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時給5ドル、2時間働いて10ドル、 彼にとっては、良い小遣い稼ぎになったようだ。 ちなみに、作業は測量の手伝い、Queen's Birthdayの休日を利用しての作業。 今、サイトは人手不足、 最低賃金は時給20ドルだが、それでも人が集まらない。 この国も随分贅沢になってしまったものだ。 |
ミニのお話し
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詳細
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長いこと人生を送っていると、良いことや悪いことはクラスター(Cluster)...
続けて起こりがちであるということに気が付くと思う。 マーフィーの法則(Murphy's law)の一つであると思うのだが、 個々のバイオリズムとの関連を述べている人もいる。 もっとも、バイオリズムという言葉そのものが仮説であるので、 仮説の上の仮説、すなわち、なんら証明のできない事柄なのだが、 経験的に、あながち、否定することのできない事柄だと思う。 ちなみに「あながち」という文語的なこの単語、「強ち」と書いて、 あながち、ばかにできない...あながち、でたらめではない...等と、あとに打ち消しのことばを続ける。 穴がたくさん空いているから、「あながち(穴がち)...」というわけでは無いのだ。 あるいは、最近の女性アナウンサーは有名人とばかり結婚しているから「アナ勝ち」でも無い。 ミニにとって、この週末は良いことのClusterであったに違いない。 ついに自分専用のアーチェリーの弓と矢を手に入れることができた。 少し大きめの弓ではあったが、この先しばらく成長が著しいことが予想されるので、 子供用の弓ではなく、青年用の弓を購入してもらった。 早速、アーチェリー・クラブにて試射、 フォームに改良の余地はあるが、射った矢はほぼ中央に集中、 練習次第ではかなりの上達が望めるはずだ。 アーチェリークラブから帰宅後、しばらくゲームに熱中した後、 (彼の父親に連れられて)友人達と釣りへ出掛けた。 釣り餌の都合で、2時間弱の釣りであったが、 ミニは12匹、そのうち2匹(キチヌ26cm、コチ38cm)はお持ち帰り。 彼の友人達が釣り上げたのはそれぞれ、3匹、2匹、1匹だったので、 ダントツのトップ。 ただ、残念なことに、最後の最後で問題を起こして、彼のオヤジに怒られてしまった。 彼には兄弟がいないので、手加減というものを知らないが故の出来事だったのだが、 「終われよければ全てよし」 どんなに良いことが続いても、最後をきちんと締めくくらなければ、 せっかくの良いことも台無しになってしまう...ということも学んだはずだ。 人生、死ぬまで勉強の日々なのである。 |
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ミニには軽度のDyslexia(ディスレクシア)という学習障害があるようで、
文字の読み書きが苦手である。 通常の人々とは脳内の異なる領域で文字の情報処理を行うのがDyslexiaで、 文字処理がスムーズに行えないがために、学習障害という形で発現する。 ただし、この学習障害を補う形で、脳の他の領域が活性化し、創造力が豊かになる傾向があるようで、 エジソン、ダ・ヴィンチ、アインシュタインなどもDyslexiaであったとされている。 ミニも例に漏れず、創造力が非常に豊かで、幼少の頃から図画工作が得意である。 それは、筆使いとか、色使いとかの分野ではなく、創造力の分野、 細々としたものを描いたり、創ったりすることを得意にしているようだ。 しかし、最近のミニは滅多に絵を描かなくなってしまった。 絵の描写の代わりに凝っているのが、映画作成、 アニメーションのものあり、実録のものあり... 昨年、日本へ行った時に彼の祖母に購入してもらったビデオカメラで撮影した映像を、 彼自身のPCで編集して、数分の短編映画を数多く創っている。 最近の学校のクラスルームには、PCに接続したProjectorが設置されているようで、 USB Stickに、作成した映画のファイルを落として、クラスで見せているよう、 彼の担任が言っていたが、かなり高度な内容らしい。 そんな彼が今熱中しているのが、Minecraft(マインクラフト)というOpen world gameで、 3Dに広がる仮想世界の中で、自分自身で様々な構造物を構築・破壊することができるゲームらしい。 ミニには特にゲームの制限時間というものを設定してるわけではないので、 Holidayの今時、一日中ゲームに熱中してしまう日もあるようだが、 幸い、我が家の周辺には、同年代の子がたくさん住んでおり、 ゲームに飽きれば、外へ遊びに行くし、 あるいは、(ゲームに飽きたと思われる)近所の子達が遊びに来れば、 ここぞとばかりに、外へ出て行く。 ゲームやケータイを創ったのも、これらが存在する社会を創ったもの、いまどきのオトナたちだ。 それなのに、ゲームに熱中する、あるいはケータイに依存するいまどきのコドモたちを嘆くのも、 いまどきのオトナたちだ。 いまどきのコドモたちは、いまどきのオトナたちが作り上げた社会の中で、 彼らなりの方法でいまどきの世の中を乗り切ろうとしている。 いまどきのコドモを嘆く前に、嘆くのは、いまどきのオトナ自身ではないだろうか... ここ数日のミニの生活ぶりをみていて、ふと、そんなことを思った。 |
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先日、新たにサイトで働き始めたNZからのビルダーのInductionを行っていた時のことです。
So, how can I call you? 「何て呼んだら良いんだい?」 Satoshi.... 「サトシだよ...」 Do you have English name? 「英語の名前は?」 Nup. 「そんなのは無いよ」 Sat.... I cannot pronounce your name! Can I call you something else? 「サット...ダメだ、発音できないよ、なんか他の呼び名はないのかい?」 Nup, Satoshi, that's it. I don't have nick name nor English name, my name is Satosh, and you have to remember it" 「ううん、サトシ、それだけ。ニックネームも英語の名前も無いよ、サトシ、これが僕の名前だよ、覚えなければだめだよ」 "Hehehe, I like you! I'll practice to call you Sat... whatever!" 「あはは、面白いねぇ、それじゃこれからサット...とにかく、よろしくな!」 私の名前は、Satoshi、 ここオーストラリアでは、ニックネームも英語の名前も持ちません。 それは何故なのか... 私は、日本からの移民で、私自身、自分の名前に誇りを持つからです。 長い移民生活の中で、私自身のIdentityの一つとして、 どうしても譲ることができないのが、私自身の名前なのです。 平たく言えば、私自身のこだわりの一つなのです。 私はオーストラリアのパスポートを持つオーストラリア人です。 でも、日本で生まれ、23歳まで日本で育った日本からの移民で、 今もこうして、私自身の考え、あるいは思いを、日本に向けて発信しているのも事実です。 つまり、例え国籍を移したとしても、日本からの移民であるという事実は変わらず、 オーストラリア生まれのオーストラリア人とは、一線を画する部分もあることは否めないのです。 その典型的な例が、健太朗と私の、名前に関する考え方の違いだと思うのです。 ここ、オーストラリアでは、名前の短縮はごくごく当たり前のこと、 特に深い意味も持たずに、自己紹介でも、あるいはオフィシャルな場面でも、 好んで短縮型の名前を用います。 Ken, Kenny = Kenith Cam = Cameron Mick, Mike = Michael Bill = William Baz = Barry Tom = Thomas Tony, Anton = Anthony Dave, Davo = David Matt = Mathew Liz = Elizabeth Marg, Maggie = Margaret 例を挙げたらきりがありません。 健太朗は典型的な日本語由来の名前を持っているものの、 考え方は、Aussieのもの、 そんな彼が、名前の意味云々以前の問題として、 短縮形を使いたがるのも、ごくごく当たり前のことでしょう。 ところで、私が健太朗に望むことは、もちろん、健康であることですが、 もう一つ、誰からも慕われる人間になって欲しい...ということがあります。 恭太、恭太朗、恭一朗... 彼が生まれる前に、恭の字も候補に挙げたのですが、 "Kyo"の発音は、ここオーストラリアでは馴染みが無く、 "Ken"の字を用いたという経緯があります。 "Kent"かぁ...そんなに目くじらを立てることも無いのかな... "Kentaro"という名前だって、元を正せば、”Ken"と省略されても良いように付けた名前ではないか。 "Ken"、"Kent"...似たようなものではないか。 でもね... やっぱり、私にとって彼は健太朗、 この先、例え彼が"Kent"になっても、私にとっては"Kentaro"、 どんなに彼が嫌がっても"Kentaro"と呼び続けることでしょう。 それが、日本からの移民の私の、こだわりの一つなのですから。 (終わり) |
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オーストラリアは移民の国ではありますが、国民の過半数はアングロ・サクソン系、
公用語も英語ですので、必然、英語圏由来の名前が主流です。 英語を母国語にする人々にとって、子音・母音を繰り返す日本語由来の名前の発音は非常に難しいらしく、 健太朗 − けんたろう − ケンタロウ...きちんと発音できる人は稀で、 健太朗本人ですら、日本語読みの「けんたろう」とは発音できません。 しかし、健太朗がブリスベンで育った8年の間、 周りの人々からは、名前を短くしたり、ニックネームで呼ばれることは無く、 発音こそ様々でしたが、誰もが”Kentaro”と呼んでいました。 このような経緯もあって、私にとって健太朗はKentaro、 決してKenでも、Kennyでも、Kentでも、Kentoでも無かったのですが、 土地柄なのか、ここTerranoraでは、周りの人々は”Kentaro”とは呼ばず、 Ken、Kenny、Kent、Kento...と呼びやすい名前で呼び、 さらに、彼自身もこれらの呼称を受け入れているようなのです。 さて、偶然にも、サイトに出入りするSales Repの娘さんと健太朗が、 同じ学校の、同じクラスで学んでいるということが判明しましたが、 この日本人よりも日本人らしい生真面目なSales Repのお父さんに、 Terranoraに引っ越してから、Kentaroとは呼ばれなくなったんですよぉ...なんてことを話したら、 どうやら娘さんには、「これからKentaroと呼ぶように」と話したよう。 後日、再びサイトに現れたSales Repのお父さんとの会話です。 You know Satoshi what my daughter said to me... apparently, Kentaro didn't like to be called Kentaro, he asked my daughter to never call him Kentaro, but calling Kent. 「うちの娘が言うには、ケンタロウはケンタロウと呼ばれるのが嫌らしいんです。ケンタロウ君はうちの娘に、ケントと呼ぶようにと言ったらしいんです...」 ".... Really? but his name is Kentaro...." 「...本当?でも、彼の名前はケンタロウなんだけれどもなぁ...」 "I had a big problem with my daughter the other day, she told me "He really doesn't like to be called Kentaro! Dady, don't push me calling him Kentaro!" 「うちの娘には、『ダディ!彼は本当にケンタロウと呼ばれるのが嫌なの!ケンタロウと呼ぶように押し付けないで!』って怒られてしまったんですよ」 .... sorry.... 「...申し訳ない...」 別にSales Repのお父さんに、娘さんにKentaroと呼ぶようにと頼んだわけではないのですが... 生真面目さが災いしたようです。 帰宅後、健太朗に、どうしてKentaroと呼ばれたくないのか、 どうしてKentなのか...ということを改めて訊いてみました。 だらだら話しも次回で終わります。 もうしばらくのご辛抱を。 |




