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「巨人、大鵬、玉子焼き」とは、昭和36年前後の流行語、
子供達が好きなものの列記で、今で言う「国民的」に人気のあったものであるが、 実はこのフレーズの本意は、名付け親の堺屋太一氏によると、 「大人になっても子供と同じような物が好きだと大騒ぎしている 『半人前で子供っぽい使えない大人』を揶揄した言葉」だそうだ。 しかし、名付け親の本意とは裏腹に、後年は、当時の世相を表す言葉として定着してしまった。 玉子焼きは別として、巨人と大鵬に共通したのは 文句なしに強い、ということであった。 人は、強いものに憧れる。 強い=安定、と言っても良いかもしれない。 特にコドモには、その傾向が強い。 私が最近いらいらするのは、バカタレのWallabies、 この傾向(強い=安定)は、古今東西を問わず変わらないもののようだ。 話しをお相撲さんの大鵬の話に戻すが、 横綱大鵬は、まさしく、昭和を代表する大横綱であったらしい。 「あったらしい」というのは、実は私はこの大横綱の取り組みを目の当たりにしていないのである。 横綱大鵬の引退相撲は昭和46年、 私にとっての横綱は、北の湖であって、千代の富士、 長島監督の引退試合を目の当たりにした私にとっても、 大鵬は一世代前の横綱である。 数年前、相撲界の八百長が槍玉にあがったが、 横綱大鵬関にもその矛先が向かったことがあった。 ライバルであった柏戸関が、再起をかけた取り組みで、 大鵬関がわざと負けたのではないか、と石原慎太郎氏が物議を醸したものだ。 私は、真実を知らない。 いや、私だけでなく、本人以外には誰にも真実は判らない。 だが、後年の大鵬関へのインタビューの記事によると、 大鵬関は、長い間休場していた柏戸関を「なめて」いたそうだ。 その一瞬の隙を突かれ、土俵で屈してしまったそうだ。 八百長相撲を取り出した石原慎太郎氏であるが、 相撲協会から告訴されたためか、 「人の心の機微が勝負に反映されることも含めて大相撲だ」 と言い改めている。 そして、これと似たことを、後年、大鵬関も言っている。 つまり、勝負は単に力の勝ち負けだけでなく、 精神的な部分も強く加担しているということであるが、 それは、単に八百長の言い訳か、あるいは勝負事への美学か、 こればかりは、本人以外、誰にも判らない。 その強さと、出世の早さが故、大鵬関は「相撲の天才」と呼ばれることも多かった。 しかし、本人は「人より努力したから強くなった」として、この「相撲の天才」という言葉を嫌ったという。 確かに、素質、あるいは生まれ持ったものもあるのだろうが、 その素質や生まれ持ったものに、「運」を加えて育て上げるのは、 ひとえに「個々の努力」以外の何ものでもない。 「個々の努力」はあくまでも「個々」のもの、 決して人に見せびらかしたり、言いひらかしたりしないものだが、 本当の意味で「努力」した人は、努力によって得たものを、 「素質」「運」「生まれ持ったもの」で片付けられることを嫌う。 努力の無い「自尊心」ほど醜いものはない。 人はそれを驕り、傲慢と呼ぶ。 驕らず、傲慢にならず、自身の「誇り」、つまり「自尊心」を保つことの大切さを、 この昭和の大横綱、大鵬関から学ぶことができると、私は思うのだ。 (画像はインターネットから)
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運動っぽいもの
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Cathy Freemanが400m走で金メダルを獲得したシドニーオリンピックは今から12年前、
その時、Sally Pearsonは13才であったという。 Cathy Freemanの走りをみて、 少女Sallyは、自分もオリンピックで金メダルを獲得することを決心したそうだ。 Dream ゴールド・コーストのHelensvale State High Schoolに進んだSallyは、ここで劇的な出会いをする。 Sharon Hannan、今でもSallyのコーチを務める人物だ。 このコーチの元、10代のSallyはオーストラリア、オセアニア、そしてコモンウェルスの記録を塗り替える。 そして、21才のSallyが臨んだ北京オリンピック... 下馬評を覆し、フォト・フィニュシュで銀メダルに輝いた。 Hope 北京オリンピックで銀メダルを獲得したSally、 めきめきと頭角をあらわすようになる。 自身が打ちたてた記録を更新、 2011年のWorld Chmpionshipsでは、歴代4位の記録を樹立、 数々のレースを勝ち続ける。 Expectation そんな敵無しと思われたSallyであるが、 ロンドン・オリンピック直前のレースで負け、不調が伝えられる。 歴史的に陸上はオーストラリアの得意とする競技ではない。 Sallyの金メダルを危ぶむ声もちらほら聞かれた。 Determination 8月7日、100mハードルの決勝戦、 Sallyは、自己ベストを上回るタイム、12.35sで、金メダルに輝く。 銀メダルのDawn Harperは12.37s, そして銅メダルのKellie Wells, 12.48s、 メダル獲得者全てが自己ベストを上回った記録で、 その差はわずか0.03秒であった。 Dream come true レース後のSallyへのインタビューへの返答が、 何故に彼女が金メダル獲得できたかを物語っていると思う。 I said to myself, I want this. It has to be mine. It can't go any other way. I was so nervous and so scared for it but I was ready. I wasn't going to let anything stop me. 私は... 25歳のSallyに、 勇気と希望を与えられたオヤジのひとりである。 |
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ロンドンオリンピックも後半戦に差し掛かったが、
オーストラリア選手団の調子が悪い。 今日(8月5日日曜日)現在で、トータル20個のメダルを獲得するも、 金メダルはほんのひとつ(金メダル1、銀メダル12、銅メダル7)、 国別メダル・ランキングは19位、 1976年のモントリオール以来の不調である。 この不調の原因に、選手達のソーシャル・メディアへの依存、精神的な甘さ、Diet(食事)... 様々な要因が自称評論家、ジャーナリスト、あるいは過去のメダリストたちによって言われているが、 私は、Swisse Ulitiviteという、まぁ、サプリメントのひとつなのだが、 このメーカーのTVコマーシャルを不調の原因に挙げたいと思う。 ケミストやスーパーマーケット、 あるいはヘルスフードショップへ行けば必ず見ることのできるこのSwisseというメーカーのサプリメント、 オーストラリア・オリンピック・チームの公式スポンサーのようだが、 Swisseがスポンサーになった選手達は、ことごとく敗退しているのだ。 まずは、我がWallabies、昨年のワールドカップではNZに惨敗。 特にJames O'Connor君、Swisseが彼のスポンサーになって以来、不調が激しい。 昨年のツール・ド・フランスの覇者、Cadel Evanceも例外ではない。 今年は早々と優勝争いから脱落。 今回のロンドンオリンピックでは水泳選手団の衰退が激しい。 それからAwsome Foursome(ボート)も銀メダルに転落してしまった。 選手達は本物のバイタミン(ビタミン)を摂らないで、
便利さを追求するあまり、Swisseのサプリメントばかり摂っていたんじゃないの? サプリメントはあくまでもサプリメントで、本物ではないのである。 今回のオーストラリア選手団の不調は、 本質を忘れてしまったということに、 つながるのかもしれない。 というわけで... Stop taking supplements! Eating real foods!! こんなのもあった。これで女子バスケットボールチームがメダルを取れなかったら、 絶対にSwisse Ultiviateのせいだと思うんだけれどもなぁ。 |
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私のオリンピックの記憶は、1976年のモントリオールから始まる。
このオリンピックでは、日本は9個の金メダルを含めた25個のメダルを獲得した。 メダル・タリーは第5位、1位はソビエト、2位は東ドイツ、3位はUSA、そして4位は西ドイツと、
当時の世相を反映しているメダル・タリー、日本の果たした役割は、非常に大きい。
ちなみに、このモントリオール・オリンピックでは、オーストラリアは金メダルは無し、
まず最初は、1888年のソウル・オリンピックから、100mのBen Johnson。銀メダル1個、銅メダル4個で、メダル・タリーは32位であった。 オーストラリアが本格的にオリンピックに力を入れ始めたのは、 1992年のバルセロナオリンピック以降からである。 我々の年代で、オリンピックのゴールド・メダリストというと、 ビートたけしの影響もあって、Nadia Comaneciが思い浮かぶ。 モントリオールのオリンピックで完璧な演技を演じてゴールド・メダルを獲得したNadia、 現役引退後の彼女は、東西冷戦の終焉に翻弄されたような人生を送るが、 1998年、ハンガリー、オーストリア経由でUSAに亡命、 近年は、チャリティや国際的活動のみならず、 祖国、ルーマニアにも尽くしているいるとう。 様々な感動を産み出してきたオリンピック、 過去の夏季・冬季オリンピックを通じての、 「私が選んだベスト3ゴールド・メダル」を選出してみた。 結局、薬物投与でゴールド・メダルも、記録も剥奪されてしまうが、 この時の血走った目をしたBen Johnson、今でも忘れることができない。 次は2002年のSalt Lake CityでのSteven Bradburyの棚から牡丹餅ゴールド・メダル。 このメダル獲得シーン、今観ても笑えし、私の大好きな、大好きなゴールドメダルである。 さて、最強のゴールドメダルは... 1984年のロサンジェルスでの山下泰裕選手のゴールドメダル、
奇跡のゴールド・メダルと言っても過言ではない。 今でも、思い出しただけでうるうるしてしまう。 まもなくミニのFootyのシーズンが終わるが、 Footyのシーズン終了と共にアーチェリークラブに参加する。 オリンピックに出場してくれないかなぁ、ミニ。 何処へでも応援に駆けつけるんだけどもなぁ。 |
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ラグビーという競技から引退したのは、ミニが産まれた翌々、
もう9年も前のことである。 Competitive footyを辞めて以降、ウェートトレーニングは継続しているものの、 心肺的には全くの運動不足、 時々、思いついたように走ったり、自転車を漕いだりするくらいでは、何の足しにもならない。 昨年、自宅とサイトの間(片道13km、高低差>200m)の通勤をジェシーちゃん(MTB)に切り替えたのだが、 会社から中止命令が出てしまった。 TerranoraからTumbulgumまでTerranora Roadはくねくねで細い坂道、 そしてTumbulgumからサイトまでのTweed Vally Wayは制限時速100km/h、 車に轢かれたら即死である。 身体が鈍る(なまる)と言うが、私の身体はまさしく鈍った状態、 どうも最近、ぶよぶよ度が増してきたようで、 特に腰周りにぷよぷよでぷにょぷにょの贅肉が付いてしまった。 こりゃいかん! 「思い立ったら即実行」が私のモットーである、 早速、PCYC(Police Citizens Youth Clubs)というNPOで行われているJudo(柔道)クラブに入門した。 何故にJudo? 私の父は柔道の有段者であった。 独身の頃、柔道場に通っていたらしい。 しかし、父は私に柔道を習わせず、剣道を習わせた。 理由は... 柔道は姿勢が悪くなるから、剣道は良い姿勢を保てるから、 ということを良く言っていた。 しかし、人には向き不向きというものがある。 私は、剣道という競技が大嫌いで、従って全く上達しなかった。 今思い返せば良く判ることなのだが、私は、心底、格闘技が大好きなのである。 高校生の頃は、本当に相撲が強かった。 柔道も体育の授業のレベルではあったが強かった。 隙を突いて棒(竹刀)を振り回す剣道というスポーツを、どうしても好きになれなかったのだ。 結局、ラグビーという、格闘技とチームスポーツを組み合わせたような競技に魅せられてしまうのだが、 基本的には格闘技が好きなので、格闘技的な要素のプレー、すなわちタックルが大好きで、 いかに相手を綺麗に倒すかということばかり考えてプレーをしていた。 それが故、チームキャプテンにもなったと言っても、過言ではない。 さて、話を柔道に戻すが、 稽古は火曜日と木曜日の晩の6時半から8時までの一時間半、 こぢんまりとしたクラブなので、ジュニアもシニアも一緒に稽古する。 私は時間の関係で週に一度、木曜日だけの稽古。 一番最初の日は、悲惨を通り越して、哀れでもあった。 稽古の途中で息が上がってしまって、 あたりが真っ白になった。 その日、朝から仕事が忙しくて、朝食と昼食を抜き、 午後4時ごろ、まとめてご飯を食べたのだが、 稽古の途中、トイレへ行って全部吐いてしまった。 もっとも、この吐いたのは、運動不足ということだけでなくて、Senseiに締め技をかけられたということもある。 Senseiは有段(黒帯)のオーストラリア人、65歳であるが心身ともに非常に優れた人である。 寝技の乱取りで、Senseiに相手をしてもらったのだが、 有段者といえども65歳、私は180cm、90kgのオオオトコ、 一番最初の組み手で、私がSenseiを横四方で組み伏せてしまった。 もうこの段階で、すでに私の息があがっていたのだが、 次の組み手、肩固めに組もうとしたら、締められてしまった。 前述したとおり、私の柔道は体育の授業の柔道、締め技と関節技は禁じられていたのである。 そのやり方も、対処の仕方も知らない。 実は締められたのは生まれて初めてのことだったのだ。 後数秒締められたら、きっと気を失っていただろう。 何もわざわざオーストラリアくんだりで柔道をしなくても... とも思うのだが、柔道は子供の頃からぜひ一度やってみたいと思っていたスポーツ。 大会に出場するつもりもないし、帯も白帯で十分。 でも、週に一度、思いっきり人を投げたり、投げられたり、 Miniにも常に言っていることだが、
Commitment
始めたからには一年間休まずに続けてみようと思う。
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