南フランスのピレネー山脈の山麓にある町ルルドは、1862年1月18日にカトリック教会が公式に認可した、世界的に有名な聖母出現の4大巡礼地(ファティマ、ルルド、グァダルーペ、ラ・サレット)の1つで、病気や怪我が癒されることでも有名です。 ルルドの聖母出現記念日:2月11日(世界病者の日) 幸いなおとめマリアは、『無原罪の御宿り』の名のもとに、1858年2月11日から7月16日にかけての計18回、南フランスのルルドにおいて、当時14歳の病弱な少女ベルナデッタに現われました。 少女ベルナデッタは、どこへ行くにもロザリオを身につけていました。この日、薪拾いにガヴ川近くのマッサピエルの洞穴のところに行くと、その中から黄金色の雲が出てくるのを見ました。 そして、岸壁を見上げると、そこに年頃16、17に見える、美しい貴婦人が、野薔薇の上に立ち、優しく微笑んでおられました。 白い着物を着て、空色の帯を締め、右の腕にロザリオをかけ、頭には白いヴェールを被っておられました。少女ベルナデッタは、すぐさまその場にひざまずいて、ロザリオを取り出し、祈り始めました。 この日、約500人がマッサピエルの洞穴近くに詰めかけました。少女ベルナデッタはこれまで通り、ひざまずいてロザリオの祈りを唱えました。 そして美しい貴婦人が指示されるままに、洞穴の方に進みより、地面を掘りました。するとそこから水が湧き出しました。 この湧き水がやがて泉となり、今日に至るまで無数の奇跡を生じる機会となりました。 この日、ロザリオの祈りを唱えてしばらくすると、美しい貴婦人は悲しそうな御声で、『罪人のために祈りなさい。人々の罪を償うために苦しみを受けなさい』と言われました。 少女ベルナデッタは涙ぐみ、指示されるままに、地面に顔をつけてしばらく離さずにいました。そして他の人々にも同じようにするよう求めたので、人々もみな地面にひれ伏しました。 この日、洞窟には大勢の人々が詰めかけていました。洞穴は輝き、美しい貴婦人は既にそこにおられ、微笑みながら立っておられました。 少女ベルナデッタは遅れたことを佗び、口ザリオの祈りを唱えました。 この祈りの間に、美しい貴婦人のお名前を尋ねました。 すると野薔薇の上の美しい貴婦人は、胸のところに合掌していた手を静かに開き、厳かに、しかも謙遜な態度で、天を仰いで神に感謝しつつ言われました。 『私は、無原罪の宿りです』 この称号については、1854年12月8日福者ピウス9世教皇によって、信仰箇条(Dogma)として教義決定されたばかりでした。 この日は最後のご出現となりました。反対者の知事の命令で、洞穴には厳重な柵がめぐらされていたため、牧場の一角から遠く眺められるところで、ひざまずいてロザリオの祈りを唱えていると、聖母のご出現を受け、喜びに溢れ「あぁ、聖母マリア様はあそこに会釈して立っていらっしゃいます。あの柵の上から微笑みながら、私たちをごらんになっていらっしゃいます」と叫びました。 「あの日の聖母マリア様の御姿は、とても麗しく、本当に今までに見たこともないほどお綺麗でした」 聖母は私に、「この世ではなく後の世で幸せな者にしてあげます」と約束してくださいました。 洞窟に現れた優雅さ、美しさは、生涯忘れることができません。 ルルド、マッサビエルのグロット(洞窟)にある泉から、水が湧き出ています(毎日122,000リットルの湧出量)が、無原罪のマリアの取り次ぎによって、数多くの奇跡的治癒がもたらされ、多くの病者には心と体の回復が、罪人には回心と秘跡的復活(罪の赦しの秘跡を受けて霊的生命を回復すること)が与えられました。 ルルドの水は、化学分析によれば、町の井戸にあるものと同じであり、何ら治癒効力のある鉱物を含んでおらず、放射能の痕跡すら有していませんでした。 ルルドの治癒に関して、医学検証所及び1905年来の司教設立委員会の確証するところによれば、いかなる暗示も治癒し得ない、多くの非常に強固な機能障害、そして多くの場合における最も重い器官疾患(癌、肺結核、骨折等)さえも治癒していました。 実に、ルルドにおいては、重い器官疾患の瞬間的治癒が、数多く見受けられていました。 肉体の奇跡的治癒に係る医学検証所による1913年までの著しい治癒認定件数は4,445件あり、教会公式認定は約60件にとどめています。 第12回目の聖母出現の際、20年間白内障を患うルイ・ブリエットが、その洞窟の泉の水(当時はまだ泥水に過ぎなかったが、彼は治癒を信じました)で目を洗ったところ、突然、癒され、治ってしまいました。その報告を受けた彼の担当医は、以前診断書に「ブリエットの目は、白内障のために決して治らない」と記載していたため、その奇跡的治癒に非常に驚き、熱心な信者となりました。 1903年、後の血管縫合術・臓器移植法でノーベル医学賞を受賞したカレル博士(Alexis Carrel,1873〜1945)は、ルルドの奇跡に疑惑と軽蔑を抱いていましたが、彼の患者で結核性腹膜炎で瀕死の状態にあるマリ・フェランが、ルルドの泉に浸り、目の前で癒されるのを目撃し、「もし私たちの診断が誤りでないならば、これは間違いなく奇跡である!」と叫び、彼もまた熱心な信者となりました。 カレル博士は、ルルドについての最も重要な証人の1人となり、それまでの医学界のルルド研究への禁令を打破し、ルルドの治癒の科学的研究に広く道を拓きました。 『科学は、虚偽と妄信を警戒する義務がある。しかしながら、科学にとって、諸事実が異常に思われ、科学ではそれを説明し得ない、という理由だけで、その事実に目を蔽うことは許されない。 少なくない医学者たちが、ある事実を、自分で観察する機会に恵まれないままに、その事実を否定している。 これは誤断である。 このような問題を追及する者は、あらゆる先入観から免れている必要があり、同時に軽信しないようにも注意しなければならない。また、反宗教的偏見を克服し、頑固な自由思想家の嘲笑や暴言を覚悟する必要もある』(La voyage de Lourdes) 今もなお奇跡的治癒は続いていますが、もぅ1つの奇跡的出来事があります。 それは、聖母出現を受けた聖女ベルナデッタの遺体が、死後120年以上経過した今も、腐敗を免れていることです。 1844年1月7日:ルルドで生まれ、同月9日に幼児洗礼を受けました。 1858年:2月11日から7月16日までの間に聖母出現を18回恵を受けました。 1866年7月7日:ヌヴェ−ル愛徳修道会の本部修道院に入会しました。 1866年7月29日:着衣式。同年10月25日:初誓願。 1878年9月22日:永久誓願。 1879年4月16日水曜日:午後3時15分、ヌヴェールのサン・ジルダール修道院内、聖十字架病室で、帰天(35歳)しました。 30年後の1909年9月22日に墓を開いた際、遺体は腐敗せず、腕・足などに弾力があり、死後数時間経過した時と同じ状態である事が、医師立会いのもと確認されました。 1933年12月8日:列聖。 聖女ベルナデッタ(聖女マリア・ベルナルダ・スビルーおとめ)の腐敗を免れたご遺体は、ヌヴェ−ルの修道院の聖堂内の棺の中に安置されており、巡礼者も目のあたりにすることが出来ます。 |

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