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凸凹日本紀行記の番外編。旅行中書き溜めておいたミニが言った可笑しな語録。
Hi Dad, are you sure Japan is facing shortage of power supply? (父さん、日本は電力が不足しているって本当?) 成田空港から日暮里へ向かうスカイライナーから外を眺めながら言った言葉。その前にも、成田空港のサテライトから税関へ向かう途中の動く歩道を見て、電力不足なのに何でこんなものがあるの?と訊いてきた。 I think (there are) more vending machines than people in Japan.... (日本には人の数より多くの自動販売機がありそうだよ...) 到着翌日、実家の近所を散歩していてつぶやいた言葉。こちらでは自動販売機は、スーパーマーケットのレジ横など限れれた場所にしか置いてないため。 Why so many people are wearing funny mask? (どうして、皆、へんなマスクをしているの?) かなり多くの人々が白いマスクをして歩いてるのには、私もびっくり。原発事故があったから、仕方がないのか...オーストラリア入国の際のパスポートコントロールでも、マスクをはずさなかった日本人女性が、係員にマスクを下げるように言われていたが、係員は随分慣れているようだった。かなり多くの日本人がマスクをしたままパスポートコントロールを抜けようとするのだろう。 I couldn't find light switch in the toilet, where is it? (トイレのスイッチが見つからないよ、どこにあるの?) こちらのトイレのスイッチはトイレの内側に付いているため。私も実家のトイレの便座に座った後、ドアを開けて外のスイッチを入れること数回、全く間抜けである。何故、日本のトイレのスイッチはトイレの外側に付いてるのかを妹に聞いてみたが、明確な回答は得られず。 Japanese toilet cubicles are always full, aren't they. (日本のトイレはいつも満杯だね) 新幹線の駅の公衆トイレから出て来た時に言った言葉。こちらでは未使用のトイレのドアは開いているので、使用中か未使用かがすぐに判る。ミニは、全てのトイレが使用中だと思い、個室から人が出てくるのを待っていたらしい。我が家も含めてこちらの多くの家庭ではトイレは開けっ放しで、それが未使用のサインであるから、日本でもミニの入った後のトイレのドアはいつも開け放たれていた。 I thought Momo used toilet just before I used! (ももがトイレを使ったばかりだと思ったよ!) トイレの便器が暖かかったことについて。いとこのももが入った直後に使ったのかと思ったらしい。ここでも、日本は本当に電力不足なの?と訊いてきた。 Look Dad!, I cannot believe he is playing DS while driving on highway!!!! (父さん!高速道路をDS(ゲーム)しながら運転しているよ!) ディズニーランドへ行く途中の湾岸線で、リムジンバスの隣の車線を走っていた運送会社のトラックドライバーが、運転しながらゲーム(ニンテンドーDS)をしていた。「ケータイかもよ」、と言ったら「絶対にDSだよ!ボタンがDSのボタンだもの!」と言い切った。 Why everyone is screaming Rashai! Rashai! at evening? (どうして夕方になると皆「らっしゃい、らっしゃい!」って叫ぶの?) あは、確かに。他にもタクシーを降りてから、ドアを手で閉めようとしたミニを下がらせたり、階段の無い駅のエスカレターで二人並んでいたら怒られたり(これは私が悪いのだけれども)。車道と歩道の区別が無い住宅地にある実家の周りを歩く時は、本当に怖がっていた。こちらでは、路肩の無い車道を歩くという習慣が無い。鳥羽水族館では、エレベーターから降りた後しばらく「地面が動いている!」と叫び続けていた。エレベーターに乗ったのは生まれてこのかた数えるほどなのだ。 ちなみに一番美味しかった飲み物は... 一番美味しかった食べ物は... 一番楽しかった所は... 一番嬉しかったことは... だったそうです。 |
(連載)凸凹日本紀行(2012)
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私は、20年以上前の23歳の時に、家出同然で日本を出た。その後、私は、私自身の判断で、私自身の生活をここオーストラリアで確立するために、あえて「日本」という国を切り離して、オーストラリアに国籍を移した。こうして振り返ってみると、常にあるのは、私、私、私...私自身のことだけである。また、普段の生活で、母に電話をする機会は、一年を通じて、2、3回である。
そんな私が、偉そうなことを言える立場では無いことは十分承知しているのだが、たとえ「日本」という国を切り離したとしても、「日本」の家族、友人、そして、日本で生まれて、23歳まで暮らしていたという過去までを切り捨てたわけではない。 言い換えれば... 生きていくうえで、過去は過去、大切なのは今現在の自分自身の生活、という踏ん切りがついたから、オーストラリア国籍を取得したのであって、オーストラリアに国籍を移したからといっても、私という人間はそのままで、何も変わっていないのだ。だからこそ、間が開いてはいるものの、日本へは定期的に行きたいと思うのだし、今、こうして日本語で自分の気持ちを打ち明けたりすることもできるのだ。 実は、実家の母には、オーストラリアに国籍を移したことを知らせていない。母にとって、息子は海外で暮らしてはいるものの、日本人であるというのが唯一の望みの綱であることを知っているので、あえて知らせる必要は無いと考えるのだ。 この連載に記載していることは、ミニの父親としての私、そして、母の息子としての私が思ったことで、ミニと私の訪問を、母が実際にどう感じたのかは、私には判らない。判らないが、私の中では何とかしなければという気持ちがあったことは確かだし、あったからこそ、楽しみにしていた山梨のU松さん訪問をキャンセルし、ミニにも自分の気持ちを話して悟らせたのだ。
幸いなことに、ミニと彼のいとこ達は、子供同士ということもあって、旅行の後半には心を通じ合わせることができた。これは、今後の彼の人生にとって、大切な思い出になるであろうし、彼のいとこ達にとっても、大切な思い出になるであろう。 一方の母であるが... ミニに私の心配を話して聞かせた甲斐があって、最後の数日は彼なりに母とコミュニケーションをとる努力はしていたようだ。ほんの些細なことではあったが、私にもその違いが感じ取ることができたので、きっと母にも感じられたはずだ。いや、母にも感じられたことを願わずにはいられない。色々と心配もしたけれども、母には、ミニも私も、遠い国ではあるが、元気で暮らしているということを、理解してもらえたのではないだろうか。 さぁ、ミニ、おうちへ帰ろう。次の凸凹旅行は、いつになることやら。でも、ひとつ判っただろ、君のことを思ってくれる人たちが、この国にもいるってことを。遠く離れていても、思ってくれる人たちがいるってことが。父さんは、あえて遠い国で一人で生きてゆくことを決めたけれども、一人で生きていても、やっぱりどこかで誰かが思ってくれていると思えることは、とても心強いものさ。この先、君もきっと一人で生きてゆくことになるんだよ。 でもな、ミニ... 一人で生きていても、誰かがどこかで、君のことを思ってくれているんだよ。そんなことを、この旅行から感じてもらえたら、父さんはとても幸せというものさ。 |
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週末は、妹の子供達の学校も休みなので、何も予定を入れず妹家族と過ごすことにしていた。土曜日は残念ながら土砂降りの雨ではあったが、妹の機転で、横浜のこども科学館で楽しい時間を過ごすことができた。妹は三児の母であるとともに小学校の教諭でもあり、子供達の要求を読むことに長けている。この横浜のこども科学館、従来の展示型の博物館/科学館とは異なり、体験することによって科学を学ぶことをできるという大変優れた科学館で、今後、日本にもこのような体験型の博物館/科学館/美術館が増えてゆくであろう。
Mathematics, the only true universal language とはCarl Saganの小説Contactからの有名なQuotes(引用)であるが、サイエンスには言葉は要らない。大勢の子供達で賑わっていたが、ミニもこれらたくさんの日本人の子供達に混じり、サイエンスを題材にした遊具を楽しむことができた。一度きっかけができれば、あとは子供達同士のことである。土曜日の晩、ミニは寝泊りしていた実家に帰りたがらなかったので、妹の家に泊らせてもらうことにした。 これは妹から聞いた話ではあるが、翌朝、私が実家にシャワーを浴びに帰っている間、子供達は、その日にしたいことを、壁のホワイトボードに描き合いながらコミュニケーションを図っていたそうだ。それはまるでゲームのピクショナリーのようで、子供達もさることながら、見ていた妹も本当に面白かったそうだ。 日曜日は一転して好天の日和、近くの「それいゆの丘」という屋外型の遊技場に連れていってもらった。人工芝を使ったそり、ゴーカート、プールに浮かべたビニール玉に入って遊ぶ遊技...子供達の間には、もはや「言葉の壁」などというものは存在しないようで、私も妹と一緒にのんびりと子供達の後を付いて歩くことができた。半日があっという間に過ぎてしまった。 翌日、妹の子供達には学校があるので、夕方、ミニと私は早々に母と共に実家へと舞い戻った。しばらくすると、妹から電話が。ミニのいとこ達からの伝言として、 今回は前回(6年前)より楽しく過ごすことができたよ、また近々遊びにきてね ということであった。旅の目標の半分は達成できたようだ。 残る気がかりは... 母である。 |
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Hiya, Mini, did you enjoy at Tokyo Disneyland?
(おい、ミニ、ディズニーランドは楽しかったかい?)
Yah, dad, it was fantastic, could we go back there again?
(うん、とうさん、とっても楽しかったよ、また行ける?) Yah, but not during this trip, though. By the way, do you think Oba-chan also enjoyed with us?
(もちろん、でも、次回にね。ところでミニ、おばあちゃんも楽しめたと思う?) Don't know...
(判んないよ...) I'm not sure either. But, she looked a bit sad, didn't she? Do you think why she looked sad?
(実は父さんも判らないんだよ。でもさ、おばあちゃん、なんだかつまらなさそうではなかったかい?ミニはそう思わなかった?) Don't know...
(判んないよ...) I think she looked sad because she might feel she was alone. Do you remember we always walked together, and she only followed us?
(父さんはさ、おばあちゃんは寂しかったんじゃないかなって思うんだな。だって、ミニと父さんはいつも一緒に歩いてて、おばあちゃんはいつも我々の後ろを付いていたろ?) Yah, Dad, but I don't understand why she become to sad....
(うん、とうさん...でもさ、それでなんで寂しくなるの?) I'm not saying she was sad because of you. But, just think about it. Have you ever tried to understand what she said to you? Have you ever tried to communicate with her? I really understand it's not easy, but have you ever done it?
(ミニのせいでおばあちゃんが寂しくなったといっているわけではないよ。でもさ、良く考えてごらん。ミニはおばあちゃんの言っていることを理解しようと思ったかい?おばあちゃんと会話しようと思ったかい?簡単ではないことは十分判っているよ。でも、今回、おばあちゃんとお話しようと思った事があるかい?)
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(.....)
Look mini, we have only a couple of days with her before going back to the country. I just would like to ask you a bit of effort.. tiny whinny effort... to communicate with her. Just try to listen what she says, just try to understand what she says.... that's only I'm asking for...
(ミニ、あと数日したら、ミニも父さんも国に帰ってしまうんだよ。父さんはさ、ミニにちょっとだけの努力を頼みたいんだよ。ほんのちょっとだけ...ほんのちょっとだけおばあちゃんが何を言っているのかを理解する努力を頼みたいんだよ。) I'll try Dad....
(判ったよ、父さん...) Yup, Mini, just try, that will make a lot of differences, you know.
(うん、ミニ、ミニの努力がさ、おばあちゃんを嬉しくさせるんだよ。) Ok Dad.... I'll try.....
(判ったよ、父さん...) |
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今回の旅行に先立ち、母は孫達を東京ディズニーランド(TDL)へ連れて行くことをとても楽しみにしていたようだ。本当は、妹の3人の子供達も連れて行きたかったらしく、姪甥達にもTDLへ行く事を約束してしまったらしいのが、平日は子供達に学校があるし、週末の混雑に子供達が耐えられるとは思えず、妹によってあえなく却下、それで平日の木曜日にミニと私と母の三人で行くようになったという経緯がある。
さて、日本語が全く理解できないミニであるが、旅行も中盤に差し掛かったところで、ホームシックに近い状態になってしまったようだ。ホームシックというよりか、英語シックとでも言おうか、周りは日本語ばかりなので、自分の言語である英語が恋しくなってしまったようだ。 おかしなもので、6年前に訪れた時は、英語を恋しがることは無かった。6年前も今回同様、日本語が全く理解できなかったのだが、それでも周りの人々に、お構い無しに自国語の英語で喋っていた。それが今回の旅行では、英語を話せない事にストレスを感じているようであった。
最近のミニは、ティーンエージャーの入り口に差し掛かり、口数が極端に減っているし、私と一緒に外出する事を好まない。しかし、今回の旅行でミニの唯一の命綱は、父親である私である。英語を喋ることのできる私への依存度が高くなり、私の傍から離れたがらなくなった。
一方、私の母であるが、ミニが生まれて以来、英語の勉強を続けているらしい。それはとても素敵なことで、尊敬すべきことなのだが、ミニはまだ10歳、母の努力を理解できる年齢ではないのだ。ミニがもう少しオトナであれば、母のつたない英語を理解しようと努力するのだろうし、前回、6年前に訪れた時のように、もう少し幼ければ、理解していようがしまいがある程度コミュニケーションもできるのだろう。しかし、今回は、年齢的に中途半端であったようだ。母の喋る事が全く理解できないので、結果的に母を避けるようになってしまった。
今回、母との外出中、ミニは私の傍を離れず、結果、ミニと私の二人が先を歩き、母がその後を付くという構図が出来上がってしまった。残念ながら、私は男親でミニは男の子なのである。もし、私が女親で、同性の母親と歩いてるのなら話が異なったのであろうし、また、もし、ミニが女の子であっても話が異なったであろう。だから私は、男の子は本当につまらない、と常々思うのだ。自分がそのつまらない男の子だから、良く判るのだ。
TDLからの帰りの電車では、母はミニと私から少し遠い所に独りでポツリと座っていた。私のところからは、母の肩しか見えなかったのだが、その肩がやけにくたびれているように見えた。これは何とかしなければ...帰宅後、寝る前に、私はミニに話しかけた。
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