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みーけんは
子供の頃
絵を見るのも描くのも大好きだった。
色々なことに興味を示していた。
勉強よりも大好きで
刺激を受けた画家さんや漫画家などの絵をみると
無心に色々な絵を描いていた。
だが
当時は昭和。
父は自衛官。
「絵で食えるか!」の一点張りのうえ
希望に耳を一切傾けることなく
両親の言うことを聞かなければ
殴るけるの暴行の上で育った。
よく生きていたなぁと思ったことがある。
それでも好きなことは止められない。
学校までは届くまいとノビノビ描いていた絵は
出すたびに賞状を毎回いただくことになるが
「絵で生活はできない。」という
父親の考えのもとに絵も症状もすべて捨てられた。
親から見れば
金にもならない能力は「不出来な娘」だったのだ。
正直
親のストレス発散のための暴力とも取れないことも多かったが
当時は「泣き寝入り」が常だ。
親は表向きは「苦労性」で頑張ってます感を出し
力のない子供は「たわごとを」と思って片づけられてしまうことは
日常茶飯事。
姉弟はいたが
味方ではなかった。
熱があってぼーっっとしているときに
「甘えてんじゃないよ。」といわれた。
つまり「自分だけずるいことしてるんじゃないよ。」と同意語である。
どんなに体調不良でも一日で治さないといけないのである。
痛みを伴う小手術でも、である。
お金がかかるから。だ。
義務教育が終わる前には
「手に職を付けろ!」と脅される。
しかしこの世の中せめて高校は出ないととんでもないことになる、と
食い下がり、
アルバイトで授業料を稼ぐことになる。
辛かったり泣きたいことがあっても
親に甘えられなくなっていった。
正直
子供時分や年頃になったときの数えきれないほどの
数ある暴力を敷いてきた両親はいまだに大嫌いだ。
父親は死に値する。
だが
そうなる前に
親としてのプライドを捨て
「協力してほしい」と言ってくれれば考え方は変わっただろう。
子供は
親の背中をいつも見ている。
が。
子供なりの嗅覚がある。
生まれながらに良し悪しの嗅覚をかぎ分けることがあり
日々親の思いと出会った思いを天秤にかけ続けるかもしれないが
近しい親には説明できないような何かが存在し
離れがたくなるのだろう。
「理解したい。」と思うのだ。
まるで「人情」の基本かの如く。
結果はどうあれ
前に進むために。
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