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この記事は暗い上にとてつもなく長いので、「そういう気分じゃない」という方は
見るのはやめておいた方がいいかと思います。
お昼頃?はやけに暗い雰囲気漂う記事を更新してすみませんでした(´;ω;`)
ほんとダレも予想できないくらい急なことで皆、驚きました。試験の日の朝に「おばあちゃんが
危ないらしい」という電話がかかってきて、"大丈夫かな…"と思いつつ、それを聞いたマミーは
すぐに家を出て行き、私は昼前に学校に向けて出発して、3時過ぎに試験が終わり、マミーに
様子を聞いたら「まぁ、いいからはよおいで」という感じのメールだけだったし、元々寿命は
ある人だとマミーが言ってたので、"大丈夫だったんだ"と思い込んで学校からおじいちゃん家に
行く途中、家の最寄駅から近いおじいちゃんのお墓に一人で寄って、ちょっとお願いじゃないですけど
お祖母ちゃんの事守ってあげてってお参りしたのに…家に着いたら玄関に「忌中」の紙が貼ってあって
初めて駄目だったということを知ったんですが、実感が湧かず入ってみるとマミーの口から
「あかんかったんやって」と言われて、仏間を見るとおばあちゃんが寝てて顔を見ても
病院で寝てた時と同じ顔で全く変わらず、気持ち良さそうな顔で益々"亡くなった"という事実が
信じられなかったです。マミーから話を聞くと朝の電話の後、すぐに亡くなって誰も死に目には
会えなかったらしいです。マミーは実家に行く途中に知ったらしいんですが、私が知ったら
ショックで試験を受けられなくなると思ったらしく家に来るまで知らせなかったとのこと。
でも、実はそこまでショックは受けませんでした。と言っても、悲しくないことなんてないです。
とっても悲しかったですが、お祖母ちゃんはマミーたちが中学生位の時にも倒れて数日間の間
生死を彷徨って奇跡的に生還して、それから暫く元気でささやかでも遊んでもらったりしたんですが、
私が小3位の時に脳のバイパス手術をして以来、相変わらず体調は良かったんですが1年後位に
御祖父ちゃんが亡くなってからはまた調子が悪くなって退院はしたんですが、入院してた時から
アルツハイマーではなかったんですが、私の事はおろか、子どもであるおばちゃんやマミーたちの事も
分からなくなってずっと「友達」だと言い続け、記憶は曖昧でも足腰だけは元気だったので「お祖父ちゃんが
おらんなったから実家に帰らせてもらいます」とか言って知らない間に家を出て行ってたり、と
色々大変だったのですが、暫くすると何も分からなくなってしまったのか全然喋らなくなって、
足腰も立たなくなり亡くなる頃には「舌を噛んでは危ないし流動食だから」という理由からか、
入れ歯も外されててそれで口の所がへっこんでて、見てると言い方は悪いですが昔と違って
"生きてる"っていう感じが薄れていて見ていて辛かったです…そのお祖母ちゃんの介護というか
お世話は主に上のおっちゃん、つまり長男である叔父さんがずっとしてくれてたんですが、
入院していた時でさえも毎日通ったりしていたと聞いてさぞかし大変だったと思います。
亡くなった日も入院期限のない病院に移ったばかりだったんですが、入院時の検査も良好ということで
タオルとか着替えを買って病院に預けたばっかりだったらしいです。それを聞いて"ほんまに
急やったんやなぁ"と実感しました。それを聞いてから改めておばあちゃんを見てるとなんだか
不思議な気分でしたが、さっきも書いたようにとてつもなくショックを受けたり、泣いたりということは
ありませんでした。寧ろ、"御浄土に行ったらお祖父ちゃんと会える"、"亡くなると言っても
第二の人生のスタート"とか"多分向こうでは健康だった頃に戻ってるんだ"と私は思ってたので、
亡くなった日の晩も夜伽の間何度か2階に上がったんですが、そこの窓から見事な満月が
見えて行く度に"もうお祖父ちゃんには会えたかなぁ"とか考えながらボーっとしてました。
なんて事を言ってても、お葬式の時の最後のお別れの時に花を納める時はほんとに泣きそうでしたが、
頑張って堪えましたよ(´つωー`)でも、この記事を書いてるとまた泣きそうです…
亡くなったという事実は変わりませんが、これがもしもっと健康でこの前まで普通に
話したりしてたとしたら、間違いなく感情を抑えられずに思いっきり泣いてただろうな…
でも、お祖母ちゃんには御浄土で元気な身体でお祖父ちゃん達とゆっくりどっかに出かけたり、
まったりしたり色んなことをして楽しく過ごして欲しいなと思います。数十年後には間違いなく私も
そちらに行く予定なので、生前はそこまで元気ではなかったということで、一緒に何処かに行った事が
無かったので、私が逝った時は一緒に旅行とかも行きたいなぁ…
ということで、最後になったけど、お祖母ちゃん、安らかに眠ってね。あと、向こうでは
おじいちゃん達と仲良く過ごしてね…
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