スポーツ用品大手のナイキジャパンが、東京・渋谷にある宮下公園のリニューアルに意欲を見せている。既に公園の命名権買い取りを区側に打診。区議会で承認され次第、本年度中に改修に着手し、レジャー・スポーツ施設化を目指す。しかし「施錠し夜間は人の出入りを締め出す」との方針で、反発の声も出ている。
宮下公園は1階が駐車場、コンクリートの上に土盛りした2階部分に樹木を配した独特の“空中庭園”スタイルが特徴。山手線と明治通りに挟まれた縦長型で、庭園部分は約1万800平方メートル。渋谷駅から徒歩約5分。公園内にスケートボード場やオープンカフェなどを新設する計画だ。
一方、宮下公園に寝泊まりするホームレスの支援者らによる「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」が、区の担当者に説明を求めたところ「公園を柵で覆い、夜間は施錠する」と告げられた。守る会のメンバーは「利用者がスポーツ愛好家に限られ、行き場のないホームレスは追い出される。なぜ営利目的の企業論理が優先されるのか」と憤っている。
ソース元:msn(産経ニュース)
http://sankei.jp.msn.com/politics/local/080911/lcl0809110850000-n1.htm
「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」の指す「みんな」に俺は含まれていないらしい。
別にナイキでなくても構わないのだが、あの公園および公園周辺の不気味さ、治安の悪さを改善することに大賛成なんだが。
もう何十年も公園としては使われていない(怖くて使えない)スペースをもっと区民が使える場所にすることがそんなに悪いことだろうか?
あんな便利な立地の公園が長年に渡って区民が避けて通る場所になっていることがむしろ異常だろうに。
ご存知ない方々に嘘偽りなく説明すると「現在、宮下公園は昼間でも薄暗く、このニュースにあるようにホームレスが多数住んでいるために、とてもじゃないが“みんなの宮下公園とは言い難い”」こんな状況なんですな。
「みんな」という言葉を使うと“さも世の中のため、正義のため”ってな錯覚を事情をよく知らない人々に起こさせやすいのでズルいもんだ。
むしろ勝手に自分たちの括りで「みんな」という言葉を安易に使ってしまう輩を俺は信用しない。
そういう組織ってさ、なんでも「決めつけ」をしてしまうので危険なんだよね。
特に以下の主張が非常に社会性に欠けた妄信者の言葉に思える。
「利用者がスポーツ愛好家に限られ、行き場のないホームレスは追い出される。なぜ営利目的の企業論理が優先されるのか」
この言い分はおかしくないかい?
この計画を聞いて「利用者がスポーツ愛好家に限られ」と判断する短絡的な思考が恐ろしい。そして「行き場のないホームレスは追い出される」と、ホームレスがいることによって公園が使えなくなっている人々のことへの配慮がゼロの発想もどうにも視野が狭すぎて議論すらできない組織に見える。
物事の一面だけしか捉えていないからこその発言だろう。ホームレスが公園に住む権利を守りたいと主張するのならば、その一方で公園を長年使用できなかったのに維持費だけは納税していた区民たちへの配慮もあっていいだろうに、なんでそういう発想ができないかなぁ?
「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」には社会人はいないのかいな?
企業を叩けばいいってもんじゃないだろうに。
公園の命名権、そもそも公園そのものを企業が購入することにヒステリックに騒げばいいというものじゃないだろう。
なんでもかんでも「企業は悪」とすることはおかしい。ちなみにミジンコってナイキと児童労働の問題で対立しているんだけれど、別にこの宮下公園の件については企業の横暴とは全然思わない。
「ホームレスよりも営利目的の企業論理が優先される」ということに「みんなの宮下公園をナイキ化計画から守る会」は怒っているようなのだが、宮下公園が渋谷区民、はっきり言ってしまえば、まじめに働いて区民税を払っていた人たちが「ホームレスが占拠しているから入ることもはばかられた公園をこれからも維持し、そして維持費はその公園を利用できない人々が払うこと」についてはどう考えているのだろうか?
それこそホームレス論理が優先されているじゃないか。
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