大天使ミカエルとミカエルの仲間達

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というか、寺が命名すること自体がおかしくないっすか?
普通…
 
 
 
「原発は仏の教えに背く」永平寺「ふげん」「もんじゅ」命名懺悔・布教部長
 
 
10・14毎日記事から
「原発は仏の教えに背く」永平寺「ふげん」「もんじゅ」命名懺悔。来月2日シンポ。以上見出し。
 
永平寺布教部長は「原発に対する認識が足りなかった私たちの責任は重く、間違いだった。懺悔することから始め
 
たい」と戒めている、また「使用済み核燃料を残し、DNAに作用する放射線という危険をはらむ原発は、子孫への負
 
の遺産となる。命を長い時間の視座に置く仏教の教えと相反する」十時『今の生活を見直すきっかけにしてほしい」
 
 
 
イメージ 1
 
 
永平寺ウィキより
永平寺(えいへいじ)は、福井県吉田郡永平寺町にある曹洞宗の寺院。總持寺と並ぶ日本曹洞宗の中心寺院(大本山)である。山号を吉祥山と称し、寺紋は久我山竜胆紋(久我竜胆紋・久我竜胆車紋)である。開山は道元、本尊は釈迦如来弥勒仏阿弥陀如来の三世仏である。
 
曹洞宗の宗祖道元は正治2年(1200年)に生まれた。父は村上源氏の流れをくむ名門久我家久我通親であるとするのが通説だが、これには異説もある。
幼時に父母を亡くした道元は仏教への志が深く、14歳で当時の仏教の最高学府である比叡山延暦寺に上り、仏門に入った。道元には「天台の教えでは、人は皆生まれながらにして、本来悟っている(本覚思想)はずなのに、なぜ厳しい修行をしなければ悟りが得られないのか」という強い疑問があった。道元は日本臨済宗の宗祖である建仁寺栄西に教えを請いたいと思ったが、栄西は道元が出家した2年後に、既に世を去っていた。
 
 
旧仏教側の迫害を避け新たな道場を築くため、道元は信徒の1人であった越前国(福井県)の土豪・波多野義重の請いにより、興聖寺を去って、義重の領地のある越前国志比庄に向かうことになる。寛元元年(1243年)のことであった。
当初、義重は道元を吉峰寺へ招いた。この寺は白山信仰に関連する天台寺院で、現在の永平寺より奥まった雪深い山中にあり、道元はここでひと冬を過ごすが、翌寛元2年(1244年)には吉峰寺よりも里に近い土地に傘松峰大佛寺(さんしょうほうだいぶつじ)を建立する。これが永平寺の開創であり、寛元4年(1246年)に山号寺号を吉祥山永平寺と改めている。
寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢明帝のときの元号永平」からであり、意味は「永久の和平」である。
 
 
元和元年(1615年)、徳川幕府より法度が出され總持寺と並び大本山となる。
 
 
 
ふげんもんじゅ - 菩薩の名前に由来する新型転換炉「ふげん」、高速増殖炉「もんじゅ」の命名に永平寺が関わった[1]。一方、これはまったくの誤情報であるとの見解も出ており、永平寺機関誌『傘松』第630号(1996年3月)ではこの命名伝説を訂正している。「もんじゅ」の命名は、他の新型動力炉「常陽」「ふげん」とともに動力炉・核燃料開発事業団副理事長の清成迪が発案したものであるが、その発案に当たっては、当時の仏教学会や国文学会の首脳とも相談したということが当時の広報室長の証言で判明している。仏教学会では宮本正尊、国文学では土岐善麿の名前が挙げられている。
 
 
 
 
要は、関わったつうことでしょ。
モノはいいようというか、、
懺悔してるし

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