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イタリア

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La nave da battaglia "Littorio"  イタリア海軍ビィットリオヴェネト級戦艦『リットリオ
The Vittorio Veneto class battleship "Littorio"
 
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 本日2013年9月9日は、第二次世界大戦中の1943年にイタリア海軍最新鋭戦艦「ローマ」がドイツ軍機は新型兵器であるフリッツXによる攻撃で轟沈してから70周年にあたります。
 
 そこで、本日は戦艦「ローマ」戦没70周年記念特集としてアマゾンの軍事関連書籍の書評を行います。
 
 
 戦艦「ローマ」をご存知ない方リンク先の"Wikipedia"の項目をご覧下さい。
 
 下にアマゾンに公開したレビューを掲載します。
 
「抱腹絶倒戦艦の実態に迫れず」
評価 ★★★★★
イメージ 1本書の第一特集は日本海軍の局地戦闘機「雷電」です。第一特集の記事の大部分を野原茂氏が執筆しています。

第二特集は、2012年6月28日にイタリア海軍が、ドイツ空軍の爆撃を受け沈没した第二次世界大戦当時のイタリア海軍最新鋭戦艦「ローマ(Roma)」を、イタリア・サルデーニャ(Sardinia)島の北方沖30キロメートルほどの水深1000メートルの海底で発見したと報道されて一躍脚光を浴びたイタリア海軍のヴィットリオ・ヴェネト級戦艦を取り上げています。

ヴィットリオ・ヴェネト級戦艦の詳細を取り上げた日本の軍事書籍は他に無く、その意味で貴重な本書に星5つです。
 
 明らかに内容が不足していますので、今年中に加筆する予定です。
 
 上のアマゾンに公開したレビューにご賛同いただける方で、アマゾンの「このレビューは参考になりましたか?」の項目に「はい」にクリックをお願いします!
 
 レビューへの賛同を頂けるとより多くの人にアマゾンでのレビューが見られる仕組みになっております。
 
 冒頭の写真は、ブログ「旧日本海軍・艦艇写真のデジタル着彩」様の作品「Regia Marina 〜イタリア海軍」より引用しました。
 
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 本日、第二次世界大戦中の1942年北アフリカ戦線に於ける第二次エル・アラメイン会戦にて、イタリア陸軍が世界に誇る精鋭部隊「フォルゴーレ」空挺師団がイギリス軍に痛撃を加えてから70周年にあたります。
 
 そこで、本日は第二次エル・アラメイン会戦70周年特集としてアマゾンの軍事関連商品の評価を行います。
 
 書評の対象は、「砂漠の戦場 エル・アラメン [DVD]です。
 
 第二次エル・アラメイン会戦をご存知ない方リンク先の"Wikipedia"の項目か関連動画をご覧下さい!w
 
 下にアマゾンに公開したレビューを掲載します。
 
「イタリア陸軍 WW2史上最大の激戦」
評価★★★★★
 この映画は、イタリア陸軍が世界に誇る精鋭部隊「フォルゴーレ」空挺師団(「フォルゴーレ」を和訳すると「雷電」)が、北アフリカに上陸してから、第二次エル・アラメイン会戦でイギリス軍との死闘の末、壊滅的な打撃を受けるまでを描いた戦争映画です。

 一般的にイタリア軍は弱いイメージがありますが常にそうではなく、本作の主人公である「フォルゴーレ」空挺師団やクライマックスシーンで僅かに登場する「アリエテ」戦車師団など精鋭の名に相応しい活躍をした部隊も存在します。本作では詳細な説明がされていませんが、「フォルゴーレ」空挺師団は当初、アフリカ枢軸軍の補給路を脅かすマルタ島攻略作戦のため、ドイツ軍空挺部隊「ラムケ旅団」より訓練を受けたものの、マルタ島攻略作戦が中止、万年兵力不足(本作では、面白い形でこの台所事情を描写しています)のドイツ・アフリカ装甲軍への助っ人として、エル・アラメインの南部地区の守備に回されます。この背景を、本作ではモントゴメリー将軍への前任者から引継ぎの場面で説明された概略の背景です。
 
 そして様々な紆余曲折を経て1942年10月23日、英軍が「ライトフット」作戦を発動。運命の「第二次エル・アラメイン会戦」を迎えます。Wikipediaの「エル・アラメインの戦い」の項目よりより「フォルゴーレ」空挺師団の活躍を抜粋すると、(以下、引用文)
 

10月23日から11月1日にかけて、連合軍の反攻を効果的に阻害したのは、ドイツ軍がお荷物扱いをしていたイタリア陸軍であった。南部地区を守るフォルゴーレ空挺師団は兵力比1:13、戦車比1:70、歩兵用の対戦車装備は火炎瓶と地雷だけという絶望的な状況にもかかわらず、大胆な肉薄攻撃によって連合軍の戦車部隊に損害を強要し、本格的な攻勢を2度に渡って退けている。イタリア軍部隊の思わぬ抵抗とそれによる損害を知ったチャーチルは「彼らは獅子の如く戦った」と賞賛したと言う。ただし同師団の損害も著しく、DAKと共にイタリア軍がこの地を撤退したときには壊滅状態であった。(引用終了、2012年10月25日閲覧)
 

 本作の唯一の欠点は、上記した「フォルゴーレ」空挺師団の死闘を完全に描ききれていない点で第二次エル・アラメイン会戦時の「フォルゴーレ」空挺師団の戦闘の詳細を述べると、10月25日に22両の戦車を撃破、その夜、夜襲を掛けた英歩兵師団と肉弾戦を演じた後、26日には52両の戦車を撃破したものの損害甚大で1100名の犠牲者を出し、「フォルゴーレ」空挺師団は、英軍に降伏しています。

 本作では、面白いように英軍の戦車を撃破していますが、あれ以上の活躍をしたのが史実の「フォルゴーレ」空挺師団でした。当時の予算と技術力では、完全に「フォルゴーレ」空挺師団の勇姿を再現できなかったことが悔やまれますが、それでも比較的史実に近い形で「フォルゴーレ」空挺師団の勇名を後世に残した作品に経緯を表して、星5つです。
 
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 本日、11月4日1918年第一次世界大戦おけるイタリア戦線の停戦協定が発効し、イタリアオーストリア・ハンガリー帝国に勝利したことを記念した、イタリアの国家統一と陸軍の日にあたります。
 
 そこで、本日も毎回恒例のアマゾンの軍事関連媒体の評価を行うことにしました。評価の対象は、「イタリア軍入門 1939〜1945―第二次大戦を駆け抜けたローマ帝国の末裔たち (ミリタリー選書)です。
 
 イタリア戦線の詳細をご存じない方は、リンク先の"wikipedia"ご覧下さい。下にアマゾンに公開したレビューを掲載します。
 
本書のテーマ、それは愛…。
評価 ★★★★★
 本書は、一貫してイタリア軍に対するある種の愛によって貫かれている。
 無論、それは偏愛ではなく無私の愛と呼べる視点に立脚した愛である。
 では、それは具体的にどの様な形で語られているのであろうか?

 基本に陸海空軍の組織や兵器ごとの項目に紀伝体を用いつつ、編年体で時系列を語る独特な語り口になっている。そのため、自分にとって興味の無かったり、気ままに読書を楽しみたい方には、興味のある組織や兵器のみを読んで、その他は後回しや読まなくても支障を来たさない親切な文体で、本書は綴られている。

 本書を読了後の感想は、本書のレビュー趣旨とずれるが「もしイタリアが中立を維持し続けていたら、 第2次世界大戦の戦局は、どうなっていたのであろうか?」である。

 そうなると、北アフリカ戦線は存在せず、バルバロッサ作戦の発動が早まり、なおかつ投入兵力は北アフリカに行く予定の兵力も増加される、北アフリカからの爆撃も旧フランス植民地からのみの限定的なものになり、無論、イタリア戦線など出来ようは筈も無い。

 その結果は、どう転んでも史実より遥かに強大なナチス第三帝国が、連合国の目の前に立ちはだかる悪夢のような図式が現れる。

 そう考えると、イタリアにとってムッソリーニの愚行の極みと言える第2次世界大戦の参戦は、世界史の視点から見ると極めて優れた英断になるのである…。

 この歴史的な構図をより、細部に渡って知り方は本書をお手にとって貰いたい。イタリア人とっては悲劇の、後世の人々にとっては悲喜劇的な物語を。
 
※なお、このレビューは書き掛けです。近日中に改訂いたします。
 
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「いじめ」をする生徒はぶん殴り、停学処分だ
マキァヴェッリ先生ならこう考える(1)
2011.07.22(金) 有坪 民雄
 
ニッコロ・マキァヴェッリの肖像画(ウィキペディアより)
イメージ 1回からニッコロ・マキァヴェッリ(1469〜1527年)をテーマにした連載を始めます。
 
 今、なぜマキァヴェッリなのか? 私が書きたいから、というのが本音なのですが、私自身、マキァヴェッリに教えてもらったところが大だからです。この世で一番タチの悪い人間は必ずと言っていいほど正義の仮面をかぶっている。そうした現実を目の当たりにし、どうすればいいのかを知ろうとしたのが、マキァヴェッリを読み始めたきっかけでした。
 
 しかし、のど元すぎればなんとやら。マキァヴェッリの教えを守っていた時はいいのですが、そのうち忘れることが多くなり、失敗を繰り返すはめになります。実際よく忘れるので、今も失敗が多いのは我ながら頭が痛い問題です。
 
 この連載は特に、今、理不尽な目に遭っている方、不安の前に潰れそうになっている方に読んでいただきたい。そんな方が逆境を跳ね返す手がかりになる連載を目指したいと思います。よろしくお付き合い下さい。
 

支配者がしていることを民衆にバラしてしまった書

 マキァヴェッリはルネサンス期のイタリアに生まれ、フィレンツェ共和国の第二書記局長となりました。第二書記局は外交を担当する第一書記局より下に見られていましたが、内政と軍事を担当するフィレンツェ政府の中枢です。
 
 家柄や学歴、そして年齢が要職を得るのに大きな影響力を持っていた時代、家柄は悪くはないですが上の下といったところ。学歴はなく30歳にもならない若造が、こんな要職につけた理由は今もよく分かっていません。しかし有能だったのは確かで、ほどなく外交官としても頭角を現します。
 
 そのマキァヴェッリの代表作「君主論」は、権謀術数の書、異端の思想書とも言われることが多い本です。
 
 そんな評価をされる原因の1つは、目的のためには何をしてもかまわないのだと読む人が多かったことが挙げられるでしょう。
 
 しかし、原因はそれだけではありません。もう1つの理由。それは支配者たちが何をやっているのか、民衆にバラしてしまう書物だったからです。
 
 中世ヨーロッパでは、貴族や教会の司祭など、知識人階級とされていた人たちはラテン語で読み書きし、民衆にラテン語を教えることは禁止されていました。理由は簡単。知識は支配者のものであり、民衆のものになったら都合が悪かったからです。聖書を民衆が読めるようになったら、教会の司祭がいなくとも民衆は神の言葉に触れることができます。
 
 そんなことになったら司祭の存在価値がなくなるだけでなく、教会が利権団体に変質していることまで民衆にばれてしまう。民衆は愚かなままで置くべきである。それが当時の知識階級=支配階級の考え方でした。
 
 民衆が常用している各地の言葉が文字を持っていなかったのも幸いして、こうした知識隔離政策は1000年維持されてきました。
 
 しかし、14世紀初頭、ダンテが、「神曲」を書きます。「神曲」はラテン語ではなく、ダンテの出身地であるトスカーナ地方フィレンツェの言葉で書かれ、これがイタリア語の基礎となります。言い換えれば、この時、イタリア語が文字を持ったのです。
 
 15世紀中盤にはグーデンベルクが活版印刷で聖書を作り、16世紀の1517年、ルターが95カ条の論題を発表。宗教改革が始まります。改革派は民衆を味方につけるため、ドイツ語聖書をはじめとした大量の印刷物を使い、宣伝活動を行います。印刷物のコストは下がり、本が買えるようになった民衆も文字を覚え始めます。
 
 そんな、1532年に出版されたのが支配者のマニュアル「君主論」です。それまで民衆を無知にさせることで成立していた支配階級の利権は脅かされます。そうなると困る人たちが、君主論をけなそうとするのは当然のことです。
 

「いじめ」を止められない現在の学校

 翻って現在の日本で君主論を読むことは、一体どのような役に立つのでしょう?
 
 誤解を恐れずに言えば、1つは私同様、「学校で教えられなかった社会の知識や見方が身につく」ことではないでしょうか。
 
 学校の問題として挙げられることの多い「いじめ」を考えてみましょう。
 
 AがBをいじめているとします。BはAにいじめられていることを親や先生に言います。Aに「いじめはやめましょう」と言ってAが聞き入れれば問題は解決です。しかし、言うことを聞かなければいじめは続きます。しかも今度は「親や先生に言うともっといじめるぞ」と脅迫がついてきます。そんなAに対し、親や先生の扱いは、せいぜいこんなものです。
 
 「話し合いをしましょう」「仲直りしましょう」
 
 話し合って解決するものなら、とうの昔にしているでしょう。誰も「Bをいじめたら、お前をずっといじめてやるぞ」とAに宣言したり、「Aは悪い子だから転校させろ」「Aを学校に来させるな」など、実行はおろか言ってもくれません。
 
 もし親がそんなことを言おうとすれば、モンスターペアレント扱いです。周囲から孤立することになります。周囲を見わたせる親ほど、自分の子どもがいじめられているのに周囲に「お願い」しかできません。
 
 何かのきっかけでいじめが止むまで、Bは我慢するだけになるでしょう。親や教師の言う「道徳」の無力さに子どもは打ちのめされます。場合によっては登校拒否になったり、自殺する子も出てきます。
 

ピストイアの治安を乱していた「やくざ抗争」

 <君主たるものは、自分の領民を結束させ、忠誠を誓わすためには、冷酷だなどの悪評をなんら気にかけるべきではない。なぜなら、あまりに憐れみぶかくて混乱を招き、やがては殺戮や略奪をほしいままにする君主に比べれば、冷酷な君主の方は、ごくたまに見せしめの残酷さを示すだけで、ずっと憐れみぶかい人物になるからだ。>
 
(「君主論」池田廉訳 マキァヴェッリ全集 筑摩書房)
 
 フィレンツェ政府が支配していたピストイアという街で、長年パンチャティキ家とカンチェリエーリ家という2つの勢力が争っていました。フィレンツェの統治方針は、パワーバランスを取ること。要はどちらも相手を圧倒しないように、強い方の足を引っ張り、弱い方に味方する方法を取っていたわけです。
 
 ところが1501年、チェーザレ・ボルジアがフィレンツェを支配しようと進軍してきます。この時ピストイアでは、フィレンツェの支配が緩んだ隙にカンチェリエーリ家が戦争を仕掛け、パンチャティキ家をピストイアから追い出します。カンチェリエーリ家は敵がいなくなったのをいいことに略奪、強盗、強姦、殺人などやり放題という状態になりました。
 
 フィレンツェはこれを放置できません。支配者のプライド以前に、カンチェリエーリ家は当時フィレンツェから追い出されていたメディチ家側に属する党派だからです。彼らを放置しておくとメディチ家と組んで反政府戦争を仕掛けてくる恐れがあります。実際、他の場所で発生した反乱には、メディチ家が明らかに関係していたのです。
 
 そのため、フィレンツェはピストイアに軍隊を駐留させ、パンチャティキ家を呼び戻して和平を結ばせます。それでしばらくは静かだったのですが、フィレンツェが他の戦争準備のため軍隊を引き揚げると、またパンチャティキ家が追い出され、カンチェリエーリ家が暴れます。しかし、この時にはフィレンツェは他の戦線に軍隊を取られ、派遣できる軍隊がなかったのです。当然、カンチェリエーリ家はやりたい放題をします。
 
 フィレンツェの役人だったマキァヴェッリは、どうすればピストイアの治安を回復できるか何度か視察に行っています。ピストイアの反乱を鎮める方法として、マキァヴェッリは両家を武装解除し、党派行為を禁止するために名前や紋章までも消し去り、犯罪者の処罰や追放、そして不法に取られた財産の返還など秩序回復の手段を提案しています。
 
 フィレンツェはフランスから軍隊を派遣してもらった後、両家の者は指定の日に指定された場所に出頭せよ、さもなくば攻撃すると宣言します。これを受けて両家は出頭し、ピストイアの混乱は収束に向かいました。
 

いじめをする生徒を放置すると被害はどんどん広がっていく

 しかし2年続いた反乱は、多くの爪痕を残したのです。マキァヴェッリに言わせれば、和平を結ばせるなどと手ぬるいことをやっていたから多くの犠牲者が出たという立場です。彼はこの反乱のきっかけとなったチェーザレ・ボルジアのやり方に学べと言います。
 
 この頃、フィレンツェの東方にあるロマーニャ地方は無能な君主がたくさんいて人心は荒廃し「ありとあらゆる無法がまかり通っていた」ところでした。
 
 その無能な君主を殺したり、追い払ったチェーザレ・ボルジアは住民の心を掴むために善政をやらねばならぬと考えます。チェーザレは、冷酷かつ有能なレミッロ・デ・オルコという人物を派遣し、秩序回復にあたらせました。犯罪者は次々に逮捕され、投獄され、特に悪い者は処刑されまくったのです。そのため秩序は急速に回復し、住民はチェーザレを自分たちの君主として認め、忠誠を誓ったのです。
 
 その忠誠心がいかに強かったのかは、チェーザレが教皇ユリウス2世に嵌められ、失脚した時に示されました。チェーザレの領地を取りに来た教皇軍に対し、最後の最後まで抵抗し、チェーザレが城を明け渡せと命令を出すまで投降しませんでした。
 
 さて、マキァヴェッリが現代の学校でのいじめを見たら、どのような対処法を取るでしょうか?
 
 おそらく、いじめの元凶となっている生徒を即座にぶん殴り、それでも聞かないなら登校禁止や退学にするなりして、それ以上問題が大きくならないようにするでしょう。
 
 言って聞かせて従わない者を従わせようとしてムダに時間を浪費する間に、被害はドンドン広がっていきます。まず全ての生徒が問題解決のできない先生の権威を疑います。生徒によっては先生を軽蔑するでしょう。弱い立場に置かれた生徒は登校拒否になったり、場合によっては自殺したりすることになるかもしれません。そういう状態になるのが分かっていて、放置するのが正しい教育者の態度でしょうか。
 
 少数の悪い生徒を傷つけることに躊躇し、多くの善良な生徒が傷つくことを許容する。それはマキァヴェッリに言わせると、生徒に対して冷酷な先生のすることです。
 

【訂正】記事初出時に、「君主論」の訳者名が永井三明氏とありましたが正しくは池田廉氏でしたので訂正いたします。本文は修正済みです。(2011年8月1日)


JBpress.ismedia.jpより引用

 
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