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毎日新聞の記者のクオリティーの低さに苦笑してしまうコラムがまた出た。毎日新聞・地方版、稲生陽記者のコラム。 なんだか中学生の日記みたいなコラムなんだが、要は・・・・ 批判や中傷という行為をするなら、自分への批判も受け止めるという意味で実名を記すべきだ。名前は単なる記号ではなく、誰かを傷つけることへの責任の所在を表す。
まぁ、敢えてつっこむのも馬鹿馬鹿しいコラムではあるのだが、この稲生陽記者は2chでいくら叩かれようが更に被害妄想を膨らませることだろう。 そして恐らく、彼の「匿名は卑怯だ!」とするトンデモ論理に拍車がかかることであろう。 なのでこのブログでも取り上げることにした。 先ず第一に「責任の所在」を表すことと「責任を取る」ことを混同してはならない。 具体的な例を挙げよう。毎日新聞という無駄に大きな新聞社があるよね? あの新聞社の所在はもう解っている。ネットで検索すれば本社の位置はすぐに解る。 さて、毎日新聞は一連の海外への変態報道の配信について社内ではなく、日本人に対して責任を取っただろうか?まともな謝罪すらも確認していないんだが? これによって、責任を負うべきものが所在を示したところで、責任は取っていないことの証明となる。 毎日新聞の稲生陽記者は毎日新聞のこの姿勢を正すべき立場である。さっさと行動に移してもらいたいものだ。 更につっこむならば、毎日新聞を含む新聞記者って紙面で「通名」を使っている。さて、新聞記者やブロガーが、記事に本名を使ったと言われたところで、読者はどう確認すれば良いというのか? また「通名」と「本名」の記者の信頼性の境界線なんてものが存在するとも思えない。 毎日新聞には在日の記者が多いわけなのだが、彼等は紙面だけではなく、実生活でも「通名」を使っている。それをこの記者はどう捉えるのだろうか?この記者の論理を当てはめると、通名ではその人物について調べられないことがいくつかある、即ち、それでは通名を使用している人物は信用ならない?ということになってしまう。こんな考えは危険だ。その人物の所在よりも、やはり人物そのものの信頼性を重視するべきだ。 ミジンコの意見を言っておくと、俺は相手がどんな名前だろうが、その人で判断する。その記事を読み、その書き手の「ひととなり」を感じ取り、その記事が信用に値するかを判断する。 相手がハンドルネームだろうが、本名だろうが、それと記事の信頼性は全くリンクしない。 責任の所在を明らかにしたところで、その記者が真実を述べているという証明にはならないのに、本名を明かせば安心だと感じる感性が俺には理解不能。 そもそも「稲生陽」という氏名が本名とのことだが、それが「本当に本名なのだろうか?」という疑問を読者に持たれる可能性を稲生陽記者は考慮に入れていない。 これでは稲生陽記者の「責任の所在を明かしている記者の記事は卑怯ではない論」には無理がある。 「私は本名を使っています」という記者の言葉の信頼性はハンドルネームが持つ信頼性と同程度でしか無い。 先日、「テラワロス!」なんて現実で叫ぶ奴がいるわけがないという記事を書いたのだが、これ「テラワロス!」と叫んだところを目撃したという後輩記者の氏名が明かされていない。 偶然というべきか、必然なのかもしれないが、この信憑性が限りなく低い記事を書いた浜中慎哉記者と稲生陽記者は同じ毎日新聞・静岡の記者なのである。 稲生陽記者はこの浜中慎哉記者の記事を読んでいるはずなのだがどう捉えたのだろうか?同僚として、この近所の噂話程度の書き方のコラムに苦言でも呈したのだろうか? 真実を追及する男・稲生陽記者には是非とも「テラワロス!」はあったのかどうかの追跡をしてもらいたいところだ。 ライアン・コネルが書き続けた変態記事は「卑怯」では無かったのだろうか? ライアン・コネルが本名だったとしても、信じられないほど卑劣でおぞましい記事ばかりだった。 本名で書いているからって嘘デタラメの日本人への誹謗中傷が許されるわけがない。 これも毎日新聞だ。 本名だから、匿名だからという問題ではない。要は記事で嘘を書くなってことだ。 稲生陽記者は毎日新聞という組織をいっぺん外から見ることも必要だとつくづく感じる。 そうすれば、今はあさっての方向に向いている彼の正義感も、今後は毎日新聞という組織に向けられるんではないかな。 最後に一言。稲生陽記者はご存じないようだがネットに匿名性なんてものは存在しない。
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