|
中国海軍を震撼させる、日本の秘密兵器
まもなく登場する固定翼哨戒機「P-1」は世界最高性能
2010.11.12(Fri)
(1)からの続き
3 次期固定翼哨戒機開発の必要性 平成7(2005)年12月15日閣議決定された中期防衛力整備計画(平成8年度〜平成12年度)<PDF>に「固定翼哨戒機(P-3C)の後継機に関し、検討の上、必要な措置を講ずる」という文言が記載された。
これは、現用P-3Cが耐用命数の関係から、平成20(2008)年度以降、逐次除籍を迎えるに伴い、平成23(2011)年には「08防衛大綱」で定められた作戦所要機数80機を割り込む見込みとなったことから後継機が必要と判断されたことによる。
その際、世界に広く現存する後継機候補となる固定翼哨戒機や開発中および今後計画されている開発予定機について比較検討が行われたが、我が国の国情その他を勘案し、最終的に国内開発の道が選定された。
本来、国を守るための装備品は、自国の地政学的条件、国際安全保障環境下における位置づけなどを踏まえ、国家としての防衛戦略の枠組みを定め、その中で個々の装備品の役割を求め、それを受けて研究開発に進んでいくのが本筋である。
カナダ空軍のCP-140オーロラ(ウィキペディア)
カナダを例に取ると、カナダは米国に隣接し極めて緊密な関係を持つ国であるが、それにもかかわらずP-3Cをそのまま導入せず、独自の戦略環境、運用構想等から「CP-140オーロラ」(P-3Cの機体にカナダ独自の対潜システムを装備)というユニークな哨戒機を開発した。
このように、防衛装備品は自国で製造し、維持整備をするのが基本であり、今回のP-3C後継機の国内開発という選択は、至当であったと考える。
一方、開発の形態について国際的な動向を見ると、近年の軍事技術のハイテク化、装備品の高価格化が進む中、自国のみで開発を行うことが困難になっていることから、近年では、自国のみによる開発から国際共同による開発へと、明らかな転換が見られる。
しかしながら我が国では、「武器輸出三原則」により共同開発ができないという(自制的な)制約が存在している。
この状態を放置したままでは、世界の軍事技術分野で独り取り残されていくことは火を見るよりも明らかであり、早急に「武器輸出三原則」を見直し、国際共同開発に参画できる態勢に移行すべきである。
P-3Cは、本来、米国が保有している戦略的インフラの枠組みの中の1ユニットとして位置づけられているもので、ほかの各種の戦略的センサーなどとの組み合わせで運用されるものである。
つまり、戦略的センサーが探知した目標に対して攻撃武器を抱いて出撃をするという、いわば再探知攻撃ビークルとして開発されたものである。
従って、センサーなどの能力および運用環境を十分に念頭において航空機自体の機能、性能が導き出され開発されたという経緯がある。
我が国の次期固定翼哨戒機においても、これと同様の観点に立脚しつつ、日本独自の安全保障環境上必要な機能、性能を満たすものでなければならないことは言うまでもない。
上記は運用上の必要性からの観点であるが、もう1つの観点として、防衛技術基盤および生産基盤の維持育成という側面について考慮しなければならない。現在運用中のP-3Cも外国からの導入機の宿命とも言うべき問題に直面している。
それは、様々な部品が米国内で製造中止などになっていることによるもので、その影響は大きく、特に、ブラックボックスとして導入した機器については、国内での代替部品の製造という方策も取れず、極めて深刻な問題となりつつある。
国家危急の事態で運用される防衛装備品の稼働の可否を他国の事情で左右されることは本来的にあってはならないものである。
また、高度にシステム化された航空機および搭載装備機器の製造は一朝一夕にできるものではなく、その製造技術力は、新規航空機の自力による研究開発によって、効率的にかつ着実に維持、継承されるものであるということも忘れてはならない。
さらには、大型機の開発に関わる企業は、機体、電機および部品メーカー、中小下請まで二千数百社にも及ぶと言われ、その裾野は広い。
このような国内航空機関連産業基盤の維持は継戦能力の確保とともに、我が国経済の活性化にも大いに寄与できるものである。ここに次期固定翼哨戒機の国内開発の大きな意義を見出すことができる。
4 P-1開発への取り組み(1)開発の狙い
XP-1試作1号機(防衛省技術研究本部)
本開発の狙いの第1は、我が国の安全保障環境を十二分に検討して策定された運用要求の実現である。
すなわち国内開発をするのであるから、我が国の置かれた安全保障環境に適切に対応し、警戒監視、作戦遂行に必要な機能、性能を効果的かつ効率的に備えた哨戒機とすべく開発しなければならない。
狙いの第2は、RMA(Revolution in Military Affairs:軍事における革命)を踏まえた最新のITの適用である。
次期固定翼哨戒機が運用される年代においては、今日以上に複雑な作戦環境の下で、哨戒機と地上司令部が一体となって作戦を遂行することが不可欠である。
このため、NCW(Network Centric Warfare)の中核となるべきビークルを玉成するという認識を持って開発がなされてきた。
このような視点での取り組みは、ITの最先端を行く米海軍とのインターオペラビリティー(相互運用性)確保のためにも重要視されてきた。
狙いの第3は、運用環境の変化に対応できる柔軟性と拡張性を有するシステム構成にすることである。
すなわち、当然のことながら、システム機は生き物のごとく進化させるところがその一大眼目であり、運用開始後に生じる新たな脅威に対して適時適切に対応すべく、一部または全部のアップデートをしていくことを開発時点から織り込んでおくことが必要だからである。
狙い第4は、トータルライフサイクルコストの低減である。このため開発段階から運用、後方、教育が三位一体となってバランスの取れた無駄のない開発が行われてきた。すなわち、ILSの概念に沿った手法で開発が行われてきたと言える。
(2)開発態勢
今回のような大規模開発においては、官・民の開発態勢をいかにして「顔の見える形」にするかということ、すなわち、官・民の所掌範囲と責任の所在を明確化しておくことが極めて重要である。
このような観点から見れば、官は、全般的な開発管理と試験評価に関わる事項に強力な主導性を発揮するとともにこれに厳正に対処してきたと言える。
一方、民側の態勢については、プライム社をヘッドに関連会社をいかに連携させるかがポイントであり、今回は、機体メーカーのリーダーシップの下、一元的かつ円滑な開発作業が行われてきたと思う。
次期固定翼哨戒機の研究開発は「我が国益を増進する一大国家プロジェクト」であり、我が国の科学・技術の総力を結集したまさにオールジャパン態勢で臨んできた。
こうした背景には昭和47(1972)年の国産対潜哨戒機PX-Lの白紙還元という事案を通じて得られた貴重な教訓があり、また約20年前から防衛庁(現防衛省)技術研究本部を中心に取り組んできた広範囲にわたる次期固定翼哨戒機に関わる研究試作の成果があった。
まさに、当時、P-3Cが導入されたことによって国内開発ができなかった悔しさをバネにした強い意気込みの表れでもあった。
(3)へ続く |
海上自衛隊
[ リスト | 詳細 ]
|
中国海軍を震撼させる、日本の秘密兵器
まもなく登場する固定翼哨戒機「P-1」は世界最高性能
2010.11.12(Fri)
海上自衛隊の固定翼哨戒機「P3-C」は、現在、ソマリア沖海賊対処行動に派遣されており、海自搭乗員の誠実な働きぶりと相まってその有用性は国際的にも高く評価されている。
来年実戦配備される予定の次期固定翼哨戒機「P-1」 もちろん、このP-3Cが我が国周辺における本来の海上防衛力としても重要な存在となっていることは言うまでもない。
防衛省では、このP-3Cの耐用命数が近づき、減勢が始まることから後継機の研究開発を行っており、現在は開発の最終段階に当たる試験評価が行われている。
後継機は、2機が試作機として製造され、「XP-1」と呼称されているが、平成23(2011)年度末に試験評価を終えた暁には「P-1」として第一線部隊に配備される予定となっている。
本稿では、海自における固定翼対潜哨戒機の変遷、その中でも最もエポックメイキングなP-3C導入の経緯と意義、その後継機の国内開発の背景、そして最後に、次世代を背負うことになるP-1への期待と課題について述べてみたい。
1 海自固定翼対潜哨戒機の変遷海上自衛隊の「S2F-1」(ウィキペディア)
海自における歴史は、米海軍から譲与された艦上機「TBM(アベンジャー)」に始まる。その後、「S2F-1」「PV-2」「P2V-7」「P-2J」「P-3C」へと進み、そして現在試験中のP-1へと変遷してきた。
この中で、多発機(4発エンジン搭載)の嚆矢となったのがP2V-7であるが、海自の草創期の昭和30(1955)年から40(1965)年にかけて16機が米国から供与(貸与)され、その後、ライセンス国産された42機が各部隊に配備された。
それに続くP-2Jは、このP2V-7をベースにして我が国で改造開発したもので昭和40(1965)年から53(1978)年にかけて83機が製造された。
当初、P-2Jは国産による本格的な対潜哨戒機「PX-L」までのつなぎとして、60機程度が製造される計画であったが、PX-L計画が立ち消えになったため、後継機が取得されるまでの間、83機という多数の製造が続いた。
海上自衛隊「P-2J」(ウィキペディア)
ただ、これらの対潜哨戒機は各種装備機器をインテグレイトした、いわゆるシステム機ではなく、搭乗員に多大の負担を強いる、いわばノンシステム機であった。
このため、P-2Jの時代の後半には、対象潜水艦の高性能化への対応策としても、システム化を求める声が高まった。
P-2Jの後継機選定に際し政府は、当初、国内開発の方針を採ったことから、我が国航空産業界は国内開発に強い意気込みを示した。
しかし、防衛予算の圧縮と米国機採用の圧力を受けたことで国内開発の方針は政治判断により撤回され、昭和52(1977)年に米海軍対潜哨戒機P-3Cのライセンス生産が決定した。
この決定には政治判断のほか、技術的見地からも、システム機の頭脳とも言うべきソフトウエアの作成が、当時の我が国の技術力では非常に困難と判断されたということもあり、それが大きな要因となったと考えられる。
P-3Cは、01〜03号機が米国から直接輸入され、米国本土で機種転換訓練を受けた海自搭乗員の手により、昭和56(1981)年12月、米国フロリダ州ジャクソンビルから海自厚木基地へフェリーされた。
一方、これにさかのぼる昭和53(1978)年から、川崎重工業でライセンス国産初号機となる04号機の製造が開始され、爾来、今日までの間に、ライセンス生産により101機が製造された。
加えて、P-3Cの派生機である電子情報収集機「EP-3」が5機および多用途機「UP-3C」が1機製造され、日本は世界中に16カ国あるP-3C保有国中、米国に次ぐ機数を有し、その運用能力の高さも世界で広く評価されることとなった。
なお、平成8(1996)年以降、P-3Cの任務が対潜水艦戦のみならず対水上艦戦、地上作戦支援など幅広い分野に及ぶようになったことから対潜という文字が除かれ、単に「哨戒機」と呼称されることとなった。
2 P-3C導入とその意義 米海軍は、P2V-7の後継機として1962年に「P-3A」を就役させ、次いで同機のエンジンを性能向上させた「P-3B」を、そして1969年にはP-3A・Bとは全く異なるコンセプトの下、P-3Cをシステム機として開発した。
そしてその以後もA-NEW計画としてP-3C近代化研究が進められ、「P-3C UPDATE-I、II、III」として段階的に能力向上が図られた。
下総基地上空を飛ぶ海上自衛隊のP3-C
日本が、P-3Cを導入した意義は極めて大きく、海自に対してはもちろんのこと防衛産業界も含めて以下のような強いインパクトを与えた。
(1)海自航空部隊に新たな能力と活力をもたらした
P-2Jの時代が長く続いたため、対象潜水艦との相対的な能力低下が生じ、ある種の閉塞感を抱いていた海自航空部隊の作戦遂行能力は一挙に数段階上のレベルに達した。
また、システム機の導入により、システムエンジニアリングの重要性が認識され、海自航空部隊が自らの力で当該要員の育成に取り組むようになった。
これにより、システム開発に際して、制服組が運用者としての適切な要求を明示し、かつ試験評価においても所要の役割を遂行できる態勢が構築された。このことは、今日に至るまで連綿として維持されており、海自航空部隊の実力の源となっている。
(2)後方支援面での革新がなされた
「ILS」(Integrated Logistics Support:総合後方支援)という概念が導入され、定着した。
「ILS」とは、後方の諸機能を総合的に組み合わせ、ライフサイクル全般を通じて有効かつ経済的にサポートするという概念である。
この概念に基づき、各種の後方支援計画の策定は開発の当初からスタートし、その廃棄に至るまでのライフサイクルコストの低減のため、航空機開発と一体となって平行的に実施されるものである。
このような「ILS」が、今日の新規航空機開発における後方支援を検討する際の基本的な手法にまで定着したことは、P-3C導入の大きな成果であると言える。
(3)国内防衛産業界の技術力の向上が図られた
P-3C導入により国内開発の機会は逸したものの、ライセンス生産を行ったことは、米海軍が長期間にわたり、膨大なマンパワーと資金を投じて研究開発した最新のテクノロジーとその背景となっている貴重なフィールドデータに接する好機となった。
しかしながら、その一方で見逃せない大事な点がある。
それは、ライセンス生産では、米国からリリースされない部分があり、その中身・内容が全く不明なブラックボックスが存在することから、ライセンス生産のみを永く続けることは、いずれは真の技術力の向上に対する限界を迎えることになるという点である。
P-3C導入で、一挙に一段階のステージアップを図ることができたが、次の段階としては、これを基にして、自力による努力を傾注しなければならないということである。
(2)へ続く |
|
この10月、海上自衛隊で2隻の艦艇が進水・命名式を迎えることになった。
1隻は2007年度計画・護衛艦「あきづき」(造船所は三菱重工業 長崎造船所)。もう1隻は2008年度計画・中型掃海艇(造船所はユニバーサル造船 京浜事業所、名称は10月25日に公開)である。
進水したこれらの艦艇は、この後1〜2年ほどかけて艤装をし、就役することになる。
ペルシャ湾で成果を挙げた木造の掃海艇進水した海自最後の木造掃海艇「たかしま」
(9月29日、ユニバーサル造船京浜事業所で)
居並ぶ海上自衛官が敬礼する中、わが子の第一歩を見送る造船関係者の視線を浴びて、行進曲「軍艦」のメロディーとともに船台を滑り、波打つ海上に放たれる姿は初々しく、非常に感動的であった。
「掃海艇が木造?」と驚く方もあるかもしれないが、機雷の除去をするためには磁気がご法度だ。そのため、わが国の掃海艇はずっと木で造られていた。
木造船を使用していたのは日本のみであり、まさに船大工の技が生かされていた。そこには熟練のカンや経験が不可欠の、極めて高度な技術が用いられていたのだ。
日本で初めての海外派遣先であったペルシャ湾には、この500トン前後の小さな木造の掃海艇4隻(補給艦、掃海母艦を加えて計6隻)で赴いた。
建造時には想定されていなかった長い航海を経て、過酷な気候条件下にもかかわらず無事に役目を果たしたことは、日本の掃海部隊の練度の高さのみならず、掃海艇建造技術の高さも世界に知らしめることになった。
海上自衛隊幹部は、「この小さな木造の掃海艇で、片道1万3000キロもの航海をしてペルシャ湾まで行き、成果を挙げたのは誇らしいことです」と胸を張っていた。
グレーに色を塗ってしまうと他の護衛艦と見分けがつかないが、中に入ると木の良い香りが満ちていて、「ここは木造艇の中なんだ」と実感する。
奥がMSO301やえやま、手前がMSO302 つしま "J-NAVY World"さんより引用。
FRP艇は2010年度計画の予算が付かず だが、その木造掃海艇も、材料である米マツのコストが上がったことから、2006年度計画の「たかしま」を最後に建造終了となり、2008年度計画艇から、強度の高いグラスファイバー強化プラスティック製(FRP)になった。
FRPにすると建造費は1割高となるが、寿命は木造艇(16年)に比べて2倍長持ちだという。
FRPに移行したと言っても、高い技術が要求されることは変わりない。関係者は「木造艇のノウハウも身につけている専門の職人が必要」と言う。
しかし、FRP艇は2008年度計画、2009年度計画で発注されたものの、2010年度計画の予算が付かず、1年の空白ができてしまっている。
関連企業では、専門性が高いことから技術者の他部門への流動もできず、同部門の存続が困難な状況に陥っているという。世界が目を見張った日本の掃海艇建造技術が、このままでは失われるかもしれない。
年々減っていく護衛艦の予算海上自衛隊が使用する訓練用の模擬機雷
汎用護衛艦(DD型)の造船所受注契約額(艦載砲などを除く)は、2007年度が約349億円、2008年度が313億円、2009年度が297億円と、年々、減少している。
護衛艦は自衛隊の装備品の中でも、製造に関わる企業が飛びぬけて多い。その数は護衛艦1隻につき約2500社。中には、叩いても割れにくい電球など、他社には真似できず、かつ防衛装備品以外の需要が見込めないような特殊技術を持つ「オンリーワン企業」も数多い。
それらの町工場などにこれ以上のコスト削減を迫ることは「もはやできない」と大手プライム企業関係者は漏らす。しかし、大手企業も、利益の見込めない部門の存続が許される状況にはなく、「板挟み」となる悩みは絶えない。
町工場の経営者は、「一流のものを造るためには、設備投資も研究開発もしなければなりません。しかし、受注がなければ・・・」と表情を曇らせる。
やればやるほど損をする中小企業朝焼けに燃える掃海艇
新造艦に対応できるようにドックを新たに建造し、最新の設備を整えて艦艇受注に備えた企業も、防衛省から「民需でも使用可能では」と判断され、結局、予算が認められない場合が多いという。言うなれば「やればやるほど損をする」という構図だ。
先行投資した企業ほど、防衛予算削減の波を受けることになる。これが、果たして国益に適うことなのだろうか。
日本の造船業そのものが世界の価格競争に飲み込まれてしまった感があり、体力が弱くなっている中で、防衛部門での受注減がトドメを刺すようなことになりかねない。
昨今の尖閣諸島を巡る問題では、これまで、必要な法整備をはじめとする施策をサボってきたツケが回ってきている。
領土を守る気概が希薄だったことを大いに反省し、今後の(徹底した)取り組み次第では、今ならまだリカバーすることができよう。しかし、防衛技術の基盤維持は対策を怠れば、確実に将来はない。後で悔やんでも手遅れなのである。
|
|
↓記事を読む前にクリックでの応援をお願いします。m(_ _)m
サイレントネービーが悲鳴を上げている!
減らされる艦船と人員、増え続ける海外派遣
2010.08.27(Fri)
(1)からの続き
5. 即応態勢 このように一段と厳しさを増す環境であるが、海上自衛隊は精強・即応を合言葉に日々精進を積み重ねている。部隊は当然ながら常時24時間の即応体制を維持している。
修理以外の艦船は入港しても休むことなく、直ちに燃料を満載して次の行動に備えるのが慣例だ。
乗員も、特に即応状態にある1個護衛隊群、国際緊急援助指定艦、地域ごとに指定された応急出動艦等の乗員は、停泊中といえども平日、休日を問わず外出範囲に厳しい制限を設けて緊張状態に置かれている。
また、海上自衛隊は隊員の募集に困難を極めたバブル期以降、定員を大幅に削減した省人型護衛艦を建造している。
艦が非稼働となる定期検査などの修理の際は、定員を削減した分、艦船修理費を増額し、所要の作業量を民間の力で補完することが1つの前提条件であった。
しかしバブル崩壊後は、防衛予算の減少に必然的に艦船修理費の削減が重なり、隊員1人当たりの作業所要量は年々増大している。
例えば、甲板の整備を予定の修理期間に完了するためには、普段は監督にあたる上級者を含め、手に血豆を作りながら、雨天でも雨合羽を着けて甲板の錆び落としを行わなければノルマを消化できないほどである。
即応態勢を維持するためには、修理期も決して疎かにできない。艦艇の乗組員は、代休など1年間を通じてほとんどの隊員が全く消化できていなかった。
この現状はさらに厳しくなっているだろう。家族との対話、子弟の教育、友人との交流などが犠牲になっている。
6. 日・米艦艇(イージス艦)定員の比較護衛艦「くらま」を先頭に相模湾を進む海上自衛隊の艦船(2006年)〔AFPBB News〕
次に、艦艇の定員について興味深い数字を紹介したい。それは日米イージス艦の定員の差である。「こんごう型」と、ほぼ同等の「アーリーバーク型」を比較してみよう。大きさも武器システムもほとんど同じと言ってよい。 ただ大きな差は定員である。ジェーン年鑑を見ると、こんごう型定員300人、アーリーバーク型346人である。海上自衛隊の定員は先に述べたように修理期の前提を含めてぎりぎりまで定員を絞り込んだ結果である。
しかし、海外派遣活動の実績、海上警備行動の実績等を通じて、現在の定員では長期の警戒活動の維持のほかにも、船体や武器の整備にすら相当の無理を強いていることが判明してきた。
充足率(実員÷定員、有事の際は緊急募集等で充足するという考えの我が国は自衛隊の平時充足率を90%台前半に抑えている。一方、前方展開している米第7艦隊は充足率約100%)を考えると、現に乗り組んでいる乗員(実員)の差は、さらに開いて80人近くになるのではなかろうか。
米海軍は、副長を中心に業務管理班、訓練指導班を海上自衛隊のように兼務ではなく独立させている。複雑な業務管理を行い艦長の負担を軽減するとともに、長期母国を離れる行動に伴う個人およびチーム練度の低下を防ぐためである。
さらに、戦闘配置になると訓練指導員たちは重要な配置でダブルで目を光らせることになる。負傷などで重要な配置が欠員となった時は彼らが補充される。すなわち、米海軍は長期行動と数々の戦闘の教訓を艦船の定員数に反映している。海上自衛隊が海外に派遣され始め、長期警戒活動の実績を積むに従いこの定員の相違が際立ってきたように思う。
7. 艦艇部隊の現状(まとめ) くどいようだが、これらの現状を理解していただくために、例えは悪いかもしれないが、果物売り場でお馴染みのネットに詰められたミカンを想像していただきたい。
冷戦の終結とともに右肩下がりで、つまりダウンサイズされていくネットに、まるで逆行するがごとく冷戦期にはなかったミカン(海外派遣活動、弾道ミサイル警戒、活発化する中国海軍への対応等)が次々に押し込められていった。
その過程でネットはその都度ふくらみを増し、支える繊維は当然伸びて細くなる。そのうえ、総人件費抑制という追い打ちをかけられてネットはさらに絞られた。その結果、1本1本の繊維は今にも悲鳴を上げて千切れんばかりとなった。
対策を急ぐ海上自衛隊は、このような現状と様々な懸案を一挙に解決せんと侃々諤々の議論を重ねた末、平成19(2007)年度から新体制に移行した。
しかし、この新体制もあくまでも過程であり、根本的な解決にはいまだ課題は山積している。筆者にも責任があるが、この揺さぶりがさらに負荷を増したことも否めない事実であろう。
隊員の一人ひとりは、文字通り歯を食いしばってこの状況に耐えている。しかし、ぎりぎりまで伸びきったネットはところどころで弱い部分が切れ始めた。切れるとそこを補うためにほかの部分が弱くなる。
悪循環の始まりである。負荷がかかりすぎると組織は適切なガバナンスを失う。必要な目が届かないために、過度に集中した部分(あるいは逆に弛緩した部分)が露呈するのである。
昨今、海上自衛隊を取り巻く様々な不祥事は、このことを言わずもがなに物語っているように思えてならない。
平成23(2011)年度予算の策定に当たり、民主党政権は各省一律10%の削減を求めているが、海上安全保障を取り巻く環境を考えれば極めて深刻である。
おわりに この艦艇部隊の窮状に寄与する一案がないわけではない。
その第1は、補給支援活動を速やかに再開し、終結の代わりに検討を急ぐとされた民生支援用追加50億ドル(約4500億円)を海上自衛隊の現状改善にこそ使うということである。
その第2は、常時少なくとも2個護衛隊群を即応の態勢で維持し得るために、地域配備護衛隊5個(15隻)を廃し、2個の護衛隊群を増設することである。
現有4個と合わせて6個の護衛隊群があれば、2個以上の護衛隊群を即応状態に維持することは可能である。その場合、6個の護衛隊群は佐世保に2個群、その他の総監部に1個群ずつ配備することで機動運用の護衛隊群に地域性を加味することができるだろう。
さらに海上保安庁は近年、工作船事案等の教訓を背景に武装強化高機動巡視船等を整備して、陣容を一新させた。
極めて長い海岸線を持つ地域の防備を限られた資源で実施するには、海上保安庁との協力・協同の一層の促進が必須である。よって立つ法的根拠の違う2つの組織の協力について、さらなる検討が望まれる。
防衛計画大綱の見直しを目前に、特に、海上自衛隊艦艇部隊を取り巻く現実を少しでも多くの方に理解していただければ幸いである。
|
|
↓記事を読む前にクリックでの応援をお願いします。m(_ _)m
サイレントネービーが悲鳴を上げている!
減らされる艦船と人員、増え続ける海外派遣
2010.08.27(Fri)
平成21(2009)年度に改定されるはずであった新たな情勢に基づく「防衛計画の大綱」は、新政権により1年先送りされた。
海上自衛隊のやせ我慢もそろそろ限界に 鳩山由紀夫前首相は普天間問題で安全保障に関する勉強不足を自ら露呈したが、最高指揮官がこれでは、多くの国民が国の安全に不安を覚えたはずだ。 この1年間に新政権は果たしてどれだけのことを学んだのであろうか。一方、サイレントネービーの伝統を受け継ぐ海上自衛隊は自らを語ることが苦手である。
厳しい現場に対してもやせ我慢を奨励する体質がある。観艦式などで紹介される海上自衛隊の姿は、そのほんの一面を表しているにすぎない。
しかも、出港すれば数時間で水平線に姿を消す護衛艦部隊は、どうせ理解されないと半ばあきらめている。しかし、これでは正しい姿は国策に反映されないだろう。
そこで今回は、少しでも多くの方に理解していただきいとの思いから、海上自衛隊の、特に護衛艦部隊の厳しい現実を紹介したい。
筆者が護衛艦隊司令官を最後に退官したのは3年前である。現実と言いつつもその当時の記憶が中心になるが、その後、中国艦隊の堰を切ったような太平洋進出、韓国哨戒艦「天安」沈没と北朝鮮潜水艇の魚雷能力およびロシア海軍復活の兆しに現場はさらに厳しさを増しているものと思われる。
1. 我が国周辺の安全保障環境 我が国周辺には、米国、中国、ロシアの軍事力が指呼の間に存在し、北朝鮮という火薬庫に手を焼きながら、当事国は虚々実々の駆け引きを繰り広げている。
表面的にはまさに北朝鮮を取り巻く緊張であるが、どの国にとっても現状維持が最善である以上、小競り合いが起きたとしても第2次朝鮮戦争に拡大する可能性はきわめて低い。
実は、極東の安全保障の観点から最も留意すべきは北朝鮮ではなく、着々と軍事力の増強を図る中国である。とりわけ中国海軍は、30年後に米海軍と対等な海軍を建設するという遠大な計画を有していると言われる。
これを裏づけるように中国海軍の増強、近代化は目覚ましく、中国海軍は極東における米中の軍事バランスを壊しかねない存在になりつつある。
最悪のケースは、台湾が中国に吸収され、与那国島から次々と宮古島までもその勢力圏に取り込まれてしまうことである。
その時、尖閣周辺に埋蔵される1000億バレルを超えると言われる石油の帰趨は、もはや言うまでもない。
2. 海上自衛隊艦艇部隊の規模の変遷 このような環境変化の中、防衛計画大綱別表比較一覧表(下表)の通り、我が国の防衛予算は厳しい財政事情の下、平成10(1998)年以降略一貫して減少の一途をたどっている。
現在、海上自衛隊艦艇部隊の規模は51大綱(1976年閣議決定)の約4分の3、隻数にして13隻を減じ、地域配備護衛隊は10個から5個に半減した。
なお、区分欄の機動運用とは事態に応じて地域を限定せず運用される部隊であり、地域配備とは我が国周辺海域を北から右回りに大湊、横須賀、呉、佐世保および舞鶴の各地方総監部警備区に5分割し、主としてその警備区内でゾーンディフェンスにあたる部隊である。
従来は各警備区に2個隊(5〜6隻)が配備されていたが、今は1個隊(3隻)に減じた。地域配備護衛艦は機動運用部隊に比較して航続距離が短く、排水量も小型である。また、機動運用の1個護衛隊群は従来3個隊8隻であったが、現在は2個隊8隻で編成されている。
3. 海外派遣活動の変遷 海上自衛隊が艦艇部隊の主な活動状況を冷戦期および平成以降に分けて作成した一覧表が手元にある。 この表を見れば一目瞭然であるが、冷戦期には皆無であった艦艇部隊の海外活動が、平成3(1991)年のペルシャ湾掃海部隊派遣を嚆矢として急速に広がっている。
カンボジアでの平和維持活動(PKO)、トルコ、インド、インドネシア国際緊急援助活動や東ティモール国際平和協力業務がまず挙げられる。
このほか、テロ特措法に基づく協力支援活動、イラク人道復興支援特措法に基づく活動、ロシア潜水艇救助国際緊急援助活動、補給支援特措法に基づく協力支援活動(2010年1月終結)、ソマリア沖海賊対処(派遣中)など、平成3(1991)年以降は飛躍的に増大している。
ちなみに、テロ特措法に基づく協力支援活動および補給支援活動期間中に派遣された補給艦および護衛艦は合計8年間に延べ73隻であり、1年間の派遣平均隻数は9隻を数えた。
ところで、51大綱では次のように記述されている。
海上における侵略等の事態に対応し得るよう機動的に運用する艦艇部隊として、常時少なくとも1個護衛隊群を即応の態勢で維持しうる1個護衛艦隊を有していること。そのために、ローテーションで運用する必要最小限度が4個護衛隊群である。
これには明らかに海外派遣などを想定されていない。しかし上述の通り、護衛艦部隊の活動の推移を見れば、常時即応の護衛隊群は少なくとも2個以上と書き換えなければならない。
4. 我が国周辺海域の活動 平成11(1999)年3月、能登半島沖不審船(後日北朝鮮工作船と判明)の不法行動に対し、海上自衛隊に対する我が国初の海上警備行動の発令を皮切りに、北朝鮮の弾道ミサイル警戒、外国(中国)潜水艦の領海侵犯に対する海上警備行動が次々と発令された。 すなわち海上自衛隊では、周辺海域においても、以前に増して日常的な警戒、即応態勢の充実強化が必要とされている。
しかし地域配備部隊が半減した結果、海峡を含む周辺海域の警戒・監視に目が十分に届かなくなっている。そのうえ中国海軍艦船の活発化に、警戒すべき海域は九州西方海域および琉球諸島海域全般にまで拡大した。
琉球諸島方面は主に機動運用部隊が担当して、常時何隻かが付近海域で目を光らせているようだが、最も近い佐世保を母基地とする艦艇でも沖縄までは遠い(直線で約800キロ)。
与那国島までにはさらに500キロ以上もある。警戒海域も警戒対象も増大した今日、艦船の数が絶対に不足している。
さらに言えば、現状、地域配備部隊の減勢は機動運用部隊をもって補完しているが、機動運用部隊も手一杯の状態であるうえに、元々運用構想そのものから異にする部隊である。当面はやむを得ないとしても、防衛力整備の根本から見直さなければならない大きな問題である。
(2)へ続く
|


