性を超えて

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難しい問題ですね。批判がたくさん出そうです。
どうなることやら。
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女性専用車両

少し前から都会で開始した電車の女性専用車両。

人気は上々のようだ。

しかし、喜んでばかりでいいのだろうか?


そもそもこの女性専用車両の誕生には、男性からの痴漢行為に対して
女性を守るため、という背景がある。

そして結果だけをとらえ、これでよかったと結論づける。

ここには男女参画社会において、あまりに危険な要因がはらんでいる。


痴漢をする一部の男性のために、女性から締め出しをくらった形のすべての男性の権利。

これは完全に女性の権利の特化である。

それはすなわち、女性が男性より弱者であるから、その弱者をみんなで守ろうというもの。

この話を聞いて喜ぶ女性がいるだろうか?

ここにすでに性の差別が存在している。


また同じ料金を払っていながら、男性だけ乗れる車両が限定される。

導入段階で、女性は専用車両のために特別料金を支払いたいとは思わない、
という意見が大半を占め、それは女性が女性であるための当然の権利と、
ここでも差別が生まれた。


さらには女性専用車両に乗れなかった女性、または意図的に乗らなかった女性が、
痴漢のターゲットになる確立が増える。

そこから、より混雑になった一般車両で、無実であるのに痴漢扱いにされ、
人生を棒に振ることになってしまう男性が増える。

結果、性の二次被害の増加。

そういった痴漢冤罪被害の存在を国は認めながら、男性専用車両はできない。

これは男性の権利を無視した国の犯罪行為である。


女性専用車両にうっかり乗ってしまう、または並んでしまうだけで
犯罪者扱いされる男性たち。

また男性でも身体障害者はほとんどの路線で例外的に女性専用車両に
乗ることができるが、見た目に女性に危害を加えないほどの障害があると
認識されなければ、それこそトラブルの素である。

また障害を持っているからこそ女性専用車両に乗れるということは、
その人の人権侵害にもつながりかねない。

障害者の精神的隔離がここでも進んでしまう。


さらには高齢者であっても男性である限り、女性専用車両には乗れない。

おじいさんが混雑を増した一般車両に乗り込むことを想像してみて、
なにも感じない人がいるだろうか?

体力的に劣っている高齢者の権利は置き去り(モラルと勇気のある人にしか救われない)
にして、女性だけの権利を拡張させることが果たして社会全体のためであるだろうか?


これらのどこに男女平等が存在するのだろうか?


こういった間違った男女平等を推し進めていけば、
両性間での性差による差異が拡大するのは明らか。

時代の流れと共に女性の社会進出が進んできたとはいえ、
女性の権利のみが特化されることはあまりに危険。

共存して生活しているのだから、お互いが充分に議論を重ねた上で
最善の形での導入を目指すべきだった。

今回の慌てた形での導入は、男性と女性の意識の差を助長するばかりだ。

そこに本当の意味での男女共同参画は実現しない。

男性と女性、そのお互いの権利を守ってこその男女参画社会なのだ。


その実現のためには、より高度な性教育を施すより他にない。

男女が共に相手の性の存在の重みを十分に理解し、相手を敬い、
性差で醜い争いをしないように心がけたい。

男尊女卑の時代から徐々に女性は男性社会に進出し、
今日いろんな方面で性差破壊を成し遂げた。

この先人たちの努力には感服するが、その一方で
女性であるがゆえの権利の主張を繰り返す。

そこではフェミニズムの本来あるべき姿からかけ離れてしまっている。


実際、女性専用車両の導入で、痴漢は減っていないという報告だ。

警備員を常時配置するほうが何倍も効果があると。

それは以前からわかっているのだが、コスト面で実現までいたらない。


やはり最後は相互理解。

お互いがその権利の特化を主張するのではなく、謙虚に相手の存在の大きさを認め合い、
可能な範囲でできる限り協力し合うこと。

国民一人ひとりがこういった問題を厳粛に受け止め、もっと熱くならなければならない。

無関心ではなにも始まらない。

性差という溝は、いつまで経っても埋まらない。

政治は国民が働きかけない限り、国民を守ってはくれない。

いつまでも郵政民営化問題で終わってしまう国会を許してはならない。

今一度、いろんな社会の矛盾について語ろうではないか。

きっかけはそこから。

もうすっかり過去の事件となりつつある、例の「スーパーフリー」事件。
あの事件を見て、とても悲しい気持ちになった。
そしてレイプ事件について、自分なりに考えてみた。

インターネットは便利なもので、いろんな情報が簡単に手に入った。
その中で、実際にレイプ被害に遭った女性の投稿記事があった。
まずそれを紹介。
ちょっと古い記事なので、一部自分の言葉で書いてあるところもあるのでご了承を。

「当時中学生の彼女が学校から帰宅途中、前から慌てた様子で走ってきた
大学生くらいの男性に呼び止められた。
そしてその男性は彼女に向かってこう言った。
『公園でおばあさんが倒れている。病院まで運ぶのに手伝ってもらいたい。』
彼女はそれは大変!とばかりに、その男性と公園まで走った。
公園の裏手には木陰があり、そこに着くと別の男性が待機していた。」

そこから先はもうわかると思う。
彼女はそれが初めての性交だった。

最近は女性が加害者になることもあるみたいだが、
どちらにせよ、こういった事件は果てることなく繰り返されている。

それはきっと男性と女性が同じ社会で生活している限り、
決して無くなることのない事件。

それを無くすためには、男性と女性をまったく別の世界に切り離してしまわないと
いけないと思う。
しかしそうすれば今度は、同姓同士でその体を求める行為に及ぶことになるだろう。
性の二次被害。

話は戻って、なぜそういった事件が起こるのだろうか?

動物的観点から見れば、男性が女性を求め、女性が男性を求めるというのは、
生まれる前から本能として持ち合わせている、いわばすべての人類に平等に与えられた才能。
それがあるから人類は今まで朽ち果てることなく子孫を残している。

しかしほんとうに異性を求め、それを手に入れるためには、
相手にも自分にも性としての魅力が備わっていなければならない。
その相手は誰でもいいわけではないのだ。

そのためにほとんどの男女は自分の見た目から性格を見つめ直し、
気に入った異性を落とす作戦にまで思考を及ばせ、その標的を手に入れまいと邁進するのだ。

ときには自分の個性を押し隠し、相手に気に入ってもらいたい一心で
その相手の理想に成り切ったりもする。
それがトータルで考えてうまくいかないのは言うまでもないが。

そこまでしてでも手に入れたいと思わせる感情も人間には備わっている。
ちょっと結びつきが安易ではあるが、それが愛情なのだ。

愛は人の心を豊かにし、相手のためになにかをしたいと思わせる。
尊敬と謙虚の念が自発的に自分を奉仕の心へと導くのだ。
お互いがそういった気持ちになって初めて、恋は成就するのだ。

しかし愛情と本能はまったく別の次元で存在している。
愛情が気持ちの結びつきならば、本能は体の結びつきということになる。

心は常に誰かを求めているわけではない。
信じていた誰かに裏切られたときとか、大恋愛を失ったあとなどは、
すぐにまた新しい誰かを求めるという気持ちにならない。

しかし体は常に相手を求めている。
しかし誰でもいいわけではないという理性と、
愛情という感情がその本能に抑止をかけている。

これでモラルは保たれているのだ。

しかしいろんな環境から来るストレスの影響で、人間の気持ちのバランスは崩されている。
次第に理性と本能のバランスも保たれなくなり、ついには精神が破壊される。

本能が理性を超えたとき、人はとんでもない発想を生み、そしてその能力を発揮する。

しかし、みんながみんな性の事件を引き起こすわけではない。

本能が性欲という方向に向かっていくには、親から十分な愛を受けとっていないとか、
恋人ができないとか、今の現状が人恋しいとか、愛し愛されたという経験や現実に
乏しい場合が多いのではないかと思う(ここは推測なので簡単に結論づけれないが)。

最近問題になっているプリクラでの盗撮とか、痴漢もそう、度合いの違いはあれ、
みんな満たされない現状、そのなにかが本能である性欲を刺激するのだ。

そうして事件は起きてしまう。


今回はここまで。

読んで気分悪くされた方がいたらごめんなさいね。
素人の書いたものなので、反論や苦情があるかと思います。
いつでもどしどしコメントください。

恋愛と友情 【1】

恋愛において、ふたりの関係は常に出会いの継続でなければならない。

それは常に以前出会ったとき、最後に別れてからの続きとなる。

以前ふたりの間に起こったことが今とつながり、
一緒にいる今起こったことが次会うときにつながるのだ。


それに対して友情におけるふたりの関係は出会いの連続なのだ。

ふたりに以前起こったことは問題とならず、
そこには常に新しい話題が存在する。


だから恋愛は一緒に過ごさない時間が問題なのであり、

友情は一緒に過ごさない時間は問題とならない。

男性と女性はほんとうに理解しあうことはできないとぼく自身は論理的に思うわけです。
この意見に対しては異論や反論がたくさん出てくると思います。

ではなぜぼくがそういう思考になったのか。
ここから考えてみたいと思います。

まとまりなく書いているので、乱文でごめんなさい。
あとで勝手に読みやすいように修正かけます。
そして長くなりそうなので、いくつかに分けて掲載したいと思います。


男性と女性という区別がある段階で、それぞれはまったく別の種の生き物です。
いちばんわかりやすいのが出産だと思います。

それは女性にのみ与えられた特権です。
そこには新しい生命の誕生という大きな喜びがあります。

しかし同時に出産が近づいてくると、女性はそれまでの仕事や趣味といった日常を一時的に手放さなければなりません。
出産時の肉体的苦痛と、特に初産の場合はほんとうに無事に子供が生まれてくるのかという不安が常につきまとうことでしょう。
さらには日常から離れることに対する精神的なストレスも女性を苦しめる要因といえるでしょう。

無事に出産が終われば、今度はわが子のために時間を割くことになります。
多くの女性にとってまだ自分の時間を取り戻すことはできません。
そしてそれは同時にわが子との絆を結びつける第一歩でもあります。

子育てはわが子の成長の過程を見ることがなにより楽しみだと思います。
しかし同時に思い通りにいかない毎日にストレスを感じることでしょう。

そしてある程度子育てにめどが立てば、いよいよ社会復帰です。
しかしそこにはブランクという壁が存在します。
肉体的・精神的にまた同じことができるだろうか?
以前の時間を取り戻すことはできるのだろうか?
まわりは時間の空いた自分を受け入れてくれるだろうか?
子育てとの両立ができるだろうか?
それらの不安との戦いになるでしょう。

これらは女性にしか体験できないものです。
男性はそれらを理解しようとすることはできても、出産と同じ苦痛を体感することはできません。

しかし男性にはそんな女性をサポートすることができるし、それはふたりの間の子供であるから、当然の義務でもあります。

家事など家庭生活全般でできることはするし、女性に余計な肉体的負担をかけたくないと思う。
しかしそれだけに留まらず、もっと女性の力になるべきです。

出産を控えた女性にとって、やはりいちばんそばに居て欲しいのは生まれてくる子供の父親だと思います。
毎日の生活のサポートはもちろん、不安やストレスの解消先としてそれは大きな存在であるはずです。
女性のためになにができるではなくて、より多くの時間を共に過ごすことがなにより大事になってきます。

つまりは出産前からシングルマザーである女性は、すでにその精神的支えを失っています。
それがこれから来る大きな仕事に向かって、どれだけの戦意喪失の要因となることでしょう。
母は強しと言いますが、やはり男女が支えあうことがなにより重要なのです。


話は少しそれますが、生理中のセックスがタブーということは周知の事実であると思います。
生理中の女性の体は細菌に感染しやすくなっています。
そしてその細菌の感染から不妊の原因は生まれ、強いてはそれがHIV感染の比率を高めることとなります。
これがどれほど危険なことかは容易に想像できると思います。

女性が好きな男性に言い寄られて、それを断ることがどれだけ苦痛であるかを、男性はしっかりと考えるべきです。
1ヶ月も2ヶ月も待てと言っているのではありません。
その少しの時間を待てなくて不満を言ったり、他の女性の肉体を求めるような男性は存在価値なしです。
ほんとうに女性の体のことを考えているならば、生理とわかった段階で男性から求めるのを止めるべきです。
女性に自分の体の都合でできないんだ、と思わせることがすでに失格です。

それに女性もしっかりとした意志で生理中のセックスに対する要求は拒否しましょう。
欲求にすべてを委ね、後悔するようなことをしてはいけません。
最後は自分の体は自分で守らなければなりません。

大切なのはお互いに対する思いやりの気持ちです。


今回はここまでで、続きはまた次回に。

ぼくも素人なので、異論・反論たくさんあると思います。
それぞれの持論を展開していきましょう。

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