機能の整合・充実も図らなければならない。
第3は、日米のインターオペラビリティー(相互運用性)の確保である。これまでは両国ともP-3Cを運用してきたことから、完璧な日米共同作戦が可能であったし、P-3Cを運用している多くの国とも相互運用が可能であった。
しかし、米海軍が西太平洋にP-8Aを展開することから、P-1とP-8Aとのインターオペラビリティ―は何としても確保しなければならない。
不可欠なP-1とP-8Aとのインターオペラビリティ― 日米は両機の開発段階からMOU(了解覚書)を結び、インターオペラビリティーを確保すべく設計・製造に反映してきたが、いよいよ日米共同における部隊運用の段階に入り、新たなインターオペラビリティーの確保が必要となる事項の出現が考えられる。
また、現在、世界に15あるP-3C運用国が、将来P-8Aを採用することも考えられる。その際、日本だけが孤立することがないようP-1とP-8Aの連携の強化は必要不可欠である。
このためには、装備(ハード)面のインターオペラビリティーの確保と、これまで継続して行われている世界的なP-3Cに関する会議(コミュニティー)の発展的な拡張を図り、新たな「固定翼哨戒機コミュニティー」(仮称)の創設を提言したい。
以上のP-1能力向上と並行していま一つ重要なことは、P-1派生機の整備である。今日、海自は、P-3Cの派生機として電子情報収集機EP-3をはじめ、4機種十数機を保有している。名称は情報収集機というスタティックなものであるが、現実は北朝鮮のテポドンミサイル発射時の警戒監視や尖閣諸島周辺での他兵器システムとの共同作戦を行うなど作戦機と同様な運用がなされ大きな成果を挙げている。
これらP-3C派生機の老朽化および部品の枯渇化を踏まえ、P-1を母機とした電子・通信・画像情報収集専用機をはじめ、新たに弾道ミサイル観測機や海洋観測機の整備に加え、海外からの邦人救出や要人輸送に供する輸送機への転用など胴体のストレッチや翼形状およびエンジン搭載基数の変更も含め、柔軟な発想による派生機の整備を検討すべきであろう。
P-1は、これらのニーズに十分応じうる潜在能力を有していると言える。現時点では、70機程度のP-1の整備が考えられているようであるが、各種の派生機を整備し、オールジャパンで生み出した純国産のP-1という貴重な資産を大いに活用すべきであると思う。
昨年の秋、P-8Aが海自厚木航空基地に飛来し、関係者にデモンストレーションを行っている。同様の展示を世界各国でも予定しているようである。我が国も武器輸出三原則の緩和を踏まえ、高い潜在能力を有するP-1を世界にPRしていくことを考えるべきではないだろうか。
その国の技術開発力は、まさにその国の防衛力にほかならない。また、国内に防衛生産技術基盤なしには継戦能力も維持できないという厳然たる事実も再認識しなければならない。この度のP-1玉成により得た誇りと実力を強く堅持し、日本の航空宇宙・防衛産業界が再び活性化することを強く望むものである。 JBpress.ismedia.jpより引用
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世界が欲しがる
「万物に神宿る」国の防衛装備品 2012.11.29(木)桜林 美佐:プロフィール 「パワースポット」を求めて各地に出かける人々は相変わらず多いようだ。人気のある神社に行くと人の多さに圧倒されてしまう。
日本は「万物に神宿る」として「山」や「木」そして人の手によって作り上げられた「物」に対しても敬意と感謝を以て接するといった国であるが、どうもこうした本質的なメンタリティーを見失いつつあるというのが、当世日本人事情ではないだろうか。
物作りの現場を訪れると、どこか神々しさを感じることがある。職人さんの真剣な眼差しだけではない、長年の思いや完成に対する祈りを吸収した工作機械にさえ神が存在するようだ。
かつて日本が日米繊維交渉の末、国内の工場を次々に閉鎖しなければならなくなった時、女工さんが一升瓶を持ってきて織機にじゃぶじゃぶとかけ始めたのだという話を聞いたことがある。これはまさに神聖なものに対しての振る舞いと言えるだろう。
また、多くの企業が「作業にあたる際には家庭の悩みを持ち込まないように」「そのためには家族を大事にするように」などといった標語を掲げているのを見るが、これもやはり煩悩を捨てて作ることに集中するという意識から生まれた日本人独特の考え方ではないだろうか。
防衛装備品の輸出を真剣に検討する時が来ている とにかく、この日本の製造業が今、厳しい逆風下に置かれている。その原因は為替や原材料費の高騰など様々にあるが、根本は私たち日本人がいつの間にか「物作り」の尊さを忘れ、安い物を「買ってくる」方がお得だと考えるようになったことが大きいように思う。
このことは、物作りの国ニッポンというアイデンティティーを失うばかりでなく、景気をますます萎縮させるだろう。日本はもっと製造業を活性化させ、世界に出ていくべきなのではないだろうか。
わけても防衛装備品の製造には、数千社に及ぶ国内企業が関わっている。この分野にも輸出に向け道を開くことを真剣に検討する時が来ている気がする。
しかし、いきなり「さあどうぞ」と言っても、どこも踏み出さないし何の成果もない。かえって企業に多大なリスクを背負わせることにもなる。では、どうしたら日本を元気にするためのこの施策は可能になるのだろうか。
まず不可欠なのは、国としての強力な後押しだ。
何でも競争入札制度にしたり、メーカーが他メーカーや国と情報交換しながらより良いものを作ろうとすれば「談合」だと叩いたりするような行為は、救世主たる彼らの足を引っ張るばかりで、何一つ利がないことに国民も早く気付く必要がある。
東南アジアからの引き合いが多い日本の防衛装備品 何もいきなり戦車や大砲を外国に売ろうなどということではない。ニーズのある各種部品や、輸送機などの汎用性の高いものから始めるのだ。スペックの変更や保全の問題で壁は高いが、将来的には艦艇や潜水艦といった装備品についても検討の余地があった方がいい。
これらの装備については東南アジア諸国からの引き合いが多いと聞く。インドネシアやタイ、ベトナムなどといった中国の海洋進出に備える必要に迫られている国々にとって、日本の高性能な装備品のニーズは高いのだ。
こうした国々に対し、何らかの形で日本の防衛装備品技術が整備等も含め生かされるようになれば、アジア地域の平和貢献策となるだろう。企業から国が買い取りODAとして供与すれば、外交力の一翼となる。
すでに海上保安庁はマラッカ海域でのキャパシティビルディングを行っており、また現在、新明和工業が海上自衛隊で使っている救難飛行艇「US-2」の民間転用・輸出に向け諸手続きを進めているが、個別の努力に任せるのではなく、国のプロジェクトとして取り組むべきだ。
また、元々は日本が国産したものでなくても、ライセンス国産をして高い稼働率を維持しているものも多い。
すでに製造が終わってしまった航空機などで、日本と同じ装備を買った国々では部品枯渇で悩む所が少なくないといい、そうした国々にとっては日本の古い装備品を長持ちさせている整備能力や、自力で製造した部品が喉から手が出るほど欲しいのである。
こうしたラ国(ライセンス生産した国産品のこと)部品の輸出を可能にすることは購入国との関係構築、そして国内産業活性化にもなり得ることからも、現法制下で可能な範囲の検討を進めるべきであろう。さらに武器輸出三原則を本来のあるべき姿に整える作業も進めることは言うまでもない。
日本製品は高品質かつ「誠意」が込められている すでに中国や韓国も国の投資によって相当な技術力をつけてきている。しかし、それでもまだ「日本のものが欲しい」という声は多いという。
その理由は、アフターケアがしっかりしていて長持ちするという日本ならではの質の良さ、そして物に込められた「誠意」ではないかと、アジア事情に詳しい人から聞いたことがある。まさにマニュアルにも仕様書にも記せない、「万物に神宿る」国ならではの特徴ではないだろうか。
先の大戦後、独立を果たしたアジアの国々は、それを手助けした日本に対して感謝と畏敬の念を今なお持ってくれているという。敗戦後10年ほどで再び日章旗を掲げて外航船が行き交う姿に「勇気をもらった」と話してくれた人もいた。
日本人は自覚していないかもしれないが、この国のソフトパワーは世界に誇れるものなのだ。現時点では自衛隊向けのため制約も多いことから抑制している国産能力を、特定分野については輸出に向けていくべきだろう。そのために、商社の役割も重要であるし、さらなる技術発展のための国の投資も不可欠だ。
ただ、忘れてはならないのは、アジア各国のニーズは「今」であるということだ。何年も待ってくれる話ではない。
GDPがマイナス成長だったという記事を肩を落として読んでいる場合ではない。防衛産業という切り札はある。虎の子の潜在能力を生かして元気を取り戻すのか、それともこのまま坂を転げ落ちるのか、決めるのは「今」しかない。 JBpress.ismedia.jpより引用
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