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『父を探し求めてアテネからドイツを旅する幼い姉弟の姿を描く幻想譚。 製作・監督・原案・脚本は「シテール島への船出」のテオ・アンゲロプロス、 共同製作はエリック・ウーマン、ラグビール・ヤーダウ、 共同脚本はトニーノ・グエッラ、タナシス・ヴァルティノス、撮影はヨルゴス・アルヴァニティス、 音楽はエレニ・カラインドロウが担当。』 テオ・アンゲロプロス監督の『霧の中の風景』を最近観たのですが、 個人的にこの映画を観たとき、とても驚きました。 それは“霧の中の一本の木”というものが、私の心の奥にある 心象風景と重なったからなのです。 (このことを書いたことはないかもしれませんが・・・) いつからそういう風景が私の心の奥底にあったのか よく覚えていませんが、昔あるカレンダーの写真を見て、 私の心の奥底の風景と似ていると切り抜いて、 とっておいたこともありました。 自分でもうまく説明の出来ない感覚を、アンゲロプロス監督は 美しい映像で表現していたのですが、こういう映像を眺めていると、 郷愁に近いような感覚を覚えるのです。 タルコフスキー監督とも似ていると感じるのは そういう部分なのかもしれません・・・。 個人的に私がこの映画を観て感じたのは、“すきまの世界”のこと。 時が止まった世界の中で、 姉と弟は進み続けます。 途中で出会った変わった青年(すきまの世界のお友だち)オレステスの セリフより・・・。 「君ら 変わった子だよ 時間を忘れながら しかも急いでいる どこにもいかないのか― 行ってしまうのか 行く先は知ってるの?」 ふたりは、実際には存在しない父を求めてドイツへと旅しています。 もしかすると現実の父というより、 “父なる存在”を求めて旅していたのかもしれません・・・。 お気に入りの創世記のお話を、ラストで少年が口にします。 霧の立ち込める世界で目覚め、 「始めに混とんがあった・・・」と。 そして、霧の中に立つ一本の木にかけよる二人。 終わりであるところは始まりでもあるところ・・・ 私も心の奥底にある“霧の中に佇む一本の木”を ずっと夢見ていたので、この部分に胸が痛くなるような郷愁を 覚えたのかもしれません。 “霧の向こう―
遠くに木が一本 ” |

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