ミッドウェー海戦研究所

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日本陸軍

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 本日、2014年7月31日は、1944年アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリが偵察飛行中に地中海上空で行方不明になってから70周年にあたります。
 
 そこで、本日はアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ戦死70周年特集としてアマゾンの軍事関連書籍の書評を行います。書評の対象は、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリと全く関係ない「丸 2014年9月号 特集 二式戦闘機「鍾馗」です!
 
 アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ二式単座戦闘機「鍾馗」をご存知ない方リンク先の"Wikipedia"の項目をご覧下さい。
 
 
 下にアマゾンに公開したレビューを掲載します。
 
「知られざる名機 陸軍二式戦闘機「鍾馗」の真実」
評価★★★★★
イメージ 2今月の「丸」は、日本初の重戦闘機である陸軍二式戦闘機「鍾馗」が特集記事で取り上げられています。

今月号の特集は、6月号の「五式戦闘機」や8月号「艦上攻撃機 流星」の特集で散見された取り上げられた軍用機以外の機体の記事や特集内容から微妙に外れた記事が無いために非常に内容が濃くなっており、「鍾馗」を知りたい方には、お勧めの特集となっております。

その中でも特筆すべきは、古峰文三氏の「陸軍重戦の魁となった悲劇のファイター」で最新の資料検証によって明らかにされた「鍾馗」の開発された背景や日本陸軍特有の重戦闘機の定義など見所が多々あります。

また、大塚好古氏による「米軍リポートに見る「最強の敵TOJO」」では、アメリカ側の一次資料から米軍が「鍾馗」を「P-40では対応不能な機体」と高く評価した事実を取り上げ、これまでの先行研究で過小評価されがちな「鍾馗」の実像に迫っています。

個人的には「鍾馗」の心臓部であるハ41とハ109の記事が無かったことが惜しまれますが、今月号の特集では全て「鍾馗」の記事で埋め尽くされているので、止むを得ないと考えております。

陸軍二式戦闘機「鍾馗」を知る上で本書は、必読の書と言えますので本書の評価は星5つです。
 
 明らかに内容が不足していますので、近日中に加筆する予定です。
 
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 本日 4月30日は、1918年日本海軍の戦艦「日向」が就役してから96周年にあたります。
 
 そこで、本日は戦艦「日向」就役96周年特集としてアマゾンの軍事関連書籍の書評を行います。書評の対象は、日本海軍と全く関係ない「丸 2014年6月号 特集 陸軍最後の戦闘機 五式戦闘機です!
 
 日本海軍の戦艦「日向」や「五式戦闘機」をご存知ない方リンク先の"Wikipedia"の項目をご覧下さい。
 
 下にアマゾンに公開したレビューを掲載します。
 
「一式戦より早く、二式戦より重武装で、三式戦より軽快で、四式戦より信頼性の高い日本陸軍最後の戦闘機」
評価★★★★★
 今月の「丸」は、「飛燕の液冷エンジンを信頼性の高い空冷式に換装して大戦末期の本土防空戦で予想外の活躍を見せた川崎キ100戦闘機の全貌」と評して、日本陸軍最後の戦闘機である通称「五式戦闘機」が特集記事で取り上げられています。

 新世代の研究者による多角的な分析は極めて興味深く、多くの見所がある本書は星5つです。
 
 明らかに内容が不足していますので、近日中に加筆する予定です。
 
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玉砕神話の原点 アッツ島を行く
玉砕という言葉の原点、アッツ島の戦い。兵士たちの死はいかにして美化されていったか? 生き残ることが許されなかった日本兵の運命。70年目の悲劇の島は・・・。2013.8.3 TBS「報道特集」)
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TBSの関口宏が司会の「サンデーモーニング」は左思想のど素人のようなコメンテーターを揃え、保守系を一切招かずに、自分たち左系仲間同士が左に偏ったものの見方の主張を、いかにも正しいかのように話していますが偏り過ぎています。
 
記事の「報道特集」も同じように左翼思想と反日思想で作り上げた番組で、左と在日だけを視聴者の対象にしたような番組です。
ですから当然、「美化されて」「生き残ることが許されなかった日本兵」「悲劇の島」という言葉自体でこの番組が言わんとしていることが早わかりします。
 
毎年、8月になると戦争関係の番組を取上げます。しかしその内容は自虐史観に基づいて、「日本が悪かった」という結論ありきなのです。
 
番組ではこのように主張していました。
「昭和17年、日本軍がミッドウェー海戦に敗れたことは隠し、何も意味のないアリューシャンのアッツ島に日本軍を進攻させ、華々しい戦果を挙げたということを国民に知らせたかったからだ」
「アッツ守備隊は援軍の要請をしたにもかかわらず大本営は見捨てて玉砕するように強要した。生き残ることが出来なかった日本兵は無能な大本営の犠牲になった」
「報道特集」が如何に事実に反し、肝心な事実を報じないか、アッツ島での経緯をわかりやすくたどってみます(赤字が反論)。・・・
 
アリューシャン列島というのは夏は濃霧、冬は暴風雪が荒れ狂い、世界で最も軍事行動に不向きな場所です。しかし、アッツ島とキスカ島はミッドウェー作戦の時に米ソの連絡遮断と敵の航空基地利用を阻止するために進められたものです。
特にこの時期、日本軍はガダルカナル島で激闘の末に撤退、米軍はニューギニア島に侵攻し、米軍の反攻を察した大本営は北方の護りを固めるために、アッツ島、キスカ島に対して守備隊の増強を図りますが、米軍による輸送船の撃沈で思うように輸送できず、アッツ島では約2000人の日本軍で、約20000人の米軍を迎え撃たねばならなくなりました。
 
アッツ守備隊は北海道第7師団から分派され、守備隊長の山崎保代大佐は4月18日にアッツ島に着任します。しかし、512日、米軍がアッツ島に反攻してきました。アッツ島はすでに敵艦隊が取り巻き、日本軍の撤退は事実上不可能でした。
 
アッツ島はこの時期、霧の季節で雪山の肌は霞み、しかも残雪のあるツンドラ地帯です。寒さを経験していない米兵士たちは悲鳴を上げます。
そのような中でも山崎大佐以下、日本の将兵は士気旺盛であり、一歩も後にはひきません。予想に反する日本軍の反撃を受けた米国軍の第7師団ブラウン師団長は、ついには怖気づき「アラスカの第4連隊を送ってくれ」と救援を要請しました。
 
それに対してキンケイド提督は「敵は無勢、味方は多勢なのに援軍を頼むとは何事か」と怒り、即日ブラウン師団長を解任し、ランドラム少将と交代させました。
日本軍のあまりの強さに米軍は予想を超えた苦戦を強いられます。
 
しかし日本軍は補給のめどが立たず、一兵の援護、一発の弾丸、一粒の米も望めない状況でした。いかに精強な山崎部隊でもこれでは勝ち目はありません。
ついに山崎大佐は残存兵力200人弱を率い、遂に夜襲を行うこととし、北方軍司令官あてに最後の打電をしました。
 
5月29 14:35
「敵陸海空の猛攻を受け、第一線両大隊は殆ど壊滅。辛うじて本一日を支ふるに至れり。夜戦病院に収容中の傷病者はその場に於て、軽傷者は自ら処理せしめ重傷者は軍医をして処理せしむ。非戦闘員たる軍属は各自兵器をとり、陸海軍ととも一隊を編成、攻撃隊の後方を前進せしむ。ともに生きて捕虜の辱めを受けざる様覚悟せしめたり。他に策無きにあらざるも、武人の最後を汚さんことを恐る。英魂とともに突撃せん」
 
29日、天皇陛下は山崎部隊の奮戦と決意に対してお言葉を賜り、参謀総長、陸相は早速これを伝達するとともに次の感謝電を送りました。
「今や最後の関頭に立ち、毅然たる決意と堂々たる部署の報に接し、合掌して感謝す・・・。必ずや諸子の仇を復し、屈敵に邁進せん」
 
529 19:35
「機密書類全部焼却、これにて無線機破壊処分す」
山崎大佐はこの1電を最後に連絡を絶ちました。
 
山崎大佐は「玉砕して英魂となりてのちも尚、護国に赴かん」と言い、全軍突撃の命令を発しました。
 
この時の山崎大佐の突撃について、アッツ島で米軍第一戦中隊長のハーバード・ロング中尉はこう語りました。
「私は自動小銃を小脇に抱えて立った。霧が立ちこみ、100メートル以上は見えない。ふと異様な物音が響く。敵の襲撃かと思い、よく見ると300から400人くらいの一団が近づいてくる。先頭に立っているのが山崎部隊長だろう。
右手に日本刀、左手に日の丸を持っている。どの兵隊もボロボロの服を身につけ、青ざめた形相をしている。手に銃のない者は短剣を握っている。最後の突撃というのに皆どこかを負傷していて、足を引きずり、膝をゆするようにゆっくり近づいてくる。我々は身の毛がよだった。・・・」
 
米軍は3日間で陥落させる予定でしたが、思いがけない日本軍の大反撃を受け、
多くの犠牲を強いられた上で、アッツ島を奪うことができました。
日本軍の鬼神にも勝るその奮闘ぶりは、「日本武士道の精粋なり」として、その後の米国やソ連で感銘を受けたといいます。
 
アッツ島の山崎大佐から大本営宛ての最後の電報について、杉山参謀総長は宮中に参内し、陛下に奏上しました。  
「自分は、アッツ島守備の大命を拝し守備にあたってまいりましたが、米国海兵隊三個師団が上陸し、任務を全う出来なくなってしまいました。誠に申し訳ありません。明朝を期して全軍で突入しますが、同時に一切の通信機を破壊し、暗号書は焼却します。 皇国の無窮をお祈りしております」
 
陛下はこの報告を静かに聞かれ、そして、いくつかの質問をされた後、最後に、
「アッツ島の山崎部隊長に電報を打て。アッツ島部隊は最後まで非常によくやった。そう私が言っていた、と打て」

 
「しかし、すでに山崎部隊は玉砕した後で、もうこの世にはいません。またたとえ電報を打ったとしても、通信機も壊されていますから絶対に届くはずがありません」
畏れながらもそのように申し上げると陛下は、
「届かなくてもいいから、電報を打ってやれ」
陛下の御心に触れた報告者は、はっとしたその瞬間に涙があふれ出て止まらず、陛下のお言葉を手帳に書き写すこともできなくなったといいます。・・・
 
このような先帝陛下の御心、援軍は出してもことごとく撃破されたこと、何より山崎部隊長はじめ日本軍は米ソから「日本武士道の精粋なり」と称賛されたこと、そういう報道すべきことを全く無視して国民が何も知らないと思っておかしな誘導をした「報道特集」でありました。
 
(山崎部隊長の辞世の文)
部隊の長として遠く不毛に入り骨を北海の戦野に埋る。
真に本懐に存じ候況や護国の神霊として悠久の大義に生く。快なる哉    
山崎大佐
 
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                            山崎部隊長
 
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転載元転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」

そういえば、小説家 森村誠一氏の書かれた『悪魔の飽食』という本で、中国において『細菌戦』を行い、人体実験を含む極めて残虐な行為を行ったとされる731部隊。
戦後、その資料をアメリカに引き渡す事で、自らはその犯罪行為の追及を逃れたといわれた、その資料がアメリカで公開されたそうで。

その結果はどんなものだったのか。


旧日本軍「細菌戦研究」 米が機密文書公開
http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070118/usa070118004.htm
 米国立公文書館(メリーランド州)は、旧日本軍が当時の満州(現中国東北部)で行った細菌戦研究などに関する米情報機関の対日機密文書10万ページ分を公開した。

石井中将 尋問記録も

 文書目録によれば、石井四郎軍医中将を含む731部隊(関東軍防疫給水部)関係者の個別尋問記録が、今回の公開分に含まれている。また、細菌戦研究の成果を米軍に引き渡したとされる石井中将が、米側に提出する文書を1947年(昭和22年)6月ごろ執筆していたことを裏付ける最高機密文書も今回明らかになった。(ワシントン 山本秀也)

戦争犯罪を立証

 今月12日に公開された機密文書は、ナチス・ドイツと日本の「戦争犯罪」を調査するため、クリントン政権当時の99年に米政府の関係機関で構成された記録作業部会(IWG)が、米中央情報局(CIA)や前身の戦略情報局(OSS)、日本を占領した連合国軍総司令部(GHQ)などの情報文書を分析し、機密解除分をまとめて公開した。

 IWGの座長を務めるアレン・ウェインステイン氏は、「新たな資料は学者らが日本の戦時行動を理解する上で光を当てる」と意義を強調するが、作業は「日本の戦争犯罪」を立証する視点で行われた。日本語資料の翻訳と分析には中国系の専門家も加わっている。

 細菌戦などに関する米側の情報文書は、これまでも研究者が個別に開示請求してきたものの、一度にこれだけ大量に公開された例は少ない。

 情報の一部は34年(昭和9年)にまでさかのぼるが、終戦の45年(同20年)前後4年分が大半を占めている。

 文書内容の大半は731部隊など細菌戦研究に関する内容だ。公開文書の概要によれば、37年12月の南京事件に関する文書が一部含まれる。IWGでは「慰安婦問題」を裏付ける文書も探したが、「目的を達せず、引き続き新たな文書の解析を図る」と述べるなど、調査では証拠が見つからなかったことは認めている。

日本の使用警戒

 細菌戦の研究競争が大戦下で進む中、米側は日本の細菌兵器使用を終戦まで警戒していたほか、奉天(現瀋陽)の収容施設で、連合軍の捕虜に細菌実験が行われた形跡がないかを戦後調べたことが判明した。同じく米本土に対しても、日本からの風船爆弾が細菌戦に使われないか、米海軍研究所が回収した現物を大戦末期に調べ、「細菌の散布装置がついていないことから、当面は細菌戦を想定していない」と結論づけた文書も公開された。

 細菌戦に関する米国の日本に対する関心は、44年ごろから終戦までは、細菌兵器の開発状況と731部隊の活動実態の解明に重点が置かれ、終戦から47年ごろまでは、同部隊関係者への尋問による研究成果の獲得へと、重点が移っている。

 米側が最も強い関心を抱いたのは、731部隊を指揮した石井中将だった。45年12月の情報報告には、千葉県の郷里で中将が死亡したことを装った偽の葬式が行われたことも記されているが、翌46年から47年には中将に関する報告や繰り返し行われた尋問の調書が残されている。

保身引き換えに

 石井中将は自らと部下の保身と引き換えに、細菌戦研究の成果を米側に引き渡したとされてきたが、47年6月20日付の米軍最高機密文書は、こうした説に沿う内容を含んでいる。

 「細菌兵器計画の主要人物である石井中将は、問題全体にかかわる協約を現在執筆中だ。文書には細菌兵器の戦略、戦術的な使用に関する彼の着想が含まれる。石井中将の約20年にわたる細菌兵器研究の骨格が示される見通しであり、7月15日には完成する」

 同じ文書には、「日本南部の山中」に隠されていた「細菌に侵された200人以上から採取された病理学上の標本スライド約8000枚」が、47年8月末までに米側に提供されることも付記されていた。

 米側では日本からの情報収集を急ぐ一方、冷戦でライバル関係となる旧ソ連に細菌戦に関する情報が渡ることを強く警戒していた。ハバロフスク裁判のため、旧ソ連が請求してきた細菌戦関連の証拠引き渡しを渋る一方、約30人の731部隊関係者が「モスクワ近郊で細菌兵器の研究プロジェクトに従事している」とする48年4月の情報報告も今回明らかにされた。




あの・・・アメリカの公開した資料からは、731部隊の行った残虐な行いの証拠、従軍慰安婦の強制の証拠、いずれも出てこなかったって事ですか。
南京事件の資料も含まれる、と。その内容も気になるところです。

しかし・・・
これまでの『常識』は一体何だったんだ・・・

転載元転載元: おやじの独り言

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 本日、2013年2月7日第二次世界大戦中の1943年に日本軍のガダルカナル島からの撤退(ケ号作戦)が完了し、終結してから70周年にあたります。
 
 そこで、本日はガダルカナル島攻防戦終結70周年特集としてアマゾンの軍事関連書籍の書評を行います。
 
 書評の対象は、「太平洋戦争 日本の敗因〈2〉ガダルカナル 学ばざる軍隊です。
 
 下にアマゾンに公開したレビューを掲載します。
 
「本当に学ばなかったのか?」
評価 ★
 本書の題名は、『太平洋戦争 日本の敗因〈2〉ガダルカナル 学ばざる軍隊』である。

 では、果たして旧日本陸軍は「学ばざる軍隊」であったのだろうか?
 
 答えは容易に出る。それは「否」である。

 まず、このドキュメンタリーのナレーションで安易に(ソ連軍は)「近代装備が勝敗を決した第一次世界大戦の経験を十分に生かしたのです」という言葉が使用されている。

 では、「第一次世界大戦の教訓」とは何なのだろうか?

 それは、火力支援の限界である。

 戦車が世界で始めて使用され、第一次世界大戦中に一日で攻撃側の最大の戦死者を出した「ソンムの戦い」を例を見れば、それを容易に理解できる。

 1400門からなるイギリス軍の砲兵隊が、フランス北部にあるソンムのドイツ軍の塹壕に対して、6日間に渡って173万発の砲弾を休むことなく24時間連続で砲撃を加えたが、ドイツ軍の塹壕の破壊に失敗し、ドイツ軍の塹壕へ殺到したイギリス兵の損失が戦死19,240人、戦傷57,470人、行方不明者2,152人に上った。

 攻撃指揮していた英第4軍の司令官ローリンソン将軍は、第一回の攻撃の失敗は、長時間に渡る準備射撃が秘匿性と奇襲性を損なった事実を認め、わずか五分間の準備射撃後に夜間奇襲作戦を行い一定の戦果を収めることに成功した。

この教訓を見ると、ガダルカナルにおける日本陸軍の用兵が必ずしも理に適っていないとの批判は出来ないであろう。 むしろ、良く教訓を取り入れているとも言える。 つまり、解説は明らかに間違っていると断言できる。

では何故、日本陸軍の攻撃が失敗したのか?

理由は単純で、第一次世界大戦時の広大なヨーロッパと異なり、密林地帯では攻撃経路が自ずと限定されて、攻撃側の兵力が密集するため、簡単に待ち伏せして、火力を集中できるからである。

つまり、攻めるに難く守るに易き地形だからに他ならない。

番組中のナレーションを引用して表現するならば、「近代兵器による次元の違う戦いに入ったこと」を認識しているはずのアメリカ軍も、1944年11月に生起したヨーロッパ西部戦線のヒュルトゲンの森の戦いでアメリカ陸軍第28歩兵師団が、ドイツ軍によって文字通り壊滅した。

戦いの経緯はガダルカナルの日本陸軍とほぼ同じ形で、鬱蒼とした密林地帯に波状攻撃を加え、壊滅したのである。

これらガダルカナルとヒュルトゲンの森の戦訓は、攻撃側に不利な地勢で第二次世界大戦当時の装備や戦術レベルの小細工で野戦築城された陣地を突破することは、至難であると証明されたに過ぎない。

それをあたかも日本陸軍(というより日本人の)固有の瑕疵による敗因の追求は、批判のための批判と言っても過言ではないだろう。

番組中に「敵を侮り」との言葉も容易に使用しているが、戦時中に士気を鼓舞するために使用された言葉を、そのまま敵を侮る証拠とすれば、第二次世界大戦に参戦した全ての国家が当てはまるだろう。

将兵の前では楽観論を唱えるのは、全ての国家で行われた行為だからである。
むしろ、歴史を侮って学ばざる組織は、NHKの取材班の方ではないだろうか?
 
 明らかに内容が不足していますので、近日中に加筆する予定です。
 
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