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お彼岸 (甘露の法雨)

聖経「甘露の法雨」
 
 
或る日天使(てんのつかい)生長の家に来たりて歌ひ給(たま)ふー
 
創造(さうざう)の神は、
五感を超越している 
六感を超越している
聖(せい)
至上
無限
宇宙を貫く心
宇宙を貫く生命
宇宙を貫く法則
真理
光明
知恵
絶対の愛
これらは大生命ー
絶対の神の眞性にして神があらはるれば乃(すなわち)ち善となり、
義となり、
慈悲となり、
調和おのづから備わり一切の生物處(ところ)を得て争うものなく、
相食(あいはむ)ものなく、
病むものなく、
苦しむものなく、
乏しきものなし。
 
神こそ「すべ」てにましまして絶対なるが故に、
神の外(そと)にあるものなし神は実在のすべてを蔽(おお)ふ。
存在するものにして
神によって造られざるものなし。
神が一切のものを造りたまふや
粘土を用ひ給はず、
木材を用ひ給はず
槌(つち)を用(もち)ひたまはず、
如何なる道具も材料も用ひ給はず、
ただ「心」をもって造りたまふ
「心」はすべての造り主
「心」は宇宙に満つる実質
「心」こそ「全能」の神にして遍在したまふこの全能なる神、
完全なる神の
「心」動き出てコトバとなれば一切の現象展開して萬物成る。
萬物はこれ神の心、
萬物はこれ神のコトバすべてはこれ霊、
すべてはこれ心、
物質にて成るもの一つもなし。
物質はただ心の影、
影を見て実在と見るものはこれ迷い。
汝ら心して迷いに捉はれる々こと勿れ。
汝ら「実在」は永遠にして滅ぶることなし。「迷い」は須臾(しゆゆ)にして忽(たちま)ち破砕す
「実在」は実在にして苦悩(くるしみ)なし
「迷い」は捉(とら)われの相(すがた)にして苦患(くげん)多し。
「実在」は真理
「迷い」は假相(かりのすがた)
実在は五官を超越し
第六感さへも超越して人々の感覺に映ずることなし。
 
 
 
 
感覚はこれ信念の影を視るに過ぎず。
汝ら霊眼を備えて霊姿を視るとも
実在を視たるに非ず、感覚にて視得(みう)るものはすべて心の影にして第一義的実在にあらず、霊姿(れいし)に甲乙あり、
病める霊あり、
苦しめる霊あり、
胃袋もあらざるに胃病に苦しめる霊あり、
心臓も有たざるに心臓病にて苦しめる霊あり、
これすべて迷いなり、斬(か)くの如き霊、人によれば
よられたる人或いは胃病を顕し
或いは心臓病を顕す
されど霊覺(れいかく)に映ずるさまざまの苦しめる霊は第一義的実在にあらず、
彼らは誤れる信念によりて
流転せる迷いの影なり迷い迷いて流転せる心は
 
その信念が形となりて假の相(すがた)を現(げん)ずべし
されど如何に相を現ずるとも
假相(かりのすがた)は永遠に假相にして実在となることを得ず
 
汝ら実在にあらざる物を恐るること勿れ、
 
実在にあらざる物を恐るること勿れ、
実在にあらざる物を実在せるが如く扱うこと勿れ。
 
実在にあらざる物には実在をもって相対せよ。
眞にあらざるものには眞をもって相対せよ。
假相に対しては実相を以て相対せよ。
闇に対しては光をもって相対せよ。
非実在を滅するものは実在のほかに在らざるなり。
假相を破るものは実相のほかに在らざるなり。
虚妄(こもう)を壊(え)するものは真理のほかに在らざるなり。
闇の無を証明するめのは光のほかに在らざるなり、
彼らに生命の実相を教えよ。
彼らに生命の実相が神そのものにして完全なる事を教えよ。
神はすべてなるが故に神は作らざるが故に
神のほかに造り主なきが故に
此の世界におかされたる罪もなく
報いらるべき罪もなきことを教えよ
三界の諸霊
三界の諸生命
この真理を観じ
この真理をさとりて、一切苦患(くげん)の源となるべき
顛倒妄想(てんどうもうぞう)をさい破すれば、
天界の諸神ことごとく真理の合唱(コーラス)を雨ふらし
現世(このよ)の生命ことごとく光りを仰ぎ、
惑障(わくしょう)ことごとく消滅し、此世(このよ)はこの儘(まま)にて光明世界を示現(じげん)せん。
 
 
 
物質
 
 
汝ら感覚にてみとむる物質を
実在となすこと勿(なか)れ。物質はものの実質に非ず、
生命に非ず
真理にあらず、
物質そのものには知性(ちしょう)なく
感覚なし
物質は畢竟(ひっきょう)「無」にしてそれ自信の性質あることなし。
これに性質を興(あた)ふるものは「心」にほかならず。
「心」に健康を思へば健康を生じ、
「心」に病を思へば病を生ず。
そのさま(あたか)も映画のスクリーンに
力士を映せば力士を生じ
病人を映せば病人を生ずれども
映画のフィルムそのものは
無色透明にして本来力士も無く
病人も無く
ただ無色透明のフィルム上をおほへる
印画液によりて生じたる色々の模様(くもり)が
或いは力士の姿を現じ或いは病人の姿を現ずるが如し
されど健康なる力士も虚弱なる病人も
印画液の作用によりて生じたる
影にして実在に非ず
汝ら若し活動写真の映写機に
印画液によりて生じたる色々の模様(くもり)なき
無色透明のフィルムをかけて
スクリーンにこれを映写すれば
やがて老(お)いて死すべき健康なる力士もなく
虚弱なる病人は無論なく
ただスクリーンにあるものは光明そのもの
生命そのものにして
かくしゃくとして照(て)り輝(かがや)かん
汝ら今こそ知れ、
汝らの「生命」は健康なる力士の生命以上のものなることを
如何なる健康なる力士も
彼が肉体を実在と観(み)
肉体即(すなは)ち彼なりと観る以上は
彼は滅ぶる者にして眞の「健康」に非ずるなり
眞の「健康」は物質に非ず、肉体に非ず、
眞の「生命」は物質に非ず、肉体に非ず、
眞の「汝そのもの」は物質に非ず、肉体に非ず、
物質の奥に、
肉体の奥に、
霊妙(れいめう)きはまりなく完全なる存在あり。
これこそ神に造られたる儘(まま)の完全なる「汝そのもの」にして、
常住健康永遠不滅なる「生命」なり
汝ら今こそ物質を超越して
汝自信の「生命」の実相を自覚せよ
 
 
 
実在
 
天使また続いて説(と)き給はくー
実在はこれ永遠
実在はこれ病まず、
実在はこれ老いず、
実在はこれ死せず、
この真理を知ることを道を知ると云ふ
実在は宇宙に満ちてかけざるが故に道と云ふ道は神と倶(とも)にあり
神こそ道なり、実在なり、
実在を知り、実在に住るものは、
消滅を超越して
常住円相なり、
 
生命は生を知って死を知らず、
生命は実在の又の名、実在は始めなく終わりなく、
滅びなく、死なきが故に、
生命も亦始めなく、終わりなく、
亡びなく、死滅なし。生命は時間の尺度のうちにあらず
老朽の尺度のうちにあらず、
却(かへ)って時間は生命の掌中(しやうちゆう)にあり、
これをにぎれば一点となり
これを開けば無窮(むきゆう)となる、
若しと思う者は忽ち若返り、
老いたりと思う者は忽ち老い朽(く)つるも宜(むべ)なるかな、
空間も亦(また)決して生命を限定(かぎ)るものにはあらず空間は却(かへ)って生命の造りたる「認識の形式」にすぎず、
生命は主にして空間は従なり、
空間の上に投影されたる
生命の放射せる観念の紋(あや)
これを称して物質と云ふ
物質は本来無にして
自性なく力なし。
これに性質あり、
亦生命を支配する力あるかの如き観を呈(てい)するは、
生命が「認識の形式」を通過する際に起こしたる「歪み」なり、
汝ら、この「歪み」に捉われることなく、
生命の実相を正観せよ。
生命の実相を知る者は
因縁を超越して生命本来の歪みなき円相的自由を獲得(かくとく)せん
 
 
 
知恵
 
知恵はこれ本来神のひかり
実在に伴う円相的光なり
それは無量光、無偏光(むへんこう)にして局限(かぎり)なし、
局限(かぎり)なきが故に
一切のものに満ちて
一切のものを照らし給ふ
人間は光の子にして常に光の中にあれば
暗(くら)きを知らず、
つまづきを知らず
さはりを知らず
かの天人が天界を遊行するが如く
また海魚(かいぎょ)が水中を遊泳ずるが如く
光の世界に光に満たされ法悦に満たされて遊行す。
知恵はこれ悟りの光にして、
無明(まよい)の暗(やみ)を照破(せうは)する真理なり。
真理のみ実在、
無明(むみやう)はただ悟らざる真理にして
これをたとえば悪夢の如し。
汝ら悪夢を観ることなかれ。
悟れば忽ち此の世界は光明楽土となり
人間は光明生命なる実相を顕現せん
 
神は無量光、無偏光の知恵
かぎりなき善
かぎりなき生命
一切のものの実質
また一切のものの創造主
されば神は一切所に偏在し給ふ
神は偏在(へんざい)する実質且(か)つ創造主(つくりぬし)なるが故に
善のみ唯一の力
善のみ唯一の生命
善のみ唯一の実在、
されば善ならざる力は決して在ることなし、善ならざる生命も決して在ることなし、
善ならざる実在も亦決して在ることなし。
善ならざる力即ち不幸を来す力は畢竟悪夢(ひっきょうあくむ)に過ぎず。
善ならざる生命即ち病は畢竟悪夢に過ぎず。すべて不調和不完全は畢竟悪夢に過ぎず。
病気、不幸、不調和、不完全に積極的力を興へたるは吾らの悪夢にして、
吾らが夢中に悪魔におさえられて苦しめども覺(さ)めて観れば現実に何ら吾らをおさえる力はなく
吾と吾が心にて胸をおさえるが如し
まことや、悪の力
吾らの生命を抑える力吾らを苦しむ力は
真に客観的に実在する力にはあらず。
吾が心がみづから描きし夢によって
吾と吾が心を苦しむに過ぎず。
佛(ほとけ)の道ではこれを無明(まよい)と云ひ
神の道ではこれを罪と云う
完全円満の実相をさとらざるが故に無明と云う
完全円満の生命の実相を包みて顕現せしめざる
が故に罪けがれと云う
 
 
 
 
無明(まよい)
 
 
かく天使(てんのつかい)生長の家にて歌ひたまふ時、
一人の天の童子あらはれて問ひを設けて云ふ。
「願はくは人々のために、人々のさとりのために、無明の本質を明らかになしたまへ」と。
天使答へて云ふー
無明はあらざるものをありと想像するが故に無明なり。
真相を知らざるを迷いと云ふ。
快苦は本来物質の内に在らざるに、
物質の内に快苦ありとなして
或は之(これ)を追ひ求め、
或は之より逃げまどふかかる顛倒妄想(てんだうまうざう)を迷いと云ふ。
生命(せいめい)は本来物質のうちにあらざるに
物質の内に生命ありとなす妄想を迷いと云ふ本来物質は心の内にあり
心は物質の主にして、
物質の性質形態はことごとく心の造るところなるにもかかわらず、
心をもって物質に支配さるるものと誤信し
物質の変化に従って
憂苦し懊悩(あうなう)し
われとわが生命の円満完全なる実相を悟ことを得ざるを迷いと云ふ
迷いは真実の反対なるが故に無明なり。
迷いは実在に反するが故に非実在なり。
迷い若し実在するものならば
迷いより生じたる
憂苦も懊悩もまた実在ならん
されど、迷いは実在の虚なるが故に
憂苦も懊悩もただ覺むべき悪夢にして実在には非ざるなり
 
 
 
 
「罪は実在なりや?」とまた重ねて天の童子は問う。
天使(てんのつかい)の答うる声聞こえて曰(いは)く、
すべて真実の実在は、神と神より出でたる物のみなり。
神は完全にして、
神の造りたまいしすべての物も完全なり、
然(しか)らば問わん。汝は罪を以(もつ)て完全となすや?此の時天の童子答えて曰くー
「師よ、罪は完全に非ず」と、
天使また説き給うー
罪は不完全なるが故に実在にあらず、
病は不完全なるが故に実在にあらず
死は不完全なるが故に実在にあらず、
汝ら神の造り給わざるものを実在となすなかれ。
在らざるものを悪夢に描きて恐怖することなかれ
罪と病と死とは
神の所造に非ざるが故に
実在の仮面を被りたれども
非実在なり、虚妄なり我は此の仮面を剥(は)いで
罪と病と死との非実在を明らかにせんが為に来たれるなり
かって釈迦無尼如来(しゃかむににょらい)もこの為に来たれるなり
若し罪が実在ならば
十方の緒仏もこれを消滅すること能わざるなり
イエス・キリストの十字架もこれを消滅する事能わざるなり
されど汝ら幸いなるかな、
罪は非実在にして迷いの影なるが故なり
十方の緒仏も
衆生を摂取してよく罪を消滅したまえり
イエス・キリストも
ただ言葉にて「汝の罪ゆるされたり」と云いてよく罪を消滅したまえり
われもことばにて
「生長の家の歌」を書かしめ
言葉の力にて罪の本質を暴露して
罪をして本来の無に帰帰せしむ
わが言葉を読むものは実在の実相を知るが故に
一切の罪消滅す
わが言葉を読むものは生命の実相を知るが故に
一切の病消滅し
死を越えて永遠に生きん
 
 
 
 
人間
 
 
吾は「真理」なり、「真理」より遣(つか)はされたる天使(てんのつかい)なり。「真理」より照りがやく「光」なり、
迷いを照破する「光」なり。
吾は「道」なり、
吾が言葉を行ふものは道にそむかず。
吾は生命なり
吾に汲む者は病まず死せず。
吾は救なり、
吾に頼む者はことごとくこれを摂取(せっしゅ)して実相の国土に住せしむ。
 
天使(てんのつかい)かくの如く説き給へば
天の童子また重ねて問ふ
「師よ、人間の本質を明らかになし給へ」
天使答へたまはくー
人間は物質に非ず
肉体に非ず、
脳髄細胞に非ず、
神経細胞に非ず、
血球に非ず、
血清に非ず、
筋肉細胞に非ず。
それらすべてを組み合わせたるものにも非ず。
汝ら、よく人間の実相を悟るべし、
 
人間は霊なり
生命なり、
不死なり。
神は人間の光源(ひかりのみなもと)にして人間は神より出でたる光なり。
光の無き光源(こうげん)はなく、光源の無き光はなし
光と光源とは一體なるが如く
人間と神とは一體なり神は霊なるが故に
人間も亦霊なるなり神は愛なるが故に人間も亦愛なるなり。
 
神は知恵なるが故に
人間も亦知恵なるなり。
霊は物質の性に非ず、愛は物質の性に非ず、知恵は物質の性に非ず、
されば、
霊なる愛なる知恵なる人間は、
物質に何ら関はるところなし。
 
まことの人間は、
霊なるが故に、
愛なるが故に、
知恵なるが故に、
生命なるが故に、
罪ををかすこと能(あた)はず、
病にかかること能はず、
死滅すること能はず、罪も、
病も、
死も、
畢竟(ひっきょう)汝らの悪夢に過ぎず。
 
汝ら生命の実相を自覚せよ。
汝らの実相たる「眞性の人間」を自覚せよ。「眞性の人間」は神人(しんじん)にして
神そのままの姿なり。滅ぶるものは「眞性の人間」に非ず。
罪ををかすものは「眞性の人間」に非ず。
病に羅(かか)るものは「眞性の人間」にあらず。
 
地上の人間よ、
われ汝らに告ぐ、
汝ら自身の本性を自覚せよ。
汝ら自身は「眞性の人間」にして、
そのほかの如何なるものにも非ず。
されば人間は真理の眼より見る時は
罪ををかす事能(あた)はざるものなり
病に羅(かか)る事能はざるものなり、
滅ぶること能はざるものなり。
 
誰か云う「罪人よ、罪人よ」と
神は罪人を造り給はざるが故に
この世に一人の罪人もあらず。
罪は神の子の本性に反す。
病は生命其自身の本性に反す、
死は生命其自身の本性に反す、
罪と病と死とは、
畢竟存在(ひっきやう)せざるものを夢中に描ける妄想(まよひのかげ)に過ぎず。
 
実相の世界に於いては神と人とは一體(たい)なり、神は光源にして
人間は神より出でたる光なり。
罪と病と死とが
実在すると云う悪夢を人間に見せしむる根本妄想は、
古くは、
人間は塵(ちり)にて造られたりと云ふ神学なり。
近くは、
人間は物質にて造られたりと云ふ近代科学なり。
これらは人間を罪と病と死との妄想(まうざう)に導く最初の夢なり。
 
この最初の夢を摧破(さい)はするときは
罪と病と死との
根本原因は摧破せられて
その本来の無に帰するなり。
 
汝ら「生長の家」を読んで真理を知り病の癒ゆるは
この最初の夢の摧破せらるるが故なり。
最初の夢無ければ
次の夢なし。
悉(ことごと)く夢なければ本来人間清浄なるが故に
 
罪ををかさんと欲するも
罪ををかすこと能はず、
悉く夢なければ自性無病なるが故に
病に羅らんと欲するも病に羅ること能はず、
悉く夢なければ本来永生(ほんらいかぎりなきいのち)なるが故に死滅すること能はず。
されば地上の人間よ
心をつくして自己の霊なる本體(ほんたい)を求めよ、
これを夢と妄想との産物なる物質と肉体とに求むること勿れ。
 
キリストは
「神の国は汝らの内にあり」と云ひ給えり。誠に誠にわれ汝らに告げん。
「汝らの内」とは汝ら「人間の自性」なり、「眞の人間」なり
「汝らの内」即ち「自性」は神人なるが故に「汝らの内」にのみ神の国はあるなり。
外にこれを追ひ求むる者は夢を追ひて走る者にして
永遠に神の国を得る事能はず。
物質に神の国を追ひ求むる者は
夢を追うて走る者にして
永遠に神の国を建つる事能はず。
 
キリストは又云ひ給へり、
「吾が国は此の世の国にあらず」と
此の世の国は唯影(ただかげ)にすぎざるなり
常楽(じやうらく)の国土は内にのみあり、
内に常楽の国土を自覚してのみ
外に常楽の国土は其の映しとして顕現せん
内に無限健康の生命を自覚してのみ外に肉体の無限健康は其の映しとして顕現せん、
 
人間の五官はただ「映しの世界」を見るに過ぎず。
「映しの世界」を浄(きよ)めんと欲すれば心の原版(げんばん)を浄めて
迷いの汚点を除(のぞ)かざるべからず。
われ誠に物質の世界の虚(むな)しきを見たり
物質の世界が影に過ぎさることを見たり。
われはまた人間が神より放射されたる光なる事を見たり。
肉体はただ心の影なる事実を見たり。
 
汝ら、物質は移りかはる影にすぎざること
あたかも走馬灯(そうまとう)に走る馬の如し。
されば、影を見て実在となすことなかれ
 
人間眞性(にんげんそのもの)はこれ神人なり、永遠不壊不滅(えいえんふえふめつ)の霊體(れいたい)にして
物質をもって造り固めたる機械にあらず、
また物質が先ず存してそれに霊が宿りたれものにもあらず、
かくの如き二元論は悉く誤れり。
物質は却ってこれ霊の影、心の産物なること、
 
あたかも繭(まゆ)が先ず存在して蠶(かいこ)がその中に宿るには非ずして、
蠶が先(ま)づ絲(いと)を吐(は)きて繭を作り
繭の中にみづから蠶が宿るが如し。
 
人間の眞性は先ず霊なる生命にして
心の絲(いと)を組み合わせて肉体の繭(まゆ)を造り
その繭の中にわれとわが霊を宿らせて、
はじめて霊(ことば)は肉体となるなり。
 
汝ら明らかに知れ、繭(まゆ)は蠶(かいこ)に非ずかいこ
然らば肉体は人間に非ずして、
人間の繭に過ぎさるなり。
 
時来たらば蠶(かいこ)が繭(まゆ)を食(く)ひ破(やぶ)って羽化登仙(うかとうせん)するが如く、
人間もまた肉体の繭を食ひ破って霊界に昇天せん。
 
汝ら決して肉体の死滅をもって人間の死となす勿(なか)れ。
人間は生命なるが故に常に死を知らず。
想念(こころ)に従い
時に従い
必要に従ひて
肉体と境遇とに様々の状態を顕(あらは)せども、
生命そのものは病に非ず、
生命そのものは死するに非ず、
 
想念(こころ)を変ふることによって
よく汝らの健康と境遇とを変ふること自在なり。
されど汝ら、
つひに生命は肉体の繭(まゆ)を必要とせざる時到らん。
かくの如きとき、
生命は肉体の繭を食ひ破って
一層自在の境地に天翔(あまかけ)らん。
これをもって人間の死となすなかれ。
人間の本體は生命なるが故に
常に死することあらざるなり。
 
 
 
ー かく天使(てんのつかい)語り給ふとき、
虚空(こくう)には微妙の天楽(てんがく)の声聞こえ
葩(はなびら)は何處(いずこ)よりともなく雨ふりて、
天の使い説き給へる真理をば
さながらたたふるものの如くなりき。
 
 
 
(聖経終)せいきょうおはり
 
願はくは此の功徳(くどく)を以て普(あまねく)く一切に及ぼし、
我等と衆生と皆ともに実相を成(じょ)ぜんことを。

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