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THE WIND FROM TERRANORA
オーストラリアのTweed Coastからの便り

書庫愛しの我が教師達

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語弊があるが、体育の教師というのはおかしなヒトが多い。
私の知る中学校時代の体育の教師は大まかに2つのタイプに別けられる。

(体罰なんてへっちゃら型)
軍隊じゃないんだらさぁ、そんなにえばり散らさないで欲しいよなぁ。
お昼休みに校庭でバレーボールを使って蹴鞠をしていたら、
突然体育館前に呼ばれ、他の学生10人くらいと一緒に横一列に並ばされ、
何の説明も無く、一番右端の私から、ほっぺたを思いっきり張り倒された。
準備していなかった私は吹っ飛んでしまった。
全ての張り手が終わったら、「よし、行ってよい。」と開放された。
なんで張り倒されたのか判らなくて、
後で友人に聞いたら、バレーボールを蹴って遊んでいたかららしい。

こんな信じられないようなことが、当たり前に起きていた時代で、
私は経験したことは無いが、F教師の「ペンチ」というのは有名で、
これは、乳首をひねる体罰だ。当然のように女性徒の乳首もひねっていたらしい。
今そんなことしたら、刑務所行きだ。

(脳みそが筋肉型)
以前お付き合いした中学校の国語の教師、Mさんいわく、
体育の教師というのは頭が空っぽで、
職員会議などで意に沿わないことがあると、すぐに切れて、
何かというと、先輩、先輩と先輩を持ち出すどうしようもないボケナスだ、と言っていた。
なるほど、とうなずいてしまった。

しかし、妬みかもしれないけれど、体育の教師というのは何故か女性徒にもてた。
放課後、廊下の掃除をしていて、窓から下を見下ろすと、
体育のW教師が、上級生の女子生徒と一緒にバレー部の小屋に消えた。
随分長い時間出てこなかった。何やっていたんだろう、狭い小屋の中で。

K教師は、国語の教師を孕ませた。校長に随分怒られたらしく、
この国語の教師はしばらくして姓を体育のK教師と同じにしたが、
思春期真っ只中の生徒からは軽蔑のまなざしに。
国語の教師は新卒の割りと好きな教師だったのだが、
妊娠してからは、まともに顔を見ることができなかった。
ちなみにこのK教師は日本人でありながら、
「バヤロー!」と「コノヤロー!」以外の日本語をうまくしゃべることができない。
孕ませた代償として、国語の教師に少しは日本語を教わるべきだ。



以上は中学時代の体育の教師達だ。
これが、高校になるとがらりと変わる。
ラグビー部の顧問でもあり、一年生の時の担任でもあった「コバヤシクン」は、
男前ですがすがしく、当時30になったばかりで新婚の教師であったが、
学生の雰囲気を持ち合わせていたので、コバヤシクンと呼ばれていた。
体操を得意とする小柄な教師だったが、
人柄が良く、ご自宅にも良く遊びに行った。

ただコバヤシクン、滅多に怒らないんだけれど、
怒ると自分の怒りにさらに怒りを感じるタイプらしく、
初めは普通に話していたはずなのに、
次第にテンションが上がり、いつの間にか顔を真っ赤にして怒っているという、
怒られている方にしてはなんとも対処しがたい怒り方だった。
だって、さっきまで笑って話していたのに、
そんなに突然怒られても何に対して怒られているのか判らないんだもん。

ラグビー部の練習で八景島の人工海岸へ行った時に、
砂浜に大穴を掘ってコバヤシクンを埋めたことがある。
そういうことができる教師だった。
この前、何かのきっかけで久し振りにメールを頂いたが、
県立高校の校長をされているらしい。
ホント、良い教師だった。

水泳部顧問の「たこうち」は角刈りのがっしりとした体型なのに、声がかん高い。
黒い革のつなぎを着てKawasakiのGPZ750Fに乗って登校していけれど、
後半は電車で通学、スピード違反で捕まったりしたのだろうか。
あるいは、離婚の噂があったから、バイクを売って慰謝料に当ててしまったのかもしれない、
というのは勝手な想像だ。

無口で、何を考えているのかわからないような教師だったが、
時々、本当に、本当にばかげたオヤジギャクを飛ばし、
女生徒からは随分嫌われていたようだけれど、
私は、彼がそんな時に見せる自虐的な引きつったにやつき笑いが好きだった。

ある時、ラグビーの練習で泥まみれになって、
そのまま服も脱がずにスイミングプールに飛び込んだら、
めっちゃくちゃ怒られた。当たり前だわな。

夏の間だけ、水泳部にスカウトされたが(暇な運動部員は皆スカウトされた)、
タイムトライアルの後、ため息混じりに
「Songlark...おまえなぁ、水しぶきがすごいんだよ。
水しぶきをがばがばあげて泳ぐ割には全然前に進んでないんだよなぁ。
この水しぶきを推進力には使えんのかねぇ...」
と言われクビになってしまった。
ホント、面白い教師で、個人的には好きなタイプの教師だった。

体育の教師というだけで、ひとまとめにしてはいけないということを、
高校の体育の教師達からは学んだのである。
それは体育の教師だけではなくて、
全てのことに、一般化はいけないということにつながると思う。
人それぞれということだ。
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数学の教師を語る上で、欠かせないのが「ノブヤ」。高校の時の数学の教師で、
「予備校生金属バット殺人事件」の一柳展也に顔も体格もあまりに似ていたからこう呼ばれた。
東京理科大学卒だということを誇りに持っていたらしく、やたらに自慢をしていた陰湿な数学教師だ。
ちなみに、本名は...覚えていない。

当時は一般家庭にPCなど無い時代だったが、
どうやら彼は家に自慢のPC(今思えば計算機程度の)を持ち、
ひと学年全員の中間テストや期末テストの全科目の得点を集計し、偏差値を計算、
頼んでもいないのに、わざわざプリントアウトして全生徒に配っていた。
私の高校一年の一番最初の中間テストの結果は405人中402番。
英語の低得点が響いたらしい。ちなみに、この結果も川に捨てた。
でも、あとで親にばれて、ラグビーを止めろと言われた。
止めなかったけれど。

高校3年生の時、数学の担当教師がノブヤになってしまった。
大学受験に数学が必要だったから仕方が無かったのだけれど、
この人の授業、本当に判らない。難しいとかでなくて、本当に何を言っているのか判らない。
いや、ノブヤだけでなくて、もうひとりの数学の教師ポチの授業も、質は異なるのだけれど全く判らなかった。
ポチはさておいて、ノブヤの嫌味なのは、毎週必ずテストを行ったことだ。
0点続きで、0点の解答用紙を私に返却することに快感を覚えていたらしいと想像する。

そんなテストは無意味だから、テストのある授業をさぼって空き教室にもぐりこんで自習していた。
そうしたら、お昼休みに「Songlark!職員室に来い!今すぐだ!」
と、唾ぺっぺしながら怒鳴り散らした声が構内一斉放送で響き渡った。
ばっくれたのがばれてしまったらしい。
職員室に行ったら興奮したノブヤに怒鳴り散らされ、
「お前、今度の通信簿は絶対赤点だからな!、覚えてろよ!」と言われたので、
「先生、そんなに興奮しないでくださいよ、興奮しても金属バットは振り回さないでくださいね。」
と言ったら、他の先生から失笑が漏れて、さらにノブヤは顔を真っ赤にしながら怒り続けた。
その学期の数学の通信簿は10段階評価で2であった。

高校三年の夏休みから、大学受験に向けてラストスパートし、
年末の校内模試で、400人中4番目までに上昇した。
模試の後、またまたノブヤに職員室に呼ばれた。
行ってみると私の模試の結果をひらつけながら、

「おっかしいんだよな、何度計算してもお前が4番目になってしまうんだよ。そんなはずあるわけないのになぁ。」

「先生、そんなことで僕を呼んだのですか?結果を早く返してくださいよ、おかしいも何も先生が出した結果でしょ、僕は4番だって400番だってどっちでもいいんですから。」

「おかしいなぁ、おかしいなぁ、ぶつぶつ...」

「先生、用が無いならもう行きますよ。」

「おかしいんだよなぁ、ぶつぶつ、ぶつぶつ...」

往生際の悪いオトコだ。

職員室を出てから、飛び上がって喜んだのは言うまでも無い。
みたかノブヤ、やる気になればオレだってやれるんだからな!
でも、なかなかやる気にならない怠け者のSonglarkでした。
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高校の地理の教師、N先生は学校のすぐ近くに住んでいたらしく、
いつも自転車に乗って通学していた。
小柄で丸顔で黒ぶち眼鏡をかけており、声が甲高い。
一番最初の授業で
「我が校の品度が落ちたの女生徒のせいだ、女生徒が増えて品が落ちた!」
と公言し、この授業の後には女生徒達の怒りも頂点に達していたようだが、
学期の終わり頃には、女生徒達にも最も人気のあった教師だ。
なぜにこれほど人気が出たのかというと、

「生徒に媚びない」

この一言に尽くと思う。
今考えると、高校生というのは恐ろしい。
生意気だし、体は大きいし、臭いし、色気はあるし、へらずぐちだし、大喰いだし、
人をバカにしたような態度を平気でとるし、
本当に人も世の中も舐めきっている。
自分自身がそうだったから(色気は無かったけれど)よく判る。
そんなばか野郎達に対して全く媚びずに、
地理の楽しさを教えてくれたのがN先生だった。

高校3年の地理の授業で、
「昔はな、富士山に登るのはまず麓の浅間神社でお参りしてから登ったもんだ。
それが今では5合目まで車で登れる。そんなのは富士山登頂とはいわん。
お前達の中で本当の富士山登頂ができる根性のあるものはいないな、わはは!」

なんて言われたものだから、癪に障って、運動部のツワモノ数人を募った。

ヨッチャン(バスケット部)
おいちゃん(バスケット部)
とうじょう(ラグビー部)
やぎさん(帰宅部)
そして私(ラグビー部)の5人が集まった。

ヨッチャンはひょろながの長身で、
いつもひょうひょうとして、誰からも好かれる好人物だ。

おいちゃんもやはりマイペースの好人物で、
岩手の大学へ木を学びに行った。三保純のファンであった。

とうじょうは、不二家のポコちゃんを思わせるような人物で、
ラグビーというより柔道の方が似合うような、日本男子的な好青年であった。

やぎさんは、ちょっと変わったヒトで、運動神経抜群なのに、何故か何処のクラブにも属さなかった。
英語が得意でとても人懐っこく、私と全く正反対だったけれど、なんとなく気が合った良き友だ。

登る前にやまさん(ラグビー部)の助言も聞いておいた。
彼は、自転車を富士山の頂上に持っていったというツワモノだ。

昼過ぎ、大船で待ち合わせをして、まずは御殿場へ向かった。
途中、信号事故があったとかで、予定が少々狂ってしまったが、
御殿場の駅からバスで浅間神社へ。
そこでお参りをし、ガッツポーズの記念写真を撮り、山頂にむけててくてく歩き始めた。
それは夏の午後、まだ日が暮れる前であった。

裾野の演習場の間の道をてくてく、てくてく、途中、遠く大砲の音が聞こえたりした。
次第に日が暮れ、舗道はいつの間にか砂利道になった。
日が暮れてからは、御殿場の花火がはるか下の方に見えた。
御殿場口から登頂する人はほとんどおらず、
2,3台の車がむこうみずのばか野郎集団を通り過ごすだけであった。
7合目の山小屋には夜11時頃到着した。
途中、追い抜いたタクシーの運ちゃんが、バカな若者達が登ってくるのを知らせておいてくれおかげで、
山小屋を経営する老夫婦が山小屋を閉めずに我々を迎えてくれたのだ。

もうすでにくたくただったけれど、先を急がなければ日の出に間に合わない。
小一時間休憩した後、また登り始めた。
山小屋を出てしばらくすると、森林限界線を越え、
一気に視界が開けたが、真っ暗で何も見えない。
ここからが至難だった。火山礫で、一歩進むと半歩さがる。
しかも疲労はピークに達している。皆、無口になった。

山道は8合目で富士宮口からの登山道と合流する。
ここから頂上までは人、人、人、人、人の行列だ。これには参った。
富士宮からの皆さんは5合目からだけれど、
こっちは昨日の昼過ぎから歩き通しなんですよ、なんて思っても、
日の出の時間にまにあうように、後ろから押し上げるように人々が登ってくるから、
山頂まで止まることも休むこともできない。

人の流れに押されるように、日の出ぎりぎりに登頂完了。
とにかく寒くて寒くて凍えていた。
やまさんの助言の通り、ちゃんと防寒具は持参したが、疲れで寒さが倍増だ。
形ばかりの記念撮影をして、そそくさと下山。
下山は「砂走り」といって、一歩進むと10歩くらい下がる火山礫の下山道。
真直線に一気に下山してしまった。
後ろを見上げると、真夏の空に、富士山の頂上がはるかかなたにあった。
それは登り始めてから18時間後のことであった。

夕方、その足でクラス合宿に参加、
スズキという名前のひょうたん顔のばか野郎が、したり顔で、
「山は降りる方が登るより大変なんだよな。」なんて言っていたので、
ぶん殴ってやろうかと思った。
でもくたくたで、それどころではなく、
女の子達との楽しい「いちゃいちゃ」もできずに、
その晩は早々と眠ってしまった。

後日、地理のN先生の元へ
「富士山、ちゃ〜んと登りましたよ」と写真を持っていったら、
へなへな笑いながら、
「なんだお前ら、本当に登っちゃったのか、冗談だったのに。バカだなお前達、あははは!」
と言われた。
高校生を手玉に取れるN先生は本物のツワモノだ。

(富士山の頂上、この画像はインターネットから)
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私は日本に居た頃、英語の授業が大嫌いだった。
最近の日本の英語教育は良く判らないが、
当時の英語の授業といえば、翻訳、文法、文型といった内容が主で、
単純な単語のスペルすら覚えることのできない私には本当に苦痛で、
中学1年の最初の授業から落ちこぼれた。


中学1年の英語の教師は「ミスター」と呼ばれたバリトンの学年主任の教師。
柔道部の顧問でもあり、体も四角ければ、顔も四角、
おまけにかける眼鏡も四角という、四角尽くしの教師であった。
この教師にはいじめられた。
期末テストで「Dictionary」の日本語訳に私は何を思ったのか「自転車」と書いてしまって、
答え合わせの場で「この中に、辞典に乗って学校に来る奴がいるぞ。
あははは!辞典にはどうやって乗るんだ、おいSonglark、やってみろ。」
なんて言われつま先立ちさせられた。クラス中大笑いであった。


中学2年の英語の教師は「でこびん」と呼ばれた額の広い女性の教師で、
年のころ30代前半、割とスタイルも良かったと思うのだけれど、
授業の内容が全く判らなくて、完全に落ちこぼれた。
50点満点の期末テストで9点を取ったことがあり、これが私の中学時代の輝かし最低点である。
確か、このテストの平均点は30点くらいじゃなかったかな。
親に見せられなくて、このテストは川に捨てたけれど、後でばれて怒られた。


中学3年の英語の教師はまたしても「ミスター」、
一年生の時よりも少し丸くなっていた。
四角いミスターが丸くなったな、なんて思っていたら、
どうやら離婚したらしい。
丸くなったのでなくて、しょぼくれていただけか。


高校1年の英語の教師は「ねもっちゃん」、
眼鏡をかけた新卒の神経質な感じの教師で、
福島大学を出たとかと言っていたけれど、
眼鏡の奥の目がトローンとして、滅多に笑わない教師だった。
笑うときは、目をギラリと輝かし、人を馬鹿にしたよな笑い方だった。
でも一度、ラーメンをおごってもらったことがある。
放課後、「ラーメンおごって!ラーメンおごって!」としつこく粘っていたら、
本当におごってくれた。おごってもらっていながら恐縮してしまった。
授業の方は、一番最初の授業で
Sがなんちゃら、Vがなんちゃら、Cがなんちゃら、Oがなんちゃらでつまずいてしまって、
全く訳がわからなくなってしまった。散々たるものだった。


高校2年の英語の教師は...どうしても思い浮かばない。
第一、授業に出ていたのだろうか。それすら思い浮かばない。


高校3年の英語の教師は前頭がはげている「先生」、
この教師にはあだ名がないし、名前も覚えていない。
それくらい髪も薄ければ影も薄い教師だったのだけれど、
私にとって、歴代の英語教師の中で一番判りやすくて、
授業内容が楽しい教師だっただった。
まず、英文の訳とかがなくてクラス中の恥さらし者にならなくて良かったし、
英語にまつわる話が面白かった。
Beatlesはこの先生のおかげで好きになった。


"I want you, I need you, I love you"


この先生の授業から習ったのだけれど、
今でも覚えている。もっとも、一度も使ったことは無いけれど。


大学1年の英語の授業はほとんど出なかったので思い出も何も無い。


私の英語嫌いにお付き合いいただいた教師のみなさん、
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。
でも私は今、こうして英語中心の生活をしています。
「言葉は道具(ツール)である」ということも学びました。
日本の英語教育の現場で、そのようなことを教えていただくことが、
落ちこぼれSonglarkからの願いです。

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