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鬼平のルーツ、焼津・藤枝@地元の史跡めぐり
鬼平犯科帳の長谷川平蔵のルーツは、焼津・藤枝にあった。
鬼平犯科帳(著:池波正太郎)の長谷川平蔵は実在の人物。
池波正太郎好きが嵩じ、焼津・藤枝に至る。 長谷川一族は、中臣鎌足の流れを汲む藤原秀郷(下総)を祖とする。
その子孫は、関東の荘園の役人であった。 その後、子孫は長谷(奈良県桜井市、牡丹で有名な長谷寺がある処) 移り住んだ。そして、その地で長谷川と改姓。 そして時代は長重の代となり、長重の娘は、
駿河の加納義久の三男正宣を養子として迎えた。
以後、今川家の家来となり、焼津の小川(こがわ)に住み。、
その後、藤枝の徳一色城(現:田中城)に移り住む。 (脱線:元プロサッカー選手 名波浩は同校OB) 長谷川氏は今川の家来であったが、今川義元が 桶狭間で織田信長に敗れて、
主人を徳川家康に変える。 家康に従い三方が原の戦い(1573年)参加。 その戦いで長谷川正長が戦死。 その正長の次男宣次(のぶつぐ)が分家し、 鬼の平蔵の祖となる。鬼平はその8代目。 おまけ
木屋川と紀伊国文左衛門 大井川水系の栃山川から分流(藤枝市大州)し、
焼津の小川(こがわ)港に流れる木屋川。
この川の成り立ちは、江戸時代中期に紀伊国屋文左衛門が、 上野寛永寺の根本中堂の建立に必要な木材を大井川上流域 から江戸へ運ぶため、大井川水系から焼津小川(こがわ)港まで 文左衛門は紀州みかんを江戸に運搬し富を築いた後、 江戸八丁堀で材木商を営んだらしい。その後 深川木場を火災で焼失、材木屋は廃業したらしい。 (参考資料:発行2012年6月岡部を恋うる会、史跡めぐり他)
(参考資料:静岡県交通基盤部河川砂防局河川企画課HP) 追伸
地元の郷土博物館の無料ガイドを勤めて1年。都合により 3月末でガイド役を自主廃業。 その間、多くの歴史好きの方々に接した。 皆さん歴史に詳しく勉強になった。
本稿は、その中で見聞したことを、纏めた。
字数だけ多く失礼しました。
最後まで、お読み頂き有難うございました。
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地元の史跡巡り
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国鉄遺産@藤枝市
地元藤枝には国鉄遺産が二つある。
今回は、その国鉄遺産の紹介。
私は、鉄道オタクでは無い、敢えて言えば「軽度の乗り鉄」
一方、地元の歴史遺産には少々興味有り。 今回は、地元の二つの国鉄(歴史)遺産の紹介。 一つ目は、JR藤枝駅の1番ホーム上の煉瓦造り油倉庫
建設年月は明治22年(1869年)4月。143年前の建物 ネットで確認すると、同倉庫はランプ用の灯油保管庫として建設。
昔は、各駅で同様の倉庫があったらしい。 東北本線の栃木県内の4駅でも、同様の倉庫が現存
東海道本線で現存するのは、藤枝駅。
この建物は、長年にわたり、藤枝駅で多くの乗降客を見送っている。
35年前、大阪から初めて藤枝に赴任した独身の私も、迎えてくれた。 今日も、多くの乗降客を見送り出迎えている事だろう。 二つ目は、新幹線原点のまち藤枝。
私の小学生時代の昭和34〜35年に、新幹線の建設を目指して、 国鉄は藤枝付近で高速度試験を実施。
藤枝駅に停車中の「こだま」車両 昭和35年(1960年)11月に狭軌最高速度175km/hを達成。
場所は、東海道本線の藤枝(上青島地区の線路上)。 注記、狭軌 :在来線のレール間隔1.067m
標準軌:新幹線のレール間隔1.435m 注記は、ウィキペディアから引用 記念碑は、以前は、線路沿いにあったと私は記憶している。
しかし、12年前の六合駅開設に伴い、 新たな記念碑が六合駅前に設置された様だ
記念碑 この最高速度は、上り線の北側に、 テスト用の「第三線」を建設して記録された。
この「第三線」は、新幹線用の枕木、レール、等々で敷設。 現在、上り線として使用され、旧上り線が撤去されている。
それ故、現在の上り線(第三線)と下り線の間隔が広い あとがき: 気分転換で、私のいつもの投稿記事と毛色を変えた。 オヤジギャグ抜きの気分転換・気分転換!!
気分転換で腰痛 痛いの痛いの飛んでけぇ〜
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