シルクロードから嫁が来た!!

キルギス共和国出身のロシア人と結婚した男のムダ話。旧ソ連諸国のお話も

ロシア圏あれこれ(3)

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【これがロシア圏でよく出回るトイレットペーパー。見よ諸君!このダンボールくずもかくやな色を!こんなのでお尻を拭くだけでもロシア圏の人々の強靭さが分かろうってもんです。しかし、ここまで質の悪い紙でも無駄にせず使うロシア圏の人々はある意味すごーーくエコなのかもしれません(笑)】


『やっぱり日本が一番いいねえ。』
旅行や仕事で海外に行っていた日本人からよく聞く台詞ですね。

確かに世界屈指のサービスや高品質の製品群に囲まれる日本の生活は素晴らしいです。
なかなか外国で体験できるものではないです。

ところで、天邪鬼を気取るつもりはないのですが、僕はあまりこんな気持ちにはなりません。

食事は現地の人が食べる安カフェで十分満足ですし、ホテルの設備がボロでも気になりません。

治安がよくない場合は気をつけるしかないとあきらめるし、電気やガスが止まっても原始時代に比べればマシと呑気に考えています。

もし、誰かに『一生日本に帰国してはいかん!』と言われても、
2日もワンワン泣けば、後はケロッとして新しい国の人間として生活を始めているような気がします。

『お前は人間的に鈍感なんやで。』

知人はこう冷やかしますが、なるほどそうなのかもしれません。
と言うか、個人的には少しぐらい鈍い性格の方が海外に行く際は向いていると感じます。

そんな僕でもロシア圏に行く際、“日本恋しや”と痛感する時があります。

それは、トイレットペーパーを使うとき。

ロシア圏でよく見かけるトイレットペーパーは日本人には強敵です。

何とも言えないネズミ色をした小汚い紙で見た目からしてかな〜りビビリます。
恐る恐る触れてみると、これがとんでもなくゴワゴワした感触。

漫画雑誌に使われるザラザラした紙がありますよね。
正確には『印刷せんか紙』と呼ばれる古新聞などの古紙を使った安い紙です。

ロシア圏のペーパーは強いて言えば、この『印刷せんか紙』に似ています。

しかし、実際は、それよりはるかにヒドイ手触り。
これほど“KING OF 安紙”なものがあったとはと驚いたものです。

そんな紙でお尻を拭くのですから、その衝撃たるや相当なものです。
ましてやお尻の調子が悪いときなどは恐怖に近い気分になります。

汚い話で申し訳ないのですが、、、、、、

初めてロシア圏のトイレットペーパーと出会った時、僕のお尻は最悪の状態でした。
出国前にタイ料理店で激辛料理をガンガン食べてしまい、急性の痔の様相を呈していたのです。

おかげでお尻を拭くたびに激痛に耐えねばならない有様。
まるで紙やすりをかけられている様な痛みに不覚にも半泣きになっていました。

最後はペーパー使用をギブアップ。

用を足すたびにシャワーの温水でお尻を洗い、ドライヤーで乾かす究極の技、
“人力ウォッシュレット”でしのぐ大ピンチでした。

そんな努力の甲斐もなく、帰国時に痔は悪化。
まともに飛行機の座席に腰を下ろせず、ほとんど中腰状態。

見かねたスチュワーデスがクッション代わりの毛布を敷いてくれるなど、苦難にも程がある帰国とあいなったのでした。

余談ですが、この時使用したのは、ロシア国営航空アエロフロートのノボシビルスク−モスクワ間。

スタッフの無愛想と不親切ぶりが有名な国内路線です。

そんな人々ですら気遣ってくれたぐらいでした。
恐らく凄まじい苦悶の表情をしていたのかもしれません。

閑話休題。

ここまで書くと流石にロシア圏の人々でもこんな安物ペーパーは使わないと思うでしょ?
いえいえ、普通に使っているし、人気(?)なんですよねえ。

商店やスーパーで常に山積みにされていることが一般庶民への浸透ぶりを物語っています。

一応日本でもおなじみの柔らかなペーパーも置かれているのですが、買うのは外国人か裕福そうな人ばかりです。

全てとは言いませんが、ロシア圏ではソビエト時代と比べるとはるかに暮らし向きがよくなった国もあります。ペーパーぐらい買えそうなもんなのですが、そんな国の人も相変わらずゴワゴワペーパーを買うのには驚かされます。

『ロシア圏ではお尻を拭くことなんて全然問題ごとではないんだ。それに、硬い紙でゴシゴシ拭くほうが拭いた〜!って実感が湧くからかもしれないねえ。』

とは家内の知人のウクライナ人の便ならぬ弁ですが、なるほどそうなのかもしれませんね。

ただの庶民である家内の実家も当然ゴワゴワペーパー。
よくもまあこんな紙で尻を拭き続けてきたなあとある意味尊敬してしまいます。

とは言え、一度日本の素晴らしいペーパーを体験した家内はもはや後戻りできない模様。

『あんな紙でお尻を拭いていたなんて信じられないわ。』

こう言い放ち、里帰りしてペーパーを買いに行くときも慣れ親しんだゴワゴワペーパー売り場は素通りしています。

一方、僕の場合は逆。

『これだけ悪口を書いたのに何だ!』とヤジが飛びそうですが、時折あのワイルドなペーパーが無性に懐かしくなるんですよね。

いかにもロシア圏的な豪快さを身近に感じられるツールとしては貴重だと思うんです。

この世のものとは思えない(もちろん悪い意味で)あの感触がある意味奇妙な魅力になっているかもしれません。

日本式ペーパーにあこがれる家内。
ロシア圏式ペーパーが懐かしい僕。

隣の芝生は青く見えると言う言葉がありますが、あるいは僕ら夫婦のペーパーに対する思いもそういうものなのかもしれませんね。



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【NHKのインタビューに答える元ソビエト高官ワジム・トカチェンコさん。長年北朝鮮に接したトカチェンコさんにすらこの国は不気味で何を考えているか分からないと映っていました。今や世界の孤児となった北朝鮮を誰が制御できるのか?その答えを国際社会はいまだ出してはいません。(画像はNHKスペシャル『ドキュメント 北朝鮮』より転載)】


地下核実験から始まった北朝鮮の強硬政策。

日米韓は堪忍袋の尾が切れたとばかりに国連による制裁強化を訴えています。

北朝鮮問題でのヒートアップ防止を唱えるロシアも今回は同調。
プラウダやPTPなど大手メディアも北朝鮮に冷ややかな論調です。

ロシアは4月にラブロフ外相が平壌を訪問していました。
この時に何ら核実験のことを知らされず、面子をつぶされたことも怒りに拍車をかけています。

とは言え、やはりロシアの腰はどこか引けています。
制裁には同意しながらも冷静になれと主張するチグハグぶり。

北朝鮮に対するロシアの慎重ぶりに関しては以前にも本ブログでは触れました。
(下記トラックバック記事をご参照ください。)

ロシアにとって北朝鮮は隣国。
北朝鮮体制に大きなひびが入ればロシアに難民や戦火が押し寄せることは必至。

ならば崩壊しない程度に弱体化している今の北朝鮮を維持させることがロシアの国益と考えているフシがあると僕は読んでいます。

この推測はそれほど的外れでもないと思いますし、知人のロシア人も同意しています。

北朝鮮が強大化するのも困るけど崩壊して混乱されるのも困る。
つまり、“生かさず殺さず”がロシアの北朝鮮への基本姿勢なのです。

ところが、最近北朝鮮へのロシアの慎重ぶりは、“生かさず殺さず”からだけではないと感じるようになりました。

きっかけは知人のロシア人との会話でした。

『隣に頭のオカシイ人間が住んでる場合、アンタどう対応するね?普通は腫れ物に触るように慎重にならないか?ロシアの北朝鮮への態度はこれと同じさ。』

日本では北朝鮮とロシアは同じ社会主義体制出身の兄弟国。
強い絆で結ばれていると考える人は多いです。

率直に言うと、これはまったくの間違いです。

確かに第二次世界大戦直後の一時期は両国は緊密でした。

ただのソビエト兵だった金日成はソビエトのプロパガンダにより作られた英雄でした。
また、ソビエトは相当な資金を北朝鮮復興につぎ込みました。

これはもちろん西側諸国への対抗策でした。
ソビエトは北朝鮮を東欧で設立した様な衛星国にし、西側諸国との防波堤にしたかったのです。

結論から言うと、この努力は実を結びませんでした。

北朝鮮は、ソビエトが生活向上を目的として行った援助をことごとく軍備増強や核開発に振り替えました。しかも、ほとんどは出資元のソビエトに内緒で。

これだけでも随分ヒドイですが、話はここで終わりません。

こともあろうに北朝鮮はソビエトをアメリカとの全面戦争に引きずり込もうとすらしました。

1968年2月に起きた『ブエブロ号事件』です。

北朝鮮が領海侵犯を理由(アメリカは否定)にアメリカ海軍の情報収集船ブエブロ号を拿捕(だほ)。
1名を銃撃により殺害し、残る82名の身柄を拘束したのです。

身柄の引渡しを求めるアメリカと拒否する北朝鮮は激しく対立。
激怒したアメリカは日本海に空母部隊を展開し、臨戦態勢に入ります。

これはソビエト政府に冷水を浴びせる出来事でした。
朝鮮とソビエトは同盟国でしたから、ソビエトは自動的に戦争に引きずり込まれる危険があったのです。

実際、金日成はソビエトの参戦を再三要請し、揺さぶりをかけたことがソビエト崩壊後に明らかになった資料に記されているそうです。

結局、戦争を望まない米ソの裏交渉で事件は解決します。
一方でブエブロ号事件は、後先考えない北朝鮮の行動と無謀ぶりをソビエトに強く印象付ける結果となりました。

そして、北朝鮮の思想のベースとなる『主体思想』が浸透。
北朝鮮は急速にソビエトの理解を超えた国に変貌していきます。

『自主・自立・自衛』を旗印にウリ(私たち)的に生きる主体思想を国作りの土台とすると宣言した北朝鮮がソビエトを同盟国でなく、主体思想を実現するための金ヅルとして捉えたことは明白でした。

さらに金日成→金正日と続く世襲制は、それを許さないソビエトと完全に袂を分かつ出来事でした。

大国ソビエトを翻弄しながら資金と技術を吸い上げ、異形の進化を遂げた国、北朝鮮。

そんな国が隣国なら腫れ物に触る様な対応を取らざるを得ないロシアの気持ちは理解できるような気がします。

ソビエト時代、北朝鮮とのパイプ役として活躍した中央委員会の重鎮ワジム・トカチェンコさんがNHK制作のドキュメンタリー『ドキュメント 北朝鮮』の中で語る言葉はロシアの困惑を端的に示していると言えるのかもしれません。

北朝鮮はソビエトにとって常に頭痛の種でした。

彼らは主体思想を教え込まれ、目的のためならどんな手段を用いても良いと考えているのです。

自分の国のためなら何をしても許されるのです。

私は時折思います。

このような人たちとまったく関わりを持たない方が良いと。

不用意に関わると、こちらが病気になり傷つくことになるのです。


自国の衛星国として生み出した国が作り出したソビエト自身の予想を超えた存在になっていく。
今のロシアはフランケンシュタイン博士ならぬソ連ケンシュタイン博士の心境なのかもしれません。



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【1995年に発行されたキルギスの切手に記載されたユキヒョウ(画像上)。キルギスではバルスと呼ばれ国を代表する動物とされています。そして、土産用のポストカードに記載されたユキヒョウの赤ちゃん(画像下)。中国で猫と思って飼っていたら実はユキヒョウだったってニュースが以前ありましたが、間違えるのもうなずけるような可愛さです。】

中央アジアには様々な珍しい動植物が生息しています。
中でも有名なのはユキヒョウでしょう。

ユキヒョウはネコ科に属する美しい白灰色の毛並みが印象的な動物。
ヒョウと言う猛獣イメージに似合わぬ太くモコモコした可愛い尻尾も魅力です。

南は中国のチベットから北はロシアのアルタイ山脈まで中央アジアの東域の広い地域に分布しています。
生息場所は高山地帯、それも海抜3000〜6000メートル付近に住むと言われています。

富士山と同程度、あるいはほぼ倍の高山地帯ですから、当然厳しい環境です。

なかなかエサにもありつけないはず。
そのせいかユキヒョウの行動域は凄まじく広いとされています。

従来動物学者の間ではユキヒョウの行動範囲は10キロ四方程度と推測されていました。

ところが、アメリカの動物学者トム・マッカーシーさんの実験で、推測は覆ります。
ユキヒョウの活動範囲がかなり広いものであることが分かったのです。

マッカーシーさんは、ユキヒョウに発信機を付け、その行動を人工衛星で追跡しました。
その行動範囲は何と1000キロ平方メートルにも及んでいました。

1000平方キロメートルは東京都のほぼ半分の面積。

“なーんだ。大して広くないじゃん”と思うなかれ。

平らで温暖な場所でなく、峻険な山々での1000平方キロメートルです。
人間なら重装備で登山する場所を軽々と走り回るのです。

驚くべきユキヒョウの生態は当然動物学者たちの興味の的になります。
そんな訳でユキヒョウ研究を目的に中央アジアを訪れる動物学者が徐々に増えていきます。

残念ながらその訪問は空振りに終わることが少なくありません。

と言うのもただでさえユキヒョウの行動範囲は広いことに加え、生息圏は過酷な高山地帯。
さらにユキヒョウは非常に用心深く、人の気配を感じればすぐに隠れるため、目撃すら難しいとされています。

さながら秘境の幻獣ですね。

もっとも、地元民は違うようです。
ユキヒョウと同じ高山地帯で生活を営む彼らは土地勘もあり、様々な方法で捕獲をしてきました。

捕獲は、遊牧民の生活の糧である家畜をユキヒョウから守ることが理由とされています。
一方で、それは単なる建前とする人もいます。

ユキヒョウそのものに高い商品価値があるため、お金儲けの手段として捕獲していると言うのです。

厳寒地に住むユキヒョウの毛皮は非常に暖かく、色彩も美しいため高く売買されます。
また、過酷な場所で暮らす生命力を得るため肉や内臓を長寿の秘薬として買い求める人もいます。

この結果、ユキヒョウの数は激減。
今や世界に5,000頭もいないのではと言われるほどの数になりました。

特に貧しい遊牧民の多いキルギスではその減り方は急激です。

キルギスではユキヒョウを“バルス”と呼び、親しんできました。
国産ビールの銘柄に据える等、今も国を代表する動物としています。

にも関わらず生活のためにユキヒョウを狩らざるをえないことは貧しき小国の悲劇です。

当然現在は絶滅危惧種となり、中央アジア各国で保護されていますが、蛇の道はヘビ。
今でも地下マーケットで密猟されたユキヒョウの毛皮や肉が売買されていると地元新聞は伝えています。

とは言え、最近では違った動きが出てきました。
自然保護活動を行なうNPOなどがキルギスなどでユキヒョウを守るための施策を開始しているのです。

例えば、ユキヒョウが殺した家畜の損失補てん金を遊牧民に払ってあげたり、新たな家畜を買ってあげたりしています。

加えて単に買い与えるだけでなく、ユキヒョウを目玉にした新たな観光ビジネスも地元の人と共に取り組んでいます。

ユキヒョウがいれば、それ見たさに観光客が集まる。
ならば、ユキヒョウを狩る刹那的なビジネスより上手く利用する方が長期的によい結果を生むはずだ。
そんな考えを地元民に伝え、観光資源としての活用を勧めているのです。

貧しいから殺す、
殺すから貴重な生物が減る。
生物が減るから自然のバランスが崩れる。
自然のバランスが崩れるからさらに貧しくなる。

こんな負のスパイラルからの脱出がやがてユキヒョウの復活につながり、
さらに経済的に低迷する国が多い中央アジア復興の礎になるのかもしれません。


【ご参考】
日本でもユキヒョウを飼育している動物園があります。是非一度ごらんになってみてください。
該当する動物園は以下の通り。(出展元:フリー百科事典 Wikipedeia)

*札幌市円山動物園- 国内で最初に繁殖に成功。

*旭川市旭山動物園

*秋田市大森山動物園

*群馬サファリパーク

*東武動物公園

*多摩動物公園- 本種の国内血統登録を担当。

*日本平動物園

*浜松市動物園

*アドベンチャーワールド

*東山動物園

*神戸市立王子動物園

*熊本市動植物園




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【ロシア モスクワのスーパーの一角にあるウオッカコーナー。売り子のオネーサンが意味なくセクシーです(笑)。インフルエンザ騒動以来、ロシアではウオッカが好調なセールスを記録中です。『タミフル(インフルエンザ治療薬)やとぉ!?アホか!ロシア人ならウオッカ飲めばすぐ治るし、感染もしない!』ってウオッカ信仰が強いロシアらしい発想です。世界中でタミフルやワクチンの増産が叫ばれていますが、ロシアでは、『そんなもんいらんワ。それよりもウオッカ作れ』との声が(笑)。確かに酒は百薬の長ですけど。。。。。】

いよいよ日本にも上陸した新型インフルエンザ。
関西中心に急速な勢いで感染が広がっています。

さて、最近でこそ“新型インフルエンザ”と定着した名称ですが、
出現最初は一定した呼び名ではなかったような気がします。

豚インフルエンザとか、メキシコでのインフルエンザとか、、、
その中でよく言われたのが、“Aソ連型”との名称でした。

この名称を聞いた元ソビエトっ子の家内は、エラク怒っていました。
いわく『日本人は何でもかんでも悪いものがソビエトから来ると考えているのね!』とのこと。

Aソ連型と呼ばれているインフルエンザはH1N1型というタイプに属するそうです。
インフルエンザにはA型、B型、C型があり、A型の亜種がソ連型になります。

新型インフルエンザは、このAソ連型のさらに亜種なので、この名前が頻出したのだそうです。

では、何故ソ連の名前が冠されているのか?
今回のお話はこんなテーマで進めていきましょう。

ソ連の名が冠される理由。これは、ソビエトで流行したからとされています。
1977年から78年にかけ流行した“ソ連かぜ”です。

ただし、厳密に言うと、ソ連発祥でなく、中国北西部なんだそうです。
その後、シベリア→欧州ロシアとソビエトで大きく広がったのでこの名が付いたのでしょう。

幸いソ連かぜは、今回の新型インフルエンザで心配されているパンデミック(世界的流行)にはなりませんでした。23歳以上の人の罹患率が極端に低かったためです。

エピデミック(局地流行)で済んだのはめでたしめでたしなのでですが、、、、

ここで奇妙なことがあります。
何故23歳以上の人の罹患率が低かったのか?と言うナゾです。

インフルエンザ治療薬『タミフル』の販売元で有名な中外製薬のサイトによると、、、

ソ連かぜは、1950年代に流行した“イタリアかぜ”とほぼ遺伝子が同一でした。
つまりイタリアかぜを経験した20代半ば以上の人の場合、抗体(ウイルスに対する免疫)を持つことが多く、罹患しなかったのです。

イタリアかぜとソ連かぜの遺伝子がほぼ同一だったことは、巷の噂を呼びます。

ソ連かぜ生物兵器説です。

ソビエトの生物兵器研究所でイタリアかぜをベースに開発中のウイルスが何らかの事情で流出したのでは?とささやかれたのです。

この噂、いかにもSF小説、さながら小松左京さんの『復活の日』みたいな話ですね。

ところが、あながち荒唐無稽とも言えないのが恐ろしいところです。

まず、ソ連かぜ発祥の地が中国北西部であることがポイントです。

中国北西部が具体的にどこを示すのかは分かりません。

ただ、シベリアから欧州ロシアへ広がったことを考えると、中央アジアの北部などの辺境地であったろうと考えられます。

中国とソビエトが対立した時代、中央アジア北部はまさにソビエト新兵器の実験場となっていました。
国際社会の目に触れにくい一方で隣接する中国に新兵器の存在を誇示することができる。。。。

そんな理由で様々な実験や開発が行なわれたのです。

キルギスやカザフスタンなどはその代表で、様々な新兵器の研究や実験施設がありました。

世界で二番目の透明度を誇るキルギスのイシク・クル湖では新型魚雷や小型潜航艇の実験が行なわれていました。また、カザフスタンのセミパラチンスクでは核兵器開発や実験が頻繁に行なわれました。

中でも生物兵器開発には熱心で、ブレジネフ時代からかなり力を入れていました。

ブレジネフ政権時は、ソビエト財政の厳しさが表面化した時代でもあります。

そのため、ソビエトは戦車や戦闘機などコストがかかる従来兵器より少ない労力で大きな効果が出る生物兵器を重視していたのかもしれません。

ならば中央アジアで生物兵器を開発し、それを敵地中国で試験を兼ねてこっそり使ったことも十分考えられる話です。

もっとも、ソビエトが新兵器を開発する場合、スムーズに行かないことがかなりありました。
それは技術が稚拙とかそういうテクノロジーな部分ではありません。

『コントかよ!』と思うような信じられないほどマヌケな失敗をすることが多々あったのです。

中国を苦しめようとこっそりばら撒いたウイルス。
それが天山山脈の気まぐれな逆風にあおられてソビエト自身にやってきたなんてこともさもありなん。

まさに策士策におぼれるソビエトならでは(笑)。
インフルエンザを素材にした新兵器コントが中央アジアの秘境でひっそり起きていたのかもしれません。

新型インフルエンザがどういう経緯で発生したのかはまだ明らかになっていませんが、こういう新兵器コントの結果であることだけはご勘弁願いたいものですね。


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【1941年12月。ナチス迫る中で行われたモスクワの軍事パレードを再現するイベント。こういったパレードはロシアではたびたび行われています。その狙いは何か?国威高揚策もさることながら領土奪回を果たした思いの強さを再認識する催しなのかもしれません。こんな光景を見ると同じ領土と言う言葉でも日本人が口にするそれとは根本的に違う印象をロシア人は抱いているような気がします。】

2005年の初来日以来2度目となったプーチンさんの来日。

肩書きは、大統領から首相へと変わりましたが、存在感とスタミナは相変わらず大したものでした。

2009年5月11日夜に到着後、ただちに行動を開始。
麻生首相はじめ、小泉、森の両元首相、さらに民主党の小沢さんとも会談する精力ぶり。

流石元KGBで柔道の鬼って感じのタフネスぶりでした。

一方、マスメディアの扱いは大きなものではありませんでした。

小沢さんの党首辞任や中国四川地震から一年と言う大きなトピックスがあったこともあるのですが、
やはり一番の原因は領土問題が進展しなかったからでしょう。

もっとも、僕は、今回の麻生ープーチン会談が成果なしとは思いません。

日露の原子力協定の締結は今後の日本のエネルギー資源確保に恩恵を与えるはずです。
また、両国での犯罪捜査に関する協力体制の確立は様々な部分で効き目を発揮するとも感じます。

しかし、確かに領土問題に関しては進展はありませんでした。

驚いたのは、共同会見に臨んだプーチンさんの表情でした。
実にそっけない顔で淡々と事実を述べると言った按配だったのです。

首脳会談直前に出席した日本経団連主催のフォーラムで見せた熱心さとは雲泥の差でした。

これは何を意味するか?

ロシアの領土問題へのスタンスは今も変わりは無いと言うことです。

つまり、1956年の日ソ共同宣言の合意事項
『平和条約締結後 歯舞 色丹の返還(ロシア側から見ると引渡し)』を今もより所にしているのです。

プーチンさんは、日ソ共同宣言後、態度を硬化させ、『領土問題存在せず』と一島たりとも渡さないとしたソビエト時代から十分譲歩しているはずで、これ以上の妥協はありえないと考えているのです。

ともあれ、今回の件で改めて感じたことがあります。

それは、ロシアの領土に対する執着心の強さ。
そして、そのキャラクターを理解できていない日本という構図です。

以前も何度か触れましたが、侵略国のイメージが強いロシアは実は有史以来散々他国に攻め込まれ、支配されています。

特にタタール人(モンゴル)、フランス人(ナポレオン)、ドイツ人(ヒトラー)の侵攻や残虐な統治は広く知られるところです。

他国が手をつけない大国となったのはソビエト時代からですが、ソビエト創世記もシベリア出兵やドイツ侵攻などで攻め込まれていましたから、本当に安定したのは第二次世界大戦後になってからでしょう。

絶え間ない侵略のたび、ロシア人は、天文学的とも言える膨大な犠牲を払って奪回しています。

彼らにとって領土とは単なる土地ではないのです。
“父祖の血が流れる不可分の地”なのです。

ロシアを含め、ユーラシア大陸の諸国は、互いに侵略し、侵略されてきた長い歴史があります。

それだけに領土に対するこだわりはどこも強いです。

中でも、アジアから欧州にまたがるロシアは東西の征服者どちらからも標的にされやすい国でした。
それがゆえに余計に強い執着心が芽生えたのではと僕は考えています。

彼らのそんな感覚を痛切に感じたのが、ある年の真冬にロシア国内線に乗った時です。

眼下に広がる広大なシベリアの雪の荒野を眺めた僕は隣の中年ロシア人に話しました。

『何の作物も産業も育たないだろうに。ロシアも無駄な土地管理で大変だねえ。』

半ば冗談だったのですが、相手は憮然としてこう答えました。

『この土地は、祖先がヒトラーやナポレオンから命をかけて守った土地だ。無益か有益かは問題でなく、我々の手にあることに意味があるのだ。』

月面の如き不毛の地にまでそんな思いを持つロシア人の執念に何とも言えぬ気持ちを持ったものです。

加えて既に何度か書いてきましたが、ロシア人は北方領土侵攻に対し、罪の意識がありません。

日ソ中立条約は、関東軍特種演習により先に日本側が破ったと考えています。

また、北方領土への侵攻もヤルタ会談でのアメリカとの約束。
つまり、ドイツ降伏後3ヶ月以内に対日参戦したお礼にもらったものだと確信しているのです。

どんなに日本がソビエトに非があると主張しても彼らは彼らでそれなりの根拠を持っているのです。

振り返れば、ソビエト崩壊、ルーブル危機などの大ピンチでもロシアは頑として領土問題での妥協をしませんでした。

どんなに国民が困窮しても、どんなに政治が混乱しても絶対に歩み寄らない頑強さを見せているのです。

日本では対話を重ねればいずれ4島は返還されると考えている人は多いでしょう。
あるいは経済危機のロシアはいずれ折れてくると考えている人も多いでしょう。

ロシアは、そんな甘い国ではありません。

この事実をよく考えてみるべきです。
島国日本では想像もできないロシア思考、病的なほど領土にこだわる執念に思いを馳せるべきです。

そうしない限り、領土問題はいつまでも解決せず、両国間の抜けないトゲとして延々うずき続けるのではないでしょうか?



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