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ぎりぎりと予算を絞られる自衛隊
財務省からアウトソーシングと人員リストラのプレッシャー
2011.12.14(水) 桜林 美佐:プロフィール 12月は「戦いの月」だ。開戦記念日や赤穂浪士の討ち入りがあるからではない。12月は、予算を巡って熾烈な「戦い」が繰り広げられているのだ。防衛省でも夜遅くまで担当者が作業にあたり、財務省との調整が行われている。
そもそも自衛隊が対峙すべきは、わが国を脅かす敵である。予算獲得のために優秀な人材を充てて疲労困憊させることは国益に適うとは思えないが、この構図は相変わらずのようだ。
震災の教訓はどこへ行ったのか 今、私がとても残念に思っていることがある。いろいろなところで自衛隊の組織力について書いたり、話をしてきたと自分では思っていたが、実は世の中にあまり伝わっていなかったということだ。
未曽有の災害派遣となった東日本大震災で、自衛隊が大きな成果を残すことができた要因には、これまで「辛抱強く」培ってきた自衛隊の自己完結能力があった。
その能力が、被災地での給食支援や駐屯地への被災者受け入れなども可能にしたのである。自衛隊を構成する「人の力」がいかに大事か分かった・・・、はずであった。
ところが、政府の防衛費に対する認識は相変わらず厳しいものがある。結果的に震災の教訓も、これまでの流れに歯止めをかけることにはならなかったのだ。
例えば、陸上自衛隊の糧食はこれまで隊員が作っていたが、アウトソーシング化が進められ、給食の能力については野外訓練で担保する方向性だった。
しかし震災が発生してみると、委託している業者は機能不全に陥り、駐屯地などに来ることすらできないという状況となってしまったのだ。
こうしたことから、何らかの見直しがなされてしかるべきと思ったが、早くもこの教訓を忘れ、いや、震災時の涙ぐましい様子も全く意に介されなかった。
「年寄りは役に立たない」という短絡的な声 人員の話をする際によく指摘されるのが、いわゆる「逆ピラミッド型」となっている陸自の年齢構成だ。相対的に給料の高い「曹」クラス以上が多くなっていて、「陸士」などの若い隊員の入る余地が狭められているのだ。
これに対し、「年寄りがたくさんいても役に立たない」などという厳しい指摘や、「若い隊員を増やして精強化すべし」といった論も聞かれる。だが、これはいささか単純かつ短絡的な見方ではないだろうか。
確かに、防衛費の約4割を人件費・糧食費が占めるという点からすれば、この逆ピラミッド型になってしまっている影響は大きい。経済情勢などが読み切れなかった陸自の落ち度と言われてもやむを得ないかもしれない。
しかし、この構成が「精強さに欠く」かと言われれば、決してそうは決めつけられない。だいたい「年寄り」と言っても、せいぜい50代そこそこであり、世間一般ではまだまだ現役世代だ。若い隊員の方が気力・体力ともに優れているとは一概には言えない。
実際、今回の災害派遣においては、遺体の収容などでショックを受ける若い隊員の心を支え、自ら進んで作業にあたったのはベテラン隊員たちだった。陸海空問わず、彼らが果たした役割は大きく、必要とされている人たちなのだ。
最善策はベテラン自衛官の受け皿会社の設立だが それでも彼らの早期退職を望むのであれば、何かしら次なる道を用意する必要がある。
最善策は、受け皿会社を設立し、現在、アウトソーシング化を進めている自衛隊の様々な業務を請け負ってもらうことではないかと思う。
もちろん、現実にはそう簡単ではない。
業者の選定は競争入札になっており、どこかを特別扱いすることはできない。また、特殊なノウハウを有するなど条件を厳しくすればよい、とも言われるが、その場合「競争を阻んでいる」などと言われかねず、これもなかなか難しい。
そもそもアウトソーシングは、情報保全などに十分に注意しなければならないが、個人情報の保護が厳しく問われるこのご時勢、入札する企業の社員やその家族、さらに外国人の関与などをどこまで調べることができるだろうか。その点、身元が明らかなOBであればそういった心配はないはずだ。
ただ、アウトソーシングには、自衛隊の自己完結能力を削ぐという、組織の根本を左右する大きな問題があることを忘れてはならない。傾倒しすぎれば、自衛隊そのものの性質自体が変わってしまうのだ。
それに、この費用は防衛予算の中の一般物件費から捻出されており、結局は物を買ったり、活動する予算を圧迫するという問題もある。
基盤維持、防衛産業に理解のない自衛隊員も また、財務省からは、後方任用制度、いわゆる「準自衛官」の導入が提案されている。
これは、自衛官でなくてもできる職種については、事務官・技官に準じる立場とするもので、人件費の抑制が目的だ。他省庁がここまで言うのは、もはや僭越と言うしかないが、財務省も必死なのだ。
国防には、「どれだけあれば足りるのか」という問いに対する答えがない。そのため、削減は際限なく行われる危険性がある。
装備に関しても同じことが言える。当面の防衛力を整備するための観点と、基盤維持の観点は別次元であることがあまり理解されていない。
実は、現役の自衛官でもこれらを混同しているケースが少なくない。残念ながら、OBの方の中にも基盤維持という言葉に理解がなく、防衛産業に対して「上から目線」の発言をする人もいるのだ。
はたから見ると、財務省は防衛省・自衛隊の組織に対して口を出し、自衛隊は防衛産業を見下ろしている構図が分かる。
今はまだ、そんな構造で成り立っているが、そのうちに、いじめたくても相手はもう息絶えている・・・なんて状況になるのだろう。そうなってしまってからではもう手遅れである。 ↓記事を読み終わりましたら、こちらにもクリックをお願いします。m(_ _)m
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陸上自衛隊
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南スーダンPKOへ部隊派遣の前にすべきこと
隊員の献身的努力だけに支えられてきた19年間
2011.10.26(水) 榊枝 宗男 (1)からの続き
具体的にはアフリカを5個の地域(東部、西部、南部、北部、中央部)に分け、それぞれの地域部隊(旅団)を持つ。東部(EASBRIG)、西部(ECOBRIG)、南部(SADCBRIG)、北部(NASBRIG)、中央部(ECCASBRIG)から構成され、各旅団は文民部門(警察部門を含む)を含むとされている。
ASF全体のスケジュールは第1段階(ASF設立に関する枠組み合意文書の策定・採択、組織体系の決定など)を終了し、第2段階(ASFの細部任務の確認、平和維持活動のための組織整備、運用コンセプトの深化、ASF全力展開を必要とする事態への対応力の強化、枠組み文書を根拠とする訓練、演習、ロジスティックスに関する文書整備)、現状の確認レビューを実施している。
さらには今後、第3段階として地域部隊ごとの演習(図上演習、指揮所訓練)を実施後ASF全体での図上演習を実施しASFの運用を図る予定である。
このアフリカ待機軍制度を後押ししているのは国連、EU、日本であり、国連PKO派遣の前に、アフリカが自らの平和構築へ努力をしている現状を認識しさらなる協力分野を探すべきである。
ASFに決定的に不足する機能は、大規模部隊を移動させる輸送力であり、旅団クラスの戦略機動は決定的に質、量ともに不十分である。
仮に我が国が有する海上自衛隊の「おおすみ」「ひゅうが」クラスの補給艦が提供されれば、5個の地域からの戦略機動能力が高まる。内陸部の輸送は大型輸送機、ヘリなどが期待されるがアフリカの地域性からその運用は限定される。
4 政府としての判断基準を明確に!
以下、PKO等国際平和協力活動への提言(私見)である。
国際平和協力活動等派遣の判断基準(CRITERIA) 国際平和協力活動はいかにあるべきか、この問いの答えとして「国際社会の奉加帳である」と考える。国力、国情に勘案して以下の必要条件を具備し、かつ判断基準を満たすものに積極的に参加すべきと信ずる。
(1)必須条件
ア 成功する見込みがあること イ 十分な資源が適応されること ウ 派遣期間及び地域的範囲が限定されていること(終始時期が見えないものには参加しないこと) (2) 判断基準
ア 日本の国益に合致すること、すなわち派遣の大義があること (地域、同盟、人道的利益、国民の支持) イ 日本が参加することで効果が上がること ウ 日本の防衛や災害派遣等への影響がないこと エ 派遣部隊にどのような訓練が必要か、また隊員にどのような危険が及ぶのか精査し得ること 私がPKO派遣を主務とする陸上幕僚監部防衛部国際協力室長として平成10年6月武器使用基準がそれまでの隊員個人の判断で正当防衛の範囲において許されたが、改正により上官が現場に在る時は現場の上官の命令によることとなった。
UNDOF5次隊への武器使用説明:筆者
日本の規則(基準)についてUNDOF側の評価は高く、同参謀長からもさらなる改正により1日も早く国連スタンダードいわゆるBタイプの武器使用を実施できるよう要望がなされた。
最後に参謀長の日本隊への評価は「極めて優秀である」と述べ、佐藤隊長以下全員が深夜まで黙々と任務を遂行している姿は他国の隊の模範であり、1個小隊(輸送隊)でなく1個大隊クラスの派遣を希望したいとする旨の発言もあった。
政府与党調査団随行当時のコステルス司令官の心配は、1次隊佐藤正久3佐(現参議院議員)らの寝食を忘れて輸送任務を黙々と達成したことにより、完全に解消された。
後日談として、1999年藤縄祐爾陸上幕僚長はオランダ公式訪問時、在オランダ日本国大使館において日本隊をUNDOFに受け入れ、ピースキーパーとしての若葉マークから卒業させて頂いたステルス退役少将の功績を評価して感謝状贈呈を行った。
英文の感謝状を朗読する私に4年前のUNDOF司令官としてその孤高の厳しさを持って、日本隊を教育訓練し一人前にした情熱を感じることができた。
このように日本隊のPKOは極めて高い評価を得てこられたのは現場の隊員一人ひとりがその使命を自覚し、完璧に任務を遂行してきたからである。
政治はその不意不作為に溺れず、隊員が緊急時、武器使用に関し他国から批判されることのないよう環境を十分に整備することが役目である。
5 結言、我が国ができること
すべては自衛隊が軍隊なら起こらない論議から起きている。これまで繰り広げられてきた国内で自衛隊の派遣は是か非かの論議ごっこは、自衛隊が軍隊なら起こり得ないことである。
イデオロギーや主観の違いにより果てしなく切り替えし、現場の声や現実と無縁である。自衛隊が軍隊として憲法上明確に位置づけられれば堂々巡りの論議に終止符を打つことができる。
政府も国民もあえてこの問題に踏み込まない限り、国際社会の信頼と尊敬をPKO分野で期待することはできない。最高指揮官野田佳彦総理のお言葉だけではなく、真に国際社会の信頼と尊敬を得るための日本国としての覚悟を見せていただくことを強く願う。 JBpress.ismedia.jpより引用
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南スーダンPKOへ部隊派遣の前にすべきこと
隊員の献身的努力だけに支えられてきた19年間
2011.10.26(水) 榊枝 宗男
1 概 要
航空観閲式巡閲中の野田総理(10月16日)
PKO派遣については1992年の国連カンボジアPKO(UNTAC)への初めての派遣から、その都度国会の争点として与野党の論戦の的になってきたことは記憶に新しい。
現在において国民の多くの支持を得ていることから、単に派遣を決定するだけでは武器使用などの極めて重要な課題を失念していると言えよう。まさに画龍点睛を欠くである。
1996年2月、当時在エジプト日本大使館防衛駐在官であった私は、時の与党3党・自社さの村山富市政権が初めて中東イスラエルとシリアの国境に展開する国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)への我が国参加の可能性を調査する政府与党調査団を派遣した時のことを思い出す。
外務省からの調査団の随行員としてシリアへ応援出張を命じられ現地調整を幾度か行い、社会党の早川勝調査団長はじめ自民党大野功統議員、中谷元議員、森田健作議員、さきがけからは当選間もない現与党民主党前原誠司議員ら8人の調査団の到着を待った。
当時UNDOF司令官は我が国の参加に懐疑的なオランダ陸軍コステルス少将である。その理由は、日本の武器使用基準が国連スタンダードであるいわゆるBタイプの武器使用(任務達成のための武器使用)を認めていないことを事前にニューヨーク国連本部から知らされていた。
すなわち、我が国の武器使用は憲法が禁止している集団的自衛権行使と解釈されていた。調査団一行は、司令官訪問予定時間を大幅に遅れシリア側のキャンプファウアールに所在するUNDOF司令部玄関に到着する。
政府与党調査団一行(ゴラン高原)
事後司令部内でUNDOF部隊のブリーフィングを受け、最後に司令官の言葉が日本のUNDOF参加へ冷や水をかけるような次の強烈な一言があった。
武器使用が国連スタンダードでなければ司令官として「UNDOFに制服を着たシビリアン(文官)は必要ない!」。
この強烈な言葉に、同席した後藤シリア大使の表情が厳しくなった。調査団議員への通訳がコステルス司令官の結言を伝えたところ社会党議員の1人は机を叩き、随員の大使館員に「車を回せ、帰る!」との騒動に、元々派遣には不同意であったためなのか。
この場にいた自社さ8人の国会議員は国際社会におけるPKO参加・派遣条件のハードルの高さを垣間見たものと思う。
現与党前原誠司政調会長もその現場に遭遇し、真剣に我が国が国連PKOに参加する場合の大きな問題点として武器使用基準を速やかに国連スタンダードBタイプにしなければ国際社会で和平を構築するという目的にかなわないと痛感したはずである。
しかし、あれから16年の月日が経つがどうか。16年目を迎えたゴランPKO第31次隊43人が派遣され引き継がれている。
さらには1992年UNTAC(国連カンボジア暫定機構)派遣から19年が経つが、PKO派遣5原則のままに、武器の使用基準が現場の隊員の立場になって見直されつつあるが、いまだに国連標準いわゆるBタイプの武器使用は我が国では認められていない。
航空観閲式観閲官訓示(10月16日、百里)
現在、ゴラン高原UNDOF(45人)のほか、国連ハイチ安定化ミッション(350人)、ジブチ派遣海賊対処航空隊(陸海250人)へも部隊派遣が行われ、またスーダン、ネパール、東チモールの個人派遣等がなされているところである。
10月16日、航空観閲式で、観閲官でもありまた最高指揮官でもある野田佳彦総理の訓示に「南スーダンPKOへの部隊派遣は国際社会から信頼、尊敬される国になるためには一層取り組む」とあった。
これまで、我が国のPKO、国際協力活動などの現場はまさに薄氷を踏む思いで部隊を送り出し、19年間、1発の銃弾を撃つことなくかつ1人の殉職者を出すことなく今日までこられたのは、幸運の連続と派遣自衛官の涙ぐましい真摯な努力のみにすがってきたのである。
それゆえ今後も引き続き、隊員の努力のみに頼ることには限界があうことから、国際社会からの期待に応えられるよう武器使用に関する法整備を早急に行うことを期待したい。派遣される自衛官の気持ちを代弁するものである。
実際、国際社会から見た我が国の武器使用問題を巡る法律論議が奇異な現象であると見られていることは否めない。こうした政治の曖昧さを持ったまま南スーダンPKOへ参加する隊員の皆さんが現地で自信を持って任務を遂行する基盤をつくるのが政府の役目であろう。
私は2009年6月アフリカPKOセミナーにメンターとして招聘された際に、国際平和協力活動派遣に関し、日本国として明確な判断基準(CRITERIA)設定の必要性について痛感し、本稿の最後にその私見を述べる。
2 南スーダンPKOはアフリカ連合(AU)を視野に入れよ
「アフリカの平和構築はアフリカの手で!」とするアフリカ連合(AU)の理念が存在する。そのAU平和安全保障アーキテクチャー(APSA)の制度設計に当たって、国連の集団安全保障体制と類似し、AUがその中心となってその下部にサブリージョナルな機関を置いている。
ASPSAの中核となるアフリカ待機軍制度は2010年までに設立を目標としてきたが、制度の完成にはしばらく時間を要するものの、既に5つのサブ地域でそれぞれにPKOセンターを設置し、具体的には西はガーナにコフィ・アナンPKO訓練センター、マリにフランス主導のPKOセンター、また、東にはケニアとルワンダに、北部ではエジプトPKOセンターが有名である。
AUの本部があるエチオピアの首都アジスアベバには国連PKO局に相当するPKOの統括部門、司令部があり、ここがAPSAの中核である。
ここで具体的には、各5カ所のサブリージョナルにある機関と相互覚書(MOU)を結んで動員計画や訓練計画を立案できるよう整備しているが、現在は資源やノウハウもなく、国連とEUがMOUを結んで人材と資金を提供している。
現在のところアフリカの安全保障上の脅威は、民族間紛争は大体終結し紛争自体は減少方向にあった。昨年末から一連のアラブの民主化運動がマグレブ諸国を巻き込み国内政治が流動化し、リビアでは内戦後新局面を迎えつつある。
アフリカの平和はアフリカの手で(カイロ)
我が国が1994年9〜12月ルワンダ難民救援隊をザイール領ゴマに派遣しルワンダ難民の救援活動(医療、防疫、給水、航空輸送)を実施した。
しかし後日、我が国の総理とルワンダ共和国カガメ大統領が会談した際、内戦終了直後に日本の部隊派遣に対し全く感謝の意を示さなかったのである。
その当時のカガメ大統領の立場を考えれば、国連不信は当然のことであり国連のUNHCRの要請による自衛隊派遣は評価されていなかった。アフリカにおいては一般的に日本のような国連に対するある種の絶対的尊厳性を持ちえないのである。
それはアフリカが歴史上欧米の植民地として奴隷の供給地であり、資源を搾取され、民族を分断され、まさに暗黒時代が1950年代まで続いたことを考えれば、国連と言っても欧米の主導によるものであり、単にアフリカを資源搾取の対象としてみる列強の輩と映るのであろう。
そして搾取がまた始まるという危機感をアフリカの民衆の誰しもが持っている。
私がメンターとして参加したエジプトPKOセンターではアフリカ待機軍の基幹要員として准将クラス25人に図上演習を実施した。その際、セミナー冒頭でアフリカの訓練生にニューヨーク国連PKO局が制作したPKO展開の様相をドラマ化したVTRを視聴させた。
内容はザイールの首都キンシャサをモデルに英国のPKO部隊が装甲車を先頭にある町の広場に進駐する。その住民は物陰から怯えながら英国のPKO部隊を注視しているところ、群衆の中から銃声がこだまする。
平和のシンボルであるブルーヘルメットを被った英国のPKO兵士たちが群集を払いのけ、隠れていた2人の若い男を捕獲し、小銃の床尾板で顔面を殴打し続け、腹這いにし制圧する場面が長々とある。
アフリカの人々から見れば感情的に中世からの暗黒の時代と同じ仕打ちであるとしか受け取ることができない、国連PKO局のデリカシーの欠如と感じた。
そこで私が本エジプトPKOセミナー主催役である元英国陸軍少将ゴードン氏に演習の効果上、極めて不適切である旨申し入れしたところ、残念ながら理解は得られなかった。力のPKOすなわちピースエンフォースメント(武力による平和執行)が国連の方針だとして一蹴された。
アフリカの平和構築の道程には数世紀に及ぶ長い闇の歴史が続いていたのである。これを理解して行動できるのは歴史上搾取する側に加わらなかった中国を除くアジア諸国である。
特に日本への期待は大きい。よって我が国のアフリカPKO派遣の形態は国連一本主義ではなくアフリカ連合(AU)への支援をともに行うことが中長期的視野からも肝要である。
3 AU平和安全保障アーキテクチャー(APSA)への支援を
アフリカ待機軍制度の検討(カイロ)
これには平和安全保障理事会議定書に明記され、AUはパートナー国(ロシアを除くG8諸国はじめ日本)の協力を得つつ準備を進めてきた。
その中核となるアフリカ待機軍(Africa Standby Force: ASF)は2010年中の設立を目標としてきたが、遅れながらも創設に向けAUは準備を進めている。
(2)へ続く JBpress.ismedia.jpより引用
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隊員たちが毎日磨き上げる半長靴、
頑丈なのは東北の「お母さん」の手作りだから 2011.10.05(水) 桜林 美佐 猛威を振るった台風15号は、震災の傷痕の残る東北地方も容赦なく襲った。その数日後、私は岩手県一ノ関市を訪れた。
爽やかな秋空、思わず深呼吸したくなるような空気、まるで地震も台風も嘘だったかのようだ。しかし、駅から車で走っていくと崖が崩れている所があるなど、傷痕は生々しい。
ここに来たのは、自衛官を支えている重要な装備品である半長靴(はんちょうか)の製造現場を見るためだ。製造している会社はミドリ安全である。東京都内に本社を構えているが、工場は東北が多い。
田んぼの中にポツンと、その作業場の1つがあった。携帯電話は圏外になっていた。中に入ると、エプロン姿の30人ほどの女性たちが黙々と作業をしている。半長靴製造の最初の工程をここで行っていた。
自衛隊向けの半長靴を作る工場の様子
だが、できるだけ素早く作業をこなさなければ到底間に合わない。というのは、今回の震災で派遣され、行方不明者の捜索などを行った自衛官たちは、瓦礫の中で活動する際に、足の裏にガラスの破片や釘が突き刺さるなどの事故が当たり前のように起きていた。
そのため、丈夫に作られた靴でもかなり損耗してしまい、補正予算で大量に調達することになったのだ。
靴作りを担うのは周辺農家の主婦たち 「靴ばかりは、不具合があっては動くことができません」と誰もが言うように、洋服のほころびならば多少我慢ができても、靴だけはそうはいかない。
靴ずれがちょっとでもできたり、穴が開いたりしたら、途端に歩くのがイヤになる。40キロも50キロも行軍する自衛官にとっては、なおのこと大事なアイテムだ。
履き心地を高めることはもちろん大切だし、何よりも隊員全体に行きわたるようにしなければならない。自衛隊の、特に陸自の個人装備品は、予算がないためになかなか全員に支給されない。だが、今回に限っては、さすがにそういうわけにはいかないのだ。
震災後の災害派遣では、釘を踏んで穴が開いた靴で働き続けた隊員も多い。「早く新しい靴をはかせてあげたい」という思いから、地震や台風の被害を受けた東北の被災地の人々が、一丸となって靴作りに取り組んでいるのだ。
ここで働くのは、周辺農家の主婦がほとんどである。彼女たちは、靴作りと、家庭での主婦の仕事の両方をこなしている。今回の増産が、彼女たちの家族に何かと不自由な思いを強いていることは想像に難くない。
しかし、みんな高度なワザを持っているので、自衛隊の活動のためには、今、無理をしてもらわなくてはならない。いわば、国がお母さんを必要としている状況なのだ。
靴を使う側からは、「もっとこういう靴を」といろいろな要望が寄せられる。それに応えるだけでなく、「どんな形が履きやすいか」「どうすれば安全なのか」という自主的な研究開発にも余念がない。
50キロ歩いても靴ずれしない靴を開発した時は大いに喜ばれ、達成感を味わった。しかし、その後、しばらくして「あれは痛くはならないけど、ムレてくる」と指摘され、また新たな挑戦が始まったという。
靴の改良にゴールはない。しかも、靴のサイズは0.5センチ刻み。種類ごとに様々な大きさを作らねばならない。「靴は、手間がかかる割に儲けが少ない」と言われる所以だ。
目には見えない傷でも検査に通らない 少し離れた所に、最終工程の作業をする工場がある。その工場に見学に行くと、ちょっと違う形の半長靴が目に入った。空挺隊員用のものだった。
落下傘で降下する隊員は、着地時に足首を骨折するケースが多いという。それを極力防ぐために足首にクッションを入れるなどの安全上の工夫が随所にある。
皮のどの部分を使うか、ゴムの配合、中敷き、補強部材・・・、全てが安全のため最適なものを追求した結果であり、何らかの意味がある。
靴を150度ほどに熱してゴムを取り付ける最終加工工程は男性が担っている。作業現場は、離れて見ていても暑い。冬でも相当、汗をかく作業だろう。
ちなみに、皮にちょっとでも傷が見つかると検査には通らない。「ほら、ここに傷があるでしょう」と言われて皮の表面を見たが、私には分からないレベルであった。しかし、自衛官が毎日ピカピカに磨きあげて使うことを思うと、顕微鏡でしか見えない程度の傷でも見過ごすことはできないのだ。
半長靴作りのこの現場では、今回の震災で被災した人も新たに雇用したという。ほとんど手作業で、何万足もの靴を期限内に製造するのは、とても一筋縄でできることとは思えない。だが、東北の人たちの自衛隊への感謝の気持ちがエネルギーとなって、今日も靴作りが進められているのである。
JBpress.ismedia.jpより引用 ↓記事を読み終わりましたら、こちらにもクリックをお願いします。m(_ _)m
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自衛隊の訓練を途切れさせてはいけない!
「総火演」を陰で支えた被災地の弾薬メーカー 2011.09.06(火) 桜林 美佐 8月28日、東富士演習場(静岡県御殿場市)で陸上自衛隊の富士総合火力演習が一般公開された。
この演習は、私に夏の終わりを告げてくれる。未曽有の大震災、そして民主党代表選・・・、この1年間を振り返りながら、この先、日本がどんな状況に置かれているのかは予測困難だとつくづく感じてしまう。
演習の花形と言っていい90式戦車には大きな120ミリ滑空砲があり、自ずと目が行くが、私はその後ろに控える12.7ミリ重機関銃をまじまじと見つめてしまった。
陰で大演習を支える関連企業 この重機関銃に注目したのにはワケがある。
銃砲弾メーカー、日本工機(東京港区)の白河製造所(福島県西白河郡)は3月11日に被災し、大きな被害を受けた。とりわけダメージを受けたのが、この12.7ミリ銃弾製造ラインだったのだ。
その話を聞いていたので、普段はあまり意識したことのなかった重機関銃が普通に使えることが改めてありがたく思えた。
総合火力演習では、関連企業の人々も「何かあった時」のために1〜2週間は現地に泊まり込んでいると聞いたことがある。決して表舞台には出てこないが、こうした周囲の支えあればこその大演習なのだ。
今回の火力演習は、東日本大震災の痛手を負いながらもわが国の抑止力は健在ということを内外に知らせる意義は大きかったと思う。
そして、この「火力」を支えるのは、戦車や大砲のメーカーだけではない。弾薬メーカーも欠かせない存在である。
前述の日本工機も、その1つだ。12.7ミリ、20ミリ、25ミリ、35ミリといった各種機関銃砲弾などを製造し、金属加工から火薬の製造、填薬、火工品組み立てまでを自社で担っている。
弾火薬製造工場が最も恐れるのは「出火」 3月11日、その工場を大地震が襲った。尋常ではない揺れに、工場の2割を占める女性たちから悲鳴が上がった。発射薬を袋に入れてミシンで縫う作業は、高いスキルを持った女性たちが担っているのだ。
普段の訓練どおりに定められた場所に移動したが、女性たちは度重なる強い余震に震えが止まらない様子だったという。しかし、そんな中でも従業員たちは、常日頃、頭に叩き込んでいた緊急時の行動を冷静に取った。工場内には、爆薬が化学反応を起こしている時の緊急停止マニュアルが張ってある。この手順をいつも目にしていたため、あわてることなく対応できたという。
今回の震災を受けて苦労したのは、法に合致した従来の姿に速やかに戻す必要があったことだ。
弾火薬製造工場にとって「最も怖いのは火が出ること」である。出火という最悪の事態が発生しないよう、平素から火薬類取締法や武器等製造法などにより厳しい規制を受けている。
工場はゴルフ場が3つくらい入る敷地に、全長10キロにわたって有刺鉄線が張り巡らされている。保安距離は極めて厳密だ。しかし、近くに来る者を拒むことはできないので、隣にゴルフ場ができそうになった時は、この土地を買ってしまったという。
部屋の中のテーブルを動かすだけでも許可が必要だ。爆薬を作る場所は土手をつくって囲まなければならない。蛍光灯もコンセントもイスも特殊な防爆仕様で、1つあたり10万円くらいはかかっているという。安全管理上とはいえ、企業負担が非常に大きい分野なのだ。
次から次へと立ちはだかる障害 現状復帰は、ほとんど従業員の手によってなされた。同社は、1998年に福島県を襲った豪雨災害でも、甚大な被害を受けている。その経験から、災害時は他者に頼ることなく自分たちの手で復旧作業に当たれるよう重機の免許を取るなど、「自立型」を意識していた。
地割れで車が進めない、道に電柱が倒れている、製品は落下している、という状況であったが、猛スピードで復旧を進め、震災直後の見通しよりもかなり早い時期に出荷が可能となった。
ところが、好事魔多し。大地震から4カ月経った7月30日、今度は豪雨に見舞われることになる。さらには、収まることのない余震。次から次へと障害が立ちはだかり、電力も規制される中で、従業員は何度も復旧作業に取りかからなくてはならなかった。
逆境にくじけず、従業員が1日も早い復旧へ向けて黙々と作業を行えたのは、「自衛隊の訓練に支障をきたしてはならない」「国の防衛に影響してはいけない」という思いが大きかったからである。
「商売なんだから当然」と言われるかもしれない。だが、これが外国メーカーだったらおそらくそんなに必死になってはくれないだろう。
2010年度は震災によって残念ながら納期遅延が発生し、ペナルティーこそなかったものの大幅な売り上げ減少となった。しかし、「被災したんだからしょうがない」という言い訳は一切聞かれない。
防衛関連企業に限ったことではないが、わが国の産業は、やはり日本人気質に救われている部分が多いのだということを実感させられる。
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