おっちょこちょいは、「おっ」「ちょこ」「ちょい」からなる語と考えられる。 「おっ」は、驚いた時などに発する「おっと」と同じ感動詞「おっ」、もしくは接頭語の「お(御)」で後に続く「ちょこちょい」に合わせたもの。 「ちょこ」は、あちこち動き回る様子を表す「ちょこちょこ」 の「「ちょい」。「ちょい」は、僅かなことや簡単にできるさまを表す「ちょいと」と同じ「ちょい」。1800年代後半より見られる語で、1910年『諺語大辞典』には「デスギ、生意気、軽佻などをいふ意。東京語』とあり、1917年『東京語辞典」にもこの語が見られることから、主に東京で使われていた俗語が広まったと考えられる。 (語源由来辞典より) この言葉、女性、特に若い女性に対しては、一種の親近感を持って使われると思うのだが、 四十路のおやじのおっちょこちょいは、単なるばかたれ、 箸にも棒にもかからない。 ちなみに、「箸にも棒にもかからない」とは、 細くて小さい箸にも、太くて大きい棒にも引っ掛からない意味から あまりにもひどすぎて、どうにもこうにも手がつけられ ないことを指す。 私は、どうやら生まれつきのおっちょこちょいのようだ。 加齢と共に少しは落ち着くのかと思ったのだが、実はそうではないらしい、 いまだに自分自身でも呆れてしまうようなおっちょこちょいの連続だ。 ボブキャットを操縦中、配線ピットを大破し、天井に張られていたワイヤーを切断、 さらに支柱も破損してしまったり、 高圧洗浄機の水詰まりを修理するつもりが、機体下のポンプ部分を誤って開けてしまい、 ポンプオイルがドロドロ漏れてしまったり、 新品のデジタルカメラを貯水槽に落としたり... ロ〜ボコン0点... ガンツ先生に叱られるようなことばかりだ。 レジスターでの支払いでカードを使い、そのカードを忘れて去ることはいつものこと、 時 には買った商品、そのものを忘れて去ってしまうこともある。 一度は、ATMで現金を引き下ろしたが、引き下ろした現金を取らずに去ってしまった。 10分くらい取り忘れたことに気が付かず、気が付いて慌ててATMに戻ったら、 幸いにも現金はまだそこにあった。 買い物に出掛けて、何を買いにきたんだったけなぁ... と悩むことは当たり前のことだ。 買い忘れは90%くらいの確立、 買い物リストを持参しても買い忘れをしてしまうことがある。 さざえさんも驚きである。 今朝、キッチンの東側の窓に、ハーブの鉢を置けるように棚を設置した。 固定する前に試しにハーブの鉢を乗せたら、 棚がひっくり返ってしまい、全ての鉢が逆さに落下。 ふぁ〜ん、ふぁ〜ん、ふぁぁ〜〜 ん... 生まれつきのおっちょこちょい... これはもう死ぬまで治らないらしい。 |
自慢話
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Easter休暇前に、どうしてもサイトワークに一定のめどをつけたくて、今週は怒涛のサイトワークに明け暮れている。ちなみに、怒涛のサイトワークで飲むコーヒーは、ド・トール・コーヒー、なんてね。
本当は先月末にサイトワークを終わらせたいと思っていたのだが、3月中の22日間で雨、ほぼ毎日のように4〜23mmの降雨量を記録、しかも、Dozerが19日間壊れていたので、まったくサイトワークがはかどらなかったのである。 今週に入って、ようやく天気が落ち着き、怒涛のサイトワークが続いているわけであるが、先週末で、ここNSWはEDST(Eeastern Daylight Saving Time)から、EST(Eastern Standard Time)に戻り、一時間時計の針を遅せたので、まだ身体がESTに慣れていないせいであろうか、どうも疲れやすい。 サイトワークは大抵5時前後で終了するのだが、時計を一時間早めたので、今週から、先週までの6時前後にサイトワークが終了するのだ。ほんの一時間の違いであるが、身体への負担がかなり大きい。それはミニにとっても同じようで、彼は、毎晩8時半に就寝するのだが、今週末からは以前の9時半が就寝時間、しかし、朝起きるのは習慣で以前の6時頃、つまり、今の5時頃であるので、都合2時間の寝不足なのである。 そんなわけで、疲労困憊の私は、不覚にも晩御飯を食べながら、居眠りをしてしまった。左手に水の入ったグラスを持ち、右手にお箸...こっくり、こっくりとしてしまったのだ。晩御飯を食べながらの居眠りは、生まれて初めてであったので、いささか驚いてしまったのだが、上には上がいた。 ○ちゃんは、晩御飯にから揚げ弁当を食べている最中に居眠り、翌朝、気が付いたら口の中にから揚げが丸々ひとつ残っていたという。冗談のような話だが、本当の話らしい。 というわけで、今回はお疲れ自慢、皆さんの楽しいお疲れ自慢をお待ちしております。 |
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あまり自慢できることではないのだが、酔っ払っての失敗談には事欠かない。
山手線を一週半して、二週したくないから引き返したら、また乗り越してしまったり、終点の三崎口まで乗り越して、改札口を出たら、がらがらとシャッターが閉まってしまったり、二日酔いで早朝ラッシュの京浜急行に乗り、吐きそうになり床にしゃがみこんだりと、酔っ払って電車に乗ることロクなことがない。 |
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私の身体にはたくさんの傷跡が残る。 左手の人差し指の付け根に残る「へ」の字形の傷跡。自転車の後輪を回していたら、指が車輪のスポークに絡まり、手の甲が泥除けにぐさりと突き刺さってしまった。「へ」の字をしているのは泥除けの形が「へ」の字だったから。幼稚園の頃の話だ。 右手の薬指の付け根から手のくるぶし(豆状骨)にかけては長い傷跡。16針縫った。中学1年生の時だ。自転車通学の帰り道、夕立に遭った。下を向いて猛スピードで自転車を漕いでいたが、通りの角を曲がった時に、向かい側から来た他の自転車と正面衝突しそうに。かろうじてすれ違い、すれ違いざま、お互い「大丈夫?」と訊いたが、何事も無かったと思ったので、「大丈夫だよ〜」と言って引き続き自転車を漕ぎ始めた。右手が妙に生暖かい。ふと、右手を見てみると、ぱっくりと割れていて、動脈や脂肪細胞がむき出しになっているのが見えた。だらだらと血が流れていたので、生暖かったのだ。Teenagerの頃はこの傷が赤く目立ち、いつも右手を隠していたっけ。 左手手首にはケロイド状のすり傷跡が。高校生の頃、タックルの練習によりすりむけ、さらにすりむけて、ケロイド状の傷跡になってしまった。実は、ラグビー由来の傷はこの傷だけではなくて、体中に広がる。スパイク・シューズのポイントで蹴られた引掻き傷や擦り傷が体中に。いくつあるのか、自分でもわからない。特に、背中は自分では見えないので、どうなっているのか判らないが、機会があったら、いくつの傷があるのか、教えて欲しい。 左の足の付け根にはヘルニア手術跡。4歳くらいだったかな、川崎の病院に入院した。入院中、雹が降ったのを覚えている。手術室に入って、麻酔のマスクをかけられたのも覚えている。怖かったなぁ。 右足のすねの部分には500円玉くらいの大きさのガングリオン(結節種)が。 中学生の頃、体育の授業中、サッカーボールを蹴る代わりに、ネットに張られているワイヤーを誤って蹴ってしまって出来たガングリオン。このガングリオン、別に悪さをするわけでもないので、大事にとってある。 傷跡ではないのだけれど、 両方の掌の指の付け根には万年たこ。小学生の頃に通っていた剣道道場での竹刀によって出来た万年たこ。デートで手を握って歩いていたら、「さんちゃんの手、痛い...」と言われて嫌がられた。それ以来、何度も何度もむしり取ったが、いつの間にか再生してしまう万年たこ。 こんなところですかね、私の傷自慢は。皆さんの傷跡自慢もお待ちしています。 |
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普段「歳をとったなぁ〜」と感じることは滅多になく、のほほ〜んと暮らしていますが、時にはやはり「歳をとったなぁ〜」と感じることがあります。 例えば、鼻毛に白髪が混じっていた時。これにはびっくりしてしまいました。歳をとってくると、やけに鼻毛の伸びが速いようですが、それに加えて、白髪の鼻毛が混じってきて本当にびっくりしています。 頭髪の白髪は30代の後半から混じるようになったようですが、別に気にもしていないので、白髪が増えようが増えまいが、それほど「歳をとったなぁ〜」と感じることはありません。髪の毛は細いですが、多いようで、幸いなことに、頭頂部も生え際もそれほど衰えているわけではないようなので、髪の毛からは「歳をとったなぁ〜」と感じることはありません。 よく筋肉痛が翌日ではなくて、二日後にきて「歳をとったなぁ〜」と感じるという話を聞きますが、幸いなことに、今でも筋肉痛は翌日にきます。もっとも、最近は筋肉痛になるほどの運動をしていませんので、本当のことはどうか判りません。 先日、サイトからTerranoraへ自転車で駆け上がってきましたが、一週間が経過するのに、いまだに筋肉痛が無いのです。もしかしたら、筋肉痛になる筋肉がなくなってしまったのかも...と心配ではあります。 食欲は以前にも増してあります。以前にも増して良く眠れますので、睡眠欲も劣っていないようです。あまり関係ないのですが、四角いお尻は今でも自慢です。 性欲は...ご想像にお任せします。 若者の文化や言語が判らずに「歳をとったなぁ〜」と感じることはありません。 文化や言語はそういうものだと思っているからでしょうか。先日、Playstation 3の付属部品、Moveを購入しましたが、いまだにミニには勝つことができます。 もっとも、9歳の子供相手に勝って、大喜びしているオトナは「オトナゲない」と言います。ミニは私に負けて悔しいようで、なみだ目になることもあります。 一時、TVを見ると、5分で眠ってしまうという時期がありました。当時は「歳をとったなぁ〜」と思ったものですが、最近はそんなことも無いので、あの時期は単に疲れていたのでしょう。 物忘れが激しいのは、何も歳をとったからではなくて、私は昔から忘れが激しいのです。包丁を持ちながら、包丁は何処だと探したり、車のKeyを持ちながら、車のKeyは何処だと探すのは、日常茶飯事のことなのです。 先日、新しいPCにファイルを移し変えていたら...移住したばかりの頃の自分の画像が出てきました。「お〜、なんて若いんだ!!!」と叫んでしまいました。 時の流れは誰にも平等に訪れます。平等に訪れると判っていても、北半球の皆様に比べたら南半球の私はしわしわです。これは、私に限らず、南半球に居住する者の宿命ともいえましょうか。 皆様の年寄り自慢をお待ちしております。 |





