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THE WIND FROM TERRANORA
オーストラリアのTweed Coastからの便り

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個人的な思い出話。

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人はその人生において、三人の「師」に出会うと言う。
人生の半分を過ごして振り返ってみると、
確かに、私の人生観を変えた「師」達がいる。

三重の水産技術センターで出会った人々は、まさしく私の「師匠」、
彼ら抜きでは、今の私の存在は無いとすら思う。

Jackはこちらの大学の助言教官、公私共に支えてくれた「師」である。
20年以上経過した今でも交流があり、
クリスマス休暇中、サンシャイン・コーストまで、
彼と彼の家族に会いに行くことが恒例となっている。

語学力もつたなかったあの頃、
彼の家で初めて食べたのが、このCustard-apple(カスタード・アップル)。
原産は西インド諸島と中央アメリカであるが、
移植により、ここオーストラリアの暖かい地域でも栽培されている果実で、
和名をギュウシンリ(果実が牛の心臓に見えることから牛心梨)というらしい。


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ナイフで果実を半分に切って、
果肉をスプーンですくって食する。


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味は...
甘いことは甘いのだが、Flavour(食味)に劣るとでも言おうか、
豆腐を砂糖水と一緒に食べると、このカスタード・アップルの味になるのかもしれない。
ある意味、オーストラリアらしい果実とも言える。

20代の前半、単身、ここオーストラリアに渡り、
ゼロから生活を築き上げたわけだが、
いつの間にか、人生の半分以上をこの国で過ごしてしまった。
久しぶりにカスタードアップルを食して、
つくづく、時の流れの速さを感じた次第である。


イメージ 3

PCの思ひ出

都市が皮って、私のPCのギャク週が始まったようだ。
日本語の返還がうまくゆ家内。
何蟹漬けて、異なる返還をしたがるのだ。
都市が変わるまで、ごくごく普通に返還してくれていたのに、
何度も何度もスペース・キーを幼ければならず、本当に手間がかかる。
困ったものだ。

年が変わって、私のPCの逆襲が始まったようだ。
日本語の変換がうまくゆかない。
なにかにつけて、異なる変換をしたがるだ。
年が変わるまで、ごくごく普通に変換してくれていたのに、
何度も何度もスペース・キーを押さなければならず、本当に手間がかかる。
困ったものだ。

思い返せば、私のPC初体験はNECの98シリーズ、本体にハードディスクなどは付いていない時代で、PCの起動後、プログラム(主に一太郎)の入ったふにゃふにゃの5インチのフロッピーディスクを挿入、ドクン、ドクン、ドクドクドクン...とPCにプログラムを
読み込ませてから立ち上がらせた。初体験とはいつもこんなものだ。

マウスがついていたのは、墓石のようなアップルのマッキントッシュだけ、DOSがベースのNEC、あるいはIBMのPCでは、全ての機能はファンクション・キー経由であった。この頃、私はまだ日本に居たが、この先、絶対にPCが必要になるという予感と、この先、海外で暮らしたいという願望が重なり、タッチタイプは、割と早くに覚えた。覚えるにはそれほど時間がかからなかった。まだおやじになる前の青年だった頃だ。

一番最初に使った英語のワードプロセッサーは、知る人ぞ知るWordstar。英文タイプライターのPC版とでも言ったら良いのだろうか...このWordstarを使って一番最初の論文を書いた。"Effect of starvation upon surval, growth and ....... Panulirus japonicus (Decapod, Palinuridea)"という論文であるが、今思い返せば投稿先を間違えた。Crustaceanaは甲殻類に関して名門的な雑誌ではあるが、どちらかというと分類学的な側面が強い雑誌である。

さて、PCに話しをもどしてと...こちらに来てから使い始めたワードプロセッサーはWordperfect、このプログラムも、全ての操作はファンクション・キー経由。
青地の画面に白抜きの文字で、イタリックは黄色字だったような...Wordstarに比べれば、はるかに使い勝手が良かった。学位論文はこのWordperfectで書き上げたが、学位論文をSubmitした直後に、研究所の全てのPCにMicrosoftのWindowsが導入され、ワードプロセッサーはWordになり、マウスで操作することができるようになった。当時、左手でマウスの操作を行っていたが、PCは個人の持ち物では無く、複数の共有物であったので、右手でのマウス使用に切り替えたのは、先日記事にした通りである。

日本語入力ができるようになったのは、実は割と最近のこと...
最近といっても、5、6年前のことだけれども、WindowsがXPになってからのことで、XPになってもしばらく日本語入力できる環境が整っていなかった。私には、日本語から一切離れていた時期があって、インターネット上の日本語のホームページも文字化けして読めず、日本からたまに送られてくる日本語のメールも文字化けして読めず、もちろん日本語入力もできず、それでも、生活に支障があるわけでは無かったので、そのままにしておいた。

たまに送られてくる日本語のメールは、一度フロッピーディスクに保存して、別のPCにインストールされていた「Ichitaro Ver 9」を使って解読、日本語の文章の作成も、この「一太郎」を使って行い、保存したファイルをインターネットにつながっているPCに移し、メールを送る...となんとも気の遠くなるような作業をしなければならなかった。あまりにも面倒なので、英語でメールの返信をしていたら、やがて日本語のメールが全く来なくなってしまった。
 
こういった昔のことを考えたら、たかだか変換がうまくゆかないくらいで大騒ぎをするものでもあるまい。ちなみに、タッチタイプの修得は早かったのに、スマートフォン、あるいはタブレットの使用には抵抗があって、いまだに普通のケータイ、タブレットも見たい県でなくて未体験である。ケータイについては、また別記事で。

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私が小学校を卒業し、中学校に入学するのを機に、
私達家族は、東京の亀戸の社宅から、横須賀の一軒家に引越しをした。
当時の横須賀はどうしようにも無いほどの田舎で、
公共の交通機関が全くと言って良いほど発達しておらず、
我が家には自家用車が無かったので、
何処へ出掛けるにも自転車での移動であった。

横須賀はトンネル(隧道)の多い街、
つまり小高い山が連なる地形で、従って坂道も多い。
実際、実家は小高い山の斜面に建っており、
最寄の駅(北久里浜)へ行くのには、
この山の斜面を通る坂道を上り下りしなければならない。

中学校は久里浜中学校、
Google Earthで実家と中学校の間の距離を測ったら4kmあった。
途中、「ハイランド」という日本で初めてのカタカナ住所の住宅地を通り抜けのだが、
この「ハイランド」の住民の子たちは、神明中学校へ通うという、
摩訶不思議な学区を構成していた。

「ハイランド」の住宅地の東端からは、久里浜の市街地が一望できるのだが、
ここに通称「地獄坂」と言われる坂があり、
一気に久里浜中学校まで降りてゆく。
雪の降った晩は、この坂でそりをして遊んだ。
また、霜が降りた朝は、自動車は登って行くことができなかった。
それほどの急坂を、毎日上り下りして登下校した。

この坂道は、久里浜中学校へ通う学生と、神明中学校へ通う学生が使用するので、
登下校の時間帯は、二つの中学校の学生が行き来する。
ある日の下校時、いつも一緒に登下校していたY一朗が、
突然、神明中学校のツッパリに殴りかかった。

後に、Y一朗とは同じ高校に進み、一緒にラグビーを始めた仲ではあるのだが、
中学時代にすでにゴリラみたいな身体つきで、とにかく腕相撲が強かった。
下校前に、「喧嘩してぇ〜」なんてことを言っていて、冗談かと思ったら、
このバカタレは本当に喧嘩を始めてしまった。

その後、Y一朗が始めた喧嘩は、学校対学校の大喧嘩に発達、
それぞれの学校のツッパリ達が公園に集まり、大喧嘩になってしまった...
ということを聞いたが、その時はもうすでにY一朗も私も蚊帳の外であった。
過去のことということもあり、この喧嘩がどう収まったのか記憶には無い。

Y一朗は高校卒業後、理学療法士を目指し、当時は国立療養所箱根病院と言われていたが、
神経・筋疾患の専門医療機関に付属する専科の学校へと進んだ。
同じ学校へ一年遅れで進んだラグビー部の同輩、やまさんは、横須賀市内にある病院に勤めているようで、
うちのオヤジががんで入院した際に、廊下で偶然再会した。
その時、やまさんからは、Y一朗は自分自身の診療所を経営しているということを聞いた。

本当は、アリスの「遠くで汽笛をききながら」にまつわるバカ話を書こうと思っていたのだけれども、
思うままにキーボードを叩いていたら、ふとこんな思い出にたどり着いてしまった。


鍋料理の思ひ出

私にとって食事とは、
身体を暖かくするだけではなく、
心も温めてくれる大切な大切なもので、
命の源と言っても過言ではありません。

食べることも好きなのですが、
私は人に食事を作って差し上げることも大好きで、
私が心を込めて作った食事を、美味しいと食べて頂くと、
私の心はさらに温かくなるのです。

ですから、私が惹かれるタイプの人は、いわゆる食いしん坊、
食べることに歓びを感じることのできる人、
食事に対して、幸せを感じることのできる人、
そして、それを素直に表現できる人が大好きなのです。

音楽と記憶が結びつくことが多々ありますが、
私は、音楽よりも、味覚の方がより記憶に結びついているようです。
カレーを食べると、幼い頃、
甘いニンジンをカレーの中から選りすぐって食べた記憶が蘇りますし、
大好物のうなぎの蒲焼は、
町内会の夏祭りの記憶と直結しています。


最近、よく食べるのが、シャケを使った石狩風の鍋。
鍋料理は、亡き父の大好物でした。
私が大学生の頃、母が網膜剥離の手術のため、
長期に渡り入院したことがありました。
父は良く、「毎日鍋を食べても飽きない」と言っていたので、
母が入院中は、本当に毎日、鍋料理を作ったものです。

それから数年経過して、父の口から漏れた言葉は...

「あの時は毎日鍋ばかりで閉口したなぁ...」

でも、父は決して文句を言わず、
うまい、うまいと、私が作った鍋料理をせっせと食べていたのです。

私にとっての鍋料理とは...
父の思いやりの記憶が伴った、とても温かい料理なのです。

食事には、人々の「思いやり」や「気配り」がたくさん詰まっています。
美味しいものを素直に美味しく頂ける幸せ...
作った人の「気配り」を感じることのできる幸せ...
食べる人の「思いやり」を感じることのできる幸せ...
寒い冬の夜、私の身体を温めてくれるものなのです。

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僕らの時代

今、ミニは私の後でMinecraftというゲームに興じている。
お金を払っていないので、オフラインでのゲームらしい。
ミニは10歳のAussie Kid。
今ふと、私が10歳の頃を思い出してみた...

僕らの育った昭和50年代初頭の日本は、まだまだ貧しかった。
貧しかったけれども、活気があった。にぎやかであった。そして希望があった。

僕らの育った街は汚れていた。
川からは汚臭が漂い、空気は淀み、
真夏の太陽が照りつける日には、光化学スモッグ注意報が発令された。
それでも、僕らは外で遊んだ。
夕方になると、呼吸することさら苦しく、ゼーゼーいうこともあったけれども、
一晩眠れば、翌朝には元に戻っていた。

スーパー・カー・ブームが訪れ、
僕らは、近くの都営住宅の非常階段から、首都高を流れる車を一日中見ていた。
もちろん、デジタルカメラなど無いから、記録は全て記憶の中。
でも、翌日の学級で「昨日ポルシェを3台も見たんだぜ!」と言うだけでヒーローであった。

緑とオレンジのユニフォームの川崎大洋ホエールズは、万年最下位だったけれども、
ジャイアンツ戦の時だけは燃え、オヤジと一緒にアンパイアの不平判定を毒突いていた。

アントニオ猪木とモハメッド・アリの異種格闘技で、猪木はアリキックという姑息な技を使い、

僕らをがっかりさせた。この時、プロレスとは八百長であることを父親から学んだ。
人が本気で戦ったら、3分と持たない...父親はいつもそう言っていた。

銭湯は近所のえびす湯だったけれども、えびす湯が休みの時は、
京葉道路の向こう側の富士の湯へ行かなければならなった。
富士の湯には、学級担任の竹内先生が来るので、嫌で嫌で仕方が無かった。
いつも周りをきょろきょろ、竹内先生がいないことを確認していた。

土曜日の晩は「八時だヨ、全員集合!」、
この番組を観た後、お布団に入るのだが、どうしても「Gメン75」が観たくて、
寝たふりをして、ピアノの反射を利用して観た。
その後の「ウィークエンダー」、チャッチャラチャチャ〜♪も、反射を利用して観た。
「新聞によりますと...」が僕らの間では流行り言葉であった。

サラリーマンの父親は、

「サラリーマンにはなるな」
「日本に残るな、海外で暮らせ」
「人と異なったことをしろ」

ということを口癖のように言っていた。
海外旅行どころか、自家用車にすら乗ることの無かった時代に...だ。
父親には、アンチマジョリティの部分があって、
アンチジャイアンツ、アンチアメリカ...と人々が好むものをあえて嫌っていたようだが、
どうやらその精神は僕に受け継がれてしまった。

あの時の僕は、いつのまにか私になり、
結局、私はサラリーマンにはなってしまったけれども、

海外で暮らしているし、人と異なったこともしている。

昔を懐かしんだり、昔のことを良く思ったりすることは無いけれども、
あの、貧しかったけれども、きらきら輝いていた時代に育ったことに、
私は幸せを感じられずにはいられない。

いつか、ミニもそう思うことがあるのだろうか...
ゲームに興じているミニをみて、ふとそんなことを思った。


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