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自衛隊の歴史的快挙、
水陸両用戦隊が「夜明けの電撃戦」に参加
よそ250名の陸上自衛隊員を伴った海上自衛隊“水陸両用戦隊”がハワイのパールハーバーに寄港した後、5月31日、カリフォルニア州サンディエゴのアメリカ海軍基地に到着した。
 
 6月11日から28日(現地時間)の間、アメリカ海軍・海兵隊が中心となり、日本、カナダ、ニュージーランドが参加してサンディエゴ周辺で繰り広げられる水陸両用戦合同訓練「ドーンブリッツ(Dawn Blitz:夜明けの電撃戦) 2013」に参加するためである。
 

陸・海・空の能力を併用する水陸両用戦のための訓練

 現代の水陸両用戦は、陸上戦闘部隊が洋上の艦艇から海と空を経由して陸に達し、陸上での各種作戦を実施する陸・海・空の軍事力を併用する軍事作戦である。陸上戦闘部隊が海岸線に到達するまでの間、それに陸上での作戦実施の間、いずれも海と空、とりわけ航空機による近接戦闘支援や補給活動が欠かせない。したがって陸上戦闘部隊と海上部隊と各種航空部隊との統合運用能力が水陸両用戦の必須条件ということになる。
 
 そして、このような21世紀版水陸両用戦に必要な様々なノウハウを訓練し同盟国と共有しようとするのがアメリカ海軍・海兵隊が主催するドーンブリッツなのである。
 
 水陸両用戦の訓練というと、日本のメディアなどは短絡的に「尖閣諸島奪還訓練」といった見出しを付けたがるが、ドーンブリッツはそのような狭い目的の訓練ではない(もちろん尖閣奪還にも役には立つ)。この演習は、アメリカ海軍と海兵隊が主催しているという性格上、水陸両用戦に関する専門的・総合的な訓練である。
 
 具体的には、水陸両用戦参加部隊間のコミュニケーション、艦艇への各種資機材の積み込みならびに揚陸、水陸両用強襲車・各種揚陸艇・各種航空機(輸送ヘリコプター、オスプレイ、戦闘攻撃機、攻撃ヘリコプターなど)の揚陸艦からの発進と回収、陸上・海上・航空担当幕僚による戦闘、災害救助・人道支援、補給などの計画立案や指揮統制、陸上作戦部隊に対する艦艇や航空機からの火器支援など、陸・海・空の様々な能力を併用する水陸両用戦のための多岐にわたる訓練が実施される。
 

太平洋を渡った自衛隊「水陸両用戦隊」

パールハーバーを出港する「ひゅうが」
(写真:Col.Newsham,USMC)
イメージ 1 現在アメリカ海軍サンディエゴ軍港に停泊中の海上自衛隊の艦隊は、“日本的”に表現すると護衛艦「ひゅうが」「あたご」に陸上自衛隊員250名を乗せた輸送艦「しもきた」の3隻で編成された艦隊、ということになる。
 
 だが、国際社会ではそのような“まやかし表現”は通用しない。NATOの標準的分類に従うと、ヘリコプター空母「ひゅうが」(CVH-181)、輸送揚陸艦「しもきた」(LST-4002)、ミサイル駆逐艦(イージスシステム搭載)「あたご」(DDG-177)からなる水陸両用戦隊ということになる。
 
 もちろん、自衛隊には水陸両用戦というドクトリンが確立していないため、いくら海上自衛隊が水陸両用戦に使用できる艦艇を持っていても実情は揚陸艦とは言えないことになる。しかし、水陸両用戦に向けての訓練を開始すれば、たちまち名実ともに揚陸艦に、そして水陸両用戦隊になり得る実力を海上自衛隊は備えている。したがって、サンディエゴ軍港に姿を見せた自衛隊艦隊をアメリカ海軍や海兵隊そして地元メディアなどが日本の“水陸両用戦隊”と考えても誤りとは言えないのである。
 

水陸両用戦能力を保持していれば救えた命

 “日本の国防事情に最も精通している海兵隊幹部”と言っても過言ではないアメリカ海兵隊駐陸上自衛隊連絡将校グラント・ニューシャム大佐は、自衛隊のドーンブリッツへの参加について「2年前には、誰がこのような状況が実現することを想定し得たであろうか?」と語る。
 
パールハーバーを出港する「しもきた」
(写真:Col.Newsham,USMC)
イメージ 2 彼は東日本大震災に際してアメリカ軍が実施したトモダチ作戦に海兵隊司令部要員として参加し、水陸両用戦能力が欠落していた自衛隊の状況を目の当たりにした海兵隊将校の1人である。そして「あの大地震と巨大津波が発生した当時、もし自衛隊に水陸両用戦能力が備わっていたならば、少なくとも3000から4000名の人々の命が助かったに違いないし、極めて多くの被災者たちの苦しみも軽減されたに違いない」と常日頃から残念がっていた。
 
 陸上・海上・空中の軍事力を併用する水陸両用戦能力が災害救助・人道支援作戦(HA/DR)に大活躍することは、東日本大震災のはるか以前よりアメリカ海兵隊が実証していたことであった。
 
 もちろん自衛隊に限らず軍事組織の主任務は国防のための戦闘に勝つことであり、HA/DRはあくまで副次的な任務にすぎない。島嶼国家日本にとって水陸両用戦能力は国防のための必須能力であり、それは「島嶼防衛」と言われる離島部の防衛のみならず、そもそも狭小な島国日本全体の防衛に不可欠なのである(拙著『島嶼防衛』明成社、『写真で見るトモダチ作戦』並木書房 参照)。
 

ようやく動き出した水陸両用戦能力構築

 日本防衛に必須であり大規模災害救援にも大活躍する水陸両用戦能力を、自衛隊は持たせてもらえなかった(要するに、政治家が必要性に気がつかず予算を与えなかった)。このような日本防衛システムにとって深刻な欠陥を、筆者は東日本大震災の2年ほど前に出版した拙著『米軍が見た自衛隊の実力』(宝島社)以来、事あるごとに指摘してきた。少なからぬアメリカ海兵隊関係者たちも、日本に海兵隊的組織を構築させようという動きを見せていた。
 
 残念ながら、自衛隊を指揮監督する責任のある政治家や政府首脳は、東日本大震災に直面しても、なかなか自衛隊に水陸両用戦能力を持たせようとはしなかった(JBpress「ようやく着手か? 防衛に不可欠な『水陸両用戦能力』の構築」2012年9月13日)。そこで、ついにアメリカ海兵隊は、自衛隊が水陸両用戦能力を構築する方向性を打ち出す一助になるべく陸上自衛隊中枢に連絡将校を送り込んだのである。
 
パールハーバーを出港する「あたご」
(写真:US Navy)
イメージ 3 それが、どのくらい功を奏したのかは分からないが、兎にも角にも政局に明け暮れる政治と違い、自衛隊は着実に水陸両用戦能力の取得に向けて動き始めたのである。
 
 それまで、陸上自衛隊の水陸両用戦との関わりと言えば、毎年サンディエゴ郊外で実施される海兵隊との合同訓練「アイアンフィスト(Iron Fist)」に参加するだけであった(JBpress「米海兵隊と陸自が大規模共同訓練を実施」2013年2月1日)。これも陸上自衛隊だけが参加するため、陸・海・空を併用する統合運用訓練にはなっていなかった。
 
 しかし、2012年の夏には、わずか40名とはいえ陸上自衛隊員がアメリカ海兵隊第31海兵遠征隊とアメリカ海軍の揚陸艦に乗り込んで沖縄から北マリアナ諸島に渡り、水陸両用戦訓練に参加した。そして陸上自衛隊は、水陸両用戦に不可欠と言える「AAV-7」水陸両用強襲車を、調査研究用の4輌だけとはいえ調達することになった。
 
 そしてついに、海上自衛隊の輸送揚陸艦に250名の陸上自衛隊員が乗り込んで太平洋を渡り、カリフォルニアの海岸線で海上自衛隊の揚陸用艦艇と自前のヘリコプターやLCAC(エアクッション型揚陸艇)、それに各種車輌を用いて海・空・陸にまたがる水陸両用戦訓練に参加することになったのである。
 
 ちなみに、陸上自衛隊部隊はサンディエゴ軍港に上陸したのではなく、車輌・資機材・隊員を「しもきた」から海自LCACによって海兵隊キャンプ・ペンドルトンの「レッド・ビーチ」に直接上陸した。
 
 (LCACによる上陸の様子の映像がこちら。注:説明書きで「ひゅうが」と「しもきた」を取り違えている)
 

日本国防にとり歴史的な出来事

 陸上自衛隊部隊が海上自衛隊艦隊とともに太平洋を渡り、ドーンブリッツ 2013に参加することは、ニューシャム大佐の感慨のように「2年前では想像できなかった」ことであるし、「過去65年間を通して、海上自衛隊と陸上自衛隊が統合して実施する最も意義深い出来事であり、まさに歴史的瞬間である」。彼だけではなく、アメリカ海兵隊やアメリカ海軍の少なからぬ戦略家たちが似たような感想と感嘆を口にしている。
 
 残念ながら、アベノミクスに関しては鳴り物入りで大騒ぎしている日本政府や日本のマスコミは、自衛隊が黙々と、そして着実に自主防衛能力強化に向けて努力している状況を、国民に伝えようとはしていない。
 

 アメリカ軍関係者たちが「歴史的」と評価している自衛隊水陸両用戦隊のサンディエゴ入港の模様や、陸上自衛隊の上陸の姿、名実ともに国際軍事社会を唸らせつつある自衛隊の姿を、日本国民に知らしめることこそ、国民の間に自主防衛の気概を涵養し国民全体の士気を高めるために必要である。そのことに政府やマスコミは気づいていないのであろうか。民主主義国家では、国防の主体は国民なのである。


JBpress.ismedia.jpより引用
 
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大学の秋入学は日本再生のチャンス
「登録予備自衛官制度(仮称)」の提言
はじめに
成24(2012)年1月、東京大学が秋入学の方針を打ち出した。4〜5年をかけて移行する計画のようである。この狙いは、海外留学生と日本人留学生の交換の円滑化を図り大学の国際化・グローバル化を加速させることにより、日本人学生の学力不足の是正や大学自身の国際競争力の強化にあるという。
 
 入学時期については、先の大学教育の規制緩和により各学長の判断で可能であり、我が国でも秋田にある国際教養大学など一部の大学では、すでに秋入学を取り入れている。
 
 世界的には、欧米諸国、中国等約7割の国が秋入学である。このため、春入学を基本としている我が国は、秋入学国からの受け入れ時期のズレから、良質の留学生獲得に支障を来している。
 
 さらに、日本からの海外留学についても、履修時期のズレから履修科目の選択が困難になることや留学期間が長期化し留年につながるなど、留学によるデメリットが大きく、年々海外留学生の数が減少傾向にある。
 
 このことが、日本の大学のグローバル化を遅らせ、ひいては大学の国際的評価を低下させている大きな要因となっている。これらのことを是正するために提唱されたのが秋入学への移行である。
 
 秋入学の長所としては、(1)主要各国と入学時期が合致するため、優秀な留学生獲得に有利、(2)高校の学習の補強、(3)入学者に社会経験を付与することによる学業に対する取り組み姿勢の向上、などが挙げられる。
 
 一方、欠点としては、(1)会計年度との不整合による各種社会制度・慣行とのズレ、(2)ギャップターム(イヤー)(高校卒業から大学入学の間、大学卒業から就職までの期間)の存在による就職活動の遅れや家計の負担増などが挙げられている。
 
 筆者は、秋入学を推奨する立場から、ギャップタームを活用した現代青年の学力及び社会人基礎力の向上施策とともに、さらなる積極的施策の1つとして、「登録予備自衛官制度(仮称)」の創設について論じてみたい。
 
現代青年の特性
 
 人生80年の現代においては、かつての人生50年時代と比較して、大人への到達度が3分の2ほど低下していると言われる。すなわち、現代の20歳が昔の15歳程度に相当する。これは、大学生のみならず社会人においても似たり寄ったりの傾向がある。
 
イメージ 1 最近の社会現象として、入社した新卒者が会社に適応できず、入社3年後には高卒で5割、大卒でも3割の者が転職を経験するという。また、企業側からは、新卒新入社員が特に不足している能力として、「コミュニケーション能力」「実行力」が挙げられている。
 
 このため、経済産業省が「社会人基礎力の養成」というプログラムを2006年度から各大学に提唱している。大学教育に関する事項を経産省が主導するということに何となく違和感を覚えるが・・・。
 
 ともあれ、その中では、「社会人基礎力とは、『前に踏み出す力』『考え抜く力』『チームで働く力』の3つの能力であり、職場や地域社会で多様な人々と仕事をしていくために必要な基礎的な力である。企業や若者を取り巻く環境の変化により、『基礎学力』『専門知識』に加え、それらをうまく活用していくための『社会人基礎力』を意識的に育成していくことが今まで以上に重要となってきている」と謳われている。
 
 現在、十数校の大学がモデル校として選ばれているが、他の多くの大学においても「キャリアセンター」などと称して、社会人としてのマナーなどを教えているようだ。
 
 これを見て、「おや?」と思うのは著者だけではないだろう。その理由の1つは、このような能力は、従来大人になる過程において自然と身について然るべきものではないだろうか。
 
 しかし、価値観の多様性、誤った個人主義の蔓延、そして通過儀式(イニシエーション)の少ない現代社会においては、一般的な社会人としての価値尺度が曖昧になっており、あえて「社会人基礎力」と称して、学校などの教育に意識的に取り込み、育成されなければならないと認識されたのであろう。
 
 もう1つは、学校教育とは何か、ということである。
 
 筑波大学の山田信博学長は、大学の役割を「質の高い教育・研究を通じて、時代の要請に応じた人材の育成と、知的生産力の向上により社会に貢献する」と説く。また、国際教養大学の中嶋嶺雄学長は「リベラルアーツ(教養)教育を徹底し、個性ある人材を育てて社会に送り出すこと」と説く。
 
 いずれも、大学における教養教育の重要性とともに、国家に貢献すべき社会人の育成が大学の役割と説いている。
 
 もちろん、職業人として即通用する実学は大事であるが、それは専門学校でも付与できるであろう。大学における実学教育は、教養に裏打ちされた教育であるべきと考える(たとえ、それが防衛大学校のような純粋な職域学校においても当て嵌まる)。
 
 十数年前に著された、新堀通也著『志の教育』においては、学校と職場の関係を次のように論じている。「子供がますます長期間在籍する学校と、彼らが入っていく職場の差が大きくなったため、いろいろな課題が出ている。送り出す学校のあり方の検討はもちろん必要だが、その改革は困難であり、受け入れる職場の取り組みを改善することは急務である」と。
 
 すなわち、十数年ほど前までの教育界においては、学校教育はいまさら直しようがない、あるいは直すべきでないので、職場側で入社してくる人間を何とかしてくれ、というスタンスだったのだろう。
 
 経産省が提唱する「社会人基礎力」の養成は、これに抗して、その実現は学校教育でこそ行うべきものだということであろうか。産業界の要請が教育界の理想に勝ったような形であるが、この是非についてはここで論じるテーマではない。
 
ソフト・テイク・オフ方式(緩かな離陸)の勧め
 
 筆者は、自衛官最後の職として、陸上自衛隊少年工科学校(現高等工科学校)に勤務した。この学校は、15歳から18歳までの少年自衛官(現在は自衛官候補生徒)を教育する場であるが、着任して最初に感じたことの1つが、現代少年の心の弱さである。
 
 入校した生徒には、短期間で自衛隊の諸制式に習熟させようと自衛隊の新隊員教育式に鍛える。指導する側も、日夜親身に、いわば「箸の上げ下ろし」まで教育する。生徒は素直で柔軟なため、この種教育の効果はてきめんである。生徒は一様に現今の高校生に比し立派な生徒に見える。
 
 しかし、その本質は極めて脆いものがある。すなわち、人間としての中身が伴わないうちに、形だけを追求するようになる。また、形式的に物事を実行する能力は身についても、自ら考え、自ら解決する能力に乏しくなる危険性がある。
 
 なぜそうなるのか。
 
 それは、入校前までの生活と自衛隊での生活の段差が大きいために、相当に急激な離陸をしなければならない。しかし、この急離陸は生徒の心の歪を招く恐れがある。
 
 正しく、現今の新卒者が、学生時代には経験したことがない厳しい労働環境や職場の空気に直面し、その段差を乗り越えられずに脱落していく様に似ている。
 
 教育現場においても、かねてから「小1ギャップ」「中1ショック」「スチューデントアパシー(無気力感)」など、環境の変化に馴染めないことによる諸問題が存在する。これを防止するためには、徐々に環境に慣れさせ、次の段階に進む時間ときっかけを与える、いわゆる「ソフト・テイク・オフ」方式が必要である。
 
イメージ 2 読者の中には、それは生ぬるいと言われる方が相当数いると思うが、これが我が国(いや、先進国一般かもしれない)の若者の現実でもある。生まれてからの成長過程が一昔前とは異なっているのである。
 
 蛇足ではあるが、昨今問題になっている鉄拳をもって指導する「体罰」は、大多数の現代青少年には百害あって一利なしである。
 
 加えて、上図のようにソフト・テイク・オフ方式の方が最終的な到達度が高くなる可能性がある。なぜならば、現代は各教育段階の結節における連続性、整合性が必ずしも整っていないため、総じて各階段への飛びつきが急角度であり、乗り越えるのは相当量のストレスがかかる。その最たるものが受験制度である。そこで脱落した者に対するフォローは十分とは言えない。
 
 辛うじて通過できた者であっても、次の段階で同じような急階段が待ち受けている。最終的に全力疾走により自己を振り返ることなく大学の受験を迎える。
 
 そして、大学に入った途端にそこは癒やしと就職活動の場となり、各人の伸び率は著しく低下する。その伸び率の低さのまま社会人となるので、将来の伸び率もさほど上がらないという構図になりかねない。
 
 その意味では、戦前の教育における予科制度は、なかなか理にかなったものであるし、現代における中高一貫校など、同じ環境で連続的に教育を受けることが一般的に有利であるのは、教育進度の柔軟性のみならず、ソフト・テイク・オフ効果の表れでもあると考える。
 

 そのような現実の中で、秋入学におけるギャップタームは、ソフト・テイク・オフ方式を最終的に行える場として注目できる。平たく言えば、日本の大学生は、高校卒業後5年間で社会人になるための基礎的資質と必要な学力を蓄えるという発想の転換である。


(2)へ続く
 
JBpress.ismedia.jpより引用
 
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今すぐ「自衛隊」という名称の変更を
日本の自主防衛能力を増強する第一歩
ごろアメリカ海軍・アメリカ海兵隊関係者たちとの間でしばしば話題になるのが、先の衆議院選挙における自民党の選挙公約である「自衛隊を国防軍として位置づける」という構想である。
 
 もっとも、われわれの議論は、単に自衛隊を国防軍や防衛軍あるいは単に国軍といった名称に変更することに関する純然たる軍事的話題であって、憲法改正論議とは一線を画するものであることは言うまでもない。
 
 自衛隊の名称変更に関するわれわれの議論の結論を述べると「自衛隊という名称を他の名称に変えるだけでは意味はなく、日本防衛にとって最低限必要な自主防衛能力を保持した精強な戦闘組織にしなければならない」ということになる。これは「自衛隊という名称を変える必要がない」というわけではなく「名称変更も強力な自主防衛能力の構築もともに必要」という趣旨である。
 

“Self-Defense”は個人的な自衛のニュアンス

 英語圏の人々にとっては自衛隊の英語表記である“Japan Self-Defense Forces”の“直訳”は 「日本自衛軍」である。軍事的に自衛隊の“隊”という語義を生かして直訳したいならば“Japan Self-Defense Corps”といったものになるのであって、“Forces”というのは常識的には“Armed Forces”、すなわち軍隊を意味する。したがって“Self-Defense Forces”から受ける語感は「自衛隊」ではなく「自衛軍」なのである。ただし、われわれが問題にしているのは“Forces”ではなく、“Self-Defense”の部分である。
 
 日本での論調の中には、“Self-Defense Forces”と“Defense Forces”という英語表現を、ほとんど同じと見なすものが少なくないようであるが、英語圏では通常“self-defense”という言葉は個人的な自衛という状況で用いられることがほとんどである。
 
 例えば昨年末に発生したコネチカットの小学校での銃乱射事件以来アメリカで議論が沸騰している銃規制問題などにおいても、悪人から自分自身そして自分の家族を護る、すなわち“self-defense”の問題が議論の焦点の1つとなっている。同時に、アメリカで通常“self-defense”というと、この種の自己防衛のための銃の使用や、空手や合気道やテコンドなどを応用した護身術といった、個人的な自衛を連想される。
 
 そして、アメリカやカナダやイギリスなどでは(おそらくそれ以外の国際社会でも同様と思われるが)、いかなる国家といえども他国やテロリストといった外敵の軍事的攻撃から自国民や自国領域その他国益を防衛する「自衛権」は国家の持つ当然の権利でありまた義務である、ということは一般的な常識である。
 
 したがって、そのための道具として活動する軍事組織に、いちいち“self-defense”といった形容詞を付す必要性は感じておらず単に“Armed Forces”(軍隊)と呼称しているのである。
 

「国防軍」という名称の軍隊を持つ国々

 ただし、そのような防衛組織である軍隊をあえて“Defence Forces”(防衛軍・国防軍)といったような呼称をしている国もある。筆者の知る限りでは、現在37の国々が軍隊の名称に“Defence”(米式:Defense)を用いている。
 
世界の国防軍の一覧(その1)
イメージ 1 それらのうち29カ国はイギリス連邦加盟国(うち2カ国は脱退)であり、イギリスの植民地軍から独立国軍隊へと発展したという経緯から、かつての本国軍であるイギリス軍(Her Majesty's Armed Forces)と区別して、植民地領域の防衛のための軍隊という意味合いを強調するために“Defence”を用いたとも考えられなくはない。
 
 イギリス連邦以外では、エチオピアとエチオピアから分離独立したエリトリアがそれぞれ“National Defense Force”ならびに“Defence Force”と名乗っている。エチオピアはイタリアに占領され植民地となった後、イギリス軍がイタリアを駆逐してイギリスの保護領となった後に独立したという経緯があり、イギリス連邦にこそ加盟していないがイギリス連邦の諸国と似通った経験を持っている。
 
世界の国防軍の一覧(その2)
イメージ 2 フィンランドとエストニアは、それぞれ隣接する強大なロシア・ソ連に侵攻された歴史的経緯から、あえて防衛を強調する“Defence Forces”を名称にしていると考えられる。
 
 同様に、ロシアの脅威と常に直面し続けているだけでなく中立を標榜するスウェーデンは、やはり防衛を強調するために国防軍を名乗っている。ただしスウェーデンの軍隊もフィンランドの軍隊も、ともにスウェーデン語では“Försvarsmakten”、すなわち「国防軍」となっているが、英語表記ではスウェーデンは“Swedish Armed Forces”としており、フィンランドは“Finnish Defence Forces”としている。
 
 周囲を全て「敵」に囲まれた地に建国されたイスラエルは、建国当初より周囲の国々からの剥き出しの敵意と軍事的圧力や軍事攻撃に曝されていた。したがって、「防衛」を強調してもしすぎることはない国柄であり、自然とヘブライ語で「イスラエルを防衛する軍」すなわち“Israel Defense Forces(IDF)”という周囲の敵からイスラエルを防衛するという使命を強調した名称の軍隊が創建されたわけである。
 
 ドイツ(ドイツ連邦共和国)の場合は、ドイツ語では“Bundeswehr”となっており、直訳すると「連邦防衛」(Federal Defence)ということになる。ナチス・ドイツが軍隊を国防軍(Wehrmacht、Defence Force)と名乗っていたため、ナチスとの非連続性を強調するため、現在のドイツでは「国防軍」という名称は用いることができない。しかし、日本と同様に第2次世界大戦敗戦国であり侵略国のレッテルを張られてしまったドイツは、防衛を強調する必要があるため“wehr”(defense)という形容詞を軍隊に冠したいため、“Bundeswehrという、奇妙な名称になっている。もっとも“Bundeswehr”の英語表記は、“Armed Forces of the Federal Republic of Germany”(ドイツ連邦軍)となっている。
 

あえて弱々しい名称を採用した日本

 上記のように、理由は様々でも、ともかく「防衛」を強調するためのネーミングとしては“Defence”(あるいは“National DefenceやPeople's Defence”)といった形容で十分であり、個人的な防衛あるいは護身といったニュアンスが強い“Self-Defense”という語を用いているのは日本だけである。
 
 自衛隊を発足させるに際して、“いかなる国家といえども保有している自衛権”を行使するための“軍隊よりも小さな実力組織”という憲法解釈を表象することが必要だった。そこで、軍事的には自衛という意味合いも包含する“Defense”(防衛・国防)ではなく、より弱々しいニュアンスを持つ“Self-Defense”すなわち「自衛」という語を用い、“Forces”に該当する日本語には「軍」よりも小さな組織を意味する「隊」を割り当てて「自衛隊」という単語を創造したと考えられる。
 
 したがって、個人レベルでの自衛に用いられる“Self-Defense”が冠せられている自衛隊という名称を、英語圏の人々それも軍事専門家が異様に感じるのは至極もっともなことであり、自衛隊という奇妙な単語を創造した人々の思惑は見事に成功したと言えるのである。
 

名称変更は自主防衛能力構築の第一歩

 冒頭でのわれわれの議論に話を戻そう。
 
 「自衛隊を国防軍にしようといっても、自主防衛能力を強化した軍隊に変容させることが眼目であるのだから、名称それ自体はさしたる問題はないのではないか」という意見も出た。それに対しては、「“Self-Defense Forces”では戦闘意欲(will to fight)が感じられないので、国家の防衛を担当する軍隊の名称にはふさわしくないのではなかろうか?」という意見が優勢を占めた。
 
 結局、防衛のための戦闘という意気込みが薄まってしまう“Self-Defense”を省いて単に“Japan Armed Forces”(日本軍あるいは日本国軍)とするか、精強無比なイスラエル軍(Israel Defense Forces:IDF)のように“Japan Defense Forces”(日本国防軍あるいは日本防衛軍)といった名称にした方がよいのではなかろうかと結論した。
 
 この議論はなにも自衛隊という名称では自衛隊員たちの士気が上がらず「イザ防衛戦」というときに戦闘意欲が生じないのではないのか? といった具合に、自衛隊将兵に向けられた危惧ではないことを付言しておかねばならない。すなわち、われわれの議論においては、自衛隊という弱々しい名称では、それを用いて国防の責任を預かる政治指導者や、なによりも日本国民自身の国家防衛に対する戦闘意欲が醸成されない、ということである。
 
 民主主義国家においては、もちろん外敵との戦闘に直接従事するのは軍隊であるが、国民全体に防衛戦を戦い抜く強固な戦闘意欲がなければとても国家防衛を完遂することはできない。したがって、国防は自衛隊だけの仕事ではなく自分自身も国防の責任を有する日本国民であることを自覚するためには、日本を防衛する戦闘に従事する軍隊というイメージが強い名称は必要である。
 

 このような意味では、名称変更だけでもそれなりの意義がある。日本の自主防衛能力を増強する第一歩として、憲法改正などを必要としない「自衛隊」の名称変更だけでも即刻実施すべきである。


JBpress.ismedia.jpより引用
 
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米海兵隊と陸自が大規模共同訓練を実施
日本自前の「水陸両用戦」能力獲得に向けて
リフォルニア州海岸線最南端の風光明媚な都市サンディエゴ市には、アメリカ海軍太平洋艦隊の第3艦隊司令部をはじめとして大規模な海軍関連施設と、映画「トップガン」の舞台となったアメリカ海兵隊ミラマー航空基地がある。そのミラマー航空基地から車で北に30分ほどフリーウェイを走るとアメリカ海兵隊のキャンプ・ペンドルトン基地に到着する。
 
 「基地」と言っても、第1海兵遠征軍司令部をはじめ様々な部隊の司令部や兵舎、航空基地、レーダーサイト、海軍エアクッション艇基地、各種学校、数多くの訓練施設、長大な訓練用海岸、広大な訓練用丘陵地、それに軍人・軍属の住宅や学校や商業施設などを含む面積およそ500平方キロメートル(大阪市の2倍以上)の広大な土地である。
 

8回目となる日米共同訓練「アイアンフィスト」

 このキャンプ・ペンドルトンを本拠地にして、アメリカ海兵隊第13海兵遠征隊(クリストファー・テイラー大佐が指揮を執るおよそ1000名の部隊)と、日本の陸上自衛隊西部方面普通科連隊(國井松司一佐が指揮を執るおよそ250名の部隊)の共同訓練「アイアンフィスト 2013(IRON FIST 2013)」が1月22日から開催されている。
 
アイアンフィスト 2013の開会式(写真:USMC)
イメージ 1 アメリカ海兵隊と陸上自衛隊の共同訓練であるアイアンフィスト(鉄拳)は、毎年この時期にキャンプ・ペンドルトンを中心に実施されており、今年で8回目になる。
 
 「第1海兵遠征軍は、毎年およそ20の共同訓練や合同行事を各国の軍隊と実施しているが、アイアンフィストはそれらの中で最も規模が大きく重要性が高い訓練である。このことは、日本との軍事関係をアメリカ合衆国が極めて重視しており、日本が太平洋諸国の中でも非常に重要なパートナーかつ友人であることを反映しているのである」という第1海兵遠征軍副司令官メルビン・スピース少将の言葉で、今年の訓練は開幕した。
 

陸自が水陸両用戦を体感し、米海兵隊との相互信頼も確立

 実際の共同訓練はキャンプ・ペンドルトンだけでなく周囲の訓練地も使って大規模に実施される。
 
 キャンプ・ペンドルトンから100キロメートルほど内陸に入ったトウェンティナイン・パームスの海兵隊空陸戦闘センターという総面積2413.2平方キロメートル(神奈川県程度の広さ)の訓練場では、各種実弾砲撃訓練、近接航空支援訓練、長射程砲撃訓練などが第13海兵遠征隊とともに行われている。
 
 さらに、サンディエゴから東方およそ100キロメートルの太平洋上に横たわるサンクレメンテ島にアメリカ海軍強襲揚陸艦「ボクスター(Boxter)」を中心とする水陸両用戦隊に第13海兵遠征隊と西部方面普通科連隊部隊が乗り込んで接近し上陸する本格的な水陸両用戦訓練も実施される(サンクレメンテ島には、アメリカ海軍航空施設と、海軍特殊部隊「シールズ(SEALs)」の訓練施設がある)。今回は、MV-22Bオスプレイによる兵員搬送も実施される予定である。
 
アイアンフィスト 2013の開会式で歓談する(左から)
國井一佐、テイラー大佐、スピース少将(写真:USMC)
イメージ 2 また、本拠地であるキャンプ・ペンドルトンでは、市街地戦訓練や機械化歩兵戦闘訓練、それにレッドビーチと呼ばれる訓練用海岸における強襲上陸戦訓練などが実施される。
 
 このように極めて充実した共同訓練は3週間ほど実施され、2月15日にキャンプ・ペンドルトンで閉会セレモニーが行われる運びとなっている。
 
 「アイアンフィストでの自衛隊部隊との共同訓練そして自衛隊員との交流は、戦士としての絆を確立し、個人的な親交を深め、お互いの文化を理解するとともに、個人的な戦術的技量を高め、そしてわれわれの(海兵隊と自衛隊の)水陸両用戦能力を向上させる」と第13海兵遠征隊司令官のテイラー大佐は語った。つまり、アイアンフィストでは陸上自衛隊に水陸両用戦というものを体感してもらうという側面とともに、アメリカ海兵隊と陸上自衛隊の相互信頼を確立しようという側面も大きな目的の1つとなっている。
 

現代の水陸両用戦能力の形とは

 実際に、四囲を海に囲まれ多数の島嶼と長大な海岸線を有する島嶼国家であるにもかかわらず、そのような島嶼国家防衛に必要不可欠な水陸両用戦能力を保持していない陸上自衛隊にとってアイアンフィストは極めて貴重な機会と言える。
 
 水陸両用戦能力(“Amphibious Warfare Capability”、あるいは単に“Amphibious Capability”)の“amphibious”という語はカエルやサンショウウオなどの両棲類を意味する“Amphibia”から取り入れられた言葉であり、陸上戦闘部隊が軍艦に乗って敵地に接近・上陸して実施される海岸線から沿岸域での戦闘能力を意味する軍事用語として用いられ始めた。
 
 第1次世界大戦のガリポリ上陸作戦や、第2次世界大戦におけるサイパン島や硫黄島そして沖縄をはじめとする太平洋の多数の島嶼で繰り広げられた日米の死闘、それに連合軍がドイツ軍にとどめを刺すためにフランスに侵攻したノルマンディー上陸作戦などが水陸両用戦のイメージとして定着している。つまり、防御側が海岸線や島嶼に立てこもって待ち受けている前面に侵攻側が上陸を敢行する強襲上陸作戦が水陸両用戦と考えられている。
 
 しかし、現代の水陸両用戦はこのような強襲上陸作戦だけでなく、様々なヘリコプターや攻撃機といった航空機を活用して「海から陸上戦闘部隊が海と空を経由して陸に到達し、陸では航空部隊と共同で陸上戦闘部隊が作戦を実施する」という、海と空と陸を全て活用した戦闘形態を意味するようになっている。したがって“amphibious”の意味合いが「水陸両用」から「水陸空併用」へと進化しているわけである。
 

陸自と海自の共同作業のシミュレーションにも

 アイアンフィストでは、まさに水陸空併用戦能力としての“Amphibious Capability”に関する各種訓練が凝縮されて実施されている。
 
 アメリカ海軍揚陸艦に第13海兵遠征隊と西部方面普通科連隊部隊の隊員たちが乗り込んで、サンクレメンテ島やキャンプ・ペンドルトンのレッドビーチなどに接近上陸する訓練は、伝統的な海(揚陸艦)から海を経由(汎用上陸用舟艇「LCU」、エアクッション揚陸艇「LCAC」、水陸両用強襲車輌「AAV7」を使用)して陸に到達する訓練と、海から空を経由(ヘリコプター、オスプレイを使用)して陸に到達する訓練がミックスされたものである。
 
 これらの「海から海と空を経由して陸に到達する」訓練では、とりわけ海兵隊と海軍水陸両用戦隊の密接な連携が必要不可欠であり、陸上自衛隊にとっては、将来の日本自前の水陸両用戦能力を構築するために避けて通れない(というより、中心的課題となる)海上自衛隊との密接な共同作業のあるべき姿を観察し習得するまたとない機会と言えよう。
 
 また、広大なトウェンティナイン・パームス空陸戦闘センターで実施される近接航空支援訓練は、現代の水陸両用戦(すなわち水陸空併用戦)にとって不可欠な陸上戦闘部隊と航空部隊の連携行動の訓練である。
 
 アメリカ海兵隊は、海兵隊自身が陸上戦闘部隊だけでなく航空戦闘部隊や輸送航空部隊を保有しており、「空陸戦闘センター」の名称が示しているように海兵隊内での陸上部隊と航空部隊は切っても切れない関係になっている。
 
 実際に、「海から陸上戦闘部隊が海と空を経由して陸に到達し、陸では航空部隊と共同で陸上戦闘部隊が作戦を実施する」という特徴を持ったアメリカ海兵隊が独自に生み出した戦闘組織構造は、「海兵空陸任務部隊」(MAGTF:マグタフ)というシステムであり、その名称が示すように海兵隊の陸上部隊は航空部隊と一体になっている(この構造を理解しなければ、普天間基地移設問題を軍事的に議論することはできない)。
 
(注:MAGTFに関しては拙著『アメリカ海兵隊のドクトリン』<芙蓉書房出版>、あるいは『海兵隊とオスプレイ』<並木書房>を参照されたい。)
 
 このように、アイアンフィストに陸上自衛隊の部隊が参加することによって、アメリカ海兵隊における「陸」と「空」と「海」の密接な関係が現代の水陸両用戦の根幹をなしていることの片鱗を身をもって認識することが可能である。
 
 また、海兵隊側の意図も、海兵隊から水陸両用戦の何たるかを学び取って日本が独自の水陸両用戦能力を構築する一助になることこそ、真の軍事同盟としての日米同盟が強化される推進力になる、というところにある。
 

待ったなしの水陸両用戦能力構築

 島嶼国家日本にとって水陸両用戦能力は国防のために必要不可欠なだけでなく、東日本大震災のような大規模自然災害に際しても獅子奮迅の働きをする、まさに国民と国家にとって極めて有用な公共財たり得る軍事力ということができる。
 
 皮肉なことに、過去半世紀以上にもわたってアメリカ海兵隊が沖縄を中心として日本に駐留を続けてきているおかげで、自衛隊が自前の水陸両用戦能力を構築してこなくとも日本が他国の侵攻を受けるような事態に直面することはなかった。
 
 しかし、アメリカの軍事力の相対的低下や中国人民解放軍の台頭、それにロシア極東軍復活の兆し等々、日本を取り巻く軍事環境は、日本がいつまでも独自の水陸両用戦能力を構築しないでアメリカ海兵隊・海軍に頼り切っているという他力本願の構図を許さない状況に突入している。
 
 現在ゼロに近い日本独自の水陸両用戦能力を短時日のうちに構築するには、広範囲にわたる分野(海と空と陸にまたがる水陸両用戦能力は、極めて複雑で多数の専門分野から構成されている)での努力が必要となる。それらの一環として、水陸両用戦の実態を直接海兵隊から習得する機会を与えられた陸上自衛隊は、貴重な経験を参加した部隊だけにとどめるのではなく、また陸上自衛隊だけに囲い込むのではなく、防衛省・自衛隊全体で共有し、日本自前の水陸両用戦能力構築に活用する必要がある。
 

 もちろんそのためには、政治家やマスコミなどによる適正な理解と具体的行動(当然のことながら国防費の増額や、各種法令の見直し)が必要なことは言うまでもない。


JBpress.ismedia.jpより引用
 
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グレーゾーン・想定外に対処できる自衛隊にせよ!
本来の軍事組織たらしめよ!
 
(1)からの続き
 
 サイバー攻撃へのカウンター攻撃は、相手の特定困難性があり、例え特定したとしても従来の防衛出動の要件に該当するのかどうか疑わしい。また、行うカウンター攻撃が果たして武力の行使なのかも法律的には疑わしいと思われる。
 
 さる識者が、日本は「こと」が起きるたびに法律を整備してきたが、例え100の事態に対応する100の法律があっても101番目の事態には対応できないと嘆いていたが、蓋し至言、正にその通りである。いかに精緻かつ巧妙な法体系を構築しても万全ということはあり得ないはずだ。
 
 事態に対応する101番目の法律を迅速に制定できるというのだろうか?
 
 決められない政治が機能するはずがない。制定された時には事態は全く別の位相に進展しているかもしれない。
 
 101番目を制定し、さらに102番目をもと、次から次へと法を制定したならば、日本は法の海の中に埋没してしまう。
 
 あまりに細かに規定することは現場の自主性や柔軟性を奪ってしまう。疑義あるたびに上級司令部にお伺いを立てなければならなくなる。対応する前に防衛関係法律集を首っ引きで捲るという仕儀になりかねない。
 
 また、常に法律違反になるのではないかとの懸念があり、当然の対応を行うことを躊躇させることも在り得るかもしれない。このように考えると、軍に関する活動をすべて事細かに規定することには無理がある。
 
 新大綱はあらゆる事態にシームレスに対応することを目指し、動的防衛力を構築・運用するとしているが、防衛力を効果的に運用するために、自衛隊の行動に関する規定を抜本的に見直す必要があるのではなかろうか?
 

6 なぜこのような状況に陥ってしまったのだろうか?

 日本は法治国家であり、日本の行政機関は須らく、その活動の根拠を法律に依拠している。自衛隊も例外ではない。自衛隊も国家行政機関の一翼を担うのだから、当然だとの考えから、自衛隊の行動は事細かに法律で規定されている。
 
 一方、列国の軍隊においては自衛隊のように事細かな法律による規定はないようだ。
 
 先行研究によれば、『我が国の防衛法制は警察法的な法体系になっており、その規定の仕方は、いわゆる「ポジリスト」方式で、原則禁止で「できること」が定められている。すなわち、自衛隊の行動にはすべて法律の根拠が必要で、それに定められていないことはできないとされる。これは諸外国の軍隊を規律する法規が、いわゆる「ネガリスト」方式で原則自由で、国際法でできないとされること以外は何でもできるのと対照的である』と。
 
 我が国はそういう意味では特異な国家である。なぜこのようになってしまったのか?
 
 いろいろな見解があろう。戦前旧軍が暴走した反省から、法律で厳しく規定する必要があるのだとか、あるいは、自衛隊を創設しその骨格を定めたのは内務官僚であり、警察的発想で自衛隊に関する法律を制定したから、このような法体系になったとの見解も表明されている。
 
 また、自衛隊は警察予備隊として創設され、それが保安隊そして自衛隊になったのであり、自衛隊が国際的には軍事組織とされた後も、従前の法的感覚で法律が制定されたからであるとも。
 
 さらには、自衛隊は軍隊ではなく国家行政組織だからこのような体系になるのは当然だとのシニカルな見方もある。恐らく、これらの全て見解は正しいのだろう。
 

7 どうすべきか?

 自衛隊を国内法的にどう位置付けるかがキーポイントである。国家防衛の主体たる自衛隊を、あくまでも国家行政機関の一部とするのか、軍隊として明確に位置づけるかを、明確にする必要がある。
 
 現状の歪な状態を是正するためには、軍隊として明確に位置づける必要があろう。軍隊と明確に位置付けることで、(先般の小生の問題提起である)軍法会議の設置に係る問題点も解決されよう。
 
 国際標準の軍事組織と位置づけて、その上で行動に関する諸規定をも国際標準にする必要がある。
 
 この場合、6項で述べたように、自衛隊の行動を、今までと同じようにポジリストのままに据え置くのか、それとも国際標準であるネガリスト方式に改めるのかを検討する必要がある。
 
 ポジリスト方式は、軍隊組織の運用についてじっくり検討して結論を得ることができるという利点があるが、反面、事態への即応性・柔軟性では極めて劣ったものになると考えられる。
 
 ネガリスト方式の場合は、各種事態に適時適切に対応できる反面、政治による軍のコントロールの適時性・的確性で劣るという側面がある。
 
 言うまでもなく、自衛隊の行動には対国民(国内作用)の面もあり、それらは国民の権利・義務にかかわることでもあり、警察法と同じく、いろいろな権限の制約等があってしかるべきだろう。
 
 警察官の職務遂行上の原理原則である「警察比例の原則」等の諸原則が基本的には適用されるのは当然である。
 
 もちろん、対外的活動においても、常に無制限の武力の行使が認められているわけではない。任務を達成するために必要かつ事態に応じ合理的な範囲での武力行使が認められていると解するべきだ。それを担保するのがいわゆるROE(交戦規定)である。
 
 もちろん、軍の行動を一刀両断に対国内、対国外行動と区分してネガ、ポジリスト化するのは乱暴である。
 
 ネガを主とする行動であっても、それらの行動の対象が状況によっては対国民となる場合がないわけではない。その場合に無制限な武力行使が許されるはずがない。そこはROEで規定することになろう。
 
 このような発想の大転換が行われれば、政治決断により、警察機能的な行動から国家防衛の一環としての行動までがシームレスに対応できるのであり、今検討されているような領域警備法的なものは、必要なくなるのかもしれない。
 

8 政治の責任は極めて大である!!

 自衛隊の運用にあたって、今までのように法律の字義解釈に狂奔するのではなく、政治が、当面あるいは予測される事態に応じ適切な運用を決定し命令すればいいのである。
 
 当面するあるいは予期する事態を直視し、いかに合理的な決定をするかの責任を政治家は負うているのだ。
 
 自衛隊を真に公共財足らしめるために、政治家が軍隊の運用に関する識能を磨く必要がある。明治時代は政治家が軍事を十分に理解しその運用を効果的ならしめたので、あの興隆があったのだろう。
 
 時代は下って、昭和になると軍事と政治が分化し、疎遠になったために日本は破滅への道を転がり落ちていったとも言える。
 
 軍隊は暴走する習性・習癖を具備していると誤解している人も多いようだが、少なくとも現在の自衛隊にはそのような気風は全くないと断言できる。
 
 言うまでもなく、先進民主主義国家では政治による軍事のコントロールがスムーズに行われている。ネガリスト方式に改めて、政治による軍事統制システムを確実に機能させればいい。
 
 具体的には事前または事後の速やかな国会承認を条件として政治コントロールを担保する必要があろう。
 
 ネガリスト方式による自衛隊の運用を適切に行うためには、国家中枢軍事最高司令部が有効に機能しなければならない。多言するつもりはないが、WAR CABINET的な組織が必要であり、それを補佐する軍事専門組織も重要だ。
 
 いずれにしろ、政治の責任は大きい。そして政治はこの重みに耐えねばならない。
 

9 終わりに

 近年、憲法改正に関する議論が賑やかになってきた。その焦点は言うまでもなく憲法第9条であり、自衛隊を憲法上どのように位置づけるかである。
 

 自衛隊が国際的標準の軍隊と位置付けられるのであれば、その任務・機能・役割を十全に発揮できるように防衛に関する法制を見直すべきである。


JBpress.ismedia.jpより引用
 
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