シルクロードから嫁が来た!!

キルギス共和国出身のロシア人と結婚した男のムダ話。旧ソ連諸国のお話も

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【ヤクート人闘士 アフラプコフさんの勇姿。(画像上、左の人物)宣伝用の一枚と思われます。酷寒の地に住むヤクート人は過酷な環境に鍛えられた頑強さでも有名。伝説的な勇猛さが伝えられています。下は、老いてようやく活躍を認められたことを報じる新聞を読むアフラプコフさん。当時のソビエト体制の人種差別がなければ恐らくもっと勇名を馳せた人物がいたはず。奮戦が評価されず歴史の闇に消えた人々を思うとき、実に悲しく残念になります。(画像は全て海外の第二次世界大戦研究サイトより転載)】


ソビエト連邦は、様々な地域の共和国群を統合した国家でした。
そこには、民族による差別はなく、全ての人が公平に生活できる理想郷とされていました。

もちろん、実情がその正反対だったのは、皆様ご存知の通り。
陰に日なたに差別や偏見が横行した社会でした。

中でもアジア系民族は“レベルが低く、指導が必要な人種”とされていました。
それだけに随分と不当な扱いがあったと言われています。

今回はそんな苦境を生き抜いたある男のお話。
神話的狙撃手ヒョードル・アフラプコフさんのお話です。

アフラプコフさんは、ヤクート人。

専門書などを読むとヤクート人は、トゥルク系民族とされていました。
つまり、キルギス人など中央アジアの人々と同じです。
日本人にもよく似た容姿のアジア系民族です。

古来ヤクート人は、シベリアの奥の奥を根拠地としてきました。
これは現在も同様でロシア連邦サハ共和国が主な居住地です。

この地域は凄まじい酷寒ぶりで知られています。
世界一寒い村オイミヤコンは特に有名でしばしば日本の番組でも紹介されています。

マイナス50度は当たり前、最低気温マイナス70度を記録した最果ての地。
アフラプコフさんは、そんな過酷な大自然の中で狩猟を生業にしていました。
何もなければそのまま一介の猟師として生涯を終えたはずです。

平凡だけど平和な人生。
そんな日々は、時代の荒波で大きく変化しました。

1939年ソビエトがフィンランドに軍事侵攻した戦争、いわゆる“冬戦争”。
この戦いでアフラプコフさんは、お兄さんとともに徴兵され、戦地に赴きます。

冬戦争は、小国フィンランドの善戦でソビエト軍に犠牲が続出。
軍事的にはソビエトの敗北で幕を閉じます。

そんな負け戦の中、アフラプコフさんは狙撃兵として奮戦。
ソビエト屈指の活躍をした兵士として名をとどろかせます。

冬戦争におけるソビエト苦戦の原因の一つはフィンランドの冬の寒さでした。

もっとも、フィンランドよりはるかに寒い地域で生きるヤクート人には問題なかったでしょう。
厳しい自然に鍛えられた耐性が活躍の要因だったことは間違いありません。

その後、わずかな平和の時期を経て今度はソビエトが戦火に巻き込まれます。
1941年6月。ナチスドイツによるソビエト侵攻が始まったのです。

再びアプラプコフさんは、お兄さんとともに最前線に投入されます。
シベリアからの長旅をいやす間もなく、下車するやいなや戦闘に参加させられるあわただしさでした。

ろくな訓練もなしに戦場に放り込まれたのは、冬戦争で実績を残した即戦力としての期待です。

一方で別の見方もできます。

差別対象だったアジア系民族は、“消耗品”として最前線に投入しやすかったのです。

実際、アフラプコフさんが歴戦したルートをたどると大変な激戦地ばかり。
“よくもまあアンタこんな地獄で過ごしたわねえ”レベルです。

当時のソビエト兵の戦場での平均寿命は2週間程度と聞いたことがあります。

これはあくまで平均値。
激戦地ばかりに投入された場合は、さらに短かったでしょう。
アフラプコフさんのサバイバル力の凄さが分かります。

とは言え、そこはやはり凄惨さでは類を見ない独ソ戦。
やがて共に戦場を駆け抜けたお兄さんが亡くなります。
アフラプコフさん自身、何度も瀕死の重傷を負います。

それでも、アフラプコフさんは狙撃兵としての活動を続けました。
記録を読むとアフラプコフさんの狙撃スタイルはまさにシベリアの猟師そのものだったとのこと。

独ソ戦は市街戦が多い戦いでもありましたから、シベリアの森の中に身を潜めて獲物を待つスタイルは、
ビルの廃墟に身を潜めて相手を襲う市街戦にマッチしていたのかもしれません。

こうして積み上げた狙撃スコアは、公式戦果だけでも、実に429名を数えます。

ちなみに独ソ戦におけるソビエト軍の狙撃スコア第一位は、ミハイル・スルコフさん(702名)。
アフラプコフさんは4位(3位、5位説もあり)に甘んじています。

もっとも、当時ソビエト軍は“スラブ民族はソビエトで一番優秀”と言う偏見が横行していました。
ゆえにスラブ系兵士の戦果は、過大になりがちでした。

一方、“格下”とされたアジア系兵士の戦果は、ことごとく矮小化されました。

どんなに活躍しても『アジア系がそんな活躍できるはずがない。』と成果を握りつぶされたのです。
ヤクート人であるアフラプコフさんの戦果も同様の扱いを受けたことは想像に難くありません。

こう考えると、アフラプコフさんの実際の狙撃スコアは、公式戦果を大幅に上回る可能性が高いです。

ちなみに正確な狙撃スコアとして世界一と認識されているのは、フィンランド人。
シーモ・ヘイエさんという人物です。
505名の狙撃スコアを記録しており、事実上の世界一とされています。

アフラプコフさんがその記録を越えたことは十二分に考えられます。

さて、やがてソビエトは、ナチスドイツに苦戦しつつも勝利を収めます。
功績のあったソビエト軍人は、当然相応のご褒美をもらいます。

勲章をもらったり、よい肩書きをもらったり、新品のアパートをもらったり、、、、

そんな恩恵は、アプラフコフさんにはありませんでした。
低い扱いを受けた多くのアジア系兵士と同じく、何ももらえませんでした。
来たときと同じく粗末な貨物列車に押し込まれ、故郷に戻されたのです。

身体が無事ならまた狩猟で生計を立てることができたかもしれません。

しかし、長年の戦場暮らしで受けた傷の数々はアフラプコフさんを再起不能にしていました。
そんな訳で、戦後約20年間、国からまともなご褒美もないまま、どん底の貧乏暮らしを強いられます。

名誉が回復されるのは、1966年、ブレジネフ政権下でした。
スラブ民族以外の評価が見直され、ようやくアフラプコフさんもソ連邦英雄として認定されたのです。

悲しいかな、アフラプコフさんの体力はもはや残っていませんでした。
名誉回復のわずか2年後、ひっそりと息を引き取ります。

その死は、プラウダなどソビエトの大手新聞で報道されました。
もっとも、ソビエト軍有数のスナイパーの死亡記事としてはあまりにも小さい扱いでした。

ヒョードル・アフラプコフ。
決して声高に自らを誇ることなかった孤高の英雄。
群れることも媚びることもなかった一匹狼。

その生涯を“ヤクートのサムライ”と呼ぶロシア圏の人々の言葉はまさに言いえて妙と感じます。



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大祖国戦争もの大好きですが、アフラプコフがヤクート人だったとは知りませんでした。有名なウラルの羊飼いザイツェフ同様、幼い頃から銃に慣れ親しんでいたのだと思います。スターリングラード戦の狙撃ランク上位者にも氏名不詳のウズベク人がいたとのことで、記録に残らず戦死したり不幸な戦後を過ごしたアジア系が他にも多くいるのではないでしょうか。それから御存知かもしれませんが…フィンランド人のヘイエもモシン・ナガンを使用していたようですが、スコープ未装着!だったとのことです。
追伸 ペイペイシャー修理完了。現在、絶好調です(笑)。

2009/2/27(金) 午後 1:52 [ tan*3* ] 返信する

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ロシア人には潜在意識にバトウー汗以後200年間の怨念があるのかなあ、、。 削除

2009/2/28(土) 午前 0:48 [ 無名者 ] 返信する

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tane3oさん ウズベク人の名スナイパーの存在は知りませんでした。やはり歴史の闇に隠れた人は多いのですね。今回アフラプコフさんのお話にしようかそれとも女性スナイパーのお話にしようか迷ったのですが、こちらの方がいくばくかの資料があったため記事にしました。女性スナイパーに関してはいずれまた触れようと思います。

大祖国戦争ネタに関してはまた折につけ触れていきます。とは言えロシア圏の様々な情報をお伝えするために毎回っうワケにはいかないですが。どうぞお楽しみに!

追伸:シュパーギン絶好調ですか。モデルガンが出ているのですか???僕も欲しいもんです。

2009/2/28(土) 午前 7:38 mig21 返信する

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無名者さん ご指摘の通り、ロシア人はタタール人による抑圧の歴史があるので、アジア系人種に一種の警戒感が刷り込まれているのは確かと思います。ただし、面白いのは、その警戒感が日本や韓国、そのほかのアジア系でなく、中国であることです。

タタール人と漢民族はまた違う人種と思うのですが、やはり隣国のあの巨大な国、しかも今なお膨張する国には強い警戒感を抱くのはある意味当然なのかもしれません。

2009/2/28(土) 午前 7:49 mig21 返信する

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本当に「故郷に帰還」してたのでしょうか・・・

もしかして「準軍事工作要員」としてアジアで活動してたのかも?

アジア人的風貌なら、東南アジア辺りで容易に活動できますしね。まさか「J○K暗殺(K○B主犯説もあり)」に関与・・

2009/3/3(火) 午後 8:11 [ tero19632001 ] 返信する

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案外、元祖拉致工作みたく「日本人として活動」してたりして?

2009/3/4(水) 午前 7:44 [ tero19632001 ] 返信する

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TEROさん 出張および年度末の忙しさでお返事が遅れてしまいすみませんね。

さて、アフラプコフさんの戦後の足取りなのですが、あまり資料がないため、随分記事構成に苦しみました。ですから、もしかしたら秘密任務に従事したのでは??と思われるのも無理ないですね。

ただし、戦後のソビエトはどちらかというとアメリカの攻勢に防戦一方でしたから、可能性としては低いような気がします。また、故郷のサハでは、アフラプコフさんの知人がその苦しい暮らし向きをよく伝えているとも聞きました。

もちろん、これは素人考えですから、もしかしたら驚くような任務についていたかもしれませんが、、、、

2009/3/22(日) 午後 2:32 mig21 返信する

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TEROさん 日本での活動は可能性がないと思いますが、時節柄朝鮮戦争には行ったかもしれません。でも、相当体を痛めていたそうですから、ほとんど戦力にはならなかったような気がします。どちらにせよ、アフラプコフさんの戦争は大祖国戦争で終わりをみたような気がします。

2009/3/22(日) 午後 2:44 mig21 返信する

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