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映画をつっついてみる

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宣伝コピーに“感動巨編”や“全米が泣いた”ってフレーズが付いていながら、ミジンコから涙の1ccも流させることが叶わなかった作品たちを振り返る。
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D-WARS ディー・ウォーズ

観るな危険。この一言に尽きる。

このブログで映画を紹介するとき、「どんなにつまらない映画だと言われても観たくなってしまう」とよく言われる。
本当に作品を小馬鹿にしているのに、なんでか作品に興味が湧いてしまい、その作品を観てしまう訪問者がいるようなのだ。

今回だけは“本当に観ないで欲しい”、これがミジンコの心の底からの本音。

では、なんでそんな映画を紹介するのか?理由はただひとつ、ネットにこの「D-WARS ディー・ウォーズ」の正直な作品評を記して被害者を増やさないためだ。

繰り返す。過去にトランスモーファーだろうがグエムルだろうがマッスルモンクだろうがファンタスティック・フォーだろうが酷評をしてきたが、これらの映画は「D-WARS ディー・ウォーズ」よりかはマシ。
「D-WARS ディー・ウォーズ」を観たときの「観なきゃよかった感」は数ある駄作の比ではない。
最低の映画の中のワーストワンだ。

さて、映画の内容というと・・・・・

えっと・・・・・

映画のラストシーンからエンディング・クレジットにかけて・・・・・

「アリラン」が流れる・・・・・

吐きそうになった。「アリラン」が流れた瞬間にさっさと劇場を去りたくてドアに駆け足で向かったが運の悪いことに劇場は広かった・・・・・。

だいぶ「アリラン」を聴いたあとに脱出。映画館に行ってこんなにイヤな気分になったことは初めてだ。
どんなにくだらない作品に出会っても、それこそ「ネタができた」と喜ぶミジンコ。
今回の「D-WARS ディー・ウォーズ」ばかりは本当に映画館に足を運ばなきゃ良かった。

一応言っておくが別に「アリラン」が好きとか嫌いとか考えたこともなかった。ただSF映画だと騙されて入った映画館で「アリラン」を聴かされるのはなにかの詐欺に遭った気分さえする。

ミジンコは韓国を蔑視してどうのこうの言ったことは一度たりとも無いし、むしろネットで韓国人をチョンなどと呼んでいる日本人は馬鹿で恥ずべき存在だと、このブログで何度となく述べている。
そんなミジンコでもSF映画のような作りの映画のラストで「アリラン」が流れることには製作者の感性を疑う。
言葉を濁さすに言うと、韓国人の監督というのは「ここまでなのか・・・」という気持ちだ。

俺が日本で大ヒットした日本人製作の映画というフレコミの作品のラストで「君が代」が流れたら呆れ返ることだろう。
その作品の製作者は正気じゃないと思うし、その映画のファンと称する人々に「目を覚ませ、おい!」と一言くらいは言いたくなることだろう。

映画に製作者の思想を入れることはアリなのかもしれないが、観客への強引とも言える国歌の押しつけとはどうかしているってことだ。
そこまで観客に押しつけるのならば最初から映画と称さないで「アリランを聴いて韓国万歳としていただくために最初の90分間CG映像が流れます」と言えばいい映像作品、それが「D-WARS ディー・ウォーズ」だ。

映画のストーリーなのだが、これはもう破綻し過ぎている。つっこみどころが多いとかいった次元ではなくて、脚本が10ページごとに1ページ、もしくは2〜3ページ、いやいや、もしかしたら9ページくらい黒ヤギさんに食べられてしまっているが誰も気がつかないまま製作してしまったといった酷い内容。
まさに「なにが起こるかわからない」の悪い意味でのハラハラドキドキ感・・・というかあまりにも無茶苦茶な脚本なのでよくこれを映画化しようと思ったなと驚くほど。

たぶん、いや本当に「たぶん」としか言いようがないのだが、最大のウリはCGでの戦闘シーンなのだと思う。
確かにCGは一流だとは思った。外注らしいが(失笑)
グエムルのときもそうだったのだが外注のCGだけはクオリティーが高いという韓国SF映画ってなんなんだろう・・・。

まぁ、そのウリのロサンゼルスでの巨大なウツボ(ヘビに見えないんだよ!)と恐竜軍団とアメリカ軍との戦闘は迫力がある・・・・迫力はあるのだが、観ていてバカバカしくなる無茶苦茶なシーンばかり。
これ、ウツボに物凄い接近しないと攻撃しないアパッチ(攻撃ヘリ)とか、撃たないM−1エイブラムス(戦車)とかアメリカ軍からクレームがいかなかったのだろうか?
なんとかウツボを生かすためにアメリカ軍が保有する装備のほとんどを使用しないで生身の恐竜たちに倒されていくさまは「んなぁわけねぇだろ!」といい加減ウンザリした。

実写の戦闘シーンは戦隊ヒーローモノ程度のアクションで本当にショボい。それに最新のCGを組み合わせるものだから全然マッチしていない。
残り物で作った鍋に超高級なスパイスは入れたものの結局マズいってなデキ。
CGのレベルに合わせて実写も頑張るからこそ「ロード・オブ・ザ・リング」は見応えがあるわけだ。
この「D-WARS ディー・ウォーズ」の製作者たちはそこがさっぱり解っていないようだ。外注のCGだけ頑張ったってしょうがないだろうに。

アリランがまだ耳について離れない。本当に酷い目に遭った。

参考までに、この「D-WARS ディー・ウォーズ」へのWikipediaへのリンクを張る。
D-WARS ディー・ウォーズ
韓国
韓国国内では観客動員が870万人を超え、2007年の観客動員数1位作品となり、当時の歴代興行成績でも5位に入るなど大ヒットを遂げた。

もとよりアメリカ、および全世界で公開することを念頭において制作されており、予算は3200万ドルと大作クラスといえる。韓国国内でもヒットはしたものの、映画関係者からの映画としての評判は少なからず芳しくなかった。


アメリカ
アメリカでは『D-War: Dragon Wars』というタイトルで公開された。2275スクリーンというかなりの規模(同年最大の規模で公開されたスパイダーマン3が4324スクリーン)で公開された。

しかし、公開と同時に全米のマスコミ、映画ファンから「おそるべき編集、大根役者、どうにもならないストーリー、CGI時代のエド・ウッドの再来だ」(ugo.com)「ハリウッドリメイク版ゴジラがよく見える」「CGはよくできているが、プロットは笑える、セリフは笑える、チープなユーモアはあるが、映画として楽しめるとは言い難い」(hollywoodreporter.com)、「星ゼロ個」「エド・ウッドに7500万ドルとCGを与えたらできる映画」「シム・ヒョンレはウーヴェ・ボルのペンネームか?」「この数十年間で語りぐさになる大作映画の失敗例」(themovieboy)などと総じて酷評され、アメリカの著名なレビューサイトain't it cool.comからは2007年の最悪映画のひとつとして挙げられた。

オンライン版ニューヨーク・タイムズでは映画記事のトップに「ドラゴンさえあればプロットなどいらない」などと冷笑を込められたレビューが掲載され、その後一時期、nytimes.comでもっとも検索された語句となった。

また、ケーブルテレビでの過剰な宣伝方法が嫌われ、WWEで「Don't see D-WARS」というプラカードを掲げた観客がいたことも報じられた。

興行成績は週間で5位、興行収入は約1100万ドル弱。


日本
日本では2007年末の正月映画として500スクリーンという大規模公開(崖の上のポニョで公開時481スクリーン)を制作者側は希望していたが、いわゆる韓流の衰退によって韓国映画が日本市場での競争力を失っていたこともあり、公開されずにいた。2008年の11月に小規模で公開されることとなった。
昨年と同じ失敗を繰り返してしまった。
またしても「時をかける少女」がテレビ放送される直前の告知になってしまった。

昨年の記事→時をかける少女

本来は前日までにお知らせすればもっと効果的だったんだろうけれど、金曜夜は忙しい、嗚呼・・・。

スタジオジブリに失望している今、この「時をかける少女」の存在は更に大きなものになった感がある。
細田守監督がジブリによって被った災難(敢えてこう言いたい)で製作者人生が終わらないで良かった。そのおかげでこの「時をかける少女」がある。

あくまでもミジンコの主観でしかないが、この「時をかける少女」よりも心地よい作品がジブリのこれからの監督から作り出されることはないだろう。
過去のジブリの新人監督たちの作品と比較するのもどうかと思うほど、製作者としての情熱とこだわりという点で圧倒的に細田守に軍パイが上がっている。

無理矢理に泣かせようとする陳腐な自称・感動作品が氾濫している中、この「時をかける少女」は泣かそうとしていないのに泣かせてくれる作品。
こういう作品は貴重だ。
ほとんど広告費もかけられず、少ない上映館だった「時をかける少女」だったが、ジワジワと上映館数を増やし、今は名作の呼び声も高い評価になった。
まるで洗脳でもしたいかのごとくウンザリするほどCMを流しているアニメ作品が今年の夏もあるが、作品の質自体は広告では変えられない。
自分が広告制作者なんでよく解っている、その辺は。

今夜21:00フジテレビ系ね。

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カメレオン

自分が余り好きではない俳優(藤原竜也)と女優(水川あさみ)がメインキャストの映画をチケット代を出して観に行った。
深夜に流れていたCMが印象的だったから。そのCM自体もごく短い期間しか流されておらず、そうなると尚更のこと、どういう作品なのか気になった。

低予算が良い方に作用している映画だった。
現在のところ、今年も例年通り10本に9本は「金と時間を返せ!」という邦画ラインナップ。
恐らくこの映画と同じくらいの予算であろう、そこそこ売れている役者を使った邦画「ネガティブハッピー・チェインソーエッヂ」や「ロボロック」などは最後まで観るのが苦痛なほど、ドキドキもハラハラもしなかったが、この「カメレオン」は観ている間中「次はどうなるんだろう、次は?」と観ている側のモチベーションが上がる。

藤原竜也は元々良い俳優なんだろうけれど、この役を獲得したのは俳優としての勘に優れているのだろう。元々は松田優作の為に作られた脚本らしいが、藤原竜也版ゴーロ(主人公)で納得のデキ。
水川あさみについてはいくつかの出演ドラマを観たが、しょ〜〜〜じき、どれも演技することにアップアップしていて役作りどころではないのだろうといった印象だった。
今作でも演技力は置いておいて、キレイに撮られている。ヒロイン役はキレイに撮られることも仕事の内なわけで、その点では今回は良い仕事をしている。彼女の出演作で一番キレイだと言える。・・・演技力は置いておいて・・・。

ストーリーはコテコテの復讐劇。主人公のゴーロは、仲間にも話していない過去がある。劇中では詳しく語られないが米国滞在中はプロの殺し屋だったと思われる。
偶然に目撃・・・・というならまだしも、わざわざ後でゆする為に動画まで録画してしまった大物政治家が雇ったその道のプロたちのまずい現場。
それが発端となり、ゴーロとRCA(Risk Cover Agency)という政府御用達の裏の仕事をする組織の戦いとなる・・・はずが最初は話し合いで解決。ここらへんがプロ同士の駆け引きというか無駄に戦わない。

結局、話がこじれて最後はどちらかが消えるまでの戦いになってしまうのだが、ワンシーン、ワンシーンが非常に小気味良く進む上に、各キャラクターの台詞がいちいち面白い。
登場人物の全てが悪人とも言えるのだが、だからこそ面白いというべきか。

ちなみにアクションシーンがやたら絶賛されているようなのだがミジンコとしては平均点くらい。アクションシーンに期待して観ると拍子抜けするレベルかもしれない。
予算の関係で苦労したのが作品から伝わってきてしまうのはどうかと思う。ゴーロとRCAの殺し屋たちとの数々の戦いは素直に面白いのだが、どいつもこいつもなかなか死なない(苦笑)
あと婦警さんが怖い(これから観る方、要注目)。
そんなフツーのアクションを補って余りあるゴーロという主人公の魅力がある。藤原竜也がもう1度主演で続編が作られるなら、また劇場で観たいと思うほど。

さて、なんで今回「カメレオン」を取り上げたかというと、劇場にミジンコ含めて5名しかいなかったから。77名入るキャパの劇場で5名。公開2週目にしては余りにも少ない。
そこまで悪い映画じゃないと思う。正直、満足した作品。観て良かったと思っている。それでもこの映画は興行的には苦しいことになるだろう。
そりゃはっきり言って映画史に残る大傑作とは言えない。それでも数ある邦画作品の中では1本筋は通っている作品であるし、製作者たちの熱意が伝わってきた。
テレビドラマとの連動企画のような映画の成功例を良く聞く。邦画は今史上最高に売上高を上げているのだ。あくまでミジンコの感想でしかないが、そういう映画は呆れるほどつまらなかった。まぁ、ともかく、そういう映画が興行的に成功しているのだから、ミジンコが市場を分析する力が無いってことなのだろう。そんな力無くて結構だが。
まぁ、そうは言いつつ「カメレオン」のような作品にも注目が当たることが、邦画のレベルアップにつながるんではないかと思い記事で取り上げた次第。

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ランボー 最後の戦場

冒頭、ランボーが魚を弓で採ってた。そこでも弓かよ!ってツッコミ入れた観客が世界で3億人くらいいそうな気がする。

以上!



・・・・・とアクション映画としては、本当にこの位しか評することが無い内容な作品。しかあぁぁぁし、駄作かというとそうとも言い切れない・・・む、難しいところ。

つまり、映画自体は一昔前のアクション映画というか、まぁ、ほんと観るべきところもないようなデキ。
しかしながらミジンコはこの作品が世界で公開されることは大切なことだと思う。なぜならば、ミャンマーの軍事政権の酷い所業を告発しているという点では非常に意識が高い作品。

実際にミャンマーの軍事政権が行っているとされる暴挙の数々を映画で再現しているのが今回のランボー。
更に武装無しで危険な地域に赴くボランティア団体への痛烈な批判となっている。要は「平和」だ「愛」だのを頼りにして危険な地域に突っ込んでいき、結局は現地でとっ捕まってより多くの人々を巻き込んで死者も増やす行為っておかしいだろ?ってことがこの映画の全編で表現されている。

そう、今回のランボーは完全に巻き込まれただけ。ランボーはミャンマーまでの道案内を断り続けるのだが、ボランティア団体が迷惑な信仰心を発揮して、しつこくしつこくしつこーーーくランボーに道案内を頼むものだから、渋々承諾するランボー。いきなり襲ってきた海賊を皆殺しにしてボランティア団体から非難される。ランボーが海賊を殺さなければ自分たちが殺されていたという状況を理解していてもランボーを非難するあたりはまさにキティガイ。
おまえらランボーや傭兵に頼ってないで自分たちを鍛えんかいっ!と思ったりもして、現実に人に守られる自分に嫌気がさして自分も訓練に参加するようになった身としては、この映画のデンバーの宗教組織とかいう連中にはホトホトうんざりとなる。
現実でもミジンコはそういう宗教ヴァカ・ボランティア団体をいくつも知っているので観ていて疲れた。

それでも後にボランティア団体を救出に行くところがランボーらしいといえばらしい。
そして今回はランボー以外にもプロの傭兵が5名加わっている。この傭兵たちは延々とボランティア団体の無知さと考えの甘さと迷惑さを語る。
スタローンはミャンマー政権と宗教ヴァカ・ボランティア団体の両方を嫌っているのだろう。なんだかミジンコと気が合いそうな気がしてきた。

さて、先に述べたようにアクション映画として観たらかなりB級テイストで退屈。やけに人体が吹き飛ぶシーンが多いのでそういうのが苦手な方は注意。
銃で撃たれた人のリアリティーを出したかったらしく、弾丸が当たった体が吹き飛びまくる映像。しかもやけにそういうシーンが多い。
5名の傭兵たちはとっても影が薄い。そもそも5名でミャンマー軍事政権支配下のジャングルに侵入するなんてことは自殺行為。
ボランティア団体のことを無謀な馬鹿呼ばわりしていたが、この傭兵たちもランボーがいなかったら登場数分で全滅していそう。
なんだか劇中でランボーだけが全て、つまり世界の現実を理解している知的な存在と言える。

スタローンが目的としているミャンマー軍事政権を告発するということは達成されていると思う。
映画のデキはともかくその志の高さは伝わってきた。
アクション映画が観たいと思って観たらガッカリする作品であることは間違いないのだが、今、ミャンマーでどんなことが行われているのかを知るという点では本当に世界中の人たちに観てもらいたい作品。
60年間もカレン族はミャンマー軍事政権に虐げられている。日本人カメラマンもミャンマーの軍事政権に殺された。(映画中にそのシーンあり)

映画の質としてはだいぶダメな部類だがこういう作品があって良いと思うし、スタローンの言いたいことがよく伝わってきた。

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ミスト

物凄い傑作だとは思った。全編を通じて無駄な映像が無い。125分、アリガチな表現を使うと“時間を忘れた”、それほどスクリーンを見入った。本当に125分ずっとそうだった。

でもオススメできるのかというと・・・・・・そうでもない・・・・・・。

映画を観終わった後のミジンコとミジ妻の感想、そしてほとんどの人類が同じであろうラスト15分の感想を『 』の中で表現してみよう。

『!!!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・しょ、しょんなぁ・・・・・(呆然)』

ヤケにCMで「衝撃のラスト15分」と強調していたので原作をどのように変えたのか気にはなっていたのだが・・・・・・ショック・・・・・。

この映画オリジナルのラスト、監督のフランク・ダラボンが親友でもある原作者のスティーブン・キングの了解を得たにも関わらず、映画会社複数社が「No!」だったとか。
ラスト、凄いとは思った。絶望はしたけど・・・。このラストにダメ出しをしてしまう映画会社幹部たちのセンスの無さが昨今のハリウッド映画の幼稚さへの加速の原因かもしれない。

極限状態での集団ヒステリーとキティガイの表現にかけては世界一のスティーブン・キング。映画版でもしっかりと「人間が最も愚かで恐ろしい生物である」と位置付けている。
それと「馬鹿に宗教」がどれだけ悲惨な結果を生み出すかも解りやすい。
スーパーマーケットという空間で狂気に走る「元々のキティガイ」と「流されやすい自分を持っていない人々」の馬鹿さ加減をキングの原作もダラボンの演出も見事に表現している。
まるでスーパーマーケットの中が世界の縮図のように見える。

物語が進むにつれて、主人公と主人公に賛同している狂気に走らなかった人々が少数派になっていく。
そして狂気に走る人々はまさに狂信者の集団と化していく。
宗教(この映画ではユダヤの神)に救いを求めていく人々ほど狂気に走り生贄まで求める。
なにも求めず冷静に状況を分析して、いざというときに頼りになる人々が少数派になっていく様がまるで今の世界への皮肉となっている。

ああ、なんて難しい作品なんだ。傑作なはずなのに素直に絶賛できない。
絶対に観た方が良いと思う反面、ラストの絶望感をわざわざ味わう必要もないような気がする。
でも、観ろコンニャロウ!!!いや、観ちゃダメだあぁぁぁっ!!!やっぱ観ろおぉぉぉっ!!!

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