LUPOの地球ぶらぶら紀行

地球をこよなく愛する産婦人科女医の多少マニアックな旅行記です

ネパール・エベレスト街道2009

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カラパタールに登ってエベレストを見た瞬間に高山病を発症し、吐き気と頭痛でフラフラになった私は、とにかく高度を下げるため下山を始めました。ずっとムカムカして、「まさかこれがつわり?」と思う程でしたが、産婦人科医の私に限ってそんなことがあるはずがありません。これが普段なら仕事に行くのは無理ではないかという辛さでしたが、そこはネパール。自力で歩く以外はヘリを呼ぶしかありません。いや、本当の事を言うと恥ずかしげもなくヘリを呼んで欲しいくらいの体調だったのですが、さすがにカッコ悪すぎると思って倒れるまでは歩こうと思いました。

まずは標高4900mのロブチェまで下山したのですが、全く体調は改善しません。酸素飽和度は85%ほどで問題なかったのですが、余りに辛いので試しに酸素を30分程吸わせてもらいました。が、低酸素の問題ではなかったので何の効果もありませんでした。

力を振り絞って4400mのディンボチェまで下山。雪の中、日が傾いて暗くなりかかっていました。食欲もなく、オートミールを少しすすっただけで就寝。朝起きると寒さのため風邪をひいて鼻がずびずびになっていました。おかげで酸素飽和度は76%!普段の診療の感覚からすると、信じられない低さです。本当は帰りにチュクンリーというところにも登ってローチェ山の南壁を見ようと思っていたのですが、辛すぎて中止しました。

酸素飽和度70%台の思考回路はやばいですよ〜。
超ネガティブなんです。歩きながら、色んな人の腹立つことばかり思い出されるんです!これがまた近しい人ほど頭に浮かんでくるんですわ。
誰かと一緒にネパール行ってたら喧嘩してたでしょうね〜。

標高が下がるにつれ頭痛は無くなりましたが、吐き気と食欲不振はしつこく続きました。脳浮腫がなかなか退かなかったのかなと思います。それと同時にひどい下痢が・・。回数は大したことなかったのですけど、辛かったです。なんせ、ロッジのトイレは不衛生で酷いものだったので・・。旅行者情報として書きますと。壊れてて、変なタンクが置いてあって「今トイレは壊れてるからここに尿だけしてね」と書いてあったりして、もうどないしろっちゅうねんって感じです。紙は絶対ないし、手を洗うとこもありません。日本から持って行った除菌ウェットティッシュで手を拭くのですが、みんなは拭いてないってことでしょ?そらその手で調理をしたら、旅行者は下痢もするわな・・。

ディンボチェ→デボチェ→ナムチェ→ルクラ、と行きは7日かけて行った道を帰りは4日間で帰りました。
と言っても、フラッフラだったので荷物を全部持ってもらったにも関わらず歩みはとてもゆっくりでした。何枚も履いていたタイツはお腹のところが苦しかったので全部脱ぎました。何度も立ち止まっては呼吸を整えていました。ご飯は塩味のおかゆ以外何も食べられず、スープもお茶もポカリも飲めなくなってお湯を飲んでいました。ほとんどカロリーを摂取しないのに、何故歩けたのか分かりません。
現地では食べられるものが何もなかったのですが、すりりんごとかうどんとか雑炊とかなら食べられるのに、これが日本だったら・・と何度も思いました。真剣に日本が恋しかったです。日本を想って泣いてました。帰れたらもう日本を出るまいと思いました。

ナムチェからルクラに帰る日、辛くてほとんど歩けなくなり、最後の3時間だけ馬に乗せてもらいました。80ドルもしましたがやむを得ませんでした。ガイドさんたちとポーター君に付き添われて馬に乗る姿はさながら三蔵法師のようでした。



ルクラに着いたらちょっと文明の匂いがしてホッとしました。翌日の飛行機は無事に飛んでカトマンズまで帰れました。カトマンズに着いたら風の旅行社ネパール支店の偉い人が心配して来てくれました。結構な早さでカラパタールまで行って帰って来たので、日本に帰る便まで4日もあったのですが、変更の出来ない便だったのです。「一日も早く日本に帰りたいです」と言うと、「病院に行って、日本に一刻も早く帰った方がいいという診断書を書いてもらえば、海外旅行傷害保険で飛行機代が下りるよ」と言われたので、早速旅行者専門の英語の病院に連れて行ってもらいました。病院では優しい女医さんが診てくれました。体重計に乗ると4キロも減っていてびっくりしました。アバラと骨盤が透けていてガリッガリになってしまいましたが、それでも腕は痩せなかったのがショックでした。。私みたいな旅行者はいっぱいいるそうです。ネパールには耐性菌が全然いないので、キノロンをもらって飲んだら翌朝には下痢は治まりました。

翌日にタイ航空で日本まで帰りました。タイ航空の美しく清潔な機内に入っただけで、すっかり食欲が出てきました。途中乗り継ぎのバンコクの空港ではタイ料理食べまくりでした。

というわけで、帰りは思い出しただけで辛くて筆が進みませんでしたが、ヘリを呼ぶことなく生きて日本に帰れました。でも、エベレストは見れたし、やっぱり行って良かったです。今度はアンナプルナに行きたいなあ。(←懲りてない)

しかし、日本で食べまくってたら一瞬で体重も体型ももとに戻りましたよ。腕なんか元より太くなって、どうしたらいいんでしょう。
しかし、ガリガリは全く魅力がないことが良く分かりました。ほんま、月経が予定より10日早く来た時は、「ぎえー、私って今ホルモンゼロ!?」と焦りましたよ・・。生命維持のピンチです。
ほっそりして、ウエストがきゅっとなっているような人って、きっと脱いだらガリガリで魅力ないと思います。もうダイエットなんて言葉は間違っても口にしませんわ。
みなさんもノリでダイエットをするのはやめましょう。
本当に痩せたいならネパールへどうぞ。

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こんにちは。よくわからない落ち着かない生活をしているLUPOです。

さて、エベレストをこの目で見、その写真を撮るために苦労してネパールの山奥まで行った私でしたが、いくつか克服すべき問題がありました。

一つは、エベレストを見ることができるカラパタールという5550mの丘までたどり着くことができるかという問題。
そしてもう一つは、天候と光の問題でした。

山の天気というのはどこも一緒なのか、早朝は晴れることが多いのですが日が昇ってしばらくすると雲ができ始め、高い山から雲に覆われていきます。そして昼からは毎日雪が降りました。
毎日歩きながら観察したところによると、大体午前9時ごろには雲がヒマラヤ山脈の頂上にかかり始めます。

そして光なのですが、残念ながらネパール方面からでは朝のエベレストは逆光なのです。
天候と光から、カラパタールの頂上からエベレストを撮るのは、夜明け前しかないと考えました。

夜明け前にカラパタールを登るために、標高5100mのゴラクシェプに宿泊し、朝3時過ぎに起床。ウィダーインゼリーのエネルギーインを摂取し、4時前から歩き始めました。息も凍る寒さのため、上下ダウン着用し、懐炉を3つ持ちました。

空には月はなく星明りだけでしたが、そうとは思えないほど明るい空でした。今までに見たどんな星空よりも一つ一つの星が明るく大きく感じられました。星が多すぎて、空のところどころが黒いという感じです。
そして、プモリやヌプチェ等ヒマラヤの山々が星だけに照らされてぼうっと白く浮かび上がっていました

寒い中、少しずつカラパタールへの道を登ります。
このために7日間ルクラから歩き続けてきた。このために2週間以上の時間を割き、準備してきた。憧れのカラパタール登頂が今果たされる・・
しかし、カラパタールまでの標高差400mが、ついに私に高山病を発症させてしまったのです。
吐き気と息切れでとてもゆっくりしか登れませんでした。それでも、なんとか一歩一歩登ります。頂上に近づくにつれは岩をよじ登らなくてはいけなくなりましたが、その岩が雪に覆われていたので細心の注意が必要でした。

夜明けが近づき、だんだん空が明るくなってきたので気持ちが逸ってしまいましたが、日が昇る前に頂上につきました。日本では登山者はみな御来光を見るために夜明け前から頂上に向かうのですが、外国人たちにはそういう習慣はないらしく、私が頂上に一番乗りでした。
夜明け前の美しいエベレスト(左)とヌプチェ(右)を忘れることができません。


そして、アマダブラムをはじめとする他の山々が朝日に輝く姿は、エベレスト以上の美しさでした。

実は、この時点ではかなりフラフラで、レンズ込みで2キロはある愛機5Dmark兇鮃修┐襪世韻任なりの息切れでした。
驚いたことに下山に登るのと同じくらいの時間がかかってしまいました。

下山の途中エベレストとヌプチェの間から朝日が昇り、エベレストは完全な逆光となっていました。


エベレストを拝めてもう大満足。
でも、ついに高山病を発症し体調を崩した私の下山は、想像を絶する辛さだったのです。(続く)

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富士山より標高の高い世界に突入し、いつ高山病に襲われるかびくびくする日々が訪れました。
毎日朝夕ガイドさんがパルスオキシメーターで酸素飽和度を測ってくれるのですが、大体80パーセント台で問題なく、頭痛などの症状もありませんでした。
なので初めはゆっくり少しずつ標高を上げていく予定だったのですが、毎日どんどん歩いて標高を上げて行きました。

高山病は有りませんでしたが、標高が上がるにつれて確実に気温が下がっていきました。
歩いているときはそれなりに体が温まるので、凍えるということはなかったのですが、座って休憩をしたり、ロッジにいる時は寒くてたまりませんでした。

ロッジではノースフェイスのダウンの上下を着て毛糸の帽子を被っていましたが、ちょっと化粧水を顔につけただけで手が悴んで震えてくる程の寒さです。食堂にだけストーブが付いていましたが、温かいのは半径50センチくらい。トレッキング客はストーブの周りの席を取り合っていました。ご飯を食べるにも手袋をはめるほどです。

眠るときは寝袋に湯たんぽを入れて毛布を掛けるので温かいのですが、朝起きるとそこは氷の世界です。夕方にもらった洗面器のお湯はすっかり氷になっていました。
標高4400mのディンボチェでは、洗面器の水は凍っていましたが、ポカリスウェットは凍っていなかったので「おお凝固点降下〜」と思っていたのですが、標高4900mのロブチェではとうとうポカリスウェットもカチカチに凍っていました。

懐炉を大量に持って行って良かったです。でも、顔用のシートマスクは寒すぎて出来ませんでした。

しかし寒いからこそ美しい景色が見られるのです。氷河も美しいし、パノラミックな風景を見ながら雪原を歩くのも標高の低いところでは出来ないことです。

標高5000mを超えてから明らかに疲れやすくなりました。標高5100mにあるゴラクシェプに宿泊して夜明け前に出発し、カラパタールを目指します。(続く)

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ルクラから2日歩いてナムチェバザールというシェルパ族の交易の中心の町に行きました。そこはちょっとした町なので、ロッジもきれいで部屋に水洗トイレと水道がついているという贅沢ぶりです。

ナムチェバザールは標高3440mで、トレッカーは通常ナムチェに2泊してゆっくり高度順応します。ナムチェからもう少し登って、富士山より少し高いくらいの標高のシャンボチェというところに日帰りでトレッキングをしました。

シャンボチェにはエベレストビューホテルという日本人経営のホテルがあります。トレッキングで道々宿泊するロッジとは違い、上高地帝国ホテルばりの佇まいの立派なホテルです。
見晴らしの良いテラスで紅茶を飲みながら、雲間から時々顔を出すエベレストや勝手にヒマラヤのフィッツロイ(南米パタゴニアにある山)と名付けたアマダブラム山を心行くまで眺めることが出来ます。(紅茶代はもちろん高め)

エベレストビューホテルへはカトマンズから近くのシャンボチェ空港まで直接ヘリコプターで行くことが出来るらしく、泥臭いトレッキングをしなくても優雅にエベレストが見られてしまうのです。
私の日記を読んで、「そんなに大変だなんてエベレストをこの目で見るのは自分には無理」と感じておられた方にもお勧めです!
http://www.himalaya-kanko.co.jp/hev/hev_index.htm

エベレストビューホテルに行っても特に高山病の症状など出なかったのですが、ゆっくりしていたら午後の定期便の降雪が来て、服に雪を積もらせながらナムチェまで帰りました。

ナムチェには日本語フォントの使えるサイバーカフェがあり、日本と連絡を取ることが出来ました。
その後ガイドさんと一緒にガイドさんのお友達の家へお邪魔しに行きました。ネパールのごく普通のお宅を興味深く見せていただいたのですが、家の中は仏教一色でした。
まず、尼さんが4人来て、お経をあげていました。ネパール式(?)の仏壇があり、部屋中にルンビニ(お釈迦さまが生まれた場所)やチベットのラサ、ダライラマ14世などの写真が飾られていました。信心深いですよね。

ナムチェで順調に高度順応し、その先は富士山より標高の高い世界へ突入していくことになります。(続く)

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「ヒマラヤに行きたい!エベレストが見たい!!」と子供のころから思い続けて来た私ですが、そのチャンスは突然やって来ました。元々前職場を3月末に退職しようと思っていたのですが、簡単に言うと職場との労使交渉が決裂したため前倒しで退職してやったので、自由な時間が出来たのです。
 
 3月と言えばネパールトレッキングのベストシーズン。これは行くしかないでしょう。ただ、アドベンチャーフレンド同期のずこちゃんはさすがにこの時期に長期(18日間)の休みを取るのは無理なので、今回は一人で行くことにしました。
 「風の旅行社」のツアーなら出発日も中身も自由がきいて、一人でも催行してもらえるので、ハービス大阪の事務所に何度も通って念入りに計画しました。とにかく寒いということなので、ノースフェイスで折りたためるダウンの上下を購入したり、準備だけで10万円くらいかかりました。

長期のトレッキング、しかも一人・・。不安はありましたが、何事も一度はやらないと気が済まない性格なので、このチャンスを逃すわけにはいかない!と家族や友人に心配されながらも出発したのです。

カトマンズに着いた次の日、トレッキングの準備をして早朝にガイドさんと共に空港へ。エベレスト街道の始点となるルクラまでは、セスナ機に毛が生えたような飛行機で行くので天候によっては飛ばない日もあります。私がルクラに行く前の日は飛ばなかったようで、一日飛行機のために無駄にしたトレッカーたちがイライラと空港で待っていました。

その日飛行機は2時間ほど遅れましたが無事ルクラまで飛ぶことが出来ました。なんと翌日も翌々日も欠航だったようで、私はとても運が良かったようです。

ルクラの標高は2800mほどでそこからゆっくり高度順応しながらトレッキングしていきます。
私一人にガイドさん二人とポーター君一人という大名行列ぶりでした。
ポーターのダリンジェ君は滞在中に15歳の誕生日を迎えた少年だったのですが、小柄な子でなんだか罪悪感が・・。ポーターというともっと屈強なおじさんかと思ってたのに。



トレッキングといってもいきなり山道ではなく、シェルパ族交易や農業を生業としているシェルパ族の生活道を通らせてもらうという感じです。シェルパ族の人々はトレッカーの荷物を人手や牛馬で運んだり、ロッジやレストランを経営したりして生活の糧としているので、トレッカーとシェルパ族の生活はまさに一体化していました。



はじめの関門はナムチェという標高3440mシェルパ族の一番大きな街まで高山病にならずに行けるかということ。


私は元気ピンピンでクリアー。
そして、初めてエベレストも見えました。
(続きます)

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