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道なき山の斜面を俺は駆け上がる。
壁は元に戻っていて、こちからは入れない仕組みだったらしい。
だから、俺は山の斜面を駆け上がり続けているのだ。
月の傾きが大きくなった頃、学園の見慣れたレンガ造りの壁まで辿り着いた。
脱走するため熟知した壁の一部を、俺は思い切り蹴った。
壁は老朽化でもろくなっており、蹴っただけで崩れるのだ。
急いでなければレンガを元に戻すが、今は緊急事態だ。
崩れて出来た穴から潜りこむと、俺は庭園へ走り出した。
庭園では、オハナさんが元に戻したアシダンセラの中心で佇み、白み始めた空を見つめ
ていた。
オハナさんの全身が透けている。
俺は酷くうろたえ、オハナさんの前へ飛び出した。
オハナさんは、俺の登場に本気で驚いていた。
いつもニコニコしている目が、大きく見開かれている。
まるでゆうれいでも見ているかのような顔付きだ。
俺はアシダンセラを踏まないように、オハナさんへ近付いた。
目が合うと、俺は二ヤリと笑った。
「ど、ど、どうしたんだい?」
「忘れ物をしたんだ」
「えっ?」
意味が解らないらしく、オハナさんはキョトリとしている。
俺は、また一歩オハナさんに近付いた。
「俺に憑いている、ノー天気なゆうれいを置いてきちまった」
手を差し伸べると、オハナさんは大きく見開いたままの目から大粒の涙をこぼした。
その涙が、どんな高価な宝石よりも綺麗に見えた。
オハナさんの家庭環境は、ドラマやマンガでありがちなものだった。
父親は一代で財を成した成り上がり。
母親は落ち目の華族のお嬢様。
2人は出会い、お互いの利害関係が一致して夫婦になった。
父親は自分に足りない地位を手に入れるため。
母親は失った華やかさを取り戻すため。
だから、家族という形態を取っていても全て偽りなのだそうだ。
外では夫婦らしく振舞っても、後は2人とも別々の方向を向いている。
温かみなどない家庭。
財と地位を手に入れた父親の目は、今度オハナさんに向けられた。
父親に逆らうことは許されず、オハナさんは今より厳しい規則で縛られ、当時から有名
進学校だった北斗学園へ放り込まれたそうだ。
「僕はここにくるつもりなど少しもなかった。夢も希望もなかったし、やりたいこともな
かった。父の命令をきくのも嫌いだった。でもしがみつくほど好きな家でもなかったか
ら、僕は学園へきた」
淡々と語るオハナさんは、まだ宙に浮いたままだった。
俺はオハナさんを見上げたまま、ジッと動かずにいた。
学園は家ほど嫌いな場所ではなかったが、興味を惹くほど素晴らしい場所ではなかった
そうだ。退屈で、生きながら死んでいく感覚が毎日、オハナさんを襲っていたそうだ。
その感覚が、俺にはいまいち解らなかった。
「どうすれば逃げ出せるだろう? 父は力を持っていたから、ただ逃げただけでは直ぐに
見つかり学園に逆戻りだ。その方法を考えるだけをしていた僕の前に彼は現れた」
オハナさんの言う彼とは、学園にやってきた修復師。
由緒正しき歴史を持つ学園の建築物を、直しにやってきたそうだ。
彼は自分の仕事の合間に、様々なカラクリを作り生徒たちに喜ばれていた。
勉強と規律と礼儀作法だけを教え込まれる生活に、誰もが窮屈を感じていたからなのだ
ろう。彼の人気は、あっという間に学園中に浸透した。
「そんな彼を、僕は利用することを考えたのさ。僕は父親の理不尽な命令により学園に監
禁された。本当は外でやりたいことがある。そのために、ここを抜け出すのに協力してほ
しいと……迫真の演技で彼に迫ったのさ。彼は一瞬戸惑ったけれど、最後は僕の願いを叶
えてくれると約束してくれた」
その時、実験的に作ったカラクリで地下通路を許可なく作った事を彼はオハナさんだけ
に教えたそうだ。
それを使って逃げればいいとも、教えてくれたそうだ。
どうしてそんなものを作ったのか?
その問いに、彼は子供みたいに笑ったそうだ。
何年か先、誰かが見つけてビックリする姿を思い浮かべるのが楽しいからと答えた。
オハナさんは、呆れたそうだ。だが、彼の素直さを憎む事が出来なかった。
だから、彼の提案を受け入れた。
彼はまだ仕事が残っていて、一緒に行く事は出来ないが、ここを脱出したら彼の家族の
ところに一時的に隠れていいといってくれた。
ただ逃げただけでは、路頭に迷うだけだと、本気で心配してくれた。
オハナさんは、彼の親切を全て利用した。
通路が完成し、彼は扉を隠すようにアシダンセラを植えた。
彼は、この花が一番好きだと教えてくれた。
彼の奥さんに告白の時、贈った花とも教えてくれた。
花を植えたのは、みんなが幸せになってほしいと願ったから。
でも、植えてしまえば使えない。
訴えると、
『君が出て行くときは、私が扉を魔法で開けてあげよう』
彼はそう言ってオハナさんの頭を優しく撫でてくれたそうだ。
オハナさんが、不意に唇を強く噛んだ。
「初めて受けた優しさを、僕は素直に受け取ることができなかった。幸せな彼、疑う事を
しらない彼、僕にないモノ、僕が手に入れることが出来ないモノを、彼は持っていた。僕
は、そんな彼に初めて嫉妬という感情を抱いた。そんな感情を抱いているとは知らない彼
は、僕に言ったのさ。
『アシダンセラの花言葉を知っているかな?』
僕は調べて知っていたが、黙っていた。
『純粋な愛。私より君にピッタリな言葉だ』
恥ずかしげもなく、彼はその言葉を口にした。
その瞬間、僕の中に新たな感情が生まれた。
少しだけ意地悪をする感情だ。
完成した地下通路を使う日どりを、僕は雨の日にした。
大雨の日の方が、捕まりにくいとか、逃げやすいとか、嘘を言ったのさ。
彼は疑わなかった。
固く約束を交わし……僕は行かなかった。
それなのに、彼はずっと待っていた……僕が来るのを雨の中ずっと待っていた……」
オハナさんが、宙から落ちてきた。
そして、力なくしゃがみこんだ。
頭を抱え、搾り出すような声で言ったのだ。
「彼は死んだのさ。元々丈夫な人ではなくてね、雨に濡れすぎると肺炎を起こすからとか
かりつけの医師から強く言われていたそうだ。夏でも、あの日の雨は冷たかった。今でも
覚えているよ、あの冷たさは」
オハナさんの手が震えていた。
辛いのだろうが、俺にはかける言葉が見つからない。
だから、黙り続けていた。
「人の命を儚いという人がいるけれど、僕はそんなのは信じていなかった。でも、それが
本当で、怖くて、僕は学園の寮の部屋に逃げ込んだのさ」
誰にも会わないオハナさん。
それを心配したのは、生徒でも先生でも両親でもなかった。
彼の奥さんだった。
彼は週一で奥さんに手紙を書いていた。
可愛い弟が出来たみたいだ。
奥さんに会わせたい。
きっと、仲良くなれるよ。
素直で優しい、アシダンセラのような少年だ。
「奥さんの見せてくれた手紙にを読んで、僕は胸が苦しくなった。そして、涙が止まらな
かった。僕のくだらない子供っぽい嫉妬が、彼と彼の奥さんの幸せを奪った。それさえ怖
くて告白できない僕を、何も知らない奥さんは励まし続けてくれた」
最後に奥さんは、オハナさんの耳にアシダンセラの花を飾ってくれたそうだ。
『失礼かとおもったけれど、あなたに会ったら絶対にしてあげようと思っていたの。よく
似合うわ』
そう言って奥さんは、終始笑顔で帰っていったそうだ。
オハナさんは、自分のしでかした事の重さに耐え切れず、それさえからも逃れたくて、
花の中で消えてしまいたいと強く願ったそうだ。気付いたら、オハナさんはゆうれいにな
ってアシダンセラで佇んでいたそうだ。
全てを話し終えたオハナさんは、最後に小さく呟いた。
「花を守る事は、罪滅ぼしだ」
と……。
花を見れば辛いだろうに、オハナさんは守り続けている。
成仏の仕方を忘れたわけでなく、しないだけなのだ。
真実を知り、俺の胸は痛くなる。
このまま、永遠に救われないのだろか?
誰かが十分頑張ったから成仏しろと言っても、オハナさんは花を守り続けるのだろう。
この辛さを、俺が少しでも引き受ける事は無理なのだろうか?
オハナさんには、泣き顔より笑顔でいてもらいたい。
本気で思った。
「顔、上げろよ」
俺の声に素直に従い、オハナさんが顔を上げてくれた。
泣きはらした顔だ。
綺麗な顔が台無しだ。
俺はクスクス笑ってから、オハナさんにもう一度、手を差し伸べた。
キョトリとするオハナさんに、俺は満面の笑みを浮かべた。
「憑いたのなら、最後まで、きちんと憑いてろよ。途中で放棄するなんて、ゆうれいのか
ざかみにもおけん」
「君は……」
「君じゃねー。俺はアキラだ。間違えんな。それから、脱走はしねー。上田や蒼はかなり
個性的だが嫌いじゃねーから。それに、こんな泣き虫を置いていけるわけないだろ。アシ
ダンセラ、一緒に守ってやるよ」
俺は気持ちを言葉にした。
オハナさんは、また泣き出した。
こんな泣き虫なゆうれいは初めてだ。
手を触れることは出来ないから、俺はオハナさんの頭を優しく撫でる仕草をした。
そんなこんなで、俺の脱走は終了した。
勝負に負けて、俺は上田にこき使われている。
蒼は上田の愛人とか言っているくせに、相変わらず俺にべたべたしてくる。
理由を尋ねたら、上田にヤキモチを焼かせる作戦だといった。
その作戦、絶対に成功しないと思うぞ。
オハナさんは、相変わらず楽しそうに笑っている。
アシダンセラの花が枯れても、オハナさんは消えなかった。
その事に、生徒は驚いていたが、ここの奴らは順応性が高いらしい。
直ぐに、事実を受け入れた。
まぁ、オハナさんの人徳(?)もあるのだろうけどな。
あと1年と少しで、俺は学園を卒業する。
するが、オハナさんと交わした約束を守るため俺は必ず戻ってくる。
上田に山ほどの雑用を言いつけられ、サクサクこなす俺の横にオハナさんがやってき
て、こんなことを言った。
「花言葉をしっているかい?」
俺は「YES」と答える。
アシダンセラの花言葉。
それは、『純粋な愛』
オハナさんにはピッタリな花言葉だ。
おわり
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