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大災害の爪痕 〜FT現地ルポ(3/3)〜
2011.04.01(Fri) Financial Times
 
(2011年3月25日 Ft.com、第1回第2回はこちら)
岩手県大船渡市の被災地で、犬を抱えて歩く男性〔AFPBB News
の日、大船渡の瓦礫の中で、持ち帰れる物がないか探している人はサトウさんだけではなかった。
 
 少し離れたところで、足を引きずりながら線路に沿って歩いている2人の中年女性の姿が目にとまった。この単調な風景の中で生き物が動いている、と一瞬ショックに近い感覚が走る。
 
 1人は赤い杖をつき、毛糸で編んだ帽子を被っている。ほおの色はりんごのように赤い。もう1人は白いマスクをつけている。2人ともリュックサックを背負い、寒さに備えてしっかり着込んでいる。
 
 恐らく50代のシモダテ・ヒロミさんは喫茶店のオーナーだ。少なくとも、この間まではそうだった。
 
 この辺りにお店があったんですよ、と彼女は手を振りながら教えてくれた。「うちのものが何かないかと思って探してるんです。その、ほら、イスとかそういうもの」。何か申し訳なさそうな口調でシモダテさんはそう話す。
 
 地震が起きた時、2人ともこの喫茶店にいたという。連れのキムラ・ヤスコさんが、スマートフォンに収めてあった店の写真を見せてくれる。ピンクが基調の内装で、額に入った写真が何枚か飾られている。つい数日前の、別の時代に撮られたものだ。
 
 お店はすごく揺れた、とキムラさんは言う。津波警報が聞こえたので、大急ぎで車に乗り、海から離れたのだという。
 

チリ地震の記憶があり、逃げなかったお年寄り

 「ここではお年寄りがたくさん亡くなりました。逃げなかったんです。この辺りのお年寄りはみなさん、昭和35年のチリ地震を覚えていますから」。1960年のチリ地震は観測史上最大の地震であり、地球の反対側にある日本にまで津波をもたらした。
 
 「あの時は、ここまでしか津波が来なかったんです」。キムラさんはそう言って指さしたが、この辺りは荒れ果てた光景がずっと続いており、海岸に多少近いほかの荒地と区別がつかない。「お年寄りは、こんなところまで水が来るはずないと思ってたんですね。だから動かなかったんです」
 
 シモダテさんは言う。「この辺りの人は、家族を全員亡くしました。それに比べたら、私の被害なんか何てことない。隣の入り江は、もっともっとひどかったから」
 
 食料事情は自衛隊の活動のおかげで改善されつつある。筆者もこの後、自衛隊のトラックが何台か通るのを見かけた。
 
 「何日か前、自衛隊の人がおにぎりをくれたんですね。でも、1つのおにぎりを2人で分け合わないといけなかった。ガソリンもないんです。だから歩かないといけない」。シモダテさんはそう言って、マンガのキャラクターをまねて、ひじを伸ばしたまま腕を大きく振って歩いてみせた。そして、「これ、健康にいいのよ」と大きな声で笑った。
 

こんなことで町が有名になるなんて・・・

 「彼女の友達がニューヨークからメールしてくれたのよ」とシモダテさん。彼女とは、隣にいるキムラさんのことだ。「大船渡がテレビに映ってたんですって。私たち有名になっちゃったのよ。でも、こんなことで有名になってもねぇ」。シモダテさんは、あたかも後から思いついたかのようにそう付け加えた。
 
 「あっ、何かある!」 シモダテさんが甲高い声で突然叫び、前方に飛び出した。見ると、彼女は小さな、金属製の平らな漉し器を握りしめていた。みそ汁を作る時などに使う道具だ。以前の生活の残片と再会した彼女は、うれしさ半分悲しさ半分といった表情をしている。
 
 「うちのだって、すぐに分かった。毎日使ってた物だから」。シモダテさんはそう言って、荒涼たる風景の真ん中で、小さな漉し器を改めて見つめた。「何か哀れな感じがするわね」
 
まだ大勢の人が避難所生活を強いられている(写真は岩手県陸前高田市の避難所で、おにぎりを配るボランティア)〔AFPBB News
 
 翌日、大船渡の北東に位置する泊(とまり)という海辺の集落に足を運んだ。筆者には、前日訪れた大船渡とこことの見分けがあまりつかない。大船渡と同じように、ここにも人がいて作業をしている。
 
 サガワ・ヒデオさん(62歳)は青いスポーツジャケットを着て野球帽をかぶっている。側にいる妻のクミコさん(57歳)は、ひざ丈の青いスモックに明るい赤のコートという身なりだ。
 
 クミコさんは瓦礫の様子を杖でつついて調べており、ヒデオさんは住宅に使われていた材木をのこぎりで切っている。「たきつけにする」のだそうだ。
 
 サガワ夫妻は、避難所がある近くの丘の方を指し示して教えてくれた。逃げてきた70人ほどの住民がとりあえずそこに寝泊まりしているのだという。行ってみると、古い縫製工場に東地区の避難所の本部が設置されていた。
 

避難所の光景

 駐車場には、牛丼チェーン「吉野家」のトラックが1台止まっている。支援物資を届けに来たのだ。温かい食事を食べるのはあの地震の日以来だという人も多いかもしれない。
 
 一番大きな部屋に入ると、20世帯あまりの人たちが小さなグループに分かれて過ごしている。入り口の引き戸のそばには、靴や長靴が畳に沿ってきれいに並べられている。室内は暖かく、ストーブの上に置かれたブリキのやかんから湯気が出ている。誰もが床に座って、小さな声で話をしたり、テレビで原発の最新ニュースを見たりしている。
 
 子供たちは走り回っている。最愛の家族を失ってしまったのだろうか、ただぼんやりと宙を眺めている人も何人かいる。
 
 部屋の一番奥にはフェルトの赤い敷物が敷かれている。その上には折りたたみ式の長いテーブルがきれいにセットされており、何人かが手分けして緑茶のペットボトルを一定の間隔で置いていく。やがて、その隣にスチロール製の容器に入った牛丼が並べられる。
 
 午後6時半きっかりに「夕食です」というアナウンスが入る。誰もが静かにテーブルまで移動し、それぞれに両手を合わせて「イタダキマス」と言う。「謹んで受け取ります」という意味の言葉を食事の前に唱える、日本の習慣だ。食事が始まると、部屋はとても静かになる。きっと、すごくお腹がすいている人が多いのだろう。
 
 この避難所で筆者が最後に話しかけたクマガイ・トモヤさんは58歳の漁師で、地震が起きた時には自分の船に乗っていた。
 
 「船はいつも揺れている。当たり前だがな。だが大きな地震の時は水の動き方が違う・・・三角というか、ギザギザの波になるんだ。あれで大きいやつが来たと分かったんで、大急ぎで港に引き返した」
 
 クマガイさんは夫人と義理の母親を見つけて、車で安全なところに避難した。丘の上からは一部始終がはっきり見えたという。彼の話は、筆者がこれまでに耳にした津波の描写の中で最も生々しいものだった。
 

何度も何度も襲ってきた波、これからは高台で暮らしたい

 「最初の波は高さが7メートルくらいだった。こいつは防潮堤を越えなかった。ところが、波は一度引いてからまたやって来た。水の量は倍に増えていて、堤防をぶちこわした。その後も、波は何度も何度もやって来た。大きいやつも4回来た。いったん陸に上がった水は引かなかった。次から次へと海から押し寄せてきたからだ」
 
 クマガイさんはリアリストだ。この地区で再び漁業ができるようになり、住民が新しい住まいを見つけて元の暮らしを取り戻すには、非常に長い時間がかかるだろうと考えている。避難生活が何年も続く恐れもあるという。
 
 ご自身はどうするのか尋ねてみた。住んでいた場所に戻って、家を建て直して再出発するのだろうか?
 
 クマガイさんは、しばらく考えてから口を開いた。「これまでに大きな津波を何度も見てきた。もうたくさんだ。これからはもっと高台に住みたいと思う」
 
By David Pilling
 
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大災害の爪痕 〜FT現地ルポ(2/3)〜
2011.03.31(Thu)  Financial Times
 
(2011年3月25日 Ft.com、第1回はこちら
本で東北関東大震災と呼ばれるようになった大地震が発生した3月11日、筆者は北京にいた。中国人の中には、東京から1300マイル(約2100キロ)離れているのに、地面の揺れを感じたと話す人もいた。
 

北京で知った大震災の悲劇

 筆者は全世界の何百万人の人々と同じように、テレビで流される津波の映像と、次第に明らかになる悲劇の規模を、恐怖に駆られながら見ていた。この段階では、公式発表された死者の数はまだ100人に満たなかったが、巨大な波が町や空港を押し流していく恐ろしい映像は、それでは済まない事態であることを物語っていた。
 
 それから間もなく、福島第一原子力発電所の危機が報じられた。東京の北150マイル(約240キロ)に位置するこの原発では、非常用電源が津波によって破壊され、冷却システムが停止した。やがて原子炉とその近くの使用済み核燃料貯蔵プールにあるウランが過熱し、爆発と火災が発生。放射性物質が大気中に放出された。
 
 地震発生5日後の3月16日、筆者はかつて本拠地としていた東京に飛んだ。
 
FTの前東京支局長である筆者のデビッド・ピリング氏は、震災発生から5日後に東京に飛び、被災地に向かった〔AFPBB News
 
 そちらの様子はどうなっているのかと、飛行機に乗る前に友人たちに尋ねてみたら、来ない方がいいとの声が大半だった。余震や放射能の恐怖から逃れるために、既に日本国内のより安全な場所に移っていた友人も何人かいた。
 
 飛行機には60人の乗客がいた。機体が東京に向けてゆっくりと下降している時、自分がこれから降り立つのは地球の表面に根を張った島ではなく、ただ浮いているだけの不安定な土地なのだという考えが不意に浮かんだ。
 
 地下の力に揺さぶられ、荒れ狂った海に襲われて火だるまになっている土地だという想像にとらわれたのだ。
 

変わった東京と全く変わらない東京

 東京は変わっていた。と同時に、以前と全く同じでもあった。掃除の行き届いたターミナルビルのエスカレーターは節電のため止められていたが、手すりにしっかりおつかまりくださいとか、お荷物の置き忘れにご注意くださいとかいった例の甲高いアナウンスはそのままだった。
 
 一方、大半のコンビニでは、普段なら寿司、カレーパン、とんかつ、ごまスティック、タコの燻製などがたっぷり詰め込まれている棚が、空っぽに近い状態になっていた。
 
 東京では余震が続いていた。揺れが始まると人々の会話はすうっと途切れ、居合わせた人たちは揺れるランプシェードを不安そうに見つめた。普段なら時計を合わせるのに使えるほど正確にやって来る電車も、本数を減らしたり完全に運休したりしていた。
 
 レストランもその多くが閉まっており、開いている店も閉店時間を早めていた。サラリーマンとバーのホステスが深夜まで通りを埋め尽くすのが普通になっている都市では、あり得ないことだ。
 
 筆者が東京に着いたその日、天皇がテレビで国民に語りかけた。父君が1945年に、降伏と米国による占領に際して「耐え難きを耐え」るよう強く願ったように、明仁天皇もこの厳しい時期に団結するよう国民に求めた。「被災者のこれからの苦難の日々を・・・分かち合っていくことが大切であろうと思います」
 
 天皇はまた、「原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ」ているとも語った。筆者の友人の1人は、辛辣な口調で言った。天皇が担ぎ出されるということは、本当に深刻な状況なんだな、と。
 
 東京から岩手県に向かう。宮城県、福島県と並んで最も大きな被害を受けた県である。津波が去って1週間経っても、この地方では深刻な非常事態が続いていた。数十万人もの人々が避難を余儀なくされ、当局は瓦礫の中から遺体を探すのに懸命だ。住民は寒さと空腹に見舞われている。
 

岩手に向かうために、まず秋田へ

 車で北に向かうのは難しい。とはいえ、搭乗できる飛行機もほとんどない。最善の選択肢は、目的地である岩手県の沿岸部から100マイル(約160キロ)ほど離れた日本海側の秋田に飛び、そこから車を走らせるというルートだ。秋田行きの全日空便は、赤十字の職員や支援物資を抱えたボランティアで満席になっている。
 
 秋田で乗り込んだタクシーの運転手は、白髪のもじゃもじゃ頭をした老紳士だ。秋田にはほとんど被害がないそうだが、ここでも電気が2日間止まったという。まだ雪がしっかり残っている時期には、かなり不便だ。
 
 「コートを羽織って、手袋をはめて、さらにホカロンを詰め込まないといけませんでした」。ホカロンとは使い捨てカイロのことで、日本人は冬になるとこれをポケットに入れて自分の懐を暖めている。「そんな格好で布団に潜り込んだんですよ」
 
 その夜、ホテルで、掃除の行き届いた小さな部屋でテレビをつけた。女性アナウンサーが、行方不明者と、発見された人の名前を延々と読み上げている。姓を先に、名を後に読み、「さん」という敬称をつけるのが日本式だ。「サトウ・ヨシエさん、タカハシ・ミチコさん、スズキ・ミツコさん・・・」
 

カミカゼ特攻隊を思わせる消防士たち

消防士は、国を救うために決死の覚悟で放水作業に向かった(写真は施設の説明が入った東京電力福島第一原子力発電所の衛星写真)〔AFPBB News
 
 チャンネルを変えてみる。ニュース映像は、オレンジ色の制服に身を包んだ東京消防庁の消防士たちが、くすぶる原子炉への放水準備を進め、敬礼する姿を映し出していた。
 
 筆者には、国を救うために決死の戦いを命じられたカミカゼ特攻隊のことがどうしても思い出される。
 
 別のチャンネルは募金を呼びかけていた。「ドラえもん」という、青と白のツートンカラーのアニメキャラクターがマスコットに使われている。
 
 1時間ほどしてから最初のチャンネルに戻ったら、アナウンサーがまだ名前を呼び続けていた。「オノ・メグミさん、ウチヤマ・トモエさん、ウチヤマ・ミツコさん・・・」。テレビを消して眠ることにする。
 
 翌日。日本人カメラマンの瀬ノ上俊毅氏と合流し、筆者の運転で岩手に向かう。車には食料と水をたっぷり詰め込んだが、瓦礫の山をよじ登る時に履く安全靴など、まだ揃えなければならない物がいくつかある。
 
 そこで雑貨店に立ち寄るが、店先には売り切れてしまった商品の手書きのリストが貼られている。燃料を運ぶ容器、乾電池、ラジオ、懐中電灯、ポータブルヒーター、カセットガスボンベ、携帯電話充電器、直流交流インバーター、各種の燃料、水、お茶、ウォータータンクなどだ。
 
 「売れちゃった物は全部、単純だけど大事な物ですね」と俊毅はつぶやく。「水、火、通信――本当に欠かせない物ばかりだ」
 

突如目の前に現れた大船渡の惨状

 筆者らは緊急通行車両の確認証を持っている。これがあればガソリンを購入でき、一般車が利用できない高速道路も通行できる。鬱蒼とした杉林を横目に、まだ雪があちこちに残る山あいの道を走っていく。ほかの車の姿が全く見えないことを除けば、この近くで大災害が起こったことをうかがわせるものはほとんどない。
 
 壊滅的な被害を受けた沿岸部からほんの数マイルのところにあるパチンコ店「マルハン」の駐車場は、車で埋め尽くされている。だが、そこからもう少し走ったところで、大船渡の惨状が目の前に現れた。元大工で、消防団にも入っていたサトウさんに出会ったのは、それから1時間ほど後のことだ。(明日に続く
 
By David Pilling
 
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大災害の爪痕 〜FT現地ルポ(1/3)〜
2011.03.30(Wed)  Financial Times
(2011年3月25日 FT.com)
 
地震と津波は東北地方に最もひどい打撃を与えた。現地の惨状を目の当たりにしたデビッド・ピリングが、恐ろしい惨状と人々の毅然とした態度についてリポートする。
岩手県大船渡市の被災地で、瓦礫で埋まった河川〔AFPBB News
本の家屋では「敷居」が非常に重要な意味を持つ。敷居は外と内、すなわちパブリックとプライベートを分ける境目である。神道という日本古来の宗教では、2つの相反する世界を分け隔てると同時に結びつける、目に見えない空間だと見なされている。
 
 そのため、大船渡という港町に住む元大工のサトウ・セイザブロウさん(82歳)を自宅に訪ねる人たちが、家に上がる時に歌うように「オジャマシマス」と声をかけるのはごく自然なことだ。
 
 この言葉は、直訳すれば「I am about to disturb you(私はあなたに迷惑をかけるところです)」といったところだ。英語では「May I come in?(入ってもいいですか?)」と表現されるかもしれない。
 

入るべき「内」のない家

 ただ、実はサトウさんの自宅には、入るべき「内」がない。木でできた土台から、どこに敷居があったかは分かるのだが、この家は今や骨組みしかないも同然なのだ。折れた材木と割れた瓦の山に化けてしまった近所の多くの建物とは異なり、サトウさんの自宅には少なくとも屋根がある。しかし、壁は全く残っていない。
 
 居間からは、めちゃめちゃに壊れた白いセダンが見える。車は家の中にあるのか外にあるのかよく分からない。どちらであっても大した違いはない。瓦礫の山の中では、ものを区別するのが難しいからだ。
 
 実際、サトウさんの自宅の外には日本家屋の内装の象徴である畳が、泥まみれの踏み石のような状態で散乱している。自宅の中に入っても、訪問客は一部だけ残った床の上に散らばったクギやガラスの破片を避けながら、歩みを進めなければならない。
 
陸前高田市で行方不明者を捜索する自衛隊員〔AFPBB News
 
 家の中に上がる時に、靴を脱ぐという習慣をあえて無視するのはそのためである。失礼な行為には違いないが、そうせざるを得ないことを、誰もが言われるまでもなく了解している。
 
 筆者は、ほとんど筆舌に尽くしがたい大船渡の惨状を高台から調べている時にサトウさんを見つけた。
 
 筆者の同僚のミュア・ディッキーは、この近くの陸前高田市に最初に取材に入ったジャーナリストの1人だが、同市の被害は――もしそのような状況を想像できるとするならば――大船渡以上に壊滅的だった。
 
 彼はその時の経験を、原爆を投下された後の広島の写真の中に足を踏み入れたようだったと表現している。筆者自身は、米国の作家コーマック・マッカーシーが書いた小説『ザ・ロード』を思い浮かべた。終末を迎えた世界で、父と子が荒れ果てた土地を旅する物語だ。
 
 ただ、どちらの比喩も、大船渡をはじめとする海岸沿いの多くの町が、火ではなく水によって破壊された事実を無視している。
 

猛獣のような巨大津波

 筆者が町の人たち――その多くは漁師だ――に話しかけると、彼らは津波の高さが10メートルに達したという報道をあざ笑う。そんなんじゃ済まない、少なくとも20メートルはあったとか、たぶん23メートルか24メートルぐらいだといった答えが返ってくる。30メートルあったに違いないと断言する人もいる。
 
 正確な高さはともかく、津波は猛獣のようにこの町に襲いかかり、かつて強大だった防潮堤を突き破った。今ではその堤防の破片があちこちに転がっている。津波は家や漁船を、車や人を飲み込み、一度後退してから再び町に攻め込んできた。激流に飲み込まれたものの残骸は凶器と化し、壁や鋼鉄の板を、そして人の身体を突き刺した。
 
岩手県大船渡市で、生存者を捜索する米救助隊員〔AFPBB News
 
 大船渡を襲った津波は、3月11日午後2時46分に東北地方の沖合約70マイル(112キロ)の地点で生じた、マグニチュード9.0という観測史上4番目に大きな地震がもたらしたものだった。
 
 報道によれば、この津波は発生直後、時速500マイル(800キロ)という飛行機並みの速度で伝わった。海岸に近づくにつれて減速し、新幹線並みの速度になってから自動車並みの、そしてスポーツ選手並みの速度になったという。
 
 それでも、高台に避難できなかった人々にとっては、まさに止めようのない流れであり、津波はあっという間に襲い掛かってきた。
 

人間の作った世界が「はらわた」を吐き出した

 筆者にできるのは、その爪痕の描写を試みることぐらいである。この光景を見て最初に抱いた印象は、人間の作った世界がその「はらわた」をすべて吐きだしたというものだった。
 
 普段は覆い隠されているもの――建物の鉄筋や配管、電線、発電機、さらには陶器や書棚、テレビその他の現代生活の細々したもの――が、歪んだ光景の中に吐き出されている。そして、ずたずたになった車がある。ひっくり返ったり横倒しになったり、きちんと上を向いたりして、まるで見えざる手が置いていったかのように木の枝や土手の斜面に点在している。
 
 流されずに残った家もいくつかあるが、その多くは酔っ払いのように傾いている。元の場所から数百メートル流されてしまった家屋も少なくない。
 
 へし折られた木材、くしゃくしゃになった金属板、風にはためくプラスチックシートなどを見ていて、最初に気づいたものの1つが、逆さまにひっくり返ったまま、とても悲しそうな表情で寒空を見上げているシカだった。よく見ると、その蹄(ひづめ)は緑色の台にくっつけられており、剥製のコレクションの1つであることが分かる。
 
 なるほど、近くにはシカがもう1頭おり、歯をむき出しにしたイタチ、ワシ、そしてフクロウの剥製も転がっている。さながら世界が丸ごとドラム式の乾燥機に放り込まれたかのようで、本来あるべきところに、あるべき姿でとどまっているものは何一つない。
 

地獄の様子を見ようとして屋根にとぐろを巻くヘビ

 この変わり果てた町の風景に少し慣れると、もっと奇妙なものが見つかるようになる。
 
 それが何であるか理解するのに数分かかった。ほんの数メートル先で巨大なタンクローリーが、まるで空から降ってきたかのように、頭から地面に突き刺さっているのだ。また、ある家の上には、毒々しい緑色の針金の束が引っかかっている。フェンスだったのだろうか、それとも高圧線の鉄塔の一部だったのだろうか。
 
 筆者にはこれが、地獄の様子を少しでも高いところから眺めようと、ぐらつく家の屋根でとぐろを巻いている邪悪なヘビに見えて仕方がない。
 
 この谷の底には大きな建物がいくつか残っているが、いずれも1階と2階の壁は津波にはぎ取られてしまっており、ドールハウスのグロテスクなパロディのようだ。ちゃんとした形で残っているのはもっと高いところ、つまり海――今は死んだように穏やかだ――から離れたところにあるものだけだ。
 
 この違いは強烈だ。片方の側の建物は文字通り壊滅状態にあり、もう片方の側の木造住宅には手入れの行き届いた松の木と石灯籠のあるきれいな庭が残っているのである。後者こそ、以前の大船渡の風景にほかならない。
 
 筆者はそんな町の中でサトウさんを見ていた。「ダッズ・アーミー(Dad's Army)*1」のように白い安全ヘルメットを被り、瓦礫の中で何かを探しているサトウさんは、青みを帯びたオーバーオールを着て、足には紫色のゴム長靴を履いている。
 
 近づいてみると、彼が高齢で、右目が不自由であることが分かる。年の割には丈夫な方だが、ぜいぜいと息を切らしながら働いている。筆者と話をしていたサトウさんは、途中で不意に、瓦礫の山から拾い集めた物が積んであるところに足早に向かい、ひさしの付いた黒い帽子を取り出して戻ってきた。消防団にいた時に使っていたのだという。
 
 ぎくしゃくした動きで安全ヘルメットを脱ぎ、その帽子を被ると、片手をすっと挙げて敬礼してみせた。帽子は冷たい雨水をたっぷり含んでいて、その滴がサトウさんの頬を伝っていった。
 

何かをやろうとする強い目的意識

 筆者がサトウさんを見ていてすぐに気づいたのは(この後も、ほかの方々から同じことを感じることになるのだが)、何かをやろうという目的意識があることだった。もし町が破壊された光景を無視することができたら、大船渡は人々が忙しく働いている賑やかな市場町に見えるかもしれない。
 
 サトウさんが自分の持ち物を拾い集めて袋に詰めていく様子からは、あきらめの気持ちはほとんど感じられず、この仕事をやらねばならぬという気概ばかりが伝わってくる。「ガンバリマス」。彼はこの国のあちこちで使われる励ましの言葉を口にした。「全力でやらねばならん」
 
 時折息を切らしながら、サトウさんは夫人とともに避難した時の状況を話してくれた。「地震が来た時、80歳になる妻は頭を打って足も痛めた」そうだ。だが大船渡(この町では過去に襲来した大津波で時代を区切っている)のほかの住民たちと同じように、2人とも大津波がすぐにやって来ることが分かっていたため、一目散に高台を目指したという。
 
 「あの家を見てくれ」。サトウさんはそう言って、崩れた家屋の残骸を指さした。その先には赤い瓦ぶきの屋根があるが、今ではもう1メートルほどの高さしかない。「昭和8年の津波にもやられなかった家が、今じゃこの有り様だ」
 
 サトウさんは筆者を自宅に招き入れてくれた。中に入ると、ぷんと潮の香りがする。聞けば、仏壇を見せたいのだという。昨年亡くなった母親のために作ったのだそうだ。この家では、かつて居間だったところの片隅にしっかりと据え付けられた、金箔と黒漆が美しいこの仏壇だけが無傷だった。(明日に続く
 
*1=第2次世界大戦中の民間軍事組織をテーマとした英国の古いコメディー番組
By David Pilling
 
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本日は午後3時55分から番組がスタート。青山氏は出演しますが「ズバリのコーナー」はありません。

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▽福島第一原発で何が? 原発事故に対する政府のズサン対応 青山解説
▽“大津波警報”出ていたのに 和歌山沿岸部で避難率2%…“逃げない”人間心理とは
▽午後3時55分スタート

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