ハイ、タケゾウですっ

考えすぎる宇宙人院生のブログ。言いっ放しの言われっ放しでどうぞ。

病と回復 addiction

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名医。

おいらが薬をやめるときには

大きな力の配慮があったのだが

その一つに

ある名医との出会いがある。


彼の名は森岡洋。

神経症の治療では有名な医者だ。

当時でもかなりのお歳だったように思うので

いままだ活躍しておられるかは定かでない。


その森岡洋に一度だけ診てもらった。


その日おいらは薬をやめて数日、

離脱による不眠とパニックの連続に

いつリラプス(薬物の再使用)してもおかしくない状態だった。


周りに誰かいなければ

間違いなく薬を購入して飲んだだろうし、

周りに誰かいても

自分には薬が必要なんだ、と そればかり繰り返していた。


病院に連れて行ってくれ

狂いそうだ

自分には薬が必要だ…。


最初は 大丈夫、大丈夫 と言ってくれていた仲間も

最後には、それはお前の病気だ

病気が言わせているんだと

語気を荒げる始末だった。


それでも収まらず、ゴネまくる おいらに

とうとう仲間は病院に連れて行ってくれた。


今思うと、

どうしてあの病院だったのかわからない

当時の沖縄ダルクでは 何軒かの病院との関わりがあり

必ずしもその病院はよく使われていたわけでもない。


今もって不思議の一つ。


そしてその病院でおいらを診たのが 森岡洋だった。

彼は手際よく おいらの訴えを聞いた。


おいらが何か言うたび、

同伴したダルクのスタッフが

先生、こいつに薬出したらあかんでぇ などと

関西弁で 余計なことを言ってくる。


森岡はそれに耳を傾けるとも 傾けぬともなく

ただ一言

ダルクの掃除でもしていなさい。

その方が良くなるよ と言った。



なんの戦利品もなく病院から戻ったおいらは

それからの一週間

薬を飲む代わりに

ダルクの掃除をした。



結局、その一回だけで

その後、森岡洋とは会っていない。


そして、その一回の診察以来

今日まで精神科の治療を受けていない。


名医とは

そんなものだろう。

ナルシスト

発症機序

ナルシシズムが生じる原因は解明されていない。遺伝とも、育て方の問題とも、社会のアノミーが社会適応の過程を混乱させるためとも言われている。ナルシシズムについては研究が少ないばかりか、診断基準でさえも曖昧なので、どれかの説に落ち着くのは遠い未来のことだろう。

精神分析によると、誰でも子供のうちはナルシシズムをもっている。ほとんどの幼児は自分が世界の中心で、もっとも重要で、何でもできるし何でも知っていると感じる。一方、両親は神話の人物のように、不死で恐るべき力を持つが、子供を守り育てるためだけに存在するものとみなされる。このように、自他は観念的に位置づけられる。それを心理学のモデルでは原始的ナルシシズムと呼ぶ。

成長にしたがって、原始的ナルシシズムは現実に見合った認識に置き換えられてゆく。この過程が予測できないものだったり、過酷だったりすると、幼児の自尊心は深く傷つけられる。さらに重要なのは親(最初の他人)の助けである。親の助けが足りなくてナルシシズムを育ててしまった大人は、自尊心の働きで、自他を観念的にきわめて重く見ること(観念化)と、逆に軽く見ること(デバリュエーション)の間で揺れ動く。幼い頃に、自分にとって重要な人物に根本から幻滅し、落胆することがナルシシズムにつながると考えられている。健常な成人は自分の限界を受け入れる事が難しくなく、失望や逆境や失敗に耐えられるため、彼らに起こる出来事が自尊心を侵すことはない。 また自分は人に良く褒められるという場合は大体嘘が多く、相手にして欲しい為という人も居る。そのためナルシシズムの場合嫌われる確率が高いが、自慢話は本人が満足したいだけなので気にしないほうが良い。

ナルシシズムの動態
原始的防衛機構

ナルシシズムは分離と関連した防衛機構である。ナルシシストは他の人、環境、政党、国家、民族といったものを、よい要素と悪い要素が混じったものとして見ることができず、観念化かデバリュエーションのどちらかに偏る。すなわち、対象を完全な善か完全な悪に振り分けてしまうのである。悪いアトリビュートは常に投影されるか、別のもので置き換えられるか、外的要因に帰せられる。よいアトリビュートは、膨張した(誇大に考えられた)自己認識を支持し、自信喪失や幻滅を遠ざけるものとして内面化される。

ナルシシストは自己愛備給、すなわち注目されることを求める。それによって傷つきやすい自尊心を制御するのである。

家族の機能障害

ナルシシストの多くは正常に機能していない家庭に産まれる。ナルシシストを生み出す家族の特徴は、家族に問題があることを内外に対して強く否定することである。このような家庭では虐待が珍しくない。子供は優秀になることを望まれるが、それはナルシシズムの目的に至る手段としてでしかない。両親は、貧困や未熟な感情、そしてナルシシズムといった素因をもち、そのために、子供の能力の限界と感情の要求を正しく認識し尊重することができない。その結果、子供の社会化は不完全になり、アイデンティティーに関わる問題が起こる。

分離と個体化

精神動態理論によると、両親、特に母が社会化を促す最初の要素になる。子供はもっとも重要な、人生のすべてに関わる疑問の答えを母に見出す。その疑問とは、自分はどれくらい愛されているのか、世界はどれくらい理解できるのか、といったことである。より後の段階では、精神的な結合に加えて身体的な結合を漠然と望む初期の性欲が、男の子なら母に向けられる。ここで母は概念化・内面化され、精神分析で「超自我」と呼ばれる良心の一部になる。

成長は母から離れることとエディプス・コンプレックスの解決、つまり性的関心を社会的に適切な対象へ向けなおすことを含む。これらは自立して世界を探求し、自我を強く意識するために重要である。どの段階が妨げられても、正常に分化することはできなくなり、自立した求心力のある自我は形成されず、他人への依存と幼稚症を呈する。ときには子離れしない母によってその障害が起こされることもある。

子供が親から離れ、それに続いて個体化をとげることは広く認められている。ダニエル・N・スターンは、著書“The Interpersonal World of the Infant” (1985年)で、子供は最初から自我をもち、自分と親を区別するといっている。

幼年期のトラウマと自己愛型の発達

幼年期の虐待とトラウマは、模倣戦略と、ナルシシズムを含む防衛機構を働かせる。模倣戦略のひとつは、内面に引きこもり、絶対に信頼できる源泉から、つまり自らの自我から満足を得ようとすることである。拒絶と虐待を恐れる子供は、他人に触れることを避け、愛と充足の妄想に逃げ込む。繰りかえし傷つけられることが自己愛性人格障害の誘引になる。

うーん・・・

まあ、良しとするか。

酒井法子に始まる 一連の薬物報道では
珍しくダルクは やられっ放し。


怖い、ひどい、のオンパレード。

最初から吊るし上げる目的しかないのだから
当然といえば当然。

事実を伝えよう、なんて姿勢はどこにもありません。


放送局に書かれたシナリオに
当事者の発言が都合よく編集されて埋め込まれて

言葉を発した当人の意味と
正反対に聞こえるように使っちゃうんだから

メディアは恐ろしいったらありゃしない。


こんな中だから、
取材は慎重に受けました。

意図的に意味を組み替えられないように、

自分の発言をバラバラに編集された場合でも
否定的に取れるような意味にならないよう、

コトバのひとつひとつに細心の注意を払いました。(とても疲れた)


その甲斐あってか、今日の放送では
とりあえず最低限のことは伝えられたのではないか、と思います。

ココ最近のやられっ放しの状況をすれば
まあ、良しとするか。


一番言いたかったこと、

一連の報道で
女性の依存者は ますます“助けて”の手が挙げられなくなってしまったこと。

そこは見事に映ってなかったですが。

その話、乗った。

この週末、大学院の合宿で寝不足の朝には

闇友からのお誘いが・・・。


「今から行くからよ〜〜〜
  なんちゃってハウス見に行こう!」って。


え  −0−;


ココで迷っちゃいけません。

そう。

新しい生き方にあっては、
こういう無茶な申し出には乗ったモン勝ちです(笑)

今まで、結構そうしてきたんです。

自分で予測できる結果ばかり追いかけてたら、
今の自分はなかったでしょう。間違いなく。

マジかよ〜 と思うところに
自分の予想を超えたモノが転がってたりして。


で、合宿先の京都から戻り
夜の9時には 無事 闇友つねおゲット。

寝不足の胃袋に焼肉詰め込みつつ、
翌日である昨日は東紀州へ行きました。


あさ、目覚ましで起きたはずの次の瞬間は、
プラス50分が経過してました。

完全に寝坊です。
よほど疲れていたのでしょう(笑)

しかたないので、待ち合わせ場所に向かいますが
とらわれはありません。

寝坊した。
と笑いながら言えるようになりました。


さて、仲間と総勢7人ほどで
目的地である東紀州なんちゃってハウスに向かいます。

なんちゃってハウス隣接のレストランでは
オーガニックな食事に舌鼓を打ちつつ、

裏山に登ったり みかん山を見に行ったり・・・


かなりの勾配を、
20分ほどかけて登ります。

血圧の高い(病み友)つねおの体を心配して、
やめておくか と聞いてみるのですが

つねおは黙って坂を登ります。


ああ・・・

この人も同じだな、と思う一瞬です。

大学院、前期の成績表が出ました。

我ながら なかなかです。



おいらは自己評価が半端なく低い人なので、

こうやってきちんと評価を受けることはとても大事。



たとえば、

今年は 講師などしていると
精神保健福祉士の○○さん と紹介されたりもしますが

そんなときは、どこ見ていいかわからなくなり
目が宙を泳いでしまうのです。

2年も勉強頑張って取った資格です。
堂々と名乗っていいのです。

なのに、紹介されると目が泳いでしまう。



慣れていないのです。


頑張ったことを 頑張った、
良くできたことを 良くできた と

評価されずに育ったのです。



慣れていかなければいけません… 。



ただ 誤解の無いように言うと

評価を得ることが大事、ではありません。
ちゃんと評価を 受けること です。



大学院、前期の成績は なかなかでした。

極度の寝不足、くるくるぱー になりながら努力した結果です。


おいらは 素直に うれしい!! と言う必要があります。



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