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2/8の新聞書評より・・・
著:岡 真理 評:小野 正嗣
『本書は、2000年に起こったイスラエル軍のパレスチナ侵攻による破壊と殺戮の現実を前に、
一人のアラブ文学研究者が悶え苦しむようにして発した誠実な問いかけから生まれた。
「パレスチナでパレスチナ人が虫けらのように殺されているとき、文学は何ができるのか?」
即座に否定的な答えが、2009年のいま、一月のイスラエル軍事侵攻後のガザ地区の惨状を伝える映像に
言葉もない私たちの喉元にまで出かかっている。
それでもなお、1948年のイスラエル建国によって約80万人ものパレスチナ人が故郷を追われた
「ナクバ」(大破局)から現在に至るまでの難民たちの受難の歴史を、小説として、
映画として描かずにはいられない作家たちがいる。
そうした作品のなかに、「祖国解放」や「ナショナル・ヒストリー」という砲弾や爆撃機さながら
耳を聾する「大きな物語」によって皮肉にも故郷において居場所を奪われた
(したがって二重に剥奪された)無数の「豊穣な記憶」のかすかなささやき、
いや沈黙そのものを聞き取ろうと著者は耳を澄ます。
虐げられた者、言葉をもたない民衆を表象することの持つ原理的な暴力性を誰よりも熟知しつつ、
それでなお、著者は文学を信じずにはいられない。
なるほど文学にできるのは、他者の痛みがいつかどこかで誰かに聞き届けられ、分かちあわれることを
祈る、ただそれだけなのかもしれない。
だがこの祈りは無意味だろうか?
祈ったところで死者は甦らない。
それでもなお、私たちが祈らずにはいられないのは、文学が書かれ、読まれるのはなぜなのか?
著者と、彼女が論じる作品との位置関係が目に浮かぶ。
著者は「他者のために、他者に代わって」語るとき、その傍らにいる。
寄り添い、「意を注ぐ」という意味での「注意」を相手に全身全霊で傾けている。
強く心を打たれつつ、「祈りとは純粋なかたちの注意にほかならない」というシモーヌ・ヴェイユの
言葉を思い出した。』
この本を読んだことはないのですが、著者の視点が痛いほど伝わって来るのを感じました。
作品の説明に“小説を読むことは他者の生を自らの経験として生きること”という言葉が
ありました。この部分に深く共感したのです。
『作家は、頭蓋骨に穿たれた二つの眼窩に湛えられた
深い闇からこの世界を幻視し、
彼岸と此岸のあわいで、
起こらなかったけれども、もしかしたら
起こりえたかもしれない未来を夢見続ける死者たちの
息づかいに耳を澄ます」
小説を読むことは、
他者の生を自らの経験として生きることだ。
見知らぬ土地、会ったこともない人々が、
いつしか親しい存在へと変わる。
小説を読むことで世界と私の関係性が変わるのだ。
それは、世界のありようを変える
ささやかな、しかし大切な一歩となる。
世界に記憶されることのない小さき人々の尊厳を想い、
文学は祈りになる。
小説を読むことは他者の生を自らの経験として生きることだ。
絶望的な情況におかれた人々の尊厳を想い、非在の贖いとしての共同性を希求する新たな批評の到来。』
(“彼岸と此岸のあわいで・・・”という視点が取り上げられていましたが、
この視点が大事な気がするのです。。。)
以前、“祈りの本質”という記事を書いたことがありますが、そこでも
“他者からのメッセージに全身で耳を傾けること。
それが「祈る」という、人間にとって最も基本的な構え・・・”と書かれていました。
http://blogs.yahoo.co.jp/mieletrose/26907337.html
まさに、これが“祈りの本質”であるのだと、私も深く共感したのです。
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「全身で耳を傾ける」祈りの本質に考えさせられました。
今日の私の記事にリンクを張らせていただきました。
もしお気がすすまなければ記事を書き換えますのでおっしゃってください。
よろしくお願いします。
2009/2/10(火) 午後 4:16 [ otheR wind ]
とても嬉しいです!
こちらこそ、ありがとうございます。
祈りについて・・・深く考えて書いているわけではないのですが、
心に響くものが、やっぱり本質であるように感じてしまうのです。
(そんな風に、心に響くものを取り上げていくと、不思議と後になって
こんな風に繋がりあっていくような気がするのです)
『冬の旅』が心に響くotheR windさんとは、感覚に似た部分があるように
感じていましたが、やはりこういう言葉に反応してしまうのかも
しれませんね。
(私も、心に響くと取り上げずにはいられないのです^^;)
2009/2/11(水) 午後 8:34
「彼岸と此岸のあわいで、
起こらなかったけれども、もしかしたら
起こりえたかもしれない未来」
パラレル・ワールドの話を、思い出します。
無数に存在する並行宇宙は、実はさまざまに絡み合い、影響を及ぼし合っていて、人ひとりの思考に浮かぶ、揺らぎ一つが、世界を変える可能性を持つ、というような話。。。
まさに、起こりえたかもしれない未来が、存在しているのかもしれないと。。。
そしてそれらは、思考が繋がりあい、共鳴した時に、変わってゆくのではないかと。。。
それこそが、他者と繋がりあう、祈りの意味なのかもしれませんね。
2009/6/6(土) 午後 11:15
そうですね、パラレル・ワールドの話が浮かんできますね。
“起こりえたかもしれない未来が、存在しているのかもしれないと。。。
そしてそれらは、思考が繋がりあい、共鳴した時に、
変わってゆくのではないかと。。。”
そう考えるとわくわくしますね!
オーロラさんのおっしゃるように、それこそが、
他者と繋がりあう、祈りの意味なのかもしれませんね(^^)
2009/6/7(日) 午後 8:50