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天安門事件を糾弾してこなかった日本
米国は25周年イベントで中国に「改心」を迫る
2014.06.04(水)古森 義久
6月4日は天安門事件の記念日である。1989年6月4日、中国の首都、北京の中心にある天安門広場に集まって自国の民主化を叫んだ若者たちは、人民解放軍の銃弾を浴びて多数が殺された。
世界を揺るがせたこの残虐な殺戮の大事件から今年は25周年、米国の首都ワシントンではその25周年を追想する多様な活動が繰り広げられた。中国共産党政権の自国民弾圧をいまなお糾弾する米国での動きは、日本にも新たな教訓を突きつけて迫っているように見える。
世界の普遍的な価値観を中国に求める 米国ではワシントンを中心に官民の間で天安門事件25周年を記念する様々な行事が催された。そのすべてに共通するのは、中国当局の25年前の自国民大量殺害の残虐性を非難し、その弾圧政策がいまもなお続けられていることへの糾弾だった。こうした基本姿勢が、オバマ政権のソフトな対中政策にもかかわらず超党派でなお存在することは、米国全体の中国への態度を理解するうえで知っておくべきだろう。
6月4日の数日前から始まった多数の活動の中で最も注目を集めたのは、5月30日に連邦議会下院外交委員会の人権問題を扱う小委員会が開いた「天安門から25年」と題する公聴会だろう。この公聴会には、事件当時、天安門広場にいて、人民解放軍が自国の人民の多数を機銃掃射や戦車砲で撃ち殺すのを目撃した歴史の証人、5人が出席し、それぞれの体験や意見を語った。
この公聴会の冒頭で議長役の同小委員会の委員長クリス・スミス議員(共和党)が述べた言葉は、5人の証言と併せて米国議会全体の基本姿勢を物語っていた。
「私たちすべてが当時、天安門広場の集会が自由と民主主義の勝利をもたらすだろうと期待した瞬間があった。だが不運にも中国共産党の指導者たちは武力でその動きを鎮圧することを決め、6月3日から4日にかけ、多数の将兵と戦車を北京に投入し、数千もの民主活動家たちを殺傷した。自由への夢は血みどろの悪夢と化した。私たちはこれら数千もの中国の平和的な民主主義推進者たちの貴い犠牲を忘れずに、その栄誉を讃え、彼らの人間の基本となる自由への高貴な希求を継承しなければならない」
「しかし中国政府はいまもなお25年前の天安門広場での抗議集会とその暴力的な弾圧についての記憶や記録をすべて抹殺することに、信じられないほどの精力を投入している。天安門事件に関するインターネットでの議論を検閲し、公的、私的すべての討論の集いを弾圧し、参加者を逮捕し、懲罰を加えている。中国政府は同時に従来の人権弾圧をさらに強め、昨年だけでも少なくとも230人の中国国民を人権尊重を訴えただけの罪状で拘束した。この5月には数十人の活動家たちが単に天安門事件の犠牲者の追悼をしようとしただけで逮捕された」
「私たち米国議会のメンバーは、より民主的な、人権を尊重する中国の誕生を望む。法の統治や言論の自由を実行する中国の誕生を望む。自国民に信仰の自由、集会の自由を保障する中国の誕生を望む。米国全体としても、中国がこれまでの独裁や弾圧を止めて、自由と民主主義を実践する国家となれば、国家同士としてより緊密な、より友好的で協調的な関係を結ぶことができるのだ」
このようなナイーブにも響く言明をスミス委員長は熱心に続けたのだった。
自由や民主主義といった現在の世界の普遍的な価値観の尊重を、こうして真正面から主張し、独裁国家の中国にもそれを求めるという米国の姿勢を、独善的、短絡的というレッテルで片づけることは容易だろう。米国自身もときには自由や民主主義に逆行するような言動を取ることもある。だが、いまの混沌とした世界で、正義や大義をこうして純朴なまでに正面から説くことは、国際社会や全人類という視点に立てば、誰かがしなければならないことだとも言えよう。
実際に、中国当局に追われた中国人の民主活動家たちのほとんどは米国へと難を逃れ、また米国側もそうした人物たちを亡命者として寛容に受け入れてからもう長い年月が過ぎている。世界の中で中国の人権弾圧に最も積極的に反対を述べ、犠牲者の救護も含めて最も対策を講じてきたのが米国であることは間違いないだろう。
一斉に展開された天安門事件25周年イベント ワシントンでは同時に連邦議会下院のフランク・ウルフ議員(共和党)が先頭に立って、中国大使館前の道路を新たに「劉暁波通り」と命名するという提案をワシントンDC市当局に伝達した。
劉暁波氏は、天安門事件の参加者たちへの連帯や理解を表明する文学作品で2010年にノーベル平和賞を得た中国人作家である。現在は中国当局に捕まったまま、刑務所に収容されている。そんな人物の名前を中国大使館の目前の道路につけようというのは、明らか中国政府に向けた抗議の表明である。議会ではすぐに40人ほどの議員がこの提案に公式に同意したという。
一方、民間ではワシントンの大手研究機関のAEI(アメリカン・エンタープライズ・インスティテュート)が6月3日、「陳光誠氏との対話」と題する催しを開いた。この行事も天安門事件25周年を記念するイベントだった。
陳氏は天安門事件の犠牲者たちの遺志を継ぐ形で中国政府の人権抑圧に抗議し、当局から弾圧された法律家である。目が不自由ながら活発な抗議運動を続け、当局によって逮捕、投獄され、出所後も軟禁されていた。
だが陳氏は2012年に米国への出国が許可され米国に渡った。その陳氏を囲むこの行事も、中国政府にとっては、米国に天安門事件という大きな弱点を突かれる“不愉快”な催しに他ならない。
ワシントンなどを拠点とする民間人権擁護組織の「中国人権」は、天安門事件で命を失った5人の若い中国人男女の映像やフィルムを使ったビデオ回想録を、25周年にタイミングを合わせて公表した。当時、18歳だった劉洪涛、19歳だった孫輝、27歳だった石岩、といった名前の男女の生前の活動を、遺族たちからの資料や証言によって構成したビデオだった。
その他の民間の研究所や人権関連組織も、天安門事件25周年の活動を一斉に展開し、中国政府の弾圧政策を改めて非難した。
天安門事件の直後に日本がしたこと こうした米国の動きは日本にとっていくつかの意味がある。
第1には日本の消極性を浮かび上がらせる点である。
本来は日本も普遍的な価値観の推進という見地から、中国政府の人権弾圧をもっと積極的に指摘し批判すべきだろう。しかし日本の消極性は、米国での動きと比較すると明白である。今回の米国での一連の動きは、その事実を強く印象づけるものとなった。日本は、たとえ対象が中国ではなくても、一国の政府や支配政党が天安門事件のような大規模な弾圧を実行したことに対しては、国際社会の一員として問題を提起する責務がある。
第2には、中国の日本非難への反論という意味である。
中国はこのところ、しきりに日本の国としてのあり方を歴史問題を絡めて非難している。70年以上も前のいわゆる慰安婦問題などを持ち出して、現代の日本の国家や国民の道義の欠如を叱責する。いかにも不公正で不自然な現象である。
だが、日本を糾弾する中国側の道義はどうなのかと、日本側は反論してしかるべきだろう。日本側の自衛策としても、天安門事件の提起は効果がある。
慰安婦問題を持ち出して批判する基準が人道主義であるならば、同じ人道主義の基準でいまの中国政府の行動を見るべきだろう。その際に天安門事件は、日本側に最も確実で効果的な反論の材料を与えることになるはずだ。
第3には、日本の対中政策の再考や反省が挙げられる。
天安門事件の直後、日本政府は何をしたか。当時、欧米諸国がこぞって中国への制裁措置を取った。中国との間での経済援助や貿易取引、直接投資、技術供与、軍事交流、人的交流など多方面にわたる対中関与を大幅に停止したり削減する措置だった。
そんな国際的な対中制裁の動きの中で、日本は事件のすぐ翌年の1990年に、一度は停止していた対中経済援助ODAをすぐに再開させたのである。もちろん当時の中国政府からは感謝を表明された。だが欧米諸国からは国際制裁の効果を弱めてしまう背信行為だとして非難された。
しかし日本は中国政府に感謝されて喜ぶかのように、対中友好をさらに強めていった。いわば日本の対中宥和政策の本格的な出発点が、天安門事件直後の時期だった。それ以後の日本の対中政策がどんな結果を招いたか。現在の中国の日本糾弾を見れば、答えは明白である。
天安門事件の直後に日本政府が取った対中姿勢は、結果として間違いだったということだ。米国での同事件の追想と中国政府非難は、そうした日本の誤った軌跡を苦い思いで想起させるのである。 JBpress.ismedia.jpより引用
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日本特有の不思議な「ケネディ礼賛」現象
米国ではケネディ一族と聞いて眉をしかめる人も
2014.03.05(水)古森 義久
ケネディ家は決してまばゆい光だけを放っているわけではない。暗い影の部分が米国でまた話題となった。悲劇あるいはスキャンダルと呼んでもよい。
日本ではキャロライン・ケネディ大使の赴任以来ケネディ家への礼賛がもっぱらである。輝く光だけを見るという感じなのだ。だが当の米国では、この一族の影の部分、負の側面も常に語られるのである。
薬物服用で事故を起こしたロバート・ケネディの娘 この2月28日、ニューヨーク州の同州最高裁判所で、ケネディ一族のケリー・ケネディ氏を被告とする裁判が開かれた。
ケリー氏は1968年に暗殺されたロバート・ケネディ司法長官(当時)の娘で、いま54歳。ロバート・ケネディは故ジョン・F・ケネディ大統領の弟である。つまり、ケリー氏はジョン・F・ケネディの姪にあたる。
ケリー氏は長らく人権活動に関わってきたが、2012年7月、ニューヨーク州内で睡眠薬服用直後の朦朧とした状態で運転をしていた容疑で逮捕された。
無謀な運転をして大型トレーラーにぶつかり、自分の車も大破して運転席でうつぶせとなり、意識を半ば失った状態で逮捕された。その後の捜査で、ケリー氏は自宅を出る直前にかなりの量の睡眠薬を飲んでいたことが確認された。
捜査当局はケリー氏の行為を、飲酒や麻薬の影響下にある違法運転と同じと見なして、起訴した。その裁判が2013年中、ニューヨーク州内の裁判所で続き、米国メディアではかなり詳細に報じられてきた。
ケリー氏は「日ごろ治療のために服用している甲状腺関連の薬と睡眠薬を間違えた」と主張し、無罪を訴えた。その主張が通り、最終裁判では陪審員たちは無罪の評決を発表した。法廷にはケリー氏の85歳の母親や子供たちが列席し、ケネディ一家としての支援を表明していた。
この事件は無罪となったのだから、犯罪ではないし、スキャンダルとも呼べないかもしれない。だが、ケリー氏が薬物服用の結果の意識の朦朧とした状態で自動車を運転し、事故を起こしたことは事実である。
暴力沙汰、自殺、麻薬中毒・・・ 米国のメディアは全国ニュースとして、この出来事をケリー氏の逮捕から起訴、そして公判の段階まで逐一報道し続けた。その理由は、もちろん有名なケネディ一族の一員が当事者だからであるが、ケネディ家の人たちにはこれまでも似たような出来事が頻繁に起きてきたという歴史的な経緯も大きかったと言える。
2012年1月にはケリー氏の弟のダグラス・ケネディ氏が、ニューヨーク州内の病院の看護師らに暴力を振るったという容疑で起訴された。その病院で生まれたばかりの自分の息子を病院側の制止を無視して勝手に自宅に連れ帰ろうとして、止めようとした看護師たちに暴力を振るったのだという。この事件も無罪の判決が出たが、米国内では大きく報道された。
同じ年の5月には、ロバート・ケネディ氏のもう1人の息子ロバート・ケネディ・ジュニア氏の妻マリー氏が52歳で自殺した。夫妻は離婚手続き中で別居していたが、マリー氏はアルコール依存症、夫の女性関係がその原因だったとされた。
なお、1984年にはロバート・ケネディ氏の別の息子、デービッド氏が若くして麻薬中毒で死亡している。
今回、無罪となったケリー氏らロバート・ケネディ氏の子供たちは、全員が、いま駐日米国大使を務めるキャロライン氏のいとこである(キャロライン氏は、ロバート氏の兄の故ジョン・F・ケネディ大統領の娘)。
1963年11月に暗殺されたケネディ大統領の長男、ジョン・F・ケネディ・ジュニア氏は、1999年、自ら操縦していた飛行機が墜落して、死亡した。同氏はいまの駐日大使の弟である。父親の跡を継いで国政の場で活躍することが期待されていたが、悲劇的な事故でその道を閉ざされてしまった。
エドワード・ケネディの「チャパキディック事件」とは さらにケネディ家のスキャンダルといえば、ケネディ大統領の末弟のエドワード氏が1969年7月に起こした自動車事故が有名である。「チャパキディック事件」として知られるこの出来事は、当時すでに上院議員だったエドワード氏の政治的な運命を変えるだけでなく、ケネディ家全体のイメージまでをも汚すこととなった。
この事件は、パーティーで酒に酔ったエドワード氏が若い女性補佐官を横に乗せて、深夜、車を運転し、橋を走行中に海に落ちたという出来事だった。パーティーがマサチューセッツ州のチャパキディック島で開かれていたため、事件の名前もそうなった。
エドワード氏は転落した車から脱出し、泳いで岸に着き、無事だった。だが同乗していた女性はそのまま溺死してしまった。女性を助けずに死なせた同氏はさんざんな非難を浴びた。それまでの同氏は、ケネディ家の血を引くだけあって政策能力が高く、雄弁で、外見も立派であり、将来の大統領だとまで嘱目されていた。しかし、この事件でその評価は一気に地に落ちたのである。
その後、エドワード・ケネディ氏は2009年8月に77歳で脳腫瘍にかかり死亡するまで上院議員を一貫して務め、大統領候補としても幾度となく名が挙がった。だが、そのたびにチャパキディック事件を持ち出され、立候補を断念せざるを得なかった。
エドワード氏の二男パトリック氏もスキャンダルがついてまわった。パトリック氏は10代の頃からコカインを使用しており、リハビリ施設に送られた。その後もアルコールと薬物の両方の依存症と断じられ、リハビリを繰り返した。だが勉学で実績をあげ、1995年に28歳で連邦議会の下院議員となった。
その一方、1991年にはフロリダ州の避暑地でケネディ一族のいとことともに、レストランのウエイトレス2人を自分の別荘に連れてきて強姦を図ったとして検挙されたこともある。下院議員になってからの2006年には、議事堂の周辺で酒酔い運転をして議会周辺の障壁に衝突し、逮捕された。そうした数々の事件で世の中を騒がせ、2010年には議会からの引退を宣言した。
米国でケネディを支持する人たちとは とにかくケネディ一族には、このように悲劇的かついまわしいエピソードが多い。この種の出来事が、いま東京に勤務するキャロライン氏の資質の評価を左右するわけではない。だが、「ケネディ家の一員だから」「ケネディ大統領の娘だから」というだけで全面的に礼賛することもできないのである。
それよりも忘れてはならないのは、米国の一般市民でも、ケネディ家の政治指導者たちに尊敬や愛着のまなざしを向ける人たちが多い一方、「ケネディ」という名前を聞いただけで反発を示す人たちが同時に存在するという事実である。
これはケネディ一族が信奉し追求したリベラリズムへの評価と密接にからみ合っている。つまり、リベラリズムを支持する米国民は例外なくケネディ礼賛だと言える。それだけでなく、ケネディ大統領らを高く評価する人たちは、政治的な中道派にも多いし、保守派の一部にもかなり存在する。
だが、保守主義を強く支持する勢力の間では、ケネディ一族への政治面での反発は激しい。ケネディという名を聞いただけで拒否反応を見せる保守派の人たちも多数存在するのだ。
だから、誰もがこぞってケネディ一族を褒め讃えるような日本での“ケネディ人気”は、米国の現実とは明らかに異なるのである。 JBpress.ismedia.jpより引用
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