すての読書ノートとつれづれ日記

皆さま、どこへ移行されますか〜。困った。

音楽物語

[ リスト | 詳細 ]

ちょっと、音楽にちなんだ思い出話を・・・・・・
記事検索
検索

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

16年前

とても好きなラジオ番組があった。

それは、「ビッグバン・トーキョー」という朝の情報ワイド番組だった。

月曜日から金曜日まで、朝の6時から9時までの時間流れていた。

DJの大橋俊夫アナウンサーが大好きだった。

とってもいい声なのに、くだけたトーク。
毎回楽しみだった。


あの頃、ラジオでよく流れていたのが、

ピチカート・ファイヴ


「キャッチー」という言葉をよく聞いた。

とてもおしゃれだなあと思ったバンドだった。





     死ぬ前に
     たった一度だけでいい
     思いきり笑ってみたい
     陽の当たる大通りを
     口笛吹いて歩いていく


     一張羅のポケットの中
     いつだってお金はないけど
     陽の当たる大通りを
     アステアみたいに
     ステップ踏んで




ビッグバントーキョーで、ピチカート・ファイヴを知った。


番組の中で特に、6時から6時30分までのビッグバン・グローバルが楽しみで、

ニューヨークから、ミニ情報を届けてくれる
DJのマーク・ジョセフさんがお気に入りだった。



16年前の1月17日


その日も布団の中で、ラジオを聴きながら目覚めた。

ニュース速報で、阪神大震災の知らせを聞いて、はね起きたのだった。

神戸に、知人がいた。

70に手の届く女性だった。

大学の聴講生で、私の通う大学に週に2日程通学していた。
神戸から。

その日は、彼女が受講している講義の日だった。

彼女は、大丈夫なのか、大丈夫なのか。


はやる気持ちを抑えて、大学へかけつけた。

案の定、待てど暮らせど彼女は、到着しなかった。

テレビには、行方不明者のテロップが流れ、固唾をのんで見つめていた。

同姓同名にはっとしたり。

数日後、無事だったと知らされた。


その日、彼女は1番の新幹線に乗るために、既に自宅を出て、駅にいた。

そこから、立ち往生。

乗れずに自宅へ戻って、命拾いをしたそうだ。



あの日から16年も月日が流れてしまった。

あの方は、今頃どうしているのだろう。


大変辛い思いをした方が、大勢いたのに、
私はあの日、いつもと変わらない生活を送っていたのだ。


ごめんなさい。

でも、この時期がくると、阪神淡路大震災のことを思い出す。

と、同時になぜか、大好きだったラジオ番組も一緒に思い出す。






参考:「陽の当たる大通り」 作詞・作曲・編曲 小西康陽 
    歌:ピチカート・ファイヴ

    *ビッグバントーキョー TOKYO FM (FM東京)で、1992年4月から1995年3月まで
     放送された、朝の情報ワイド番組

         上を向いて歩こう
         涙がこぼれないように
         思い出す 春の日
         一人ぼっちの夜




歩くときは、なるべく上を向いて歩くようにしている。

昔は、意識してそうしないと、
ついつい
うつむきがちになった。




         上を向いて歩こう
         にじんだ星をかぞえて
         思い出す 夏の日
         一人ぼっちの夜




子供の頃から、空想癖があって、
いろいろ想像をふくらませながら、下を向きながら歩いた。


私は、今は透明人間、誰も私が見えない。


   とか


野山を探検中、
秘密の洞窟発見、秘密の抜け道発見!



   とか


下を見ながら、黙々と歩いた。



時が経ち、大人になった。
当時、バブルがはじけて、就職氷河期と言われた。(今もそうだけど)

なかなか仕事がなくて、苦労した。

ある1年、非常勤の学校の先生になった。


子供の頃からの癖で、下を向きながら黙々と通勤をした。


ある日、生徒から声をかけられた。


「先生、大丈夫?元気なさそうに歩いていたね」


同じ日に、同僚の先生にも言われた。


「先生、調子が悪いんですか?今日、とぼとぼ歩いていましたね」



ぎょっとした。

そんなつもりは、全くなかったのに、人には元気なさそうに見えたのだ、と。


それも、「教師がしょんぼりしていたら、示しがつかないではないか」



その日を境に、私はなるべく上を向いて歩くように心がけた。


始めてみると、それはなかなか苦痛だった。

人と目を合わせられなかった。

すれちがう他人さえも、辛くて目をそらし、
それこそうつむきがちになった。

癖って、おそろしい、と思った。

半分対人恐怖症的な気持ちに陥った。


それで、もっと上を向いて歩くようになった。

ようするに、空を見上げて歩くようになった。


すると、空がきれいだった。

天気が良い日は、まぶしいくらい青かった。

秋には、イチョウ並木の黄色が、美しかった。


私は、たった1年で、学校の先生をやめたけれど、

あの日、生徒に声をかけられなければ、

やっぱり今でもはためには、しょんぼりと歩く

さびしい女性に見えたかもしれない。




       幸せは雲の上に

       幸せは空の上に



その後、いろいろなことがあったけれど、

人生捨てたものではない。



上を向いて歩くことが、ちっとも苦痛でなくなった今は、

時々、あの頃を思い出して、この歌を口ずさむのだ。








参考:「上を向いて歩こう」 作詞 永六輔  作曲 中村八大
    歌:坂本九

私は、あまりおしゃれはしないのだが、

香水は好きだ。

海外旅行で、免税店に入ると何を見るかというと、香水を見る。

下着にちょっとつけておくと、ほのかに香ってくるのが
好きなのだ。

そんな私には、絶対つけられない香水が一つある。

香水のついでに思い出したのが、

古内東子の「Peach Melba」






       きまって彼女が去ったあとは甘い香りがしてた
       あれはピーチメルバ
       小さな手のひらからあふれる柔らかな優しさに
       あなたも惹かれたの?
       ほんとはね
       ちょっと側にいるだけで胸がつぶれそうだった
       いつもと同じように笑えない
       祈ってる 二人のため幸せを
       そんなこと嘘だもの
       彼女と出会う前に帰りたい


       四月の春風にとけていくピーチメルバ
       どうしてこの心こんなにみだしてゆくの
       二人を見ていると もう何も言えないけど
       好きよ 大好きよ 心から
       きっと彼女より




この曲の主人公のような女の子・・・・・・。





私だって、最初は、香水に興味はなかった。

初めて、香水をすすめられたのは、

ジバンシーの「プチサンボン」というオード(デ)トワレだった。

これは、石鹸の香りがするという定評だった。


姉が当時使用していた、同じジバンシーの「フルールダンテルディ」という
オード(デ)トワレは、名前の通り、むせかえるフローラルな香りだった。
借りてつけて、これには辟易した。(ごめん、おねいちゃん)




少しずつ、香水に慣れてきていた私は、試供品の香水で、
いろいろ試し始めて楽しんでいたのだが、

果たして、自分の「これだ!」と思う香水になかなか出会えなかったのである。


フローラルな女の子らしい香水を極度に嫌ったのを見て、

姉が、薦めてきたのが、当時流行った

ユニセックスのもの。



    あんた、これなら、男性も女性もOKですって。


じゃあと、つけてみた。

毎日つけるわけでもなかったが、ある日職場につけていった。


部署は、違うが、同僚の女の子が、私に声をかけてきた。



     「あ、それ。○○(彼女の彼の名前)と同じ香り・・・・・」



彼は、私の部署の同僚で、年齢も近かったし、
よく話をしていた。



     「あ、これね。試供品でもらったんだあ〜」



ちょっと、違うけど、ちょっと本当。


そして、ちょっと、へどもどした。

背中に、冷たい汗が流れた。





それ以降、私はその香水をつけるのをやめた。


以後、ユニセックスの香水を選ぶのもやめたのだった。




げに、女の嫉妬は、恐ろしい・・・・・・。


と、その時心底思ったのだった。



人の恋路を邪魔する奴は、馬に蹴られてなんとやら。



でも、知らずに、火中の栗を拾ってしまっていることもあるのだ。


彼とは、本当に時々、当時の部署の仲間と飲むとき会うのだが、

天真爛漫なのか、飲み会のことを彼女にもしゃべる。
もう二人は別れているのだが、
いや別れているからこそ、油断しているのだよな。男は。





彼女とは、現在、部署が同じなので、まさに同僚。


数日経つと、「飲んだでしょう?」と聞かれる。



めちゃめちゃ、恐い。



まだ、未練があるならさあ、やり直したら?



と、二人に言えない。


恐くて、言えない。




人の恋路を邪魔すると馬に蹴られてなんとやら・・・・・・。





参考:「Peach Melba」  作詞・作曲:古内東子 編曲:木原龍太郎
     アルバム『Hug』から  ソニーレコード 1994

通勤途中、カーラジオから流れるクリスマスソング。

世間は、クリスマスシーズンだなあ、としみじみ聴いていたら、

ふいに、クリスマスソングではない、懐かしい曲が流れた。


ユニコーンの「すばらしい日々」


ユニコーンというバンドが活躍していた頃、私は学生だった。

私の友人が、とても好きで、彼女の車に乗せてもらうと、いつも流れていた。


「すばらしい日々」は、ユニコーン解散直前で、どこか郷愁感が漂う曲だった。







      僕らは離ればなれ  たまに会っても話題がない
      いっしょにいたいけれど とにかく時間がたりない
      人がいないとこに行こう 休みがとれたら

      いつの間にか僕らも 若いつもりが年をとった
      暗い話にばかり やたらくわしくなったもんだ
      それぞれ二人忙しく 汗かいて

      すばらしい日々だ 力あふれ すべてを捨てて僕は生きてる
      君は僕を忘れるから その頃にはすぐに君に会いに行ける




ちょうど、卒業後、離ればなれになって、たまに夏休みに時間を作って会うような
関係になっていた。


二人の時もあれば、大勢で集まったりもあった。

確かに私たちは、将来どうしよう・・・・・・という話題ばかりだった。



世間は就職氷河期で、未来は見えなかった。


車の中で、相変わらずユニコーンの曲が流れていたが、
「すばらしい日々」になった時に、

ぽつりと、彼女は言った。

「きっと、私のことを忘れちゃうよね」


私は、それに答えることができなかった。



数年後、私は相変わらず、就職活動に気持ちが沈んでいたが、

彼女は、田舎の実家から、東京へ上京していた。

理由は、ジャニーズjrにはまって、追っかけを始めたのだった。




久しぶりに会った友人達の中に彼女がいたが、
彼女の話題は、ジャニーズばかりで、話が合わず、

彼女がトイレに席を立ったとき
他の友人たちと顔を見合わせたのだった。


帰りの時間が近づく頃、お互いに再会を誓い合ったが、

彼女は、寂しげな笑顔で、言ったのだった。


「でも、私にはもう声をかけないでしょ?
だって、メールアドレスも教えてくれないんだから。」


私たちは、答えることができなかった。




確かに、その後私たちは、彼女と疎遠になった。


彼女は、今どうしているのだろうか。


今でも、東京の空の下で、ジャニーズの追っかけをするための資金の
小銭を稼ぎ続けているのだろうか。


それとも、実家に戻って、結婚したのだろうか。






      なつかしい歌も笑い顔も すべてを捨てて僕は生きてる
      それでも君を 思い出せば そんな時は何もせずに眠る眠る

      朝も夜も歌いながら 時々はぼんやり考える
      君は僕を忘れるから そうすればもうすぐに君に会いに行ける







あの頃、よくわからなかった最後のフレーズが、

ふとわかったような気がするのだ。



ちょっと切ない。






参考:「すばらしい日々」  作詞・作曲:奥田民生 編曲:ユニコーン
     ユニコーン  ソニーレコード 1993

私が、阿久悠という人の名前を知ったのは、合唱曲だった。


第48回NHK全国学校音楽コンクール小学校の部、課題曲

阿久悠作詞、小林亜星作曲、二部合唱「未知という名の船にのり」という合唱曲だった。



アンサンブルの楽しさ、

コンクールの厳しさ、

選抜される悔しさ、

などを知った合唱曲だった。


そう言いながら、とても夢があり勇気がわいてくる歌詞だった。




     未知という名の船に乗り
     希望という名の地図を見て
     夢という名のコンパスで
     未来を訪ねる冒険者

     心に鍵はかからない
     いつでもいっぱい開いておけば
     はるか銀河の彼方から
     未知という名の船が着く

     ちょっと不思議も
     ちょっと疑問も
     ちょっと悩みも
     訪れる




80年代初頭、子供心に不景気な社会情勢のような
気分はどこかにあった。


1981年は、ピンク・レディーが引退した頃だ。

このような歌が誕生した背景を思うと、
やはり、不景気だったのだろうなと思ってしまうのだ。


    未知、希望、夢、勇気、愛、冒険者



そんな言葉が散りばめられた

「未知という名の船に乗り」


阿久悠が、未来の子供たちへ込めた熱いメッセージ。

一所懸命歌ったな。

あの頃、合唱少女だった。

思い切り郷愁。








この合唱曲、当時大ヒットしたのだろうな。

そう思うのは、この歌は私にとっては、

ちょっといわくつきなのだ。




当時、某国営放送で、「プリンプリン物語」という人形劇があった。

この人形劇、爆発的に人気があった。

私は、あまり好きではなかったが、
夕食時に、放送していたのでなんとなく見ていた。


人気があっても、いつか番組は終了する。


「プリンプリン物語」のプリンプリンたちが、最後に目指した場所がどこだったか。


プリンプリンたちは、なにやらメッセージを受け取るのだ。






     未知という名の船に乗り
     希望という名の地図を見て
     夢という名のコンパスで
     未来を訪ねる冒険者




的な内容で、これからも旅をしようで、終わった。



偶然最終回も見てしまった私は、




     はあ〜〜〜〜〜〜?????


と思った。




これって、盗作じゃないか!と思った。


某国営放送同士の作品だから、流用しても著作権は問題ないのか?



かなり、自分の中では、怒りまくった思い出がある。






「未知という名の船に乗り」という合唱曲は、
哀しいかな、

私には「プリンプリン物語」と切っても切れないものになって、

未だに思い出として残ってしまったのだった。


阿久悠のエッセイを読んで、ふと思い出してしまった。




「プリンプリン物語」に阿久悠は、関わっていたのだろうか。
果たして?



そう言いながら、未だに時折この歌を歌う。





      心はいつもパノラマだ
      楽しい世界を描いていれば
      どんな小さい窓辺にも
      未知という名の船が着く




阿久悠のメッセージは、ちゃんと伝わっているようだ。





参考:「未知という名の船に乗り」 阿久悠作詞
     第48回NHK全国合唱コンクール課題曲 (昭和56年度)

   『NHK全国学校音楽コンクール 課題曲全集−1 小学校の部 二部合唱』
       NHK監修  NHK出版 1994

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

いまならもらえる!ウィスパーWガード
薄いしモレを防ぐパンティライナー
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
いまならもらえる!ウィスパーうすさら
薄いしモレを防ぐ尿ケアパッド
話題の新製品を10,000名様にプレゼント
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事